2013年12月23日月曜日

まとめサイトをご覧ください

ブログだと、どうしても記事を整理する事が難しいので、
まとめサイトで投稿を継続することにしました。
そちらをご覧ください。

https://sites.google.com/site/nekodemokeizai/



2013年7月28日日曜日

年金は破綻するか?

Q.このままだと年金が破綻するとマスコミが騒いでいるにゃ。少子高齢化で高齢者人口の割合が増え、若者が高齢者の年金を支えきれないというにゃ。そのために消費税増税が必要と言ってるにゃ。あるいは年金は積立方式にすべきだとか言ってる人もいるにゃ。どうなってるのかにゃあ。

A.そうじゃな。確かに様々な事が言われておるから、なんだかよくわからんのう。しかし、「年金の財源」という本質をしっかり押さえ、そこを出発点として順に考えてゆけば、実はすっきりわかってくるのじゃよ。

Q.へえ、「年金財源」の本質って何かにゃ?

A.それは生産力の事じゃ。年金の財源というからおカネの事のように思えるが、実はおカネではない。なぜなら、リタイア後の高齢者はおカネを食べて生活するわけではない。さまざまな生活必需品を消費して生きてゆくのじゃ。それらの商品やサービスは「財」と呼ばれる。我々が生きていくにはおカネが必要なのではなくて、「財」が必要というのが本質じゃ。つまり高齢者も含めて国民の生活を十分に支えるだけの財を生産できるかどうかが問題なんじゃ。じゃから、どれほど高齢化が進んで生産人口(働く人の人口)が減少しても、十分な生産力があれば何も心配することはない。つまり、年金財源を確保するとは、おカネのやりくりを考える以前に、いかに日本の生産力を維持拡大するか、という事に尽きるのじゃ。

Q.なるほど、生産技術の進歩や機械化で日本の生産力を維持・拡大することが年金財源の本質なのにゃ。だから、おカネの事をかんがえてばかり居ても何も解決しないのにゃ。

A.そうじゃな。ところで年金は積立方式にすべきという人もおるな。これも同様に無意味じゃ。ところでネコはおカネを貯めるという本質的な意味はなんじゃと思う?

Q.う~ん、そんな事は考えたことないにゃ。財産を貯めると言う事かにゃ?

A.そうじゃな、普通はそう考えるじゃろ。じゃが、おカネを貯めても財産にはならん。おカネそのものには何の価値もないからじゃ。おカネを貯めると言う事は、将来において財(商品やサービス)と交換できる、という約束を貯め込んでいる事にすぎん。実際には、いま、ここには存在しないが、将来において作られるであろう財と交換できるというのじゃ。ということは、将来において交換できる財が存在しなければまったく無意味なのじゃよ。将来において日本の生産力が衰えておれば、おカネの価値も相対的に低下しておる。日本の生産力が衰えれば貯蓄は意味をなさなくなる。じゃからおカネを信用していない中国の人は、むかしから貴金属で蓄財すると聞いたことがある。

もし、本当に蓄財したいのであれば、それそのものに価値がある「財」すなわち「商品やサービス」を貯め込むべきじゃな。将来に備えて食料や衣料品を託分ける。これなら本当に蓄財になる。じゃが財と言うのはおカネと違って年月と共に劣化するから、本当の意味での蓄財は現実には成り立たん。

Q.でも日本の生産力が弱体化するなら、貯めたおカネを外貨に換えて、途上国に投資するにゃ。すると利息で外貨が増えるにゃ。日本はもうだめだから、アジアの成長を取り込むとか言ってるにゃ。利息で増えたおカネで途上国が生産した財を輸入すればいいんじゃないかにゃ。途上国の生産力を利用するから日本の生産力がだめになってもいいという主張する人もいるにゃ。金融立国だそうにゃ。

A.そういう案があるのは知っておる。じゃがそれは途上国に依存する、というか「寄生する」方法じゃ。もしその途上国の経済がおかしくなったらどうする?途上国の経済は不安定じゃ。多くの国に分散投資すると考えるかも知れんが、グローバル化がすすんでしまった現代社会では、経済危機が発生すると不況は全世界に連鎖してしまう。じゃから部分的には「投資」という方法もありかもしれんが、根本的に外国頼みで日本の年金財源(生産力)を設計するのは危険すぎる。たとえば投資した国が中国や韓国のような国だったらどうするのじゃ。投資相手が反日国家ならすべてパアになりかねん。

Q.積立方式で解決するほど甘くないのにゃ。でも積立方式は税方式よりいいのかにゃ?

A.そうとは限らん。たとえばインフレ率が高い場合、積立方式の年金基金だと、物価上昇を上回る収益をあげられなければ、年金は目減りしてしまうじゃろう。その点、税方式であればインフレになれば税収もそのぶん増えるからカバーできる。物価スライド年金が可能じゃ。しかし、年金方式であろうと税方式であろうと、年金を支える日本の生産力が低下すれば、どれほど「年金の収支」つまり「見かけ上の財源」が確保できても、国民は貧しくなる。マスコミや役人が騒いでいるのはあくまでも「年金の収支」つまり「見かけ上の財源」に過ぎん。

Q.じゃあマスコミや役人が騒ぐ「年金の収支」はどうでもいいの?

A.もちろんまったく意味が無いわけではない。じゃが極論を言えば、年金は「通貨発行」で賄えば良い。なぜなら、おカネは見かけ上の問題じゃから、日本の生産力(潜在生産力もふくめて)が十分にあるなら、通貨発行で年金を支給することは可能じゃ。すなわち、年金は絶対に破綻することはない。年金問題の真の論点はカネの収支などには