2012年12月8日土曜日

カネの理論では何も解決しない

最近出てくる経済学者は論拠が一様に「カネの論理」に依存しており、カネの収支を最優先に考えるようです。いわゆる財源論です。この場合、あくまでも主役はカネであり、帳簿が合うかどうかであり、人間の経済活動の基本である「財の生産と市場における交換」を中心にすえた議論を進める学者はとんとお目にかからない。これでは失われた15年と同じ事の繰り返しになる恐れがあります。 

 <収支が合っても人々は幸福にならない>

 彼らの主張は「政府が借金したんだから、それが民意に基づくものであろうとなかろうと、カネを返せよ。国民に依頼されてやった借金じゃないが、そのツケは国民が払えよ。」そういうことです。政府の勝手で借金を作っておいて、そいつを国民に払えというのだから驚きですね。そのツケは、まずは政府=官僚が負担すべきですが、そういう良識はないらしい。公務員改革はどうなったのでしょうか。

 官僚は自分たちの責任を国民に転嫁するため、国債が暴落するぞとか言って恫喝を繰り返す、実に姑息です。しかし、財政収支が合ったところで、別に国民の生活が改善するわけでもなんでもないのです。国民が失政の尻拭いをしているだけにすぎません。つまり幸福になるのは官僚だけなのです。 

 <収支を合わせるなら通貨発行でOK>

 もちろん、現代の社会システム上、収支を無視するわけにもいかないでしょう。収支を合わせるには通貨発行すればよいのです。帳簿の仕組み上、つじつまが合うので問題ありません。収支とは、そもそもそういうものです。増税の必要がないので、これなら国民の生活も圧迫されません。 というわけで、自分は自民党の安倍の金融緩和政策に賛成しています。

金融緩和と言ってもカネを刷って借金を直接返せというのではありません。そうまでしなくとも、経済の名目成長が復活すれば、カネの循環が増えますので、増税しなくとも税収は必然的に増加します。おそらく消費税の税率引き上げは、官僚の主張よりも低く抑える事ができるでしょう。つまり、はっきり次のようにいうべきだと思うのです。 

カネの問題は、収支が合えば解決する。 
収支が合う以上、誰にも文句を言われる筋合いはない、と。

 そもそも経済は収支計算を合わせるためにあるのではありません。
 収支計算は人々を豊かにするための手法として存在します。
 収支の合わせ方にはいろいろやり方があるのです。
 人々を不幸にする収支の合わせ方は間違っています。
 人々を幸福にする収支の合わせ方を選ぶべきです。
 それが「金融緩和」なのです。 

 <物価が低ければ豊かになれるわけではない>

 さて、経済の本質へと回帰する必要があります。
 それこそがカネの問題ではなく、国民生活の問題です。
 収支が合っても、国民生活は豊かにならないからだ。
 重要なことは
「いかに多くの財(商品)を生み出し、市場でそれを円滑に交換するか」。

 通貨とは、貯め込む為にあるのではない。

 通貨を発行するとインフレで生活が破綻するとか極論を騒ぐ連中が現れます。 それは意味不明です。 物価とは、財と通貨の交換レートに過ぎません。 我々の生活は交換レートの高い・低いで決まるのではなく、どれほど豊かに財を生産出来るか、それで決まるのです。

 昔、ソビエトという社会主義の国がありました。社会主義国家は価格を政府がコントロールできるので、物価は安かったはずです。物価が安いから人々の生活は楽だったのか?答えはNOでしょう。商店に行っても「商品がない」という話が頻繁に聞かれました。肉なんか、ぜんぜんなかったうようです。いくら安くても、商品がなければ買えませんね。つまり人々は飢える事になります。 つまり、人々の生活は、物価ではなく、モノが豊かにあるかどうか、で決まるのです。 

 <生産力があればインフレは怖くない>

 「モノがあったって、高くて買えないなら同じじゃないか」という人も居るでしょう。しかし、日本は物価統制が可能なソビエトではありません。市場経済では、高くて買えない商品は値下がりするメカニズムになっています。売れなければ、値下げしないと商売になりません。 そもそも、物価が上昇する原因は、高いカネを払ってでも商品を買うという人が居るからです。庶民におカネがない状態であれば、そもそも「買えない」。つまり、売れ残る。そうなると価格は上がるどころか、むしろ下がるようになります。つまり、庶民がモノを買うにも困るほどの金欠であれば、インフレなど起こらないのです。

 つまり、問題は生産力、供給能力である。

 貧困はインフレで生まれるのではなく、カネ持ちと貧乏人の持っている「カネの量の差」で生まれます。それは所得(おカネ)の再分配で緩和することが可能です。カネが循環すれば人々の所得は確実に増加するし、増加しなければインフレは起こらない。最も恐ろしいのは、デフレで生産力が破壊される事です。それは「真の貧困」を生み出すのです。

<社会保障にはデフレギャップの解消が最優先>

 社会保障も財源とかいう話になるが、これもナンセンスです。そもそも年金生活者を支えているのも、カネではなく、最終的には財(商品やサービスなどの実物)です。年金生活者は、おカネを食べて生きているわけではなく、おカネをモノと交換する事で生活できるのです。財源は「収支」という仕組みであり、その仕組みはカネさえ発行すれば合わせる事が出来ます。しかし、収支が合っても、財の生産力が強化されなければ、やがてモノ不足となり、ソビエトのようになってしまいます。

 その意味で、使われていない生産力が放置されている事態は、絶対に避けねばなりません。それがデフレギャップです。失業者そして休眠中の生産設備です。これが毎年毎年20~30兆円あるというのだから驚きですね。消費税10%の財源がが毎年消えているようなものです。極めて深刻な「無駄」です。

 このデフレギャップの解消のためには「金融緩和」によるデフレ脱却が必要なのですが、そもそも資本主義は「借金するやつが居ないとカネが回らない」経済システムです。だから今の日本は、銀行にジャブジャブカネがあっても借り手が居ないから、景気はまったく良くならない。だからこそ、日銀の国債引受による余剰生産力の活用なのです。金融緩和と同時に行なう事でそれが呼び水となる。 

 <日銀法改正こそ起死回生のチャンス>

 「増税します」のシグナルを市場に送ったところで、せいぜいマイナスがゼロになる程度の話でしょう。しかし、先日、安倍が金融政策を訴えたところ、市場の反応はどうでしたでしょう?すごい反響でした。マイナスがプラス100くらいになる熱気を感じましたね。いままでいかに日銀が怠慢であり、国民を欺いてきたかが白日の下にさらされました。それが真実です。

 日銀こそ国民の敵です。
 日銀の独立性の美名の下に金融政策が日銀に奪われました。
 日銀法改正で、奪われた金融政策を国民の手に取り戻しましょう。


2012年9月30日日曜日

金融緩和ってなに、役に立つの?

<金融緩和で景気が良くなるの?>

Q:金融緩和ってなんなのにゃ。なんでそんなことするにゃ。

A:金融緩和ってのは、日本銀行が現金を発行しておカネの量を増やすことなんだぜ。
おカネを増やすと、おカネを使う人が増えるよな。つまりだ、おカネを使う人が増えると商品(パソコン・車・マンション)やサービス(商業活動・美容院・病院)が売れるようになる。景気が良くなるって寸法だ。そして、たくさん売れるようになるから、たくさん作る必要がでてくる。たくさん作ればたくさん売れて、儲かるってわけだ。そこで、工場でも商店でも、従業員をもっと増やそうとして、人を採用するんだ。すると失業している人が減る。失業している人が就職して給料をもらえるようになると、その人はもらった給料を使って何かを買おうとするだろう。すると、さらに商品やサービスが売れて景気が良くなる。経済は連鎖反応なんだ。つまり、カネが増えると、景気が良くなるっつーわけだ。

Q:なんで言葉遣いがべらんめぇなのにゃ?

A:そういうキャラ設定なんだからしょーがねーだろ。なにせ、オレは江戸前だからな。

Q:お前はサカナかにゃ!江戸っ子だろが。こいつアホにゃ。大丈夫かにゃ。

A:細かい事にうるさいネコだな、いちいち絡んでないで質問しろってんだよ。

Q:んにゃ。日本銀行が現金を発行するって、お札をいっぱいいっぱい刷っているのかにゃ?

A:札なんかほとんど刷っていないぜ。電子的に発行してるだけなんだ。
つまり、コンピューター上にあるだけ。ちなみに自分の預金通帳を見てみろよ。預金額が書いてあんだろ?あの数字と同じ額のお札が銀行に保管されてると思うか?答えはノーだ。現代のおカネってのは札じゃない、コンピューター上の数字なんだ。だから、輪転機なんか回さなくても、一瞬で10兆円とかのおカネが出来てしまうんだ。


<現代社会は借金依存だ>

A:ふ~ん。じゃあ、日銀が増やしたおカネは、そのあと、どうなるの?どうやって社会に流れるの?

