2010年8月28日土曜日

(8)貯蓄の功罪、貯蓄への課税

日本人の美徳である倹約や貯蓄はどうして日本経済の足かせになっているのか。それは生活必需品のニーズが経済成長を支えていた時代が終わり、生活に必ずしも必須ではない高付加価値な商品のニーズが経済成長を支えるようになったためだと思うのです。

戦後の日本はまだまだ人々が必要とする「生活必需品」のニーズを満たすために十分なほどの生産力がありませんでした。生活必需品である商品もサービスも不足していた。だから生産設備をどんどん作る必要があったわけです。工場や工作機械が必要だった。様々なインフラが必要だった。その時代にあっては、消費よりもまず生産設備を作る必要があったわけです。人々が無駄をなくし、倹約し、貯蓄したおカネは「設備投資」として生産能力を高めるために使われ、そのおかげで安くて良質な商品をどんどん作り出せるようになったのです。貯蓄は死蔵されること無く、「設備投資」として生産設備の増強に振り向けられて循環したため、生産の拡大と消費の拡大が同時にバランス良く進行し、これが経済成長の原動力となり、循環するおカネの量が減ることはありませんでした。それで日本は豊かになりました。つまり、その時代においては日本人の勤勉で貯蓄好きという特質が非常に有効だったわけです。もし日本人が浪費好きで、生産能力を高めることなく消費のみに走ったとすれば、消費加熱からインフレを招いたり、供給不足から外国の輸入品が増大して貿易赤字となり、今のギリシアのようになっていたかも知れません(ギリシア最大の問題は財政赤字ではなく貿易赤字)。日本人の貯蓄好きで勤勉な国民性がインフレを抑え、生産力の拡大を実現したのです。実にすばらしいことではありませんか。

21世紀の日本では生産力が十分に高まったおかげで、人々が切実に欲しいと感じる「生活必需品」のニーズは満たされるようになりました。だから生産設備をどんどん作る必要はなくなりました。生活必需品のニーズが経済成長を支えていた時代が終わり、付加価値が高いけれど生活に必ずしも必須ではない商品のニーズが経済成長を支えることになったのです。これは非常に重大な変化です。より高付加価値な商品のニーズは生活必需品のニーズに比べて個人の所得や心理に影響されやすい性質を持っています。バブル崩壊後の日本人の消費者心理の冷え込みと、デフレによる給与所得の減少で高付加価値商品のニーズは激しく落ち込んでしまいました。そのため人々の「消費」も激減してしまいました。こうなると消費と並んで通貨循環を担う重要な要素である「設備投資」も行われなくなります。

その一方で、人々は倹約に励んで貯蓄を続けたために貯蓄がどんどん膨らみました。それらのおカネは活用されること無く、投資先も無いまま死蔵されてしまい、そのためにおカネが循環しなくなります。おカネが循環しなくなると人々のお給料が減り始めます。給料が減ると日本人は不安になるので、おカネを貯蓄しようとします。するとますますお給料が減ります。悪循環です。行き着く先は、人々が必死に貯蓄を握り締めたまま皆が失業して飢えてゆく世界かも知れません(極端な話ですが)。このように日本の消費構造が「生活必需品」から「高付加価値商品」へと大きく変貌したため、倹約や貯蓄がかえって日本経済を冷え込ませる結果をもたらすようになったのです。現在のデフレ不況は貯蓄過剰に原因があり、貯蓄によってお金が循環しなくなったために生じているのです。

政府の財政赤字が拡大している現状をみて「国債の発行が問題だ」と言われますが、そもそもなぜ国債を発行する必要があるのでしょうか。それは単に政府の歳入を補うという意味だけではありません。貯蓄が増えることでおカネが回らなくなり、そのために経済が停滞することを防ぐためなのです。国債を売って貯蓄を吸い上げ、それを人々の代わりに政府が「政府支出」として使うことで通貨の循環を維持することを目的としている側面が大きいのです。おカネを貯め込む人がいるから、経済の活性を損なわないように国債を発行しなければならない。国債発行は国家にとっては苦汁の選択なのです。

