2011年1月30日日曜日

財政再建で何が起きるか国民は知らなすぎる

マスコミの書かないことを書きます。公然の秘密なので、書くのは少々危険なのですが。まず、しっかり理解しておかねばならないことがあります。それは、

通貨は負債として生まれる。ゆえに、利息を支払うため通貨総量は膨張し続けなければならない。

ということです。世の中を流通している、いわゆる「おカネ」の大部分は預金です。現金はほとんどありません。では世の中のほとんどのおカネである「預金」はどのようにうまれるのでしょう。日銀が発行する?いえ違います。それは銀行が企業や人々に貸付を行うことで「信用通貨」として生まれます。

簡単に言えば、誰かが借金をすることで、その借金したおカネが世の中を回っているということなのです。だから、このおカネは借金を返済すると消えてしまいます。もう少し詳しく見てみましょう。銀行はBS(バランスシート)という帳簿を用いておカネを作り出します。BSの左(資産)にあるのが貸付金。右(負債)にあるのが預金です。Aさんに銀行が貸付を行う場合、左の貸付金(資産)の金額を増やすと同時に、右の預金(負債)の項目を同額だけ増やします。このときに預金=おカネが発生します。不思議な気がしますが、これがおカネです。そしてこの預金の名義をAさんに移すと貸付完了です。このように銀行が貸し付けを行う際にはBSの中の右と左は同額、貸付金額と預金金額は同じになっています。世の中の銀行全体の貸付総額と預金総額も同じになっています。そして返済するときは左の「貸付金」と右の「預金」を相殺して、おカネは消えてしまいます。不思議な気がしますが、そういうことです。

問題はここからです。借りたおカネは利息を付けて返済しますが、利息のおカネはどこから生まれるのでしょう?やはり誰かが借りた借金から生まれることになるのです。借りたおカネより返すおカネの量が常に多い。ということは貸付金額を増やし続けなければ成立しないのです。もう少し詳しく見てみましょう。返済する金額は貸し付けた金額に利息が加算されますので、貸付総額より多くなっています。返済する金額の総額が預金総額より大きくなるため、計算上は返済できないはずです。ではなぜ返済できるのか。貸付から返済までには時差がありますから、この間に預金の総額が利息の支払い分だけ増えていれば返済できると考えることが出来ます。すなわち、利息を返済するためには常に預金を増やす必要がある、そのためには貸付金を増やし続ける必要があるのです。つまり通貨の量を膨張させ続ける必要がある。これが、銀行制度が右方上がりの経済成長でしか成り立たない理由なのです。そしてこの経済成長は名目であっても成り立ちます。

そのことを理解している世界はインフレターゲットを用いて、常に一定のレベルで通貨を膨張させており、名目経済成長率を維持していると考えられます。これによりデフレに陥る危険性を回避しています。ところが日本ではインフレターゲットを用いていないため、膨張する通貨の量が少なすぎるのです。そのため借金の返済によりおカネが不足して深刻なデフレに陥っています。実際、企業の借金はバブル崩壊後減り続け、なんと300兆円以上も減っているのです。これほどのおカネが世の中から消滅すると経済は大混乱になるはずですが、そこまで酷い状態にはなっていません。なぜなら、企業の代わりに国が借金を700兆円増やしているからです。逆に400兆円もおカネが増えたのだからインフレになると思われますが、その間に家計が金融資産として400兆円も貯め込んでしまったのでインフレは発生しませんでした。つまり、銀行が300兆円も借金を減らし、家計が400兆円も資産を増やせたのは、合計700兆円を国が借金してくれたおかげなのです。もし国が借金をしていなければ、日本はすでに滅茶苦茶なデフレで経済が破綻していたはずです。永久に借金は無くなりません。借金がなくなるとおカネが世の中から消滅して経済が破綻します。

こんな状態なのに、財政再建で国の借金をゼロにするという計画が実行に移されると何が起きますか?家計の金融資産400兆円が吹っ飛び、民間企業は300兆円の借金を増やさねばなりません。「誰かの資産は誰かの負債」という現在の金融システムである「バランスシート(BS)」に基づいて考えれば、必然的にこのような結論になります。

BSの仕組みをよく理解している「企業」はいち早くそのことに気付いています。借金をさせられてはたまりませんので、日経連は「増税」を支持しているのですね。もし企業が借金を増やさないというのであれば、それはすべて家計に降りかかることになります。合計700兆円の資産が家計から吹っ飛びます。財政は黒字化しますが、経済は不況のどん底に叩き落されます。