Q:日銀が民間銀行に貸すんだ。民間銀行は、借りたおカネを企業や個人に貸したり、国債を買って国に貸したりするんだ。すると、民間銀行が日銀から借りたおカネが、誰かのところに行く。つまり、誰かに貸し付ける事で、「貸しつけ」として世の中に流れ出すんだぜ。日銀の発行したカネは、誰かが民間銀行から借金して初めて世の中に流れ出し、世の中のおカネを増やすんだ。

Q:それなら、銀行から誰も借金しなかったら、世の中のおカネは増えないのかにゃ。

A:あったりめーよ。つまり、世の中のカネってのは、すべて銀行からの借金でできてるんだ。だから誰も借金しなくなったら、世の中のカネがすべて消えてなくなるって寸法だ。そうなったら経済はパーだ。つまり、資本主義ってのは「借金依存経済」なんだぜ。まず、そこを理解しなきゃ経済の事は何も理解できねぇ。今の世の中は、借金なしじゃ成り立たない経済なんだ。

Q:なんか変な感じだにゃ。ネコは永久に銀行からの借金に依存し続け、永久に銀行へ金利を払い続ける運命にいきているんだにゃ。その仕組みから決して逃れる事はできない束縛された社会なのにゃ。これが自由主義の社会なの?

A:「自由」とは、そういう意味なんだよ。


<量的緩和ってなに?>

Q:国債ってなんにゃの?

A:国債ってのは、政府の借金の一種だな。単なる借金じゃなくて、それを「債権」って形にして、誰でも売買できるようにしたのが国債だ。国債を買っておくと、定期的に利息がもらえて、満期には全額が返済される。民間銀行ってのは、預金を運用するために様々な債権を買って保有しているんだ。国債もその一つで、その利息が銀行の儲けになるってわけだ。

Q:日銀が国債を買うと景気が良くなるって、どういうことにゃ?

A:日銀が民間銀行の保有する国債を買い取る事を「量的緩和」っていうんだぜ。どういう仕組みかってえと、まず、民間銀行がすでに保有している国債を日銀が買い取るんだ。その買った代金を日銀が民間銀行に支払うんだが、その時、日銀が現金を発行して、その現金で民間銀行に代金を支払うんだ。支払いのために新たに現金を発行するから「おカネの量が増える」わけ。すると民間銀行は手持ちの現金が増えるので、それを元に企業や個人に貸付を行い、世の中に借金としておカネが流れ出す。世の中の借金が増える事で、景気が良くなるって寸法だ。借金=カネだからな。

A:あいかわらずクセのある言いかただにゃあ。借金が増えて景気が良くなるって、微妙だにゃ。

Q:でも、本当の事だぜ。マスコミや識者が「腫れ物にさわるように遠まわしに」話していた事を、ズケズケ言ったまでの事よ。カードに表と裏があるように、世の中の全ての事にも表と裏がある。もし、表の理論で問題が解決できなかったとしたら、裏の理論を覗いてみることも必要なんだぜ。まあ、そういう人間は「変人」扱いされるんだがな。いずれにしろ、真実は「世の中の借金が増えれば景気が良くなり、世の中の借金が減れば景気が悪くなる」ということ。

A:ひねくれてるのにゃあ。


<量的緩和は効かないの?>

Q:新聞には「日銀が国債を買っても効果は疑問」みたいな記事がいっぱい出てるけど、本当かにゃ。

A:このあたりは議論が分かれてるけど、ある意味では本当だ。何回も繰り返してるけど、日銀が民間銀行に供給する現金は、必ず「借金」として世の中に流れ出す。今の日本はデフレ不況で、表面上の経済成長率はゼロあるいはマイナスという悲惨な状況だ。こんな状況だから、「借金して事業を拡大しよう」なんて考える企業は出てこない。おまけにマスコミが盛んに「日本は成長しない」「これからは中国だ」とか言ってるから、ますますもって「ああ、借金してまで日本に投資しても無駄だな」と思う。そうなると、いくら民間銀行に現金がたくさんあっても、借りる人がいないから世の中におカネは流れ出さない。だから日銀が国債を買っても効果が薄いんだ。これが「借金依存経済」という現代社会の最大の弱点。


<日銀の国債直接引き受けとは?>

Q:それじゃあ、もうダメなのかにゃ。景気が悪くなってネコも捨てられてしまうにゃ。

A:そんなことはまったく無いから安心しろ。借金に頼らなくても、直接的に世の中のおカネをふやす方法があるんだ。それが日銀の「国債引受け」だ。これは量的緩和と異なり、すでに保有している民間銀行の国債を日銀が買い取るのではない。政府が新規に発行した国債を、民間銀行を経ず、直接に日銀が買い取る方法だ。

Q:日銀が直接に国債を買うと、何がいいのかにゃ?

A:日銀が直接に政府から国債を買い取ると、そのおカネは政府に入るんだ。量的緩和の場合は、おカネは民間銀行へ入るから、誰かが銀行に借金をしなければおカネは銀行でストップしてしまう。ところが直接引き受けの場合は、おカネは政府に入るから、そのおカネを政府が使う事で世の中におカネを直接に流す事ができるって寸法だ。たとえば、東北の被災地の復興を大規模に行うためにおカネを使ったり、脱原発のための研究開発や発電施設の建設におカネをつかったりすれば、被災地の人も喜ぶし、雇用が増えて景気も回復する。まさに一石二鳥というわけだな。

Q:すごいすごいネコにゃあ。すぐに日銀が国債を引きけるのにゃ。

A:ところがそうはいかねぇんだな、これが。抵抗勢力が既得権益を守るために必死に抵抗してくるんだ。やつらの論点は「そんなことすると、おカネの発行に歯止めが利かなくなってハイパーインフレになる」というものだな。そんなもの法律で上限を規制すれば済むだけなんだがな。ところが、法治国家なのに「一度始めたら歯止めが利かなくなる」のだそうだ。法律でコントロールできないってんなら、そんなもん先進国じゃねえだろっつーの。

Q:既得権益との戦いなんだにゃ。

A:まあ、人類の歴史だからね。国債引受とインフレの話はまた今度にしよう。

Q:ところで、政府が国債を発行するって、借金することにゃん。国債をこれ以上増やして大丈夫かにゃ。

A:大丈夫だ。なぜなら日銀は政府の銀行だからだ。確かに日銀の持っている国債には、政府が利息を支払わなければならない。だから政府は日銀に利息を支払う。それは日銀の収益になる。日銀の収益は政府に納めなければならない。つまり政府の支払った利息は政府に戻ってくる。国債が満期になった場合も大丈夫だ。満期になって政府が日銀に払い戻す際に、再び同額の国債を発行すればよいだけのこと。借金を借金で返せるから、絶対に返済不能な状態にはならないんだ。財政破綻は絶対に起こらないしくみなんだよ。

Q:でも、それって自転車操業にゃ?

A:と思うだろ。でも、これで世の中のおカネが増えておカネが回り始めると、税収もどんどん増加し始めるんだ。すると、国債の発行額をどんどん減らす事ができるようになる。財政はどんどん健全化の方向へ向かうんぜ。そもそも政府にとって国債は借金だけど、日銀にとって国債は貸しつけだからね。同じ政府内部で借金と貸付があるんだから帳簿上は相殺されて、国の借金は何も増えていないってわけだ。何が変化したのかといえば、おカネが増えただけなんだよ。

Q:日銀引受は、おカネが増えるだけにゃん?

A:その通り。唯一の問題は「インフレのコントロール」だけなんだ。でも、その話はまた今度にしようぜ。

2012年9月2日日曜日

「成熟社会」という欺瞞

「今の日本は成熟社会だ、だから成長しないのは当然だ」という話がマスコミから流されている。だが本当に日本は成熟社会なのだろうか?単に成長できない事を「成熟した」と言っているに過ぎないのではないか、むしろ、成熟社会という言葉のイメージを利用して日銀や政府の無策を正当化しているに過ぎないのではないでしょうか。

<あきらめの支配する無気力な「成熟社会」>

 もちろん成熟社会という考えが間違いだとは思わない。しかし問題はその言葉のイメージを用いて「人々が貧しくなるのは仕方が無い」「格差が生まれるのは仕方が無い」というような、社会的問題の発生を「不可避なもの」と思い込ませ、人々に諦めさせようとするネガティブな姿勢が日本をおかしくしていると思われるのです。

諦めの状況に置かれた人々は、努力が無駄に感じられ、無気力となり、受動的で、自ら生み出すより与えられるものを待つようになります。これは成熟社会ではなく、単にあきらめが支配する堕落した社会にすぎません。生活保護が蔓延し、失業者が溢れ、年間自殺者が3万人もいる社会のどこが成熟社会なのか? 

