2011年5月29日日曜日

8)おカネの二面性という欠陥

 日本を蝕むデフレは、富の源泉である国の生産力を徐々に破壊し、格差を助長し、貧困を生み出しています。それは現在の経済の中心を担う「市場」がその本来の目的である財(商品やサービス)の交換という機能を失ったためです。このままでは市場経済よりも計画経済の方が遥かにましな時代が訪れることになるでしょう。なぜこのような事になったのか。その根本的な原因はおカネの二面性という、それ自身の宿命的欠陥にあると思われます。

デフレの原因は財の生産に見合うだけのおカネが使われない事

 おカネには二つの大きな側面があります。第一は市場における交換の媒体としての役割。市場における財の交換機能です。第二は価値の保存機能です。それが貯蓄です。市場を麻痺させている原因は、第二の機能である貯蓄にあります。おカネの本来の機能は第一の機能、つまり市場における財の交換の媒体としての役割です。もちろん第二の機能である貯蓄の機能も非常に大切です。財の生産や需要には個々に変動があるため、市場において、その変動による短期的な供給不足や需要不足を緩衝する機能を果たすからです。また社会全体の経済システムが安定しているなら、個人にとって事故などの環境変化による収入の減少、途絶などに備えて貯蓄は極めて有効です。ですから、ある程度の貯蓄は許されるべきで、むしろ推奨されるべきだと思います。しかし無制限に貯蓄するとどうなるか?社会に存在するおカネの量には制限があるため、おカネが貯め込まれてしまうと、第一の機能である「市場における財の交換」のために必要とされるおカネが足りなくなってしまうのです。これによりデフレーションが発生します。

 現代の市場では物々交換という仕組みが失われたために、市場における交換は必ずおカネを媒介とするようになりました。国民の生産した様々な財(商品やサービス)は必ず市場を通じて人々に分配されますから、おカネは非常に重要であり、交換の媒体としてのおカネが不足すると、すぐに財(商品やサービス)の交換機能が失われ、片方で財が余ってしまう一方で、財が人々に行き渡らず不足するという事態が同時に発生します。つまり、「モノ余りとモノ不足が同時に起こり」ます。これがデフレ状態です。現代の日本でも、生産過剰と言われる一方でモノが不足した人々(貧困層)が増加する事態となっています。生産力があって工場が遊んでいる一方で、モノが手に入らない人々が増加するという奇妙な現象が発生するのです。これは資源の最適配分の問題ではなく、単に財の交換に使われるおカネの量の不足していることが原因なのです。

 もし日本が社会主義の計画経済であれば、国が失業者を雇用して遊休工場を稼動させ、財を生産してその財を失業者に分配すれば貧困問題は解決します。ところが市場経済ではそういうことはできません。市場経済でこのような事態が発生する原因は、財の生産量に見合うだけの十分なおカネが財の交換に使われていない事によります。それ以外に原因は無いのです。なぜそのような事態が発生するのか?それは貯蓄です。

貯蓄が人々を貧しくする

 マクロ経済において、国民が受け取る所得の総額(労働者の賃金、経営者の収入や株主への配当などをすべて合わせた総額)は、企業などで人々が働いて生み出した財(商品やサービス)の販売価格の総額と同じです。販売して得たおカネの総額が所得の大元になっているのですから当然ですね。ですから、国民が所得のすべてを財の購入に当てるなら、生産した財は余ることなく売り切れ、人々に行き渡ることになります。すべての商品が売り切れるので、国民の所得はすべて企業の売上げとなります。企業の売上げは再び国民への所得となります。この状態ではデフレもインフレも発生することはありません。

 ところが、もし受け取った所得を使わずに貯めたらどうなるか。貯蓄したらどうなるか。使わずに貯めたおカネの総額分だけ生産した財が売れ残ることになります。売れ残ると、販売総額が減ってしまいます。この販売総額が次の回における国民が受け取る所得の総額となります。つまり、売れ残った分だけ、次の回には所得が減ります。減った総額から、また一定の割合で人々が貯蓄すると、またもや売れ残りが生じ、販売総額が減り、国民所得が減少する。このようなスパイラルにより、貯蓄すればするほど国民所得は減少を続けます。そして生産される財の量も減り続け、人々はどんどん貧しくなってゆくのです。