それを受け入れる覚悟が国民にあるのであれば、どうぞ財政再建を押し進めてください。

国家経済は家計簿ではありません。国の負債を返す必要はないのです。現在の金融システムは資産と負債を増やし続けなければ成立しません。BSを永久に拡張し続ける必要があるのです。問題は負債を返済することではなく、現在の金融制度に適合してバランスをとることなのです。

2011年1月22日土曜日

インフレを恐れてインフレを招く日本人

ハイパーインフレを妄信する人々

バブル崩壊後、一貫して通貨の供給を抑えてデフレを維持している日銀。そして日本は未曾有のデフレであるにもかかわらず、なぜかインフレを恐れる人々がいる。お金を刷るとハイパーインフレになると人々を煽り立てる経済評論家だ。何か言えばハイパーインフレになると騒ぐ。それを鵜呑みにする人たちも多いようです。本当にハイパーインフレになるのか?彼らの本を立ち読みしてみましたが、第一次大戦後のドイツやジンバブエのような特殊例を引っ張り出して脅しに使っており、悲惨な人々の写真などを掲載して「ハイパーインフレになると、こんなに恐ろしいんだぞ」と強調しているが、ハイパーインフレの理論的な検証が乏しく、デフレ日本が第一次世界大戦後のドイツやジンバブエのようなハイパーインフレになる理由がわからない。

一方、ある経済学者によれば日本人一人当たり一億円を給付するほどでもしない限りハイパーインフレにはならないという話もあります。ハイパーインフレとは年間に物価が100倍にもなるようなインフレのことですから、余程の事がないかぎりハイパーインフレは起こらないでしょう。お金を刷ってハイパーインフレになるかどうかは定かではありませんが、お金を刷らずにデフレを放置すると、やがて悪性のインフレが発生して日本を破壊することになります。なぜでしょうか。

物価は通貨の量だけで決まるのではない

そもそもインフレとは何で、なぜ発生するのでしょう。インフレとは物価全体が継続的に上昇することですが、一般に世の中に供給される商品の量より需要が多い場合に発生します。世の中のお金の量が多いと、つまり人々の保有するお金の量が多いと需要が増えるのが普通です。ですから、世の中に供給される商品の量よりも世の中のお金が多い場合にインフレになります。おカネを刷って世の中のお金の量が増えると需要が増え、商品の不足が生じることから、商品の価格を上げようとする小売店や製造業者が出てきます。そして小売店や製造業者が商品を値上げすることで物価が上昇することになります。通貨が増えたから物価が上昇したわけではないのです。物価は一般に商品の供給不足と、それに起因する値上げがあって始めて上昇します。商品の供給が不足した場合でも、誰も値上げしなければ物価は上がりません。政府が価格統制を行なえば、実はインフレは発生しません。しかし普通の経済状態であれば価格統制を必要とするほど酷いインフレは発生しませんので、それ以外の方法でインフレをコントロールします。

また、おカネを刷ってばら撒いたからと言って、必ずしも需要が増えるわけではありません。ばら撒かれたおカネがすべて貯金されてしまえば、商品の需要はまったく増えないため、インフレは発生しません。たとえば2兆円の給付金が配られたことがありましたが、今の日本では、あのおカネがどこへ行ったのかわからない程度の需要しか喚起されません。

さらにおカネを刷ったからといって、世の中に出回るとは限りません。そもそも日銀の刷ったおカネはほとんどが民間銀行に渡り、民間銀行がそれを元手に誰かに貸し付けることで初めて世の中におカネが出てきます。現在の金融制度では、誰かが借金をしない限り世の中のおカネが増えない仕組みになっているのです。ですから日銀がバンバンおカネを刷っても、不景気でおカネを借りる人がいなければ民間銀行の金庫の中で唸っているだけでおしまいです。これではインフレなど起こるはずもないのです。以上のように、通貨の量が直接に物価を押し上げるわけではないのです。通貨量はインフレにとって必要条件であっても十分条件ではありません。これではインフレになるとはとても思えませんね。ではインフレになるための条件とは何でしょう。

インフレは好景気の証

どうすればインフレになるのでしょう?一つの条件は需要が増えることです。人々が商品をたくさん買い求めようとすると、商品が飛ぶように売れるようになり、品不足になります。すると小売店が商品を買い付ける卸売市場でも商品が不足し、商品の奪い合いになります。製造業者は少しでも高い値段で売りたいですから、当然、高い値段で買ってくれる小売店に優先して卸すことになります。すると商品を仕入れるためにより高い値段で商品を買い付ける必要が出てくるために仕入れ価格が値上がりし、販売価格が上昇します。品不足が起これば確実に価格が上昇します。以上のように、需要が増えて商品が飛ぶように売れるようになるとインフレが発生します。ということから、景気が非常に良い状態になるとインフレが発生することがわかります。すなわち、インフレとは好景気の証なのです。日本も高度成長期からバブル崩壊までの好景気の時期は、慢性的にインフレでした。ですから、おカネをどんどん刷って国民に給付する事で需要を増やしてやると、インフレになるかもしれませんが日本の景気は大きく回復することになると期待されるのです。日銀や一部の評論家はインフレを過度に恐れているようですが、インフレと好景気は密接な関係があるのです。もちろん、デフレと不況にも密接な関係があります。