国債を発行しないほうが良いに決まっていますが、もし国債を発行しなければ、おカネはますます回らなくなり、デフレはいっそう酷い事になるでしょう。人々がおカネを貯めることをやめて消費するようになれば国債に頼らなくても通貨循環量が増えますから経済は活性化します。それによって税収も増え、国債を発行する必要もなくなります。国債が増えるのは政府の無駄遣いが多いからだという人が居ますが、そうではありません。無駄遣いを減らせば一時的に国債の発行額は減りますが、無駄遣いを減らしておカネを使わなくなることで通貨循環がますます低下することとなり、税収がさらに悪化して歳入不足の問題が再発します。過剰な貯蓄を続ける限り国債を減らすことはできません。とはいえ、日本人の資質がそう簡単に変わることはないでしょう。日本人は質素倹約・貯蓄型の民族なのです。そしてそれはまた日本人の誇るべき資質であるはずです。では、どうすれば良いのでしょう。

私たちにとって貯蓄はとても大切です。住宅を買うための頭金を貯めたり、子供の入学金を貯めたり、病気や失業に備えて貯めたりします。そして、それが実際に役に立つのです。だから貯蓄しないわけには行きません。貯蓄は大切です。しかし限度があります。もし必要以上に大量のおカネを貯め込む事で社会の通貨循環を低下させ、経済を衰退させている人がいるとすれば、それなりの対価を負担していただく必要があるでしょう。つまり税制の改革です。

現在の税制の多くは循環する通貨(フロー)に課税する方式です。法人税も所得税も消費税もぜんぶこれです。ところがこの税制では現在のようにデフレのために循環する通貨量が減る状況では税収も減少せざるを得ません。これでは財政の建て直しなどできるはずがないのです。一方で現在の税制では貯蓄(ストック)にまったく課税されていません。このことが消費を減らし、貯蓄を増やす一因にもなっています。デフレになると貯蓄が増える傾向にあるので、もし貯蓄に課税すれば、デフレ経済の下でも税収が増えることになり、デフレ環境下での財政再建は容易になります。

最近はマスコミも政治家もこぞって「消費税増税はやむなし」を演出していますが、ここで説明したことをご理解していただけるなら、消費税のように循環する通貨に課税しても、根本的な解決には程遠いことがお分かりいただけるでしょう。むしろ貯蓄のような金融資産への課税が必要なのです。欧米諸国の消費税が高いからと言って、日本の消費税を上げる根拠にはなりません。日本には「日本人の気質にあった税制」が必要なのです。マスコミや政治家は銀行への配慮から「金融資産への課税はタブー」として議論すらしませんが、これでは税制の根本的な改革は出来ません。

デフレ不況ではむしろ法人税、所得税、消費税など、おカネの循環を妨げる税制の税率を大幅に引き下げ、貯蓄のように使われていないおカネを税として吸い上げ、おカネの循環を増やす税制こそが経済の原理にかなっています。おカネの循環が増えると景気は必ず回復し、日本経済を再び活性化してくれるはずです。そこで初めて財政再建が可能になるのです。

そして、おカネの強力な循環が実現すると、生み出されるモノやサービスが増加し、生産に裏付けられた税収が増えることによって年金などの社会保障を支えることができるようになります。つまり、ストックではなくフローに基づく社会保障が可能となるのです。豊かな社会とは、貯蓄が実現するのではなく、生み出されるモノやサービスが実現してくれるのですから。

2010年8月22日日曜日

(7)おカネを使えば使うほど収入が増える

おカネは使えば使うほど収入、つまりお給料が増えていく仕組みになっています。ところが多くの人がこの仕組みを理解していません。それは無理もないことです。なぜなら一般の人や企業にとってのおカネの性質と、国の経済にとってのおカネの性質が全く異なるからです。

例えるなら、一般人や企業にとっておカネは直線的であり、収入として得たおカネは支出として出てゆくだけです。一方、国家の経済(マクロ経済)において、おカネは環状であり、生産者と消費者の間をぐるぐる回っています。収入として入ってきたお金は支出として出てゆきますが、それは次の収入の原資になるのです。ですから、支出が増えれば収入が必ず増えます。このことを常に意識しなければ経済問題を理解することはできません。

一般の人にとって「おカネを使えば使うほど手元のおカネが減る」のが常識ですが、マクロ経済からみれば「おカネを使えば使うほど通貨循環量が増大して手元のおカネが増える」のが常識です。つまり、家計と国家ではまったく正反対の常識を持っています。家計と同じ仕組みで国家経済を考えることは無意味です。まず経済を理解するには、このことをしっかりと認識し、違いも理解しなければ始まらないのです。この仕組みを間違えると、同じ前提でも結論は正反対になります。