 貯蓄は人々を貧しくさせているのです。貯蓄は罪悪でもあるのです。

既存の常識を捨てることが重要

 もちろん、何時いかなる時代にあっても貯蓄が罪悪であったわけではありません。日本が発展途上にあった頃、その頃は日本の総生産能力が人々の総需要に比べて低い状態にあり、生産能力を高めて人々の需要を満たす必要がありました。この場合、財の生産は消費財にすべて向けられるのではなく、生産設備の生産に向けられる必要があります。人々の生活物資を作るために日本の生産能力のすべてを振り向けるのではなく、工場や製造機械などの生産設備を拡充することが重要だったのです。資本主義経済において、おカネは投入資源の配分を決める道具でもあります。もし、この頃の日本人が貯蓄をせず、生活物資の購入にすべての収入を当てていたらどうだったでしょうか。すると生産能力のすべては消費財の生産に振り向けられてしまいます。生産力を高めるための生産設備の拡充はないがしろにされてしまいます。

 しかし、日本人の高い貯蓄性向が貯蓄を増やすことになりました。この貯蓄は、消費財の生産を控えることにより、生産余力が発生した事を意味します。消費財を作らない分だけ生産設備に余力が生まれることを意味します。この余力を用いて日本は生産設備を次々に拡張し、現代日本の膨大な生産力を生み出したのです。おカネの側面から見れば、貯蓄は死蔵されることなく設備投資という名目で循環するカネの流れに加わったのです。国の発展途上において貯蓄は非常に有効で、生産設備を拡大することで人々を豊かにします。

 ところが、現代の日本は生産力が有り余るほどに拡大してしまいました。こうなると、貯蓄は正反対の意味を持つようになります。前述のように、貯蓄で人々は貧しく、不幸になるのです。数学や物理学などと異なり、複雑系である経済問題の解は、環境条件が変わると正反対に変化したとしても不思議はありません。

おカネの本来の機能を取り戻せ

 おカネの第一の機能は市場における財の交換です。これが十分に果たされていないことがデフレ不況の原因です。一方で第二の機能である貯蓄は異常なまでに膨らんでいます。実体経済つまり財の生産と分配であるGDPは500兆円ですが、金融資産という実体経済とは無関係の資産が1400兆円もあるのです。そして今も第一の機能は減り続け、第二の機能だけが膨張を続け、第一の機能をどんどん圧迫しているのです。

 おカネを貯め込んでも人々は豊かになれません。おカネを循環させること、肥大化した第二の機能を抑制し、第一の機能を回復することこそ大切だと思います。

2011年5月28日土曜日

7)借金を返すとおカネも消滅する


 「借金を全部返すとおカネもすべて消滅する」財政再建をどうこう考える前に、まずこの事実をきちんと理解しておかなければなりません。「人々が借金をすべて返済すると、世の中のおカネもすべて消滅する」。民主党は明らかにこの事を理解していないのです。

 なぜ借金をすべて返済するとおカネがすべて消滅するのか。それはおカネが借金の裏返しとして作られているからなのです。現在の金融制度はそういう仕組みなのです。そしてその仕組みを負債と資産の関係から表現したものがバランスシートです。

 バランスシートは左側に資産、右側に負債を計上します。それらの合計は基本的にゼロになります。他の項目としてバランスシートにある純資産は後ほど考えるとして、基本的に負債と資産の合計はゼロになります。それはなぜでしょうか。おカネは銀行が作り出していますが、銀行の作るおカネは必ず借金と対になって生み出されるからです。銀行は貸し出しの際におカネとして「預金」=「資産」を作り出しますが、同時に同額の「借金」=「負債」も作り出しているからなのです。そして、負債は返済すると資産と相殺されて消えてしまいます。そうです、おカネとはもともと何も無いところからマジックのように作られたものなのです。これを信用創造と言います。だから返済すると消えるのです。


