2011年12月31日土曜日

増税論に鉄槌を

政治家としての集大成が増税という異常な首相とそれをサポートするマスコミも、ここまで徹底されると陰謀すら感じるようになる。オフレコ取材で何か情報談合したのか?

①増税は問題の本質を先送りするだけ

少子高齢化で税収が落ちるというのは単なる収支の問題であって本質ではない。社会保障に必要なのはカネではなく財(商品やサービス)だ。日本国民が必要とする財(輸入代価としての輸出分も含めて)の生産能力を維持する事こそが、少子高齢化における安定した社会保障実現のための本質的対策となる。カネは財の市場における交換のための道具に過ぎない。カネさえあれば社会保障が実現するわけではない。むしろ増税により経済活動がさらに低迷すれば財の生産能力はさらに低下する。増税は本末転倒の行為なのだ。ゆえに増税は単なる帳尻あわせであって問題本質の先送りに過ぎない。

②少子高齢化でも生産能力は不足しない

生産能力は単に労働可能な人口だけで決まるのではない。技術革新による生産性の向上は人口一人当たりの生産量を増やす事になり、少子高齢化においても日本の総生産力を維持あるいは向上させることが可能だ。むしろ人口減少と高齢化により日本で必要とされる財の総量が減る事を考慮すれば、少子高齢化が生産能力の不足を招くとは到底考えられない。ましてや現在の日本はむしろ深刻な「人余り」であり、生産能力の不足どころか過剰が問題である。吹雪の中で熱中症の心配をして体を冷やすヤツも珍しい。

③増税が消費税である必然性が無い

現在の日本が深刻なデフレであることは論を待たない。デフレの原因は需要不足、つまり国民が消費をしないことに原因がある。その消費に懲罰的な課税を強化すれば消費が減少してデフレを悪化させる事は明白です。では、消費をせずに何をしているのか?カネを貯め込んでいるのです。使わずにカネを貯め込むからデフレになるのです。ゆえに、課税するのであれば金融資産とくに現金・預金に課税すべきです。デフレ環境下では消費ではなく貯蓄に懲罰的な課税を行うべきです。年金や住宅ローンの頭金などの例外を設けて、たとえば1000万円以上の金融資産に一律2%の課税をします。すると使わないで貯め込まれていたカネも動き出します。

消費税はインフレ環境下の税制です。諸外国はインフレターゲットにより経済をインフレ化しておりますから、消費税率で税収をコントロールするのは一定の道理があります。ところが日本は日銀の政策失敗により事実上のデフレターゲットで経済がデフレ化しています。デフレなのに消費税率で税収をコントロールするなどまったく意味不明、支離滅裂です。

④年金財源が税である必然性が無い

税方式の年金は世界の常識とかけ離れているそうです。年金は自己責任で自分たちが働いて積み立てたおカネの範囲で行うべきです。国の使い込みがバレないように税を導入してうやむやに解決しようとしているとしか思われません。年金額の少ない低所得高齢者の貧困対策はいわゆる「生活保護」として行うべきで、これが本当の社会保障です。そのためにこそ財源を確保すべきでしょう。

⑤給付付き税額控除は官僚得意のゴリ押し

そもそも、逆進性が高い消費税を強化することが税制のゆがみを生んでいるのだ。給付付き税額控除の考えは、わざわざ必要ないゆがみを作っておいてから矯正するという、ビジネスの世界では理解不能の非生産的アプローチだ。つまり増税は逆進性の低い税目で行うというのが役人以外の普通の常識です。もちろん増税の必要性はないが。

まずデフレを解決し、税収を増やす事が先決。順番が極めて重要なのはビジネス社会では常識だが、お役所は違うのか?順番を間違えると結果は180度ちがった事になる。

2011年12月30日金曜日

増税は避けられないというウソ


まるで消費税増税で社会保障が安定するかのようなウソが繰り返されている。しかも歳出削減すれば増税の影響が軽減されるかの如きマヤカシのおまけまで付いてきた。消費税を増税しても歳出を削減しても、財政再建の問題も社会保障の問題も根本的に何も解決しない。マスコミは最も重要な問題から逃げている。

デフレ脱却なくして財政再建も社会保障の安定も無い

原則はデフレ脱却です。このがん細胞を放置したまま単に鎮痛剤を与えたり栄養剤を補充しても、一時的に症状は良くなるが患者はじわじわと死んでゆく。デフレの最も恐ろしい影響は、日本の生産能力を破壊する事にあります。生産能力が人々の生活を支える財(商品やサービス)を作り出す。これが破壊される事は致命的なのです。財政が破綻してもインフレになるだけで商品量は不足しないが、デフレを放置すると生産能力が破壊されてモノ不足の貧困社会になる。