成熟社会とは社会の一つの行き着く先として、人々が幸福に生活できる状態に達した社会をいうべきであって、今の日本が成熟社会などという主張は欺瞞にすぎません。単に停滞し、ダメになった社会なのです。その欺瞞を順にみて行きましょう。 

<GDPは成長しない、だから貧しくなるのは仕方が無い?>

 成熟社会では、GDPが成長しないのは当然でしょう。GDPは国内で生み出される財の総量ですが、労働人口が減少を続ければ生み出される財の総量が減少傾向に向かう事は明白です。官僚もマスコミもこの段階で諦めて「思考停止」するようです。実に情けない話ですね。

 GDPが増加しなくとも国民は豊かになれます。なぜならGDPは総額に過ぎないからです。私たちの生活が豊かになるかどうかは国民一人当たりのGDP、つまり一人一人が産み出すことの出来る財の量で決まるからです。人々の生産性を高め、失業している人に労働の機会を与える事で、国民一人一人の生産力は高まります。ですから国民に対して「一人一人の生産性を高めればGDPが成長しなくとも大丈夫だ!」そのようなビジョンを示す事が大切なのです。国民のモチベーションを高める必要があるのです。ところがその様な着想がまったくない。

「日本は成長しない、もうダメ」みたいな論がマスコミから流布される。そのために人々は無気力になり働く意欲を失います。 

<人口減少・高齢化は止まらない、だから増税は仕方が無い?>

 今の日本では、人口減少・高齢化は当分続くかも知れません。より少ない労働人口で高齢者を支える必要に迫られるのは当然です。官僚もマスコミもこの段階で諦めて「思考停止」するようです。実に情けない話ですね。

 増税などしなくても高齢者を支えられます。厚生労働省の予測する労働人口の推移を見ると確かに労働人口が減少を続けるのですが、実際には人口が減っても、生産性の向上により一人当たりが生み出す財の量が増加する事で、より少ない人数で高齢者を支える事が可能となります。一人一人の動労者をパワフルにするということです。ですから国民に対して「増税なんかしなくとも、一人一人の生産性を高めれば高齢者を支える社会ができるぞ!」というビジョンを示し、国民の奮起を促さねばならないのです。ところがその様な鼓舞はまったくなし。

「成長しないに決まってるから増税せよ」みたいな論がマスコミから流布される。人々はどうでもよい気持ちになり、努力しようとする意欲を失います。

 <心の時代だから成長しなくても豊か、だからこのままで良い?>

 成熟社会では、物質的な満足ではなく精神的な満足を求めるようになるとの論はある意味で正しいでしょう。しかし心の時代に年間自殺者3万人とはどういうことなのか?OECD諸国の中で、貧困率がアメリカに次いで高い15%もの数値を示しているのはどういうことか?官僚もマスコミもダンマリを決め込み、心の時代の価値観のお話をする。実に情けない話ですね。

 ワーキングプアの人々にとっては、心の時代などという呑気なことを言っているゆとりはない。つまり格差社会を是正しなければ「心の時代」など一部の人々の自己満足であり、成熟社会など絵に書いた餅に過ぎないのです。貧困は犯罪や疾病を増やし、社会を不安定化させ、経済活動にも悪影響を与えますし、当然ながら心の時代の指標とさせる人々の幸福度も下げてしまうでしょう。

心の時代なら必要以上のおカネはいらないはずです。ですから「おカネを貯め込んで使わない人々から「資産税」として分けてもらいましょう!」。そういうと、とたんに大騒ぎになるでしょう。心の時代といいながら実はウソなのです。人間はエゴの塊です。だから課税して再分配するのは至難の業です。

ですから国民に対して「本当の成熟社会のために格差を是正しましょう、そのためには増税で再分配するのではなく、名目成長すれば良いのです!」という解決策を力強く提示する必要があるのです。名目成長とはおカネの量を増やしてカネのめぐりを良くする事です。するとおカネの行き届かなかった人々にもおカネが回るようになります。もちろん、高額所得者への課税強化と再分配で格差を是正するのか、それとも名目成長で格差を是正するのか、そのどちらでも可能なのですが、官僚も政治家も何ら国民にビジョンを示しません。

「貧困層への生活保護はばら撒きだ」といい、おカネを増やせば「インフレ地獄になる」というだけで、結局は格差是正の出来ない理由をマスコミが流布しているだけ。人々は絶望してやる気を失い、困難に挑戦しなくなります。 

 <言葉だけが踊る「成熟社会」は欺瞞>

 結局のところ「成熟社会」という言葉は「成熟社会だから○○○○なのは、仕方が無いんだよね」という文脈で使われる、つまりいいわけの便利な道具として使われているにすぎません。こんな間抜けな話をマスコミが振りまいていて、いったい誰がやる気を出してリスクを負って挑戦しようとするでしょうか?

もし本当に成熟社会を語るのであれば、暗い、陰鬱とした成熟社会ではなく、明るく、活気に満ちた成熟社会でなければなりません。そのような前途の希望を信じる信念こそが政治にとっては最重要であり、そのためのビジョンを示す事が政治家の使命なのです。


ネガティブな言い訳など聞きたくない。
アグレッシブに未来を掴み取る方法を示せ。
それが国民のモチベーションを高め、
日本を劇的に変える。


2012年3月4日日曜日

混迷の経済論を読み解く鍵は?

久々に書店へ行ってみました。混乱する政治経済情勢を反映して経済関係の書籍は百家争鳴の様相です。財政破綻とハイパーインフレ論一色だった以前の品揃えに比べれば喜ばしい事かもしれません。しかし正反対のことを正しいと主張する書籍が隣同士に山積みされていて、多くの読者にとっておそらく何が正しいのかわからない。勢いテレビ・タレント経済評論家の言う「わかりやすいフレーズ」に流されてしまう危険性すらある。では何をもって混迷する経済を読み解いていけばよいのか。経済活動の本質の中に必ず答えはあるはずです。

生産と分配を原点とした発想が無い

経済活動の根本は、人々が労働して財(商品やサービス)を生み出し、それを市場で互いに交換することにあります。より多くの価値ある財を産み出し互いに交換することで人々は豊かになります。ですから、経済の書物は根本にその原点を持っていなければならないはずです。ところが財政再建だの、税と社会保障の改革だの、およそカネの収支の話ばかりが先行し、カネの収支さえ合えばすべてが丸く収まるかのような話です。

実際のところ最貧国であっても財政の収支を合わせることはできます。しかし財政の収支が合ったからと言って最貧国を脱する事が出来るわけではありません。財政再建は帳簿の問題に過ぎないのです。国家にとって最も重要なのは財政を健全化することではなく、いかに多くの財を生産し人々に分配するか、すなわち国民の幸福実現のためなのです。そのためであれば、財政は赤字でも問題などありません。帳簿上の赤字を消す方法ならいくらでもあるからです。たとえば通貨を膨張させて名目GDPを増やせば税収は増加する。日銀が国債を引き受ける方法もあり、政府通貨もある。それをルール違反というなら、帳簿の数字に縛られて国民に不幸をもたらす事がルール違反ではないというのでしょうか?

社会保障問題にしても、増える高齢者を支えるには生産能力を高めてゆくしか解決の方法は無いのですが、どういうわけか税の徴収の話に摩り替っています。税をいくら徴収しても、高齢者の需要を支えるための生産力が無ければ社会保障は成り立たないのですが、そのような生産と分配の視点から問題を解決する話はありません。働きたい高齢者に働いていただくなどと言うが、そんなことをすれば若者の失業を助長する事になり、若者の貧困化による人口減少がさらに加速する。人口減少は生産性の向上でカバーできます。国民の豊かさは総額としてのGDPで決まるのではなく、国民一人当たりのGDP、つまり生産年齢人口一人当たりがどれだけの財(商品やサービス)を産み出すかで決まる。だから日本のGDPが減少しても、国民一人当たりのGDPが増えるなら、むしろより豊かになるのです。従って、増税ではなく、生産性の向上を目指すことが問題解決になるのです。

およそカネの収支から経済問題の解決を図ろうとするアプローチは迷宮入りします。経済の本質は生産と分配であり、そこから離れて問題の解決法を検討する事はナンセンスです。カネの収支では問題は解決しません。なぜなら、簡単に言えばカネは刷れば増えるし、バブルで膨らませる事もできますが、カネが増えたからといって生産される財が増えるわけではないからです。デフレギャップを解消し、日本の持てる生産能力をフルに活用し、生産される財をいかに増やすかが財政再建や社会保障問題の根本的な解決方法なのです。

構造改革は生産性を高めるか

生産性を高める方法として構造改革が取り上げられます。確かに規制緩和などで競争を高めれば企業単体の生産性は高まるでしょう。ただし、それは個々の企業の収益性の向上すなわち株主利益となるだけで、日本経済全体の生産性を高めて豊かな社会を実現する事には繋がっていません。むしろ競争激化によるリストラ、賃下げ、非正規雇用労働者の増加により、日本全体としての支払い賃金を引き下げることになります。これによる可処分所得の減少が需要をますます低迷させ、デフレ悪化の元凶とすらなるのです。