デフレ放置はインフレの下地を作る

インフレの条件のもう一つは、商品が不足することです。何らかの理由で小売店の販売する商品の量が減少すると、品不足が発生します。あとはほぼ前述と同じように仕入れ価格が上昇し、販売価格が上昇します。では、どのような理由で小売店の販売する商品の量が減少するのでしょうか。それは国内の生産能力の減少です。当たり前ですが、国内の生産能力が十分に高ければ品不足が発生するわけがありません。ですから、国内の生産能力が低下することでインフレが発生するのです。

そのように言うと、国内の生産能力が低くても輸入すれば商品は十分に供給できると思われるかもしれません。今現在も多くの商品が輸入されています。しかし、貿易で商品を確保するには、対価を支払わねばなりません。基本的には何かを輸出することで何かを輸入できるわけです。つまり輸出する商品を十分に生産できなければ、必要な商品を十分に輸入することはできません。ですから国内の生産力が高く、輸出できる商品を十分に生産できなければ輸入はできません。金融で外貨を稼ぐという考えもありますが、これは曲者です(これは別の機会に触れたいと思います)。原則は商品の輸出があって初めて輸入が可能になるのです。ですから、国内の生産力が低下することになれば、インフレを招く恐れが十分にあるのです。

デフレはインフレとは逆に需要が不足すると発生します。一般に通貨が減ると需要が減少するため、おカネが不足しているためにデフレになっているとも言えます。デフレを放置すると国内の需要はどんどん減少します。このような需要の低迷した状態になると、製造業などは生産調整で生産量を減らします。つまり、生産力が減少します。さらにデフレで国内向けの販売が低迷すると製造業などは海外市場に活路を見出そうと、こぞって海外へ輸出しようと考えますが、これまたデフレによる円高(実はデフレで円高になる)が災いして、輸出競争力が低下したり、為替差損などの問題が発生します。このため、多くの企業が工場を中国などへ移転してしまい、日本の産業が空洞化します。つまり生産力が減少します。このように、デフレを放置すると国内の生産力がどんどん減少し、商品の供給をますます海外からの輸入に依存する傾向が強くなってきます。これはインフレの下地をどんどん強化することになるのです。

その時、日本はインフレで最終的に破壊される

デフレを放置し、国内の生産力が減少し、商品の供給を輸入に頼るようになるとどうなるか。このまま日本が不景気で、貧困化が進み、少子高齢化で日本が消えてなくなるのであれば需要は増えませんからインフレは起こりません。そのかわり日本は二度と復活することもありません。しかし、デフレですっかり国内の生産力が疲弊しきった時に日本の景気が回復し始めたらどうなるでしょう。需要が増え始めたら、日本の金融資産1400兆円がこの時に動き始めたら、これはハイパーインフレになる可能性があるかも知れません。需要の回復速度は生産能力の回復速度より遥かに早い。需要に火が付くのは早いが、一度失ってしまった生産能力を復活するには何年もの期間が必要であるため、市場では物不足が深刻化し、インフレが急速に進行する。さらに、商品の不足分を輸入で補うことになるが、輸入の対価は輸出である。この時すでに産業空洞化が進んだ日本は輸出する商品が無いため、輸出より輸入の方が遥かに多くなり、貿易は赤字になる。貿易が赤字になると為替市場では円を売る圧力が高まるため、円が安くなる。現在の為替はレバレッジによって過剰に反応するため、場合によっては円が暴落する。円が暴落すると輸入品の価格が跳ね上がり、国内のインフレが加速する。このように日本は狂乱物価に翻弄され、経済はさらに不安定となり、貧富の格差はさらに拡大し、ホームレスが巷に溢れ、犯罪が増加する。つまりデフレを放置すると国内生産力が破壊され、日本は二度と復活できない国に没落してしまうのです。こんな状態で移民を受け入れるべきだと、どこかの国の経団連会長が言っていたが、火に油を注ぐことになるでしょう。