どれほど少子高齢化が進んでも、日本国民の需要を満たすだけの生産力があれば、何も恐れる事などありません。技術革新による生産性の向上は単位人口当たりの生産能力を向上させることにより人口減少下においても生産能力を維持・拡大させる事を可能とします。ましてや日本には活用されていない生産力(デフレギャップ)が20兆円以上あります。まずこれを活性化することが財政再建や社会保障制度の安定に不可欠なのです。

循環する通貨を増やしてデフレ脱却せよ

①日銀は通貨を発行し、買いオペではなく、直接国債を引き受けよ
②または政府通貨を発行し、社会保障・震災復興に投入して需要を高めよ
③するとデフレで大量にある余剰生産力が活用される=失業が改善する
④循環通貨量が増大して税収が増える
⑤通貨量の増大により円高が解消されて輸出企業の収益が改善
⑥法人税の税収が増大する

貯蓄の減少は国家バランスシートの縮小が原因に過ぎない

民間の貯蓄が減って国債を買い支えられなくなる、というウソも流されている。簿記のシステムにおいて、資産と負債の合計は同じです。経済の主体を「民間」「政府」「企業」とすれば、民間預金が減れば、その分が必ずいずれかへ行く。この場合は企業へいく。企業の預金が増えれば、それを預かる銀行はやはり国債を買うだろう(もちろん設備投資にまわしてくれれば経済回復するので財政再建できるが)。つまり企業と民間の預金の合計は減らない。だから国債を買い支えられなくなることはない。もし預金の総額が減るとすれば、それは銀行への借金を減らした場合だ。預金(資産)は借金(負債)の裏返しなので、銀行への借金が減れば預金総額が減る事になる。これが国家バランスシートの縮小。つまり、だれかが借金しなければ成り立たない現代経済システムにおいて「誰が借金するか」という問題なのです。この狂った借金経済システムこそが元凶。

このシステムにおいて、バランスシートの縮小を防ぐには政府が債務を増やすしかありません。ただし金利負担のない債務で行う必要があるのです。これが日銀の国債引受に他ならない。実に簡単ですね。バランスシートの拡大を民間に売却する国債(返済利息付きの国債)でやらなければならない理由は無い。そんなことをするから国が借金の奴隷になるのです。

「痛み」に陶酔するマスコミ

マスコミは「痛みを伴う改革」を連呼する。お得意の繰り返し報道だ。「痛みを伴う改革」が良い事のように刷り込みたいらしい。ところが「痛みを伴う改革」と「痛みを伴う改悪」は異なる。マスコミはよほど苦行がスキなのか、痛みを伴う変化は常に良い事と信じているようだ。苦行における自己陶酔や宗教における神との契約を彷彿させる禁欲ぶりではないか。そのような精神主義では太平洋戦争の二の舞だ。戦時下の翼賛報道と同じ。

小手先の低所得者対策というマヤカシ

失業は貧困の極めて大きな原因となる。失業をもっとも悪化させるデフレを放置したまま低所得者対策を行ってもきりが無い。穴の開いたバケツに水を入れるようなものだ。まずバケツの穴をふさぐ事。フィリップス曲線も知らんのか?

日銀の忠実な下僕

誰の事かな?


2011年12月24日土曜日

財政危機という壮大な茶番劇

財政危機は壮大な茶番劇です。なぜなら財政危機の本質は日本のバブル崩壊の後始末を国民に押し付けるための空騒ぎだからです。

バブルの産み出すカネつまり負債は、短期間に、しかもレバレッジなどにより実体経済の何倍ものスケールで一気に膨れ上がる。ところが、この負債を返済するために、実体経済は何年も重い十字架を背負わされる事となる。そして多くの場合、その十字架(税金)を背負うのはバブルの当事者ではなく、無関係な多くの一般国民なのです。マスコミも政治家も決して触れない話です。

