2010年9月19日日曜日

(10)バブル経済は本当に悪いだけなのか?

マスコミはバブル経済の負の側面だけを報道しますが、バブル経済で生産力が爆発的に拡大し、雇用が改善し、賃金が伸び、力強い景気に支えられて財政赤字も解消できるというプラス面はほとんど無視されています。バブル経済とは大量の通貨供給が経済に与えるプラス効果の証明なのです。
 
バブル経済をただ「悪いもの」として、そのときの現象すべてを否定することは思考停止にすぎません。確かに銀行制度の「信用創造」が過剰に働き、信用として爆発的な量の「借金」が世の中に流れ出し、それが限界まで膨れて破裂した事は、それに巻き込まれた多くの国民にとって不幸をもたらしました。しかも、それが現在に至るデフレの発端であったかも知れません。ですからバブル経済は決して良い物ではなく、繰り返すべきものではありません。しかし、バブル経済から教訓としてそれだけしか見出すことが出来ないとすれば観察力が不足しています。バブル経済のとき、少なくともその最中は好景気に日本が沸き立っていた。それを忘れてはならないのです。そこから学ぶべきものがあるはずです。

バブルは大量のおカネを作り出します。それは銀行の信用創造が生み出す架空のおカネではありますが、おカネなのです。そのおカネが大量に世の中に出回った結果、日本の景気は絶好調になりました。人々の賃金は伸び、消費は拡大し、雇用は人手不足が社会問題になるほどでした。ブランド品が流行し、高級車が飛ぶように売れる。安物の商品は見向きもされず、高付加価値の商品がどんどん売れる時代でした。これだけ景気が良くなると税収が増えるのは当然です。さて、バブルが悪いものだとしたら、この状況も悪い状況なのでしょうか? そんなはずはありません。崩壊してしまったから、今更のように全否定されていますが、このような状況がずっと続くのなら、人々は今ほど不幸にはならなかったでしょう。ですから本当はこのような好景気を再び実現して継続することを政府や政治家が目標とすべきであり、そこが経済学者の出番なのですが、彼らの多くはこの時代をただ「悪いもの」「まやかし」「虚構の経済」のように批判し、否定するだけで満足しています。これでは得るものは何もありません。

なぜこのような好景気が起きたのでしょう?それは大量のおカネの循環がもたらしました。おカネが消費を引っ張り、消費が生産を引っ張り、経済規模がどんどん拡大する。生産能力の限界までフルに回転する。日本にはそのようなポテンシャルがあったのです。今は当時ほどではないにしろ、日本には潜在的な生産力がまだまだ眠っているのです。そしてバブル経済で明らかになったように、おカネがそのポテンシャルを開放するキーになっているのです。以前の繰り返しになりますが、おカネがなければ経済は成長しません。逆におカネをどんどん増やせば、生産力がどんどん拡大して経済は成長します。成長力の限界以上に通貨を供給するとインフレを誘発しますが、成長力に見合う通貨供給であれば何の問題もありません。そして生産力をフルに生かす事で好景気となり、人々が必要とする様々な物資を十分に生産し、人々に分配する事で豊かな社会が実現するのです。

循環通貨量と生産力のバランスが非常に大切です。生産力に見合うだけの通貨を供給すれば、消費は拡大しますが商品の供給が十分に確保されるためにインフレは発生せず、商品が溢れ、失業も限りなくゼロに近づきます。逆に生産力に比べて循環する通貨の量が少なければ、消費が低迷してデフレとなり、商品の生産は減退し、失業率が増加して、貧富の格差が拡大します。今の日本は循環する通貨の量が減少してデフレ不況なのです。

だからこそ政府がもっとどんどんとおカネを供給すべきなのです。バブルがなぜ崩壊したか?それは通貨供給を「信用創造」が生み出す架空のおカネに依存していたためコントロール不能となり、バブルが発生して信用が拡大しつづけ、世の中に凄まじい量のおカネが溢れ出し、それが限界を超えるとバブルが崩壊し、信用収縮であっと言う間に世の中のおカネが消えてしまったからです。そして銀行への借金だけが膨大に残された。ところが、もし政府が輪転機を回しておカネを刷ったなら、そのおカネは消えることがありません。消えることの無いおカネを使えば、バブルも発生しませんが、バブルが崩壊する心配もありません。消えることの無いおカネこそが好景気を安定的に持続させるのです。