インフレを恐れてインフレを招き、最終的にインフレで破壊される日本人はかわいそうだ。

2011年1月16日日曜日

不況の元凶は銀行制度の欠陥にある

経済の基本

経済の基本は、人々が様々な商品・サービス(以降は「モノ」として表記)を生産し、それを互いに交換し合うことで人々の生活を支えているシステムのことです。私たちの生活に必要なモノをみんなで作って互いに交換するシステム。当然ながら、個々の人々がたくさんのモノをつくれば作るほど、人々の手にすることのできるモノの量が増えて、人々の暮らしは豊かになります。そして生産の分業化が進んだ今日では、個々の人々(企業)が生産したモノを十分に交換し合うことができて初めてすべての人々にモノが行き渡り、豊かになることができます。

不況とは

生産の分業化が進んだ今日では、どれだけ個々の人々が頑張ってたくさんのモノを生産しても、それを互いに交換するシステムが滞るとせっかく生産したモノが交換しきれずに余ってしまいます。同時にモノを必要とする人々にモノが行き渡らず、モノ不足を招いてしまいます。たとえば漁師と農家からなる社会を想定してみましょう。漁師は魚をとり、農家はお米を作って、互いに交換して生活しています。漁師が頑張ってたくさんのお魚を生産して在庫を抱えていて、一方で農家が頑張ってたくさんのお米を生産して在庫を抱えていたとして、もし、お魚とお米の交換がスムーズにすすまなければ、お魚もお米も交換しきれずに在庫が残ってしまいます。漁師がもっとお米をほしくても、農家がもっとお魚を欲しくても、交換がスムーズに進まないと彼らは欲しいものを手に入れることが出来ず(モノ不足)、在庫も残ってしまう(モノ余り)。そして、モノが余ってしまうために生産量を減らし、お魚もお米も交換できる範囲の量しか生産しなくなる。生産されるモノの総量が減少する、これが不況です。自給自足で交換を必要としない社会には不況はありません。不況は交換を前提として生まれるのです。漁師も農家も、両者が必要とするお魚やお米の生産能力は十分にあり、それぞれもっとお魚もお米も欲しいと思っていても(潜在需要があっても)、交換がうまく出来なければ、互いに生産量を減らし、互いの生活は貧しくなります。つまり分業化された経済にとって「交換」は極めて重要であることがわかります。

モノの生産量はおカネの量で決定される

物々交換が行われた古代とは異なり、現代社会におけるモノの交換はおカネ(通貨)を媒介として行われます。そのため、世の中のおカネの量が不足するとモノの交換が十分に出来なくなり、人々(企業)の生産したモノが余り(生産過剰)、その一方でモノ不足(貧困化)が同時に発生します。現代においてモノの交換は市場において、売買を通じて行われますが、売買の総額は取引に利用された通貨の量と同じです。当たり前ですが、使える通貨の量が減れば、売買により交換されるモノの量も減少することになります。そのように、世の中のおカネが不足して売れ残りが生じると、人々は生産する量を通貨の量に合わせて減らすことになります。どれだけ潜在的な生産能力が高くても、おカネの量が増えない限り生産しません。そして生産されるモノの量が減るがゆえに人々の暮らしは貧しくなるのです。もちろん、国民全員の生活が一律に貧しくなることはありません。現代の人々の生産活動は企業に雇用されて行われるため、失業した人々から順に、まだら模様的に貧困化が進みます。ちなみにデフレとは物価が持続的に下落することですが、おカネの量がモノの量に比べて不足しているときに発生します。つまり今の日本もおカネが不足しているのです。おカネが不足しているために不況が発生する、これが現在の日本の不況です。

おカネは十分にあると言うが貯蓄されたおカネは死んだおカネです

おカネが不足していると主張すると、おカネは十分にあると反論する方がいます。確かに現金・預金の総額は700兆円を超えているそうです。しかしおカネがいくらあっても貯蓄されたおカネは売買に使われませんので、いわば「死んだおカネ」です。死んだおカネがどれほどたくさんあってもモノの交換には一切関与しませんので、日本は金欠病なのです。貯蓄はモノの交換を停滞させ、不況を助長します。金欠病の日本の景気を回復させる方法は極めて簡単で「生きたおカネ」つまり交換に使われるおカネを増やせば良いだけです。おカネを増やす起点は日本銀行ですが(実際に増やすのは民間銀行)、日本銀行はバブル崩壊後、つい最近までおカネを増やすことに強硬に反対してきました。そのため日本はおカネ不足のために極めて長期的な不況に悩まされ続けてきました。そんな日銀もようやく少しずつ金融緩和政策により通貨を増やすことを始めましたが、効果が見えてきません。発行する通貨の量が不十分であることも原因ですが、そもそも現代の通貨制度は、誰かが銀行に借金をしないとおカネが増えない仕組みになっていますから、不況で借り手が居ない今の日本ではおカネがなかなか増えません。