バブルのツケを国民が払う仕組み

その仕組みはこうです。まずバブルの始まりから見ていきましょう。はじめに銀行が借金を企業に貸し付けます。企業はそれを投資に利用します。銀行は金利を求めてどんどん貸し付けます。それが過熱すると投資は投機へと変化し、やがて経済成長に必要な通貨膨張量をはるかに超えて預金が膨張しバブルが形成されます。それでも銀行は貸し付けを止めません。この時、銀行からの借金もどんどん膨張しています。つまりバブルとは借金がバブルになる現象に他なりません。やがてバブル崩壊。膨れに膨れた大量の負債を抱えた企業はおカネに余裕がありません。利潤のほとんどを銀行への借金返済に回すようになり、世の中のおカネはどんどん銀行へ回収されます。賃金は減り、投資も急速に冷え込んで深刻な不況を引き起こします(バランスシート不況)。また返済が不能になって倒産が続出、回収不能な不良債権が大量に発生。銀行の財務も悪化して貸し渋りが横行し、ますます企業の倒産を助長する事になる。

銀行が勝手に暴走したにもかかわらず、政府が後始末の面倒をみる羽目になります。政府が大量の国債を発行して銀行に公的資金を投入して支えます。さらに国債を発行して公共投資として市中へおカネを流し企業を支えます。景気を支えるという大義名分の裏で、実はこの時、企業の負債が政府へと移動しているのです。企業は公共投資によって下支えされた経済活動で利潤を得て、銀行からの負債の返済を進めます。すると企業の負債は減少します。一方で大量の国債を発行したために、巨額な負債がバブルのツケとして政府に残される事になるのです。つまり企業から政府へ負債が移動しています。そしてこの政府の負債を増税という手段で一般国民に負担させることで、一連の流れは完了するのです。

バブルの際に生まれた銀行への負債は、最初は企業が担い、次に国に移動し、最終的に国民が支払う。そして今、民主党、野田増税内閣の手でバブルの最終負担を国民へ押し付けるための増税が強力に推し進められています。野田増税内閣は国民に十字架を背負わす事に不退転の決意を示した。まさしく壮大な茶番劇だ。どこが「生活が第一」だ?笑わせるな民主党!

さて、誰が得をした?

そもそも預金と現金はまったく違う。預金は銀行の帳簿上で貸付の反対側に生まれるカネなのだから、貸付の回収が不能になれば消えるはずのカネなのです。ところがそんな事をすると大騒ぎになる。預金は保護されると多くの人が信じ込んでいるためです。ところが預金は現金と同じように見えて実はまったく違う。本来、預金は単なる貸し付けの証書のようなものなのです。回収不能なら証書は消える。それを消さないとどうなるか?銀行は預金ばかり膨大に膨らみ、預金金利の返済で押しつぶされる事になります。そのため、ゼロ金利政策が必要となります。ゼロ金利で預金者に金利を払わない事で銀行は守られます。同時に預金も守られるのです。バブル崩壊で経済が大混乱になっても、銀行とその預金者=金持ちだけは保護され、ツケは国民が払うのです。

ところがこの異常な仕組みを批判し、その仕組みを変えようとする識者は極めて少ない。むしろ「このままでは財政が破綻して国が崩壊する」と煽り立て、国民に十字架を背負わそうと必死な連中ばかりがマスコミをにぎわせている。テレビに登場する、したり顔の解説者はこれだ。

バブルとは負債が拡大する現象です。しかし冷静に考えてみると経済成長も負債が拡大する現象という意味ではバブルと大差ありません。なぜなら経済を巡る通貨はすべて銀行からの借金で出来ているからです。経済が成長するということはそこに流通するおカネが増えることであり、おカネが増えるということは負債が拡大するということだからです。ところが日本人の多くは銀行制度とは如何なるものかを知らない。マスコミも識者も決して深く突っ込まない。だからこんな話をしてもほとんどの人はチンプンカンプンなのです。その結果、国民は無知な家畜として日本銀行に好き放題にされているのです。許しがたい現象です。

銀行制度の基本とは何か?おカネが社会に供給される仕組みを見てみましょう。まず日本銀行が現金(紙幣ではなく帳簿上の現金)を発行する。日銀の発行する現金は、日銀当座預金を通じてすべて市中銀行に入ります。そして市中銀行から実体経済に流れ出す時はすべて「貸付」として供給されます。ですから世の中のおカネはすべて借金として供給されるのです。そして銀行の帳簿上では、銀行資産である貸付の反対側にある負債が預金と呼ばれます。これが一般におカネと呼ばれる預金の正体です。世の中のカネはすべて負債であり、経済は銀行からの借金がなければ成り立つことが出来ない仕組みになっている。貸付がなければ世の中からカネ(預金)がすべて消え去るからだ。そうなると市場経済は成り立たない。実に馬鹿げたシステムではないでしょうか?