もし、通貨の供給により再びバブルが発生する事を心配するなら、土地や株式などの値上り益(キャピタルゲイン)に課税したり、いよいよとなれば銀行の信用創造に一定の制限(預金準備率引き上げ、金利引き上げ)をかければ済む事でしょう。バブルを元からしっかり予防する事が重要であって、バブルを恐れて通貨供給を渋ることは本末転倒です。通貨供給は経済にとって非常に大切です。

通貨の発行で日銀券の価値が落ちるなどの批判があるようですが、これはナンセンスでしょう。そもそも民間銀行が日銀券を何十倍にも膨らませて貸付けているのですから、それこそ銀行の信用創造が日銀券の毀損の原因そのものであるわけです。しかも社会が経済活動を行うために必要とされる通貨の総量は、経済規模(生産と消費)の拡大に伴って増加するわけですから、経済規模の増加にあわせて日銀券を発行しなければ、日銀券の価値が過剰に評価される事になります。これはデフレの原因に直結します。逆に経済規模が拡大するためには通貨の増量が先行して必要であるため、民間銀行の信用供給が進まない今日では、日銀券を先行して発行する必要があると思います。これが日銀券の毀損であるとするなら、経済成長を否定するようなものです。

バブル経済から学ぶべき事は、通貨の供給が如何に経済を活性化し、生産力を拡大し、失業を減らし、貧富の格差の少ない豊かな社会を実現するか、ということにあります。もちろん再びバブルによる過剰な信用創造によって通貨供給を増やすべきではないでしょう。そうではなくて、日本銀行が人々の経済活動を活性化するために、生産力とのバランスを取りながら現金つまり日本銀行券を積極的に供給し、通貨の循環量を拡大すべきです。もちろん、その通貨を銀行に供給しても何も変わりませんから、政府を通じて社会に直接供給されるべきでしょう。具体的には国民への給付金であったり、社会保障であったり、本当に必要とされるエネルギー自給率向上などの日本の将来のための公共事業であるのです。

2010年9月5日日曜日

(9)おカネが増えなければ経済は成長しない

はるか昔から、おカネを増やすことで国の経済が成長してきました。先におカネを増やすことで後から経済成長が付いて来る。だからこそ銀行は投資によって利益を揚げることができるのです。まずおカネありき。逆におカネが増えなければ経済は成長しない。なぜでしょうか。

身近な視点で考えて見ましょう。ある企業が100円の商品を10個生産していたとします。生み出される価値は金額換算で総額1000円になります。この企業の商品を買い取るために必要なおカネは総額で1000円です。世の中のおカネが1000円あればこの企業の商品はすべて売れますから問題ありません。生産性が向上し、企業の生産量が20個に増加したとします。生み出される価値は2000円になります。ところが世の中のおカネが1000円しかなければ、せっかく増えた商品は売れ残ってしまいます。これでは企業は不幸ですし、人々買える商品の量が増えずに不幸です。そのため、おカネが増えなければ、たとえ企業の生産力が増える潜在的な余力があったとしても、それを発揮することはありません。しかし、そこでたとえば国が1000円のおカネを作って人々に配給したら、世の中のおカネが増え総額が2000円になります。そうすることで、企業の生産した商品がすべて売れるし、人々も今までの二倍の商品を手に入れることができるようになります。生産力の成長に合わせておカネが増えなければ経済は成長できないのです。日本にどれほど生産力・労働力があっても、おカネがなければ決して経済は成長しません。

私たちは個人的な体験を通じて、生産活動や労働の結果としておカネが生まれるような錯覚を持っています。しかし実際にはおカネの方が先にあって、生産活動はあとから付いてきます。ニンジンと馬の関係と良く似ています。何も無い状態で馬を走らせることは難しいですが、鼻先にニンジンをぶら下げてやると走り出します。同じように、経済においては「投資」つまりおカネを先に投入してやることで、生産設備を購入し、労働者を雇用し、生産体制を整えることができるようになります。つまり、先におカネを作り出す必要があるのです。

経済成長するためにはおカネが必要になります。しかもおカネが先に必要なのです。おカネを増やすことで、ニンジンと馬の関係のように、経済がおカネに引っ張られて成長します。歴史的には銀行がこの役割を果たしてきました。銀行は帳簿上でおカネを作り出し、それを実業家に貸し出します。この時点では銀行は何の価値も生み出して居ません。帳簿上でおカネを作っただけです。無からおカネをつくるだけ。そもそもおカネに価値はないのです。ところが実業家がそれを使って工場を建設し、商品を製造することにより価値が生まれるのです。すなわち、おカネには無から価値を生み出す力があるのです。

おカネは無から価値を生み出す力がある。これがおカネのすごいところです。銀行はこれを利用して利息を得てきました。経済の成長に伴って必要になるおカネは増えるのですが、それを先に作って貸し出すことで利息を得るのです。そして銀行は民間企業ですから利益がすべてに優先します。ということは、銀行の作るおカネは、利息を得ることができないなら誰かに貸す事はできません。つまり経済成長が低下した今の日本ではおカネを貸しても利息が取れませんから、貸すことはできないのです。中国のように、まだまだ成長余力のある国に投資したほうが確実に利益になります。日本の世の中には、環境や高齢化、少子化などに伴い、まだまだ必要とされる設備も商品もサービスもあるし、生産設備も労働力も余っているにもかかわらず、利益にならないから作らない。おカネが無いから作れない。利益を得られなければ、何もできない社会なのです。これは潜在生産力を活用せずただドブに捨てているようなもので、非常に非効率的で非生産的です。利益中心のおカネの使い方を改めなければ、毎年何十兆円もの生産力が無駄に消えていくだけなのです。

銀行ができないなら、政府がやればよいではないか?そうです。 利息を得る必要の無い政府が行えば良いのです。銀行は民間企業ですから利益が基準です。非営利組織なら利益ではなく、人々の幸福度を基準におカネを使うことが可能です。最も大切なことは、通貨循環の量を安定させ、経済成長余力にあわせて通貨の量を増やしてゆくことです。それを政府が行えば良いのです。そしてそのおカネを利用することで将来の社会が必要とするもの~たとえば、新エネルギー設備(太陽・風力・波力・地熱などの発電設備)、老人用の施設、海洋食糧生産設備など~をどんどん作り出すことで、環境問題にもエネルギー問題にも高齢化社会にも食糧問題にも対応できる社会資本を充実させることが出来るのです。おカネを増やすと言っても、もちろん限度があります。経済の成長余力を上回る勢いで通貨を増やしても、生産能力が追いつかなくなり、インフレを引き起こす可能性があるからです。政府がおカネをコントロールすることは簡単ですので、その心配は無いでしょう。

経済成長するためにはおカネが必要になります。しかもおカネが先に必要なのです。そして今まではその役割を民間銀行の作り出す「信用創造」に依存してきました。その結果、世界は幾度と無くバブルと不況を繰り返すだけで、そのたびに無関係な人々が巻き込まれて資産を失い、膨大な不幸を生み出してきました。これが理想的な金融システムなのでしょうか?

政府が民間銀行におカネ作りを丸投げすることの問題は、ノーコントロールだという点にあります。民間企業である銀行は収益が最優先ですから、必然的に市場から要求されるがままにおカネを作って貸し出します。それは企業の宿命です。すると実体経済の成長を遥かに超える速度で借金が膨張しバブルが引き起こされ、それが限界まで膨らむとやがて破裂して、急激におカネが世の中から消えて無くなる。銀行は作り出したおカネの担保として人々から不動産などを回収できるから被害は少ないものの、無関係な多くの人々は一方的に巻き込まれて資産を失うことになる。おカネの供給はきちんとコントロールしなければならないのです。そのために日本銀行があると多くの人が信じていますが、日本銀行があっても、1990年頃のバブルはコントロールできす、逆に最近はデフレがコントロールできません。日本銀行にはその能力が無いのです。

政府がおカネを直接きちんと管理して通貨の安定的な供給を直接行うべきなのです。通貨は民間銀行が好き勝手に供給すべきものではなく、公共のものであり、政府が管理すべきものなのです。