 仕組みは簡単です。借り手から見た場合の借金つまり負債を-(マイナス)、おカネつまり資産を+(プラス)で表現した場合、100のおカネが生み出される手順は


 0 → (+100) + (-100) です。


 資産と負債が同時に生まれましたので、帳簿上は問題ありません。そして、それゆえに必ず資産と負債の金額は同じになります。そして負債は借り手に残り、資産は「預金」として世の中に流通し始めます。預金は、やがて借り手の借金返済により相殺されて消えるおカネなのです。現代の通貨制度では、おカネとは債権の一種なのです。これが、借金をすべて返済すると世の中からおカネがすべて消滅するという理由です。

 しかし、もし世の中からすべてのおカネが消えてしまったら大変な事になります。ですから、今の金融制度ではすべての借金を返済することは不可能であり、必ず誰かが借金を続ける運命にあるのです。誰かが必ず借金をして利息を負担しなければならない。まず、この事実を確実に理解する必要があります。なぜ国の借金がなくならないか?その理由もここにあるからです。

2011年5月27日金曜日

おカネの価値など無意味

人々の豊かさはカネの価値で決まるのではなく、
人々に行き渡る財(商品やサービス)の量によって決まる。


人々に行き渡る財(商品やサービス)の量は、
カネの価値で増減するのではなく、
生み出される商品やサービスの量で決まります。
カネの価値が高くても、財が不足すれば
人々は貧しくなります。


デフレは財の生産を減少させるので貧しくなる。
インフレは財の生産を増やすので豊かになる。


もしインフレで貧しい人が増えるとすれば、
所得の再分配が機能していないためです。
高額所得者の課税を強化し、
通貨の再分配を図れば、
社会全体としては、必ず豊かになります。


生み出される財の量が増えれば、
必ず国民は豊かになる。
おカネの価値など関係ありません。


何を最優先に考えるべきか、
答えは誰にでもわかるはずです

2011年5月25日水曜日

日銀の国債引受を否定する日銀総裁の欺瞞

国債引受を「無から有を生み出す打ち出の小槌」とは笑止千万です。民間銀行の預金制度って何ですかね。現金を元に、その何倍ものおカネを無から生み出して貸し付けているのは、まさに「銀行の便利な道具」ではないのですか?

 おカネを生み出すのは、銀行はOKだが、政府はダメ。なぜなら、銀行の絶大な権力が揺るがされるから。日銀総裁の必死の形相が目に浮かぶようです。
 まず被災地を助けることが先決ではないのですか。インフレになろうが、財政規律が乱れようが、そんなものは後から正せば良いのです。日銀は被災者が苦しもうが死のうが、銀行の利益のほうが優先なのか?納得できません。


以下、記事掲載します。
復興財源に「打ち出の小づち」なし=国債引き受け、明確に否定―白川日銀総裁
時事通信 5月25日(水)17時0分配信
 日銀の白川方明総裁は25日、内外情勢調査会(会長・中田正博時事通信社長)で東日本大震災後の日本経済をテーマに講演し、国の借金である国債を日銀が直接引き受けることについて「無から有を生み出す打ち出の小づちのような便利な道具はそもそも存在しない」と述べ、明確に否定した。与党内の一部には、震災の復興財源を捻出するため、日銀の国債引き受けを求める声があるため、こうした動きを念頭に置いたものとみられる。
 白川総裁は「財政規律の低下を招きやすいという深刻な副作用がある」とも指摘。その上で、震災以降も国債が順調に消化されていることを踏まえ「市場の安定が保たれている間に、成長力の強化と財政の立て直しに向けた動きを進めていくことが不可欠だ」などと強調し、中期的な財政再建への道筋を早急に示すよう政府に促した。

2011年5月15日日曜日

6)おカネを刷るとハイパーインフレになるのか

最近はやや大人しくなった感がありますが、それでも未だに「おカネを刷るとおカネの価値が下がってハイパーインフレになる」と頑固に主張する人が居ます。そもそもおカネを刷ってもインフレになるとは限らない。ましてや、どうすればハイパーインフレになるのか私には理解できません。