ところが驚くべき事に、これが唯一絶対の経済の枠組みであると皆が信じているように見える。マスコミも識者も絶対に疑問を挟まない。政治家は野田増税内閣のように、より積極的にこの仕組みを強化する。不思議なものだ。

借金に依存した経済からの脱却

話がそれたが、バブルとは別に特異的な現象ではなく、そもそも銀行の信用創造(預金制度)に由来する現象の延長線上にあるのです。信用膨張がなければバブルはそもそも起こらない。たとえば預金準備率を極端に引き上げておけばバブルなど絶対に起こらない。そうするとノンバンクのように貸出金利がべらぼうに高くなって経済が立ち行かなくなると懸念する向きもあるでしょう。しかし、そもそも銀行の貸し出しが得られなければ成り立たない経済とは正常なシステムなのか?現在の不況は銀行の貸し出しがうまく働かず、実体経済に流れるおカネの量が減少する事で発生している。つまり、貸し出しに依存した経済モデルだからこそ破綻しかかっているのだ。そもそもおカネの供給を銀行の借金に依存する必然性などありません。カネは経済活動に不可欠な道具であり、その道具は銀行の利益のためにあるのではなく、公共のためにあるべきなのです。

つまり、銀行からの借金に依存した経済モデルから脱却し、カネではなく、経済の本質である「生産と分配」を核とした、実体経済中心の新しい経済モデルを構築する必然性があるのです。カネは健全な経済のための道具であらねばなりません。銀行制度のような、金利を稼ぐための道具であっては決してならないのです。もちろんその経済モデルとは共産主義などというゾンビを蘇らす事ではなく、地球環境に適応した持続可能な新しい経済モデルのことなのです。

世の中の識者は「そんなことを実現するのは夢物語だ」と笑うでしょう。しかし、金融資本主義は金利を求めて何度となくバブルとバブル崩壊を繰り返して多くの人々を不幸にしてきました。それは今やグローバリゼーションにより世界規模に拡大し、このままでは世界経済はバブルとバブル崩壊を延々と繰り返し、バブルによる無理な経済成長によりやがて地球は破壊されてしまうでしょう。そして遠くない将来、地球の資源は枯渇し、人類は少ない資源を巡って殺し合い、悲惨な末路へと転落してゆくのです。

銀行制度こそ、世界不況と環境破壊の元凶なのです。

2011年12月8日木曜日

良いインフレと悪いインフレ

財源はカネの問題なので、不足したなら通貨を発行して配れば良いだけだ。問題は通貨の供給に見合うだけの量の財(商品やサービス)を生み出す事ができるかどうかだ。

財の生産力が十分にあれば、インフレなど何も恐れることはない。その場合、インフレは財の単価が上昇するだけであって、財そのものが不足するわけではないので、通貨の発行と分配によって国民の豊かさは保たれ、社会保障は維持される。これは「良いインフレ」だ。しかし財の生産力が低下してインフレを引き起こすようになったら、日本はおしまいだ。いくらカネがあっても、必要な財が供給できないのだから、国民は貧困化し社会保障は破綻する。これが「悪いインフレ」だ。

日本はデフレなので、もし今、通貨を供給して経済を活性化した場合に生じるのは「良いインフレ」だ。デフレとは生産力が余って、生産の担い手である労働者が大量に失業している状態だ。つまり潜在的な生産力が大量にあるため、財の供給が不足する心配が薄い。今の段階で通貨を供給すれば生産活動が活発化して、生産力が維持される。もしインフレが生じても、この場合のインフレは財の不足を伴わない良いインフレとなる。

ところがデフレを放置すると生産設備が使われず老朽化したり、海外への移転が加速して日本の生産力がガタガタになってしまい、供給力が低下してしまう。すると、カネがあっても財が不足した状態が生じてインフレが発生し、人々に商品やサービスが行き渡らなくなる。財そのものが不足するので、いくら通貨を供給してもインフレが悪化するだけという恐ろしい事態となる。国民を貧困化する悪いインフレだ。

だから日本の財の生産力をいかに維持・拡大するかに腐心すべきなのだ。

残念ながら日本は今、財務省と日銀の政策失敗によって「悪いインフレへの階段」を上り続けている。そして、インフレになってからその事に気づいた時は手遅れだ。生産力が破壊されるのは実に簡単だが、失った生産力を回復するには長い年月と努力が必要なのだ。