銀行制度の致命的な欠陥

ところで、おカネはどのようにしてつくられるのでしょう。今回のような金融緩和政策では、まず日銀が現金を発行し、民間銀行から国債などの資産を購入して現金を民間銀行に供給します。しかしその時点ではまだ「生きたおカネ」ではありません。民間銀行の預金として民間銀行が保有しているだけです。民間銀行に流れたおカネは基本的に日銀当座預金として日銀に差し入れられているので、そのままではモノの交換には使えません。ですから、これはおカネであっておカネでないとも言えるでしょう。しかし、民間銀行はこの日銀当座預金として日銀に差し入れている預金の金額に応じて、その数十倍のおカネを民間企業や個人に貸し付けることを許されています。これが銀行の特権です。保有しているおカネの数十倍のカネを貸せるのは銀行だけなのです。おカネを貸し付けるといっても現金(紙幣)を渡すわけではありません。基本的に銀行は現金をほとんど持っていないため、貸し付ける相手の預金通帳に金額を書き込むことで融資を行います。そして、この預金通帳に金額が書き込まれた瞬間に、おカネが生まれます。皆さんの預金通帳に記載されている数字と同じ性質のおカネです。これはモノの交換にそのまま使えるおカネです。これが「預金」と呼ばれるものです。このように、誰かが銀行からおカネを借りて、その預金口座に貸付金が書き込まれた時におカネ(預金)が増えます。それ以外で増えることはほとんどありません。世の中に流通しているおカネはほぼすべてが銀行への借金として生み出されているのです。このため、右方上がりの経済成長を続けている間は借金をして投資をする人や企業が多くなりますから世の中のおカネは増えやすいのですが、低成長時代になると借金をして投資しても利益を出すことが難しくなるため、おカネを借りる人が減少して世の中のおカネはほとんど増えなくなります。それどころか借金を返済する人のほうが借りる人より多くなり、世の中のおカネが減り始める事になります。つまり現在の銀行制度は右方上がりの経済成長を前提としているため、もはや現在の日本の社会では機能しないのです。銀行制度にはこのような致命的な欠陥があるわけです。実際、日銀自身も金融政策でデフレは克服できないと認める趣旨の発言をしているようですし、金融政策は効果がないという評論が巷に溢れているところをみても、もはや銀行制度による通貨供給に頼る時代は終わったと考えるべきでしょう。

消えないおカネ「現金」を経済の中心に

前述のように、今の世の中のおカネはすべて銀行への借金として生み出されるため、必ず銀行へ返済しなければなりません。ところが借金がすべて返済されてしまうと世の中のおカネがすべて消えてしまう。それでは大変なことになってしまいます。だから永久に借金を止めることが出来ない、世の中の誰かが必ず借金をしなければいけないのです。そんな不完全な制度に私たちの生活そのものである「経済」が依存しているということは、極めて大きなリスクであるとわかります。そこで消えることの無いおカネを中心とした通貨制度に改める必要があるのです。それは難しいことでもなんでもありません。消えないおカネとは「現金」のことです。それに対して銀行が貸付金として作り出したおカネは「預金」と呼ばれます。現在はこの「預金」がおカネのほとんどを占めていますが、これを廃止して日銀の発行する「現金」にすれば良いのです。もちろん現金にしたからといって皆さんが紙幣を持ち歩く必要はありません。銀行の口座に入れておけば、今までと同じようにカードで払うこともできます。ただし「預金口座」ではなく「現金口座」になります。ちなみに預金と貯金は混同しやすいですがまったく違います。預金口座は誰かの借金から生まれたおカネ「預金」を貯めておく口座ですが、現金口座は日銀が発行した「現金」を貯めておく口座です。では、どのようにしておカネを世の中に供給すれば良いでしょうか。今までは日銀の発行した現金を元に、民間銀行が誰かに預金を貸し付けることで世の中におカネを供給してきました。今度は日銀の発行した現金を財源として、日本の将来に役立つ分野に直接おカネを使うことによりおカネを世の中に供給するわけです。たとえば風力発電所や海底資源の開発、医療施設、低所得者のための住宅の建設、技術開発のための教育機関や研究所の充実など、日本の将来のためにおカネを使うのです。それらのおカネは日本の社会資本を充実させた後、世の中をめぐりめぐってモノの交換を活性化するために働いてくれるはずです。