おカネを刷るからおカネの価値が下がるわけではない


単純に考えれば、おカネを刷ればおカネの価値が下がる気がするのは当然です。しかしそれは算数の話であって、実際にはおカネの価値は通貨の総量の変化ではなく、市場取引で決まります。市場における財(商品やサービス)とおカネの交換レートがすなわちおカネの価値であり、物価です。これは需給の関係で決まるのであり、発行通貨の総量で決まるのではありません。国際間の為替取引においても、おカネは市場取引で決まります。まずそこを間違えると迷宮入りします。日銀が「円の毀損」などという感情的な表現を意図的に使うので惑わされますが、円の毀損などという発想がそもそも意味不明です。円の単位価値が下落しても、取引に使用される円の量が増え、取引される財の総量が同じであれば、国民への財の配分が減ることはありません。人々の生活で最も大切なのは通貨の単位価値ではなく、財(商品やサービス)の取引量なのです。


おカネを刷っても世の中に出回らない社会


では、どのような状況にあってもおカネの価値が下がらないのかといえば、そんなことはありません。一般にはおカネを刷ると、そのおカネが国民の所得を増やし、その所得を使って財(商品やサービス)を買おうとする人が増えます。この時、財の供給が間に合わない場合には、財の市場価格が上昇する事になります。これが物価全体で生じる場合にインフレと呼ばれ、おカネの価値が減ったと考えることができます。


では、現在の日本を考えてみます。ところで日本銀行の刷ったおカネはどのように経済に還流するのでしょうか?刷ったおカネはすべて民間銀行の当座預金に入ります。そして民間銀行が企業や個人にこのカネを貸し付けることで初めておカネが人々の手に渡ります。この貸付けたおカネが「預金」と呼ばれるものです。日銀の刷ったおカネは「預金」に変化してから「借金」として世の中に流れ出します。刷ったおカネがそのまま世の中に流れ出すことはありません。必ず「借金として」流れ出します。つまり、デフレ不況で借り手が居ない今の日本では、刷ったカネは利用されません。借りる人が減る一方で、銀行が過去に貸し付けたおカネの元本と利息は必ず返済しなければならないので、世の中のおカネはどんどん減る方向にあります。


そもそも現在の金融制度では、おカネは負債としてのみ社会に供給される仕組みです。おカネ(預金)はそれが生まれた瞬間に返済と利息を支払うことを義務付けられているのです。ですから、おカネを永久に増やし続けない限り利息を支払うことができずに経済は崩壊します。「おカネを刷らない」などというのは現代の金融制度を否定するのと同じことです。以下のビデオに詳しいので、ぜひご覧ください。





国債を日銀が引き受けると世の中におカネが出る


では、日銀が強力に拒否している「国債の直接引き受け」はどうでしょうか。刷ったおカネは銀行を経由せず公共事業などに直接使われますので、社会に直接還流し、国民所得を押し上げます。国民所得が増加するので財の需要が増加します。この時、財の供給が間に合わなければ物価は上昇することになります。一方で、今の日本では生産能力が有り余っており、デフレギャップが30兆円あるともいわれています。常識的に考えても、これだけ失業率が高いということは、潜在生産力がかなり大きいことが直感で理解できます。このような生産余力の十分にある環境では、需要の増加に対して供給をすばやく増加することが可能です。従って物価が大きく上昇するとは考えられません。仮に他の先進国レベルのインフレ(2~3%)になったとしても、循環通貨量の増加により財(商品やサービス)の生産総量は増えているのですから、国民への富の分配量は減るどころか、むしろ増えるはずです。もし減るとすれば所得の再分配機能が不全を起こしている場合ですので、その仕組みを調整すれば良いだけです。簡単に言えば、企業や高額所得者へ課税し、低所得者へ支給するということで格差が広がり過ぎないように調整するということです。