わかりにくいでしょうから、もう少し具体的に考えてみます。

経済全体を単純化して考えてみましょう。多くの企業で従業員が働いて商品が生産されます。従業員には労働報酬として企業から給与がおカネで渡されます。従業員はそのおカネで企業から商品を買います。するとおカネは企業へ戻ります。そのおカネを元に再び工場で商品が生産されます。これを延々と繰り返しています。おカネは企業と従業員の間をぐるぐる回り、そのおカネの循環(通貨循環)に乗って商品が企業から従業員へ渡り、従業員からは労働力が企業へ渡っています。まるでおカネはベルトコンベアのようです。このおカネの循環の量が大きければ大きいほど景気が拡大し、人々は豊かになります。

もし、従業員がより多くの商品を買ったとしたら、つまりたくさんおカネを使ったら、そのぶんだけ企業へ戻るおカネの量が増えることになります。すると企業はたくさん売れた分だけ生産量を増やして、その対価として従業員の給料を増やします。ですから、従業員が商品を買えば買うほど給料が増えるのです。もちろんこれはモデルですから単純にそうなりませんが、大枠では必ずその方向へ動きます。

このようにして、おカネをたくさん使えば使うほど人々の収入が増えるのです。では、逆の場合はどうなってしまうのでしょうか。

もし、従業員がもらったおカネを使わず貯蓄してしまったら、そのぶんだけ企業へ戻るおカネの量が減ることになります。すると企業はおカネが減った分だけ生産量を減らして、その対価として従業員の給料を減らします。ですから、従業員が貯蓄を増やせば増やすほど、従業員のお給料が減るのです。もちろんこれはモデルですから単純にそうなりませんが、大枠では必ずその方向へ動きます。

ゆえに、経済を活性化する、つまり人々の給料を増やし、様々な商品やサービスを生産して人々に供給するためには、貯蓄を減らし、消費を増やさねばならないのです。消費を増やせば増やすほどお給料が増えて、人々は豊かになれます。これは個人の収支レベルで考えると変に聞こえるかもしれませんが、国家レベルの大きな視点から考えれば当たり前のことです。ですから今の日本が不況から脱出するためには、貯蓄をやめ、消費を増やさねばならないのです。

すなわち、日本人の伝統的な価値観であり、美徳でもある「無駄をなくす」「倹約する」「貯蓄する」では経済を立て直すことができません。貯蓄をやめ、消費を増やさねばならないのです。とはいえ、こんな不安定で不況の社会において、貯蓄をやめ、消費を増やすなど私たちにとっては自殺行為です。では、どうすれば良いのでしょう。解決策は無いのでしょうか。

2010年8月15日日曜日

(6)永久に借金の無くならない社会

財政赤字がマスコミで騒がれていますが、今の日本で財政が黒字になると経済はどうなるのでしょう?世の中のおカネが不足して、ますます不況になります。なぜなら世の中のおカネはほとんどが借金から出来ているからです。財政赤字の問題はここを理解できなければ永遠の迷宮に入り込んでしまうのです。

前回と同じ話になってしまいますが、世の中のおカネのほとんどは民間銀行が帳簿上で作り出して人々に貸し与えているおカネから出来ています。この仕組みが「信用創造」と呼ばれます。この信用創造で作りだされた借金が世の中にどんどん循環して経済を支えています。誰かの借りた借金が世の中にぐるぐる回っているのです。あなたの預金通帳の中のお金も、もともとは誰かの借りた借金がめぐりめぐってそこにあるのです。世の中のおカネは9割が借金からできています。

そこから生じる問題はいくつも考えられますが、その一つは、借金を返済する際に利息を上乗せしなければならないということです。借りたおカネより返すおカネが常に多いわけです。じゃあ増えたおカネはどこから来るのか?世の中に出回っているおカネのほとんどは借金から出来ていますから、借金を返済するときの利息も元々は誰かの借金から来ているわけです。つまり、誰かが借金をしないと利息の支払いができなくなってしまいます。その借金にも利息の支払いが付いてくる。つまり、利息を払うためには、永久に借金を増やし続けなければならないことになります。もし、景気が悪くなって人々がおカネを借りなくなってしまったら、世の中のおカネは借金の返済と利息の支払いでどんどん減り続け、おカネ不足で経済は破綻し、払えるはずの無い「借金の利息」だけが膨大に残されます。なぜ世の中から借金がなくならないのか?それは上記のように、現在の銀行制度が借金を未来永劫どんどん拡大しなければ成り立たない仕組みになっているからなのです。日本は永久に借金の無くならない社会なのです。借金が永久に増え続ける仕組みなのです。