では構造改革は無意味なのか?そうではありません。日本全体としての可処分所得を増加させる事が同時に行われるなら、需要は維持され、新しい産業も生まれます。非効率的な産業を効率化することで生じる余剰労働力を新規の産業に吸収することで、不幸な人々を大量に生み出すことなく本当の意味での産業構造改革が成し遂げられるのです。小泉改革の失敗は規制緩和と同時に行われるべき国民の可処分所得の増加政策を怠ったことにあります。金融政策を日銀にまかせ、規制緩和だけで構造改革をしようとした事が大きな過ちだったのです。日銀は何もしない。空軍の支援なき陸軍はどれほど優秀でもボロ負け必至、それと同じです。日本全体の可処分所得を増加させるには、通貨を膨張させ、名目GDPを増加させることで可能です。もっと強力に行うなら、国債の日銀引受を財源とする公共事業で市場へ直接に通貨を供給すること、あるいはヘリコプターマネーすら有効でしょう。

ところが書店に並ぶ構造改革本には、このような視点が完全に欠落していました。財政政策と並ぶ政府の最も重要な政策である「金融政策」に触れていない。これでは小泉改革の二の舞です。エセ構造改革論は単にデフレを悪化させ、株主利益を増やすためだけの愚策に終わるのです。

生産と分配は通貨の量に依存する

配給経済ではなく市場経済であれば、財(商品やサービス)の交換は市場において通貨を介して行われます。そのため、市場において交換される財の総量は社会に流通する通貨が多いほど活発に行われます。そして交換される財の総量が多いほど生産活動は活発になり、生産性が高まり景気が良くなります。これが「貨幣数量理論」です。

バブルでなぜ景気が良くなるのか?これは貨幣数量理論で簡単に説明されます。バブルでは信用創造と呼ばれる方法で民間銀行が大量の預金マネーを作り出し、企業や個人にどんどん貸し付けます。この貸し付けにより生じた大量の預金通貨が社会に流通すると、このマネーに引っ張られて生産活動が活発化し、より多くの財が産み出されて分配され、人々が豊かになるのです。ところがバブルが弾けてカネを借りない、貸さない状態になると、世の中のおカネが急速に消えてなくなります。信用収縮とよばれる通貨の消失現象です。企業からも人々からもおカネが無くなり、あっという間に市場における取引が減少して生産活動が低下、人々に行き渡る財の量も減少して国民は貧しくなります。

バブル経済をすこし観察すればわかる事ですが、このようにカネが増えれば景気が良くなり、カネが減ると景気が悪くなる。非常にわかりやすいのです。

通貨を増やすとハイパーインフレになるか

通貨を発行するとおカネの価値が下がってインフレになる~そう思い込まされている人々にとって、ハイパーインフレが実際に起こり得る錯覚に囚われるでしょう。しかしそれは経済の原則を忘れているために誤解をしているに過ぎません。物価は必ず市場取引を通じて形成されます。通貨を発行したら翌朝におカネの価値が下がっているわけではありません。おカネを手にした人や企業は、それを使って財(商品やサービス)を購入します。そして財がどんどん売れ、売れすぎて在庫が不足するようになると財が値上がりするのです。そして財の価格が値上がりすることが、すなわちおカネの価値が下がることなのです。今の人々は無欲になり、消費しなくなったといいます。もし本当にそうなら、いくらおカネを増やしてもモノは売れませんから、インフレには決してならないでしょう。しかし実際にはおカネが無いだけで、ほとんどの人はモノを欲しがっているはずです。だからおカネを増やして人々に供給すれば、必ずモノが売れるようになり、デフレを脱却し、景気が回復してインフレになるでしょう。

では、景気が回復するとハイパーインフレになるか?なりません。日本はジンバブエのような生産力の無い国ではありません。世界第3位のGDPつまり生産力があるのです。しかもデフレつまり生産力が過剰なのです。そんな生産能力絶大の日本でハイパーインフレを起こすには、いったいどれほど莫大な量のモノを市場で買わねばならないでしょうか。そもそもそんなに大量のモノを買っても、保管できるんでしょうか?あるいは新品を買い、買っては捨て、捨てては買うのでしょうか?ハイパーインフレになるほど買うモノがあるの?無欲の時代とか言ってるのに。

インフレを止めるのは簡単です。消費税を増税すれば良いのです。極端な話を言えば消費税100%とかにすると、たちまち消費が冷え込んでインフレどころかデフレになるでしょう。

経済論を読み解く鍵は「カネ」ではなく「モノ」

経済論を読み解く鍵は「カネ」ではなく「モノ」にあります。カネで考えると必ず迷宮入りしてしまいます。カネは数字に過ぎません。実態は何も無いのです。経済を考える時、私たちの生活を支えている財(商品やサービス)を常に意識する事が大切です。すべての正解は「より多くの財を生産し、人々に分配すること」という経済の原則の中にあります。

2012年2月25日土曜日

経済成長が必要なのは借金の金利返済のため

「日本には名目経済成長が必要」と主張すると「右肩上がりの成長は環境に良くない」とか「成長しなくても持続可能な社会が良い」などの批判が出るようです。しかし名目経済成長しなければ経済は破綻します。それは金融制度に依存する現代経済の宿命だからです。

世の中のおカネはすべて銀行からの借金

なぜ右肩上がりの成長が必要なのか?それを理解するためには金融制度を知らねばなりません。しかしほとんどの日本人は金融制度についてまるで無知です。世の中のおカネがすべて銀行からの借金で出来ているという基本的な事実すら知らない人が多いのです。

世の中のおカネはすべて借金から出来ています。そもそも日本銀行が「金融緩和した」といいますが、では緩和によって作られたおカネはどのようにして世の中に出てくるのでしょう?作られたおカネはすべて民間銀行が日本銀行に持っている日銀当座預金という口座に振り込まれます。民間銀行はこの口座の残高の十数倍のカネを「預金」という名目で貸し付けることができます。これが信用創造と呼ばれます。このように民間銀行が「預金」を作り、それを企業や個人に貸し付けることで初めておカネが世の中にでてきます。つまり銀行に借金する人がいなければ、世の中にはおカネがほとんど存在しなくなるのです。

世の中のおカネはすべて借金であるため、おカネには必ず利息の支払いが付いて回ります。利息支払いの無いおカネはこの世に存在しないのです。預金者の預金通帳にある預金には利息が付きますが、この預金もそもそもは誰かが借金した結果できたおカネなので、その裏側ではだれかが借金をして、預金者と銀行に利息を払っているのです。これが預金制度の実態です。

借金しなければ維持できない経済

すぐにわかる事ですが、借金を借りる時より返す時の方が利息の分だけ多くなるはずです。社会全体で見た場合、世の中のおカネの総量が借金の返済分だけ常に増えなければ成り立ちません。すべてのおカネが借金から出来ていると言うことは、返済する利息の分はどこから生まれるのでしょうか?それもまた借金なのです。だから借金の利息を返済するためには、常に新たに借金を増やす必要がある。つまり現在の金融制度は、永久に借金を増やし続けなければ経済を維持できないシステムであることがわかるのです。

もし借金を増やさないとどうなるか?借金の返済によって世の中のおカネがどんどん減少する、つまりデフレになるのです。だから日本もデフレなのです。しかし世の中のおカネが劇的に減少していないのはなぜか?企業や個人が借金をしなくなった分だけ、日本政府が借金をすることでおカネの総量を支えているのです。もし国債を減らしたら?悲惨なデフレ地獄になるでしょう。現在の金融制度では、政府の借金は避けられません。そして誰かが借金を背負って世の中のおカネを増やし続けない限り、経済はデフレになり、借金の返済はますます難しくなるのです。

名目成長と実質成長はまるで別物

多くの人がGDPの名目成長と実質成長の違いを理解していません。「経済成長は環境に良くない」「日本は経済成長できない」というばあい、それが名目成長を指すのか、実質成長を指すのかで、まるで意味が違うと考えてよいでしょう。

「GDPの名目成長」とは国内の全ての取引金額を合計したものです。ですから物価が上昇すると、取引される商品やサービスが値上がりしますから、GDPの合計金額も増えます。つまり物価が上昇しただけで名目成長してしまうのです。しかし、物価が上昇しただけで取引された商品やサービスの量や質が増えたのでなければ、実質的には何も成長していないことになります。一方、実質的な商品やサービスの量や質の増加を捕らえるのが「GDPの実質成長」であり、これは名目成長率から物価上昇分を差し引く事で求められます。

実質成長を目指すなら、実質的な商品やサービスの量や質の増加に伴い、確かに環境への負荷が増加する可能性がありますし、生産年齢人口が減少を続けるならば、生産性を向上させ続けない限り実質成長はできません。ですから、実質成長で考える場合には「経済成長は環境に良くない」とか「日本は経済成長できない」という事が無いとは言い切れません。しかし、名目成長は実質的に生産される商品の量や質が変化しなくとも、デフレを脱却してインフレになるだけで達成します。名目成長は物価上昇すれば達成するのです。そしてFRBが先日明言したように「物価は金融政策でコントロールできる」。デフレの日本で名目成長を高める方法は金融緩和、つまり通貨供給なのです。