ちなみに国債を日銀が引き受けると、国債発行残高が増えて財政が破綻すると思うかも知れませんが、日銀は政府の銀行なので(最近は独立性を盾に国民を無視しているが)、利息を日銀に支払ったとしても、それは国庫に収められるので、国の歳入になります。おまけに借り換えを続ければ元本の返済すらする必要はありません。日銀が国債を引き受けると歯止めが利かなくなるという人が居ますが、議会が存在する法治国家でそんな事はありえません(一党独裁の国家ならあり得るが)。法治国家なら法律に明記すれば済むだけのことです。それが守られないなら、それは財政ではなく法律の問題です。


日銀が国債を引き受ける事と同じ機能を果たすものとして「政府通貨」があります。これも日銀が強固に反対していますが、政府通貨はすでに日本でも発行されており、それが「硬貨」です。硬貨には「日本国」と刻印されています。政府通貨を用いて公共事業などを行った場合も直接おカネが社会に還流します。政府通貨は借金として生まれたおカネではないので、銀行に返済する必要が無く、利息を課せられることもないのです。これが本当の意味での「通貨発行」なのかも知れません。余談が長くなりすぎました。


おカネを刷っても為替が暴落するとは限らない


おカネを刷ると為替が暴落すると信じ込まされている人も多いようです。もちろん一時的な暴落はあると思います。なにしろ今の為替市場は巨大な「カジノ」と化しており、「市場」などと呼ぶのもおこがましい状況です。ですから当然ながら暴落、暴騰を引き起こして互いにカネを奪い合う動きが出ます。今は世界の中央銀行が通貨をどんどん膨張させている一方で、日銀は通貨を出し惜しみしているために円高が進行しています。ギャンブラーなら、いずれ日本が金融緩和を推し進めざるを得なくなると踏んで、今のうちに円を買い漁ろうとするでしょうから、ますます円が高くなる。そして高値で売り抜こうとすれば、日銀が円を刷り始めたタイミングで一気に売りに走っても何ら不思議はないでしょう。当然、暴落すれば底値で買い戻そうとするので、再び戻る。もはや「市場の信認」とは「ギャンブラーの信認」という有様です。


ギャンブルのために上下にブレルことはあっても、為替相場の平均値は各国の通貨の発行量に応じて一定の値になると思われます(ならないとギャンブルが成立しないでしょうし)。片方の通貨だけが落ち続けるというメカニズムは存在しないと思います。通貨の信認が決定的に損なわれるのは、日本という国が財を生み出せなくなったとき、つまりデフレを放置して生産力が破壊された場合です。おカネを刷って景気が良くなれば、通貨価値のベースとなる財の生産力が維持されるため、おカネの増量による相場の相対的下落はあっても、暴落はありえないでしょう。


おカネを刷っても輸入が増えるだけ?


余談ですが、おカネを刷っても輸入が増えるだけで国内経済は活性化しないという話も出ます。そうでしょうか?輸入して販売した場合でも、仕入れ価格そのもので売るわけではありませんので、小売が活性化すれば当然ながらGDPは増加します。日本のGDPに占める輸入依存度は10%に満たないので、刷ったおカネの90%は国内で使われることになるはずです。しかも震災復興はインフラ(道路、橋、建物など)が大部分なので、輸入で対応できるものではありません(原料は輸入するが、もともと国内調達が低いので関係ない)。


さらに言えば、日本が輸入を増やすことは、世界の景気を活性化します。活性化した世界には日本の輸出品を購入する余力が生まれます。輸出が増えれば日本の景気は良くなります。マクロ経済は常に「循環」を前提に、連鎖反応を考えねば迷宮入りします。輸入を増やすことは輸出を促進することでもあるのです。そもそも輸出超過である日本は輸入を増やすのは当然で、それは円高を解消する事にもなります。


インフレとは単に通貨の価値の問題に過ぎません。通貨の価値が上がろうが下がろうが、人々に行き渡る財(商品やサービス)の量が維持・向上するなら何の問題もありません。通貨の価値を維持する事が人々の生活を保障するわけではありません。より多くの財を生み出し、より多くの人々に供給するためのシステムを考えるべきであり、通貨はそのための道具に過ぎません。