なぜ国債がなくならないか?その理由もそこにあります。経済が右肩上がりで成長した時代にあっては、国が国債(国の借金)を発行しなくとも民間が借金をどんどんしてくれますから、世の中のおカネは増え続け、利息の返済も可能です。ところが不況で民間が借金を減らそうとしている今の日本では、もし国債の発行をやめたら、世の中からおカネがどんどん無くなり、経済は破綻し、借金の山だけが残されるのです。確かに今の財政は無駄遣いが多いことも事実でしょう。無駄遣いを止めれば国債の発行額は減らせるでしょう。しかしこの問題がある限り、国債の発行を減らすにも限界があるのです。もし財政が黒字化したら?借金の利息の支払いはすべて民間に降りかかることになるでしょう。

おカネなら個人の金融資産が1500兆円もあるではないか。確かにそうです。しかし、その1500兆円も、もともとは「無から生み出されたおカネ」を元にしているため、借金をする人より返す人が多いなら徐々に減少を続けるでしょう。誰かが借金を増やさなければ金融資産は減る運命にあります。今は日本政府が国債を発行して借金をどんどん増やしているため、そのおカネが個人の資産に流れ込み、逆に個人の金融資産が増えたりしますが、国債の発行を止めれば金融資産も徐々に消えて無くなるのです。

つまり現在の金融制度では、銀行が架空に作り出した「預金」が世の中のおカネの9割を占めているため、おカネは消えてなくなる宿命にあるのです。そして、おカネが消えて無くなるとデフレを引き起こすのです。現在の金融制度では、この致命的な欠陥を補うために、国債を発行し、おカネが消えて無くならないように借金として作り出したおカネを世の中に流通させる必要があるのです。ですから余程の好景気で民間が借金を拡大し続けない限り、国債がゼロになることはあり得ないでしょう。

では、消えてなくなるお金で経済を支える必要があるのでしょうか?預金という架空のおカネに依存する必要があるのでしょうか?そんな必要はどこにもありません。消えて無くならないお金、つまり「現金」で経済を支えれば良いのです。現金とは日本銀行券であり、紙幣のことです。つまり、銀行が帳簿操作でおカネ(預金)を作り出す割合を減らし、そのぶんだけ国がおカネ(現金)を作り出せばよいのです。人々の経済活動に必要なおカネを国がきちんと準備するのです。

不況が引き起こす信用の収縮で減少するおカネを補うために国債を発行するという、今の政府のやりかたは不健全です。不足するおカネを現金(日本銀行券の発行)で補うべきなのです。国債は利息の支払いを将来の世代に残す問題がありますが、日本銀行券の発行にはそのような心配はありません。むしろ通貨の循環量を増やして将来の経済に明るい展望を開くでしょう。仮にインフレになっても、そのつけは現代の世代が払うことになり、国債のように将来の世代に負担を残すことにはなりません。しかもインフレターゲットを設定して、その範囲内で量をコントロールしながら、国による通貨供給を行うことにより、インフレを抑えることは容易です。インフレをコントロールする手段は非常に豊富にあるのです。そのように、インフレターゲットを設定して、その範囲内で量をコントロールしながら、国による直接の通貨供給を行うことにより、消えてなくなってしまうお金に依存しない、安定した経済を目指すべきです。

借金から生まれるおカネに依存する経済は永久に右肩上がりの経済成長が前提で成り立つシステムです。将来に向けてサスティナブル(持続可能)な経済を実現するためには、金融システムの大胆な改革が避けられないのです。

2010年8月8日日曜日

(5)銀行制度の課題

前回の話をもう少し簡単に考えてみましょう。ここで理解いただきたい事は、信用創造とは何か?という事です。信用創造とは銀行が、自身の保有している現金を何倍にも膨らませて人々に貸付ける仕組みです。これがバブル期に大量のあぶく銭を放出し、その後の破綻でお金不足の恐慌を引き起こす原因となっているのです。

あなたがもし現金で100万円を持っていて、誰かに貸すとします。持っているおカネは100万円ですから、普通は他人に貸すことのできるおカネは100万円まででしょう。しかし、銀行は100万円を持っていると1000万円貸すことができます(実際にはさらに多く)。これが信用創造と呼ばれる手法です。現金100万円を元に1000万円を作り出し(信用創造)、100万円を10人に貸し付け、それぞれから利息を得ますから、普通に100万円だけを貸す場合よりも10倍多くの利息を手にすることができます。これは銀行だけに許された特権で、一般の個人や企業がこれをやると犯罪になります。

はて、100万円しかないのに、どうやって合計1000万円を貸すことができるのか?そこで登場するのが「預金通帳」です。誰かに100万円を貸すと言っても、現金で貸す必要はありません。銀行がまず借用証に貸し付け金額100万円を記入します。次に借り手が借用証にサインします。そして銀行が借り手の預金通帳に「預金100万円」と記帳するだけです。これで借り手に預金100万円が貸し付けられました。現金は一切動かず、そのまま金庫に残っています。現金を貸す必要は無いのです。おカネを借りた人は、この通帳に記帳された100万円を使って様々な支払いを行いますから現金は不要なのです。銀行は現金ではなくて預金を貸すのです。預金は帳簿上で無限に増やす事ができ、それを借り手の預金通帳に100万円と記帳するだけで貸し出しできます。これなら現金を100万円しか持っていなくとも、10人にそれぞれ100万円を貸し付けることなど簡単なことですね。このような手順で、実際には法的に制限さえなければ、無限に貸し出しを増やすことができるのです。つまり、借金という形でおカネは無限に増やせるのです。これが信用創造です。

預金とは銀行が誰かに貸すために作り出したおカネであることがわかりました。現在の日本ではおよそ現金が70兆円ありますが、預金は400兆円もあります。つまり世の中のおカネの9割近くが誰かが借りた借金なのです。このお金は借金ですから、借り手が借金を返済してしまうと、このカネは消えてしまいます。景気が良くて借り手が多いうちは良いのですが、不況で借りる人が減ると、世の中のお金はどんどん減り始めます。世の中のおカネの量が減ると言うことは、デフレを引き起こす原因になります。つまり、デフレの原因は現在の銀行制度そのものにあるのです。

さて、銀行は他人におカネを貸す場合に借り手からそれぞれ担保を入れさせます。100万円を元に10人から合計で1000万円に相当する担保を取ります。もしおカネを貸したうちの5人が借金を返せない場合は、500万円の貸付金は損失になりますが、かわりに500万円分の担保が銀行のものになりますので、損するどころか、資産を手に入れることができるわけです。ここが大変重要です。前述のように、銀行は預金通帳に100万円と記帳するだけで特に何の価値も生み出してはいないのですが、現実に価値のある担保を要求することができます。

これは何を意味するでしょう?ある一定の割合で貸し倒れが発生するとすれば、時間の経過とともに世の中の資産は徐々に銀行に吸収されていくことになります。十分に長い時間があれば、やがてはすべてが銀行の物になることになります。奇妙に聞こえますが、理論的にはそうなります。

このように書くと、何か銀行が悪いことをしているように感じられる方もおられるかも知れませんが、別に銀行は合法的なことをしているだけで、悪いことは何もしていません。銀行を非難するなど無意味な感情論に過ぎません。そうではなくて、現在の銀行制度が社会のシステムとして機能的か、機能的でないかを考えているわけです。そして、社会のシステムとして、現在の銀行制度に問題があるならば、変革しなければならないはずです。

この制度で問題なのは、銀行が100万円の現金から1000万円のおカネを生み出すという仕組みにあります。信用創造と呼ばれる仕組みです。信用創造によって民間銀行が無から創造したおカネは非常に不安定で、景気変動で簡単に増えたり減ったりしてしまいます。現在の社会はこのような非常に不安定なおカネに経済活動が依存しているため、バブルと恐慌を繰り返します。おカネに実体経済が振り回されることになるのです。もともと経済には好景気と不景気の波があるのはやむを得ないことでしょう。しかし信用創造はその波を何倍にも増幅して、社会に極端な影響を与えます。つまり好景気の時はお金を必要以上にどんどん放出し、景気が悪くなるとお金を極端に縮小してしまうのです。経済活動はもっと安定したおカネが担わねばなりません。

安定した経済には安定したおカネが必要です。借金として生み出される不安定なおカネではなく、消えてしまう心配の無いおカネが必要です。預金は借金の生まれ変わりであるため消えてしまいます。しかし現金が消える事はありません。ですから、現金の重要性をもっと高め、現金を主体とする通貨制度にする必要があると思うのです。もちろん、現代社会ではおカネの9割が借金から出来ているわけですから、急に現金中心の通貨制度に変更などすれば大混乱を引き起こすかも知れません。ですから、時間をかけて徐々に世の中のおカネの割合を預金中心から現金中心に変えていくわけです。現金は急に増えたり減ったりしませんので、インフレもデフレも穏やかになります。バブルなどを引き起こすこともなくなります。