2011年5月29日日曜日

8)おカネの二面性という欠陥

 日本を蝕むデフレは、富の源泉である国の生産力を徐々に破壊し、格差を助長し、貧困を生み出しています。それは現在の経済の中心を担う「市場」がその本来の目的である財(商品やサービス)の交換という機能を失ったためです。このままでは市場経済よりも計画経済の方が遥かにましな時代が訪れることになるでしょう。なぜこのような事になったのか。その根本的な原因はおカネの二面性という、それ自身の宿命的欠陥にあると思われます。

デフレの原因は財の生産に見合うだけのおカネが使われない事

 おカネには二つの大きな側面があります。第一は市場における交換の媒体としての役割。市場における財の交換機能です。第二は価値の保存機能です。それが貯蓄です。市場を麻痺させている原因は、第二の機能である貯蓄にあります。おカネの本来の機能は第一の機能、つまり市場における財の交換の媒体としての役割です。もちろん第二の機能である貯蓄の機能も非常に大切です。財の生産や需要には個々に変動があるため、市場において、その変動による短期的な供給不足や需要不足を緩衝する機能を果たすからです。また社会全体の経済システムが安定しているなら、個人にとって事故などの環境変化による収入の減少、途絶などに備えて貯蓄は極めて有効です。ですから、ある程度の貯蓄は許されるべきで、むしろ推奨されるべきだと思います。しかし無制限に貯蓄するとどうなるか?社会に存在するおカネの量には制限があるため、おカネが貯め込まれてしまうと、第一の機能である「市場における財の交換」のために必要とされるおカネが足りなくなってしまうのです。これによりデフレーションが発生します。

 現代の市場では物々交換という仕組みが失われたために、市場における交換は必ずおカネを媒介とするようになりました。国民の生産した様々な財(商品やサービス)は必ず市場を通じて人々に分配されますから、おカネは非常に重要であり、交換の媒体としてのおカネが不足すると、すぐに財(商品やサービス)の交換機能が失われ、片方で財が余ってしまう一方で、財が人々に行き渡らず不足するという事態が同時に発生します。つまり、「モノ余りとモノ不足が同時に起こり」ます。これがデフレ状態です。現代の日本でも、生産過剰と言われる一方でモノが不足した人々(貧困層)が増加する事態となっています。生産力があって工場が遊んでいる一方で、モノが手に入らない人々が増加するという奇妙な現象が発生するのです。これは資源の最適配分の問題ではなく、単に財の交換に使われるおカネの量の不足していることが原因なのです。

 もし日本が社会主義の計画経済であれば、国が失業者を雇用して遊休工場を稼動させ、財を生産してその財を失業者に分配すれば貧困問題は解決します。ところが市場経済ではそういうことはできません。市場経済でこのような事態が発生する原因は、財の生産量に見合うだけの十分なおカネが財の交換に使われていない事によります。それ以外に原因は無いのです。なぜそのような事態が発生するのか?それは貯蓄です。

貯蓄が人々を貧しくする

 マクロ経済において、国民が受け取る所得の総額(労働者の賃金、経営者の収入や株主への配当などをすべて合わせた総額)は、企業などで人々が働いて生み出した財(商品やサービス)の販売価格の総額と同じです。販売して得たおカネの総額が所得の大元になっているのですから当然ですね。ですから、国民が所得のすべてを財の購入に当てるなら、生産した財は余ることなく売り切れ、人々に行き渡ることになります。すべての商品が売り切れるので、国民の所得はすべて企業の売上げとなります。企業の売上げは再び国民への所得となります。この状態ではデフレもインフレも発生することはありません。

 ところが、もし受け取った所得を使わずに貯めたらどうなるか。貯蓄したらどうなるか。使わずに貯めたおカネの総額分だけ生産した財が売れ残ることになります。売れ残ると、販売総額が減ってしまいます。この販売総額が次の回における国民が受け取る所得の総額となります。つまり、売れ残った分だけ、次の回には所得が減ります。減った総額から、また一定の割合で人々が貯蓄すると、またもや売れ残りが生じ、販売総額が減り、国民所得が減少する。このようなスパイラルにより、貯蓄すればするほど国民所得は減少を続けます。そして生産される財の量も減り続け、人々はどんどん貧しくなってゆくのです。

 貯蓄は人々を貧しくさせているのです。貯蓄は罪悪でもあるのです。

既存の常識を捨てることが重要

 もちろん、何時いかなる時代にあっても貯蓄が罪悪であったわけではありません。日本が発展途上にあった頃、その頃は日本の総生産能力が人々の総需要に比べて低い状態にあり、生産能力を高めて人々の需要を満たす必要がありました。この場合、財の生産は消費財にすべて向けられるのではなく、生産設備の生産に向けられる必要があります。人々の生活物資を作るために日本の生産能力のすべてを振り向けるのではなく、工場や製造機械などの生産設備を拡充することが重要だったのです。資本主義経済において、おカネは投入資源の配分を決める道具でもあります。もし、この頃の日本人が貯蓄をせず、生活物資の購入にすべての収入を当てていたらどうだったでしょうか。すると生産能力のすべては消費財の生産に振り向けられてしまいます。生産力を高めるための生産設備の拡充はないがしろにされてしまいます。

 しかし、日本人の高い貯蓄性向が貯蓄を増やすことになりました。この貯蓄は、消費財の生産を控えることにより、生産余力が発生した事を意味します。消費財を作らない分だけ生産設備に余力が生まれることを意味します。この余力を用いて日本は生産設備を次々に拡張し、現代日本の膨大な生産力を生み出したのです。おカネの側面から見れば、貯蓄は死蔵されることなく設備投資という名目で循環するカネの流れに加わったのです。国の発展途上において貯蓄は非常に有効で、生産設備を拡大することで人々を豊かにします。

 ところが、現代の日本は生産力が有り余るほどに拡大してしまいました。こうなると、貯蓄は正反対の意味を持つようになります。前述のように、貯蓄で人々は貧しく、不幸になるのです。数学や物理学などと異なり、複雑系である経済問題の解は、環境条件が変わると正反対に変化したとしても不思議はありません。

おカネの本来の機能を取り戻せ

 おカネの第一の機能は市場における財の交換です。これが十分に果たされていないことがデフレ不況の原因です。一方で第二の機能である貯蓄は異常なまでに膨らんでいます。実体経済つまり財の生産と分配であるGDPは500兆円ですが、金融資産という実体経済とは無関係の資産が1400兆円もあるのです。そして今も第一の機能は減り続け、第二の機能だけが膨張を続け、第一の機能をどんどん圧迫しているのです。

 おカネを貯め込んでも人々は豊かになれません。おカネを循環させること、肥大化した第二の機能を抑制し、第一の機能を回復することこそ大切だと思います。