道具に振り回されて本質を見失うことは悲劇だと思います。

2011年5月8日日曜日

5)財源と経済成長を同時に実現(修正

復興にかかる財源は通貨発行または資産課税により確保することが最適で、消費税や所得税などを財源とするのは不適当です。なぜなら、消費税のようにフローへ課税することは国民の富を奪う一方で、日本にある生産余力をまったく活用しない方法だからです。

通貨量と生産量の関係

財源をおカネという視点だけから考えると、迷宮入りする危険性があります。日本には莫大な生産余力があります。それがデフレギャップと呼ばれるものです。デフレギャップが無いという人も居ますが、これは単純に考えてもおかしな話です。なぜなら失業率が非常に高く、労働力という最高の資本が余っているからです。失業者とは生産余力そのものであり、それはデフレギャップなのです。デフレギャップが無いという人は、本質を間違えていると思います。

活用されていない労働力、生産設備などを100%活用することが復興の財源になるはずです。しかし、現在財務省などが推し進めようとしている消費税や所得税の場合は、これらの生産余力を無視して、現在ある生産力を裂いて復興財源とするものです。これでは国民は貧しくなり、余っている労働力も活かされないのです。それを図で考えてみました。この図は、経済を生産量と通貨量を使ってモデル化したものです(ちなみに素人考えなので、この図を引用・転写されても責任は持てません)。



この図は、おカネと財(商品やサービス)の関係を示したもので、おカネの価値の裏打ちとして、財の生産があるということから、通貨と生産を対比して示したものです。財が生産されて初めておカネは価値を持ちますから、おカネの価値の裏側には常に生産があります。循環通貨量(売買に使用されるおカネの総額)は、実生産量(売買された財の総額)と同じです。つまり国民は通貨を使って財を購入するのですから、支払われたおカネの総額と実際に生産されて国民が受け取った財の総額は同じになります。財とは実態のある商品やサービスのことで、これが本当の意味で「富」と言えます。国民が受け取る富の量は、循環する通貨の量によって決まります。循環する通貨の量が増えるということは、国民の富が増えることを意味します。循環通貨はGDPと同じ額です。

一方、貯蓄は生産活動に影響を与えず、単に貯めこまれているだけです。貯蓄が増えようが減ろうが、国民の受け取る富の量には何ら影響を与えません。貯蓄とは「そこにおカネがある」というだけです(もちろん、貯蓄が投資として活発に循環していれば別ですが)。しかも貯蓄には裏づけとなる財の生産がありません。つまり貯蓄の価値は将来の生産力を担保としているのです。将来世代への負担です。その意味で、経済にとって貯蓄とは借金に近いものです。

一方、生産力は余っています。この生産余力が稼動すると生み出される財の量が増えますので、国民の受け取る富の量も増える事になるのですが、市場経済においては、財が売買されるためにはそれに見合うだけの通貨が必要となるため、循環通貨の量が増えない限り、生産余力が活かされることはありません。生産余力に見合うだけの通貨が不足しています。

消費税では生産余力を活かせない


次に、消費税や所得税を増税し、それを財源とした場合を考えます。消費税や所得税は循環通貨に課税されますので、国民所得が減ります。所得が減りますので、国民が受け取る富も減少します。そして減少した富の部分を財源として利用することになります。つまり国民生活に必要な富を生み出す生産を減らして、その生産を財源として振り替えている事になります。国全体としての生産量は不変なので、生産余力はそのままです。しかしすぐに気づきますが、なぜ、使われずに余っている生産力を利用しないのでしょうか?なぜ生産余力を使わず、わざわざ実生産を裂いて財源にしなければならないのでしょうか。不思議です。では、生産余力を活かす方法を考えてみます。

生産余力を財源とする方法

①通貨の発行益を利用する方法


増税のかわりに生産余力に見合うだけの通貨を発行して財源とします。するとそれに応じて生産が増加し、GDPが成長します。この増加する生産量が財源の裏打ちとなるのです。もちろん、これは経済がインフレ環境下のような、生産余力の無い状況ではできません。しかし現在の日本では物価下落が止まらず、高い失業率を示しており、デフレは解消されていません。つまり生産余力がまだまだ大きいのです。ですから、不足している分の通貨を発行し、生産余力を活用することができるはずです。これによりGDPは成長し、失業は減り、デフレも解消し、税収も増加して財政再建へも近づくことが可能なはずなのです。

この場合は政府通貨または特別な復興国債を日銀が引き受けることで可能となります。ところが、どちらも日銀が猛反対しています。政府通貨は現在も発行されています。それは「硬貨」です。硬貨は日銀とは別に政府が独自に供給している通貨です。ですから、それを増額するだけでこれは可能なのです。しかし日銀は猛反対しています。彼らの権益を侵すからです。通貨発行権とは国家を左右するほどに絶大な権力なので、これを独占する日銀は絶対に反対するのです。しかし通貨の発行権は主権であり、国民の侵してはならない権利です。

②貯蓄に課税する方法


消費税や所得税、法人税等と異なり、貯蓄への課税は循環通貨を奪うものではありません。それどころか循環通貨を増やす働きがあります。貯蓄に課税しても国民所得は減少しませんので、国民への富の配分が減ることはありません。そして貯蓄への課税で得た通貨を公共事業や給付金などに使用することで循環通貨が増加します。その増加した通貨に見合うだけGDPが成長し、それが財源となるのです。つまり資産への課税はGDPを増加させ、経済を成長させて国民を豊かにし、消費税や法人税などの税収が増加して財政再建も実現へ向けて近づくことになると思われます。

ただし、通貨の発行も貯蓄への課税も、それを財源として投資する対象を間違えると効果が損なわれてしまうのではないかという心配があります。たとえば失われた10年の間に国が借金して使われた600兆円もの公共投資は、経済を活性化することなく、高額所得者の金融資産と大企業の剰余金に化けてしまったからです。

そして、資産への課税は、これら600兆円の国の借金を資産として貯めこんだ人々から、それを返していただく事に他なりません。通貨が負債として供給されている現在の金融制度においては、やむを得ないと思います。

2011年5月5日木曜日

緊急!NHKがプロパガンダ

5/4ニュース9において「消費税=思いやりの心」という印象操作が行われました。

ニュースとは別枠で組まれた10分ほどのコーナーで、コメンテーターとして何処かのボランティアの代表らしき人物が登場し、当初は大震災で活躍するボランティアの話をしていた。そして、ボランティアに参加する心ある人々が、若者を中心にどんどん広がっているという話をしていた。日本人は思いやりの心を持っていると持ち上げた。突然、消費税の導入の是非に関する世論調査を円グラフ化したフリップが映し出された。

「消費税導入に30%以上の人が賛成しています。このように自分のためだけでなく、他者を思いやる心を持った人が30%以上にも増えて来ているのです。すばらしい。」という趣旨の発言をし、同席のアナウンサーも同感を示し「経済の事よりも、思いやりの気持ちが大切なんですね」のような発言。

消費税に賛成する=思いやりの気持ち、すばらしい、暖かい。
という印象操作。これは暗に
消費税に反対する=思いやりが無い、経済優先、冷酷。
という印象操作。を行っていることになります。

たとえば、これが「税」ではなく「寄付」の話であるなら、これはすばらしいことです。寄付とは善意です。強制ではなく、思いやりの心だからです。ところが「税」は根本的に違う。自分以外の他者にも強制力を持つ制度のことだからです。他人を強制的に巻き込む事、それは善意ではなく、政治の問題なのです。こんな初歩的な事をNHKが知らずに放送するはずがありません。

しかも巧妙なことに、このコーナーは消費税の話で終わる事無く、即座にボランティアの話に戻り、話を続けて終わる。サブリミナル的な手法も心得ています。

恐るべきNHKのプロパガンダ放送。

日本は再び戦前の暗黒時代に逆戻りするのでしょうか?