インフレで名目成長すると庶民の生活は苦しくなるのか?そんな事はありません。物価上昇は市場で商品が売れる事によって初めて引き起こされる、つまり国民の可処分所得の増加が必ず伴います。可処分所得の分配が適度に公平であればインフレによる生活への影響はほとんどないか、デフレで使われていない生産力が20兆円以上もある現状では、実質的な財の生産を増加する事で、むしろインフレ率より可処分所得の伸び率が増加する事さえあり得るのです。

経済の名目成長は避けられない宿命

経済が名目成長するということは、世の中のおカネが増えることを意味します。世の中のおカネが増えることで借金の金利を返済することができるようになるのです。実質であれ名目であれ、経済成長は通貨の膨張を伴い、通貨の膨張こそが金利の原資となるのです。

一部新聞やマスコミでは「日本経済の名目成長を否定」する論調があるといいます。とんでもない話です。世の中のおカネがすべて銀行からの借金で出来ているという現在の金融システムにおいて、経済が名目成長しなければ、どうやって銀行に金利を返済するつもりなのか? 誰かが借金を背負っておカネを増やし続けなければ破綻する経済システムなのに。

名目成長が良いとか悪いとかいう議論はそもそも意味がない。
経済が名目成長しなければ、銀行への金利返済のために経済は押しつぶされてしまうでしょう。

2012年2月19日日曜日

貯蓄は将来世代へのツケ

「政府の借金を増やせば将来世代にツケをまわす」という話が垂れ流されている。では、借金ではなく貯蓄を増やせば将来世代は豊かになるのでしょうか?答えはNOです。過剰な貯蓄もまた、将来にツケを回している行為であると考えられるからです。

個人にとって良い事でも、日本経済にとって良いとは限らない

合成の誤謬という言葉が知られています。たとえばデフレがそうです。個人にとって物価が下がる事は、同じおカネの量でより多くの消費財を手に入れることができるから良い事です。しかし市場経済におけるマクロ経済全体としてみた場合、物価の低下はおカネの循環を低下させ、個々人の所得を低下させる事で、かえって人々を貧困化させる。このような現象を合成の誤謬と呼びます。

貯蓄にも同様の性質があります。個人にとって貯蓄は非常に有益です。これに関してはコメントするまでもありません。持ち家購入のための資金積み立て、失業や老後への備えなど個人にとって貯蓄は欠かせません。しかしマクロ経済から見てどうなのか?この事がマスコミで真剣に議論される事はありません。「おカネ」とは、人々に疑問を抱かせてはならない分野だからです。

高度成長期は貯蓄が極めて有効だった

高度成長期の日本において、人々の熱心な貯蓄は資本主義経済のシステムに非常に良くマッチし、日本経済の堅実な成長を促進したと考えられます。貯蓄と投資はおカネの運用ですが、別の視点から見ると「生産力の配分を決める行為」です。おカネは生産活動と極めて密接な関係があり、おカネを生産力と読み替えることが可能です。

高度成長期において人々は所得を高い割合で貯蓄しました。所得を貯蓄するということは、実は経済において需要が減少することを意味します。所得のすべてを消費すれば、それだけ多くのモノが売れるわけですが、逆に貯蓄すればそのぶんだけモノが売れなくなるのです。モノが売れなくなると生産力が余ります。今の日本で生産力が余ると失業者が増えますが、高度成長期の日本ではその余剰生産力が設備投資という現象を介して「生産設備を作る事」に振り向けられていたのです。

もし日本国民の多くが、手にした所得を貯蓄ではなく消費に使っていたら?日本の生産力のほとんどが人々の消費財を生産するために使われることになります。すると消費財ばかりが作られて、生産設備はあまり作られない事になり、生産力は拡大しません。生産力が拡大しない状況で需要だけが伸びると供給不足からインフレが発生します。これでは経済は成長できません。しかし日本人は浪費を良しとせず、倹約して貯蓄に励んだため、過度に需要が増えすぎることなく、インフレも低く抑えられ、貯蓄により余った生産力を生産設備の拡大に振り向けることができたと考える事が出来ます。

そして投資されたおカネは国民に給与として支払われ、その一部が再び貯蓄として蓄えられる。貯蓄と投資がうまくまわっていました。人々が浪費せずに地道に生産力の向上に励んだことから日本はやがて圧倒的な生産力を手に入れ、その強力な生産能力ゆえに物質的な豊かさを享受できるようになったのです。日本が豊かになったのは、決して円が強くなったからでも国民の金融資産が1400兆円になったからでもありません。日本の生産力が富をたくさん産み出すようになったからです。

現代では貯蓄はデフレの原因

高度成長期は円安による高い輸出競争力や内需の拡大もあり、貯蓄と投資は順調に回っていました。しかし近年の日本はデフレ不況が深刻で国民の消費は伸び悩み、生産力が余っています。金融資産は1400兆円もあるのに使われません。しかも円高で外需が減りデフレで内需が低迷していますから、投資は行われず、余った生産力を活かす方法が無く、そのままダイレクトに失業へとつながります。国民が将来のためにと、せっせと貯蓄すればするほど生産力が活かされず、失業が増え、景気は低迷してますます日本の将来をあやうくしているのです。ですから、貯蓄が日本経済にとって良かった時代は終わり、貯蓄がデフレ不況の原因となる時代になったのです。

貯蓄は将来において清算されるツケ

貯蓄とは、将来において生産されるモノと交換できるという権利です。いま現在において存在していないモノと交換できる権利です。ですから、将来において要求があれば、そのモノを新たに生産しなければならないのです。将来の生産能力に負荷をかける事になるのです。もし将来においておカネが消費に向けられたなら、それに見合うだけの十分な生産力が無ければ供給不足となりインフレが発生します。デフレを放置して生産力が疲弊した日本で十分な供給を維持できるでしょうか。つまり貯蓄のツケは将来におけるインフレとなって将来世代が支払う事になる可能性があるのです。そもそも「いま現在において存在していないモノと交換できる権利」とは不自然だと思いませんか?しかもその権利は永久に続くのです。

もし貯蓄がおカネではなく、モノで行われるなら、それは将来世代のツケにはなりません。将来の生産力に負荷をかけることで物不足のインフレを引き起こすという心配は無いからです。たとえば住宅やインフラなどの社会資本という形で富が蓄財されてゆくなら、それはむしろ将来における生産能力の負担を軽減する事になるのです。モノによる貯蓄こそが将来の世代の豊かな生活につながる。生産力が余っている今の日本ですべき事は、その生産力をただ腐らしてしまうのではなく、それを活用し、将来の世代に引き継がれる本当の意味での「貯蓄」を残してあげる事なのです。いくらおカネを残しても、それは将来に負担となるだけなのです。

本当の貯蓄とは何か?それはおカネを貯める事ではありません。


2012年2月12日日曜日

年金財源のために若者を貧困化する愚行

財源をカネの収支側面からしか見る事の出来ない財務省と野田増税内閣。このような安易で知的怠慢な連中に国政を任せていると、日本経済は確実にジリ貧となり、将来世代のツケは恐ろしいほど過酷となる危険性が高いのです。

人々の生活を支えるのは「カネ」ではなく「モノ」です。モノすなわち消費財の生産力こそが国民を支え高齢者を支えるのです。ゆえに年金財源を議論するなら、生産力の最大化の視点から考えなければ無意味なのです。カネの収支をあわせることが年金財源を考える事ではないのです。ところが財務省と野田増税内閣は、富を産み出す力を増やすことより、増税で帳尻を合わせることしか頭に無い。

「税と財政」は生産力の配分計画である

税とは富の再分配であるが、その実態は通貨を介した国内生産力の配分計画であることがわかります。日本の生産力をどこに振り向けるのか?それが税と財政政策で決まるのです。そのシステムは以下のように考える事ができます。

税を集めるとはどういうことか?税として徴収されなければ、消費に向けられていたはずのおカネが国民の財布から政府へと移転します。すると本来は国民が消費したであろう分野の商品が売れなくなります。たとえば、おカネが無くなったのでパソコンを買わなくなったとすると、パソコンが売れなくなり、パソコンの生産量が減ります。するとパソコンを生産していた分の生産力が余ります。仕事が減って労働者が失業します。

次に、国民から集めた税を財政政策で公共事業に、たとえば橋の建設に使用したとします。橋を作るためには生産力が必要で労働者が必要です。パソコンの生産が減ったことで余った生産力が橋を作るために投入される事となり、パソコンの生産が減った事で生まれた失業者がここで吸収されます。単純にいえばそういうことです。

さて「税と財政政策」で何が起こったか?パソコンの生産に向けられていた国内生産力を橋の生産に組み替えた事になるのです。このような生産力の組み換えが「税と財政政策」の実際です。税を単なるカネの収支として考えるのではなく、生産力の徴収と再分配(=組み換え)として捕らえる事により、実物経済をふまえた財源についての思考方法を身に着けることが可能になると考えます。

つまり、増税により特定の分野の財源を確保するということは、ある分野に向けられていた生産力を減らして特定の分野に移し変える行為に過ぎないのです。本来あるべき財源の確保とは、限られた生産力の奪い合いではなく、生産力を増やすことによって行われるべきなのです。

若者の貧困化を防げ

生産力の再配分という視点からみると、消費税を増税して年金に回すということは、いままで若者世代の消費のために使われていた生産力を裂き、高齢者の消費のために生産力を使うということを意味します。これでは若者世代が貧困化するのは当然なのです。少子高齢化への対応が急務であり、そのためには若者の生活を安定化し、子育てのための十分な消費財を供給する必要があるにも関わらず、若者のために使われていた生産力を高齢者のために裂く事は極めて矛盾している。こんな不毛な政策をしていては、ますます少子高齢化に拍車がかかるのです。

高齢者の消費を維持するために若者世代の消費に使われていた生産力を裂くのではなく、デフレで余っている労働力を活用し、生産性の向上を図ること、すなわち雇用と資本装備率を最大化し、日本の生産力を極限まで高める事こそが高齢化対応の王道です。生産力を増やすことこそ高齢化対応なのです。その意味で、増税は邪道であり、知的怠慢にすぎません。

ゆえに、高齢化対応の最優先課題は「デフレ脱却」であり、そのためには通貨流通量の増大による潜在生産力、潜在成長力の活性化を図るべきなのです。失業者に仕事を与え、富を産み出すこと。企業の設備投資を高め、技術革新と機械化による生産性を高める事。現代の経済体制でそれらを可能にする唯一の方法が「潤沢な通貨供給」です(社会主義経済であれば国家が直接に生産力の配分をコントロールするので通貨増大政策は不要となるが、官僚にありがちな癒着や怠惰の問題が発生する)。

インフレになったとしても、日本が生産する富の量が増えるなら人々の暮らしは決して苦しくなりません。インフレは単なるモノの値段の問題であり、モノが値上がりしても人々の手にするおカネの量がそれを上回るだけ増えるなら何の問題も無いのです。日本の産み出す富の量が増え、富が市場経済を通じて公正に分配されるなら、カネの価値の大小など何の意味も持たないのです。

日本を破滅させる「消費税増税」を企む連中

「消費税増税」は潜在生産力や潜在成長力を潰し、少子高齢化を加速させ、国家を破綻させる最も危険な政策です。日本経済は、日銀による20年におよぶデフレ維持政策と財務省による計画的増税という断崖絶壁に追い込まれています。そして今まさに野田増税内閣が日本を崖から突き落とそうとしているのです。

2012年2月5日日曜日

財政収支より富の生産を重視すべき

おカネの収支とは帳簿の帳尻に過ぎません。帳尻を合わせたからといって経済が良くなる事にはならないのです。その典型が、カネがカネを生む「マネーゲーム」です。マネーゲームという手段でも帳簿上は利益がどんどん生まれて収支がバラ色のように良くなります。しかしその実態は資産価格の上昇を背景とした資産売買の繰り返しによって通貨が膨張するばかりで、何らかの富を産み出しているわけではありません。それでも収支は良くなる。つまり世の中のカネが膨張すれば収支は良くなり、カネが収縮すれば収支が悪化する。つまり収支とは富の生産とは無関係な「帳尻あわせ」に過ぎないのです。

従って私たちが重視すべきは「富の生産と分配」であり、おカネはその最大化のために利用されるべきものです。つまりおカネの収支に振り回されるのは本末転倒なのです。収支に振り回されるのは経理=財務省の性癖です。誰でもわかることですが、企業の経営を経理がリードすれば企業は業績悪化で破産します。国家の運営も財務省がリードすれば経済衰退で破産します。(注:上記の分配とは再分配の事ではありません、市場における分配機能の事です。市場の分配機能の不全こそがデフレです。)

収支は「帳尻あわせ」すればよい

収支を神聖化する事は本末転用です。本質は「富の生産と分配」です。ですから富の生産と分配がうまく機能するなら、収支は帳尻あわせで問題ないのです。例えばプライマリーバランス(入ってくるカネと出ていくカネのバランス)の黒字化について考えてみましょう。税収は名目GDPに比例して増大しますから、名目経済成長率を高める事で税収は増大し、プライマリーバランスの黒字化が可能となります。名目成長率は実質成長率+インフレ率ですから、経済をインフレ化することでプライマリーバランスは確実に黒字化します。5%の名目成長率で黒字化すると言われていますから、それは現在の実質成長率2%とマイルドな3%程度の物価上昇の合計により達成可能です。インフレ化は通貨供給(特に市場への直接投入による需要増が効果的)で簡単に達成可能です。ところがこれを強力に否定する勢力が存在します。通貨供給で名目成長率を高める事を「帳尻合わせである」と否定する人々です。しかしこれは無意味な視点です。帳尻あわせが経済にプラスの効果があるならば、むしろ積極的に帳尻あわせを行うべきです。道徳心に囚われる必要はありません。本質は「富の生産と分配」です。より多くの富が産み出され、より多くの人に分配されるなら、帳尻など合わせるだけで良いのです。

ところが日銀はインフレ化を忌み嫌っています。通貨の価値を維持する事に固執しているからです。しかし日銀が通貨の価値を維持する事に固執するがゆえに、日本だけが世界でも例の無い長期デフレに沈んだままであり、これが財政健全化の大きな阻害要因となっています。通貨の積極的な投入により富の生産と分配が増えるのであれば、それに伴うインフレは歓迎すべき現象ですが、日銀はインフレを警戒するばかりで「富の生産と分配」を無視した政策を続けています。

マクロ経済はカネの収支ありきではない

おカネの収支は富を産み出すものではありません。つまり、おカネの収支で富を考える事はナンセンスなのです。社会保障は収支が合えば実現するのか?答えはNOです。より多くの富を産み出すことが社会保障を実現するのです。ですから、まずは生産と分配を最大化するにはどうすべきかを考え、次に、その実現のためにカネの収支をどうすべきかを考えるという順番でなければなりません。最初に収支を合わせることを考えても無意味なのです。

もちろん民間企業はカネの収支を考えなければ即倒産です。民間企業はミクロの経済に立脚しているからです。ところが政府はマクロの経済に立脚しています。ミクロの経済ではおカネの収入と支出、つまりおカネの流れは一方通行です。しかしマクロの経済は循環するおカネの流れに乗っているため、支出は収入となり、収入が支出となるのです。つまりマクロ経済はフィードバック・システムであり、マクロにおけるおカネの収支とミクロにおけるおカネの収支は同じ数字であっても、そこに示される意味が異なるのです。

ミクロ経済とマクロ経済における収支を考える際の決定的な違いは、マクロ経済には通貨量のコントロールという視点があることです。そしてそれは国民の主権なのです。

おカネとは何かを国民が問うべき時代

巷には金融関連の記事が溢れ、素人もネットで投機に参加するような時代にあっても、おカネの本質を正しく知る人はほとんど居ません。社会に氾濫している情報は、人々のカネへの欲望を高めるための「カネの増やし方」ばかりであり、人々の経済活動におけるおカネの持つ本当の意味を問うものは何一つ無い。これでは国民は一生をカネに振り回され、収支という呪いに縛られて終わるだけである。

私たち国民一人一人が額に汗して働き、富を産み出し、それを互いに分配するために、おカネとはどのようにあるべきなのか?マスコミが絶対に触れること無い、この根本的な問題に私たち国民は切り込んでいく必要がある。世界がマネーゲームに振り回されて破綻した今、おカネを問い直す時代になったのだと思います。





2012年1月28日土曜日

増税の代案・NEED法案について

NEED法案(国家非常事態雇用防衛法、HR 2990)とは米国において2011年9 月21 日にデニス・クシニッチ下院議員によって議会に提出された法案です。その目的は「カネがカネを生む」投機的なマネーゲームに終止符を打ち、働いて財を生産することで豊かになるという「堅実な社会」を実現する事にあるようです。これを日本でも導入すれば増税の必要が無くなるかも知れません。

同志社大学大学院ビジネス研究科教授の山口薫先生によれば、この法案の骨子は3 点であるとのことですが、金融について知識の無い普通の素人には補足的な説明が必要かも知れませんので、自分なりに考えてみました。

①米中央銀行を財務省に統合し、貨幣の発行は政府だけが行う

通貨制度は国の経済の根幹に関わる制度であり、おカネの発行や管理は国が行っていると普通の人は理解しています。だから中央銀行は国の機関であると思い込んでいます。しかし実態は違います。民間企業が行っています。米中央銀行(FRB)は民間会社なのです。日本ではやや曖昧ですが、アメリカの民間企業は「株主利益が最優先」です。コーポレートガバナンスも社員のためではなく「株主のため」にあるのです。そのような性質を持つ民間会社が国の通貨制度を管理するなら何が行われるか?当然、株主の利益が最優先されるでしょう。ちなみに、FRBが設立してまもなく世界的なバブルが発生し、その後の大恐慌へと突入します。

したがって、中央銀行を財務省に統合するとは、私物化した中央銀行を「公共の手に取り戻す」ということです。通貨制度の主権は国民にあるのですから。そして、私企業が通貨を発行するのではなく、政府が通貨を発行する「政府通貨」に戻すということです。アメリカも1862年から1879年まで当時大統領のリンカーンが「グリーンバック」と呼ばれる政府紙幣を発行し、これを財源とすることで北軍は南北戦争に勝利します。その後1870年~1900年頃にかけてグリーンバックの発行継続による経済成長を望む「グリーンバック運動」が人々の間に広がり、グリーンバック党が結党されて多くの支持を集めました。

なお、日本銀行も株式会社です。日本銀行が独立性を獲得した1998年以降、日本は世界に例を見ない15年以上のデフレに突入しています。

②無からお金を作り出す民間銀行の信用創造を禁止し、100%政府貨幣とする

多くの人は、おカネは中央銀行が作っていると信じています。しかし実際に流通している貨幣のほとんどは民間銀行が「貸付け」として作り出した債権です。それが預金と呼ばれる通貨です(多くの人が勘違いしますが、預金とは貯金の事ではありません)。それに対して中央銀行の作ったおカネは現金と呼ばれます。民間銀行がおカネを作るとはどういうことか?

銀行は、たとえば100万円の現金を元手に、1000万円のカネを貸し付けることが許されています。つまり900万円を水増しします。これが「信用創造」と呼ばれるマジックです。そして誰かに貸し付けたおカネが世の中を回って私たちの給料として振り込まれています。私たちの給料も、元はすべて誰かの借金なのです。

そして100万円のカネを10倍にも膨らませて貸し付ける~つまりこの仕組みが「バブル」を生むのです。そしてマネーゲームが生じる原因もここにあります。つまり民間銀行が勝手におカネを作り出す事を止めさせる事で、バブルの発生と崩壊を防ぐ事ができるのです。おカネは民間銀行ではなく、政府が発行する。それが民主国家の原則ですね。

③ 経済成長に必要な貨幣は、政府が常時流通に投入する

経済成長にはおカネが必要です。おカネが不足した状態だと経済は「デフレ」になります。デフレで何が起こるのか?今の日本人には痛いほどわかるはずです。不況で失業者が溢れ、自殺者が年間3万人(自殺認定以外を含めればさらに)になり、人々の所得が減って貧しくなり、財政が破綻する。おカネは循環するごとに一定割合が常に貯蓄として退蔵されてしまいますので、おカネを常に増やし続けなければデフレになります。ですから政府は毎年一定の割合でおカネを供給し続ける必要があります。そのために発行する通貨を政府が財政支出として利用すれば、公共投資や社会福祉財源などに充てることが可能となります。政府が紙幣を発行すれば国債を発行する必要はありません。返済のための増税を行う必要も無いのです。

以上が3つの骨子です。残念ながらアメリカでも日本でも、多くの国民が金融に関する知識をほとんど持っていません。「信用創造」という言葉すら知らない人がほとんどです。なぜでしょうか?マスコミが決して金融の仕組みに触れないからです。マスコミにとって金融に都合の悪い部分に触れることは最大の「タブー」なのです。御用マスコミしか存在しない日本の悲劇ですね。

多くの国民は金融に無知なままバブルに踊らされ、不況に苦しみ、「1%の人々」の利益のために一生を働き続ける事になるのです。

そんな日本でも金融の本質に切り込んだ意欲的なアニメ作品があります。「C」The Money of soul and possibility control.というタイトルで、制作はタツノコプロです。

2012年1月22日日曜日

財政破綻で大成功したアルゼンチン

アルゼンチンはIMFの介入を受け、新自由主義政権の下で経済が崩壊し財政破綻したが、その後、新自由主義を排除し、目覚しい経済成長と福祉の実現を達成しつつあります。共産主義が病気であると同様に、新自由主義も国家を破綻に追い込む病気なのです。

「マスコミに載らない海外記事」というすばらしいブログがあります。そこでの記事「アルゼンチン: 何故フェルナンデス大統領が当選し、オバマが落選するのか」を以下に抜粋・一部修正して引用します。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-8c71.html

アルゼンチン、危機から、力強い成長へ

アルゼンチンの経済的破局と大衆反乱は、それまでアルゼンチンを支配してきた軍国主義と投機的略奪から、社会福祉と持続的な経済成長へという基本的転換を実現する好機となった。その結果、アルゼンチンはアメリカが後押しした30年間の略奪的新自由政権を脱し、「正常な資本主義福祉国家」を作り出すことに成功したのだ。

アルゼンチンは、1976年から1982年の間に、30,000人のアルゼンチン人を殺害した大量虐殺将軍達を生み出した、残虐な軍事独裁に苦しんだ。1983年から1989年まで、独裁政権時代の遺物に対処し損ね、三桁のハイパー・インフレーションの中で指揮をとった、新自由主義政権のもとで、アルゼンチンは苦しんだ。1989年から1999年、アルゼンチンは、最も利益の上がる、公企業、天然資源(石油を含む)、銀行、道路、動物園や公共トイレを、特売価格で外国投資家に売り渡された(追伸:世界銀行やIMFが介入した国では良くある搾取事例)。そして2001年12月、銀行が閉鎖し、10,000社が倒産し、最終的壊滅的崩壊に至った。

アメリカとIMFが推進した“自由市場”政策の全面的な失敗と人的災害を背景に(追伸:IMFの介入を受けた国家は長く貧困に苦しむが、アルゼンチンもそれ。IMFの実態を良く知るマレーシアはアジア通貨危機後にIMFを断固拒否して経済的に復活を遂げた)、キルチネル/フェルナンデスはアルゼンチンの対外債務をデフォールトし、民営化されたいくつかの企業と年金基金を再国有化し、銀行に干渉し、経済再生に向け社会的支出を倍増し、製造向けの公共投資を拡大し、一般消費を拡大した。2003年末までには、アルゼンチンはマイナスから、8%成長に転じた。

人権・社会福祉と独立した対外経済政策

アルゼンチンの経済は、2003年から2011年までに、アメリカ合州国の三倍以上、90%成長した。経済回復とともに、とりわけ貧困を減らす為のペログラムへの、三倍の社会的支出が行われた。貧しいアルゼンチン人の比率は、2001年の50%以上から、2011年の15%以下へと減少した。対照的に、アメリカの貧困は、同じ十年間で、12%から17%に増大した。

アメリカは、1%の人々がアメリカの富の40%を支配する(OECDで不平等が最大の国)。対照的に、アルゼンチンの不平等は半分に縮小した。アメリカ経済はリーマンショックで8%以上も下落し、2008-2009年の深刻な不況から回復し損ねた。対照的にアルゼンチンの落ち込みは1%以下で、堅調に、8%成長をとげている(2010-2011)。アルゼンチンは年金基金を国営化し、基本年金を倍増し、栄養不良対策と、就学を保証する、全児童に対する福祉プログラムを導入した。

対照的にアメリカでは、20%の子供たちが貧弱な食生活に苦しみ、青年の中退率は増大しており、少数民族の子供たちの25%が栄養不良状態にある。医療/教育の更なる削減が進むにつれ、社会状況は悪化するばかりだ。アルゼンチンでは、給与所得とサラリーマンの数は、実質で、10年間に50%以上増えたが、一方アメリカでは10%近く減少した。

アルゼンチンGNPの力強い成長は、成長する国内消費と、力強い輸出収入に支えられている。アルゼンチンの貿易黒字は有利な市場価格と競争力によって安定している。対照的に、アメリカの国内消費は停滞し、貿易赤字1.5兆ドルに迫り、歳入は年間9000億ドル以上の非生産的な軍事支出に浪費されている(追伸:だからTPPを強引に進めるわけだ)。

緊急援助と貧困に対するアルゼンチン式代替案

アルゼンチンの成功体験は、国際金融機関(IMF、世界銀行)、その政治支援者、経済新聞の評論家連中のあらゆる教えに反している。経済専門家達は口々に「アルゼンチンの回復は持続可能ではない」と予言したが、成長は十年以上にわたり継続した。金融評論家は、デフォールトすれば、アルゼンチンは金融市場から締め出されることになり、経済は崩壊するだろうと主張した。しかしアルゼンチン経済は出収入と国内経済の再活性化に基づく自己金融によって成り立っており、高名なエコノミストを当惑させている。

フィナンシャル・タイムズのコラムニストは依然としてアルゼンチンの「来るべき危機」について電波を飛ばしている。彼等は「高いインフレーション」「持続不可能な社会福祉」「過大評価された通貨」を持ち出してアルゼンチンの「繁栄の終わり」という予言を書きたてている。8%という成長率の継続や、2011年選挙でのフェルナンデス大統領の圧倒的勝利を目の前にして、自由主義者たちからの中傷誹謗は加熱するばかりだ。英米の金融関係ジャーナリスト連中は、学ぶ価値があるアルゼンチンの経済経験を中傷するのではなく、ヨーロッパと北米における自分たちの自由市場体制の終焉にこそ取り組むべきだろう。


2012年1月14日土曜日

消費税増税は生産性の向上で不要になる

増税しても問題の本質は何も解決できません。社会保障制度を考える上で最も重要な方針は、国民一人当たりのGDPを維持あるいは向上させることにあります。なぜなら国民一人当たりGDPとは国民一人一人が受け取る財(商品やサービス)の量を意味するからです。そして国民一人当たりのGDPを向上させるとは、生産性を向上させることなのです。

国民一人当たりGDPは豊かさの指標

GDPとは国内総生産のことです。国内で生産され消費された一年間の財(商品やサービス)の総額です。これを日本の全人口で割り算すると国民一人当たりが生産し消費した財の額になります、つまり国民一人が受け取った財の量です。一人一人が受け取る財の量が増えるという事は一人一人が豊かになるということです。つまり、高齢化が進もうと、人口が減少しようと、国民一人当たりのGDPが維持あるいは向上すれば国民生活は維持あるいは向上するのです(比較には物価変動分を差し引いた実質GDPを用います)。ですから国全体のGDPの変動だけを観察しても意味がありません。たとえ人口減少で国のGDPが減少しても一人当たりGDPが増加すれば国民の生活レベルはむしろ向上します。この事をしっかり理解しませんと、マスコミの大衆操作の術中にはまる事になります。

一人一人が産み出す財の量が多いほど分配も多くなる

国民一人当たりのGDPが大きいと言う事は、国民一人一人が生み出す財の量が多いということです。これは生産性が高いことを意味します。一人当たりの生産性が高ければ高いほど人々は豊かになるのです。国家経済は一人一人が生み出した財を交換し合って成り立っていますから、一人一人が多くの財を生み出せば生み出すほど分配も多くなります。それでも貧困層が多いのであれば、それは分配のシステムに欠陥があることになります。一部の層に財の分配が集中しているために貧困が生まれるのです。

増税は社会保障を根底から破壊する

生産人口が減少しても心配する事はありません。生産人口が減少しても、それを上回る生産性の向上があれば人々に分配できる財の量は減りません。つまり、生産性をいかに向上させるかが非常に大切なのです。ところで増税によって生産性が向上するでしょうか?いえ、むしろ生産性の向上を阻害します。増税はデフレを助長する事により企業の設備投資を減らしてしまいます。生産性の向上はテクノロジーの進歩がもたらしますので、企業の設備投資が減少することは生産性の向上を阻害する事になるのです。つまり増税によって、むしろ社会保障を根底から破壊します。

少子高齢化でも豊かになる日本

それでは、マスコミの主張するように少子高齢化で日本を支えられなくなるのでしょうか?簡単にシミュレーションしてみましょう。現在の生産性向上は年率2%程度です。これはデフレかつ生産人口がほぼ横ばいの日本における経済成長率です。つまり不況下でも年率2%は生産性が向上します。結論から言えば、生産性の2%成長を維持するなら、少子高齢化かつ人口減少でも25年後の日本はさらに豊かになります。




1)人口データ
  高齢社会白書の2010年と2035年の推計値。単位=千人。生産年齢15~59歳の場合。
  2010年の人口   127,176   2035年の人口 110,679
  2010年の生産人口 71,290   2035年の生産人口 53,802・・生産年齢は75%に減少

2)25年後の生産性を算出(指数表記)する
  Gn=ある時点における生産性(指数で考える)
  Gn+1=Gn×1.02  Gn=1として エクセルで25回ループ(つまり複利計算)。
  2035年の生産性G≒1.64・・・・① 25年後の生産性は1.64倍に増える。

3)2010年の国民一人当たりGDPを算出(指数)
  生産人口(7,129)×2010年の生産性(1.0)=7,129・・・2010年のGDP
  2010年の国民一人当たりGDP=2010年のGDP(7,129)÷2010年の総人口(127,176)=0.56

4)2035年の国民一人当たりGDPを算出(指数)
  生産人口(5,380)×2035年の生産性(1.64)=8,823・・・2035年のGDP
  2035年の国民一人当たりGDP=2035年のGDP(8,823)÷2035年の総人口(110,679)=0.8

5)結論
  2010年の国民一人当たりGDP(0.56)<2035年の国民一人当たりGDP(0.8)
   ゆえに、25年後にも日本の需要は十分にささえられる
  また、
  2035年の国民一人当たりGDP(0.8)÷2010年の国民一人当たりGDP(0.56)=1.43
   ゆえに、25年後の国民は現在より43%も裕福になる。


25年後の日本は生産人口が現在の75%へ減少する(人口推計より)。
しかし国民は40%も裕福になる。


日本の将来へ投資せよ

もちろん、このまま何もせずに居ればよいのではありません。地球資源の枯渇が目前に迫りつつあります。資源の不足は生産性の向上の極めて深刻な阻害要因となります(資源価格の値上がりと入手困難)。つまり手を打たなければ年率2%の生産性向上を維持できなくなるのです。これこそが最も危険です。財政収支は帳簿における単なる帳尻の問題ですから、金融システムの変更でいかようにもなります。あんな表面的な話で大騒ぎするとはまさに国会は「茶番」です。レベルが低すぎる。先を見通す眼力があれば、本質は「富を生み出す力」にあるとわかるはずです。

エネルギー供給と資源のリサイクルが日本の生命線となります。潤沢なエネルギー源と資源のリサイクルという強力なインフラが完成すれば日本の前途は必ず開けます。それこそが循環型社会です。デフレで余剰生産力が年間30兆円もある今こそ、社会資本に投資するチャンスなのです。そのチャンスを増税で潰すなど亡国以外の何物でもありません。

2012年1月8日日曜日

消費税増税の代案「NEED法」

新聞が代案を示せと挑発するので、代案の一つをご紹介します。これはアメリカで昨年9月21日にアメリカ議会に提出された法案であります。端的に言えば通貨制度改革であり、財政収支問題そのものを永久に解決する方法です。

(以下ネット上の記事より抜粋。)

米NEED 法案 貨幣改革 再生への希望に

金融システム崩壊から米国を再生させる法案が9 月21 日にデニス・クシニッチ下院議員によって議会に提出された。NEED法(国家非常事態雇用防衛法、HR 2990)と呼ばれるこの法案の骨子は3 点である。

① 民間会社である連邦準備制度理事会(FRB)−米中央銀行−を財務省に統合し、政府のみ貨幣を発行する。
② 無からお金を作り出す民間銀行の信用創造を禁止し、100%政府貨幣とする。
③ 経済成長に必要な貨幣は、政府が常時流通に投入する。

金融・債務危機の根本原因はすべて誰がマネーを支配するかに帰着する。わが国のマネーストック(M1=現金通貨と預金通貨の合計)を例に取ると、実質「株式会社」である日銀が日銀券を約16%発行し、民間銀行が約83%の預金通貨(コンピュータ上の数字)を無から信用創造している。すなわち99%もの貨幣は、民間が利付き債務貨幣として発行している。

もしこの法案が通過すれば、貨幣は100%公共貨幣となる。その結果、米政府は債務を政府貨幣で徐々に完済でき、8 月2 日のような14.3 兆ドルの債務上限デフォルトの悪夢から解放される。サブプライムローンに端を発する銀行の暴走、金融危機を食い止めることができる。さらにインフラ、教育、医療、福祉、環境ビジネス等に必要なお金は政府が直接投入し、雇用の創出、内需拡大ができる。

この法案は、1929年の世界大恐慌の直後、その教訓をもとにシカゴ大学の経済学者らが呼びかけた貨幣改革提案「シカゴプラン」に依拠している。全米157 大学275 名(86%)の経済学者が当時この提案に賛成の署名をしたが、実現されなかった。今回も金融ウオール街は、ロビイストを用いて法案阻止の圧力を議員にかけてくると予想される。

私はこの夏、会計システムダイナミックスという新しい方法で開発したマクロ経済モデル(方程式約900 本)を用いて、NEED法の妥当性をシミュレーション分析で検証。増税なしでも国の借金は完済でき、不況、失業、インフレ、世界同時不況も引き起こさないという驚きの結果をえた。

— 京都新聞 2011年12月2日(金曜日)—
山口薫
同志社大学大学院ビジネス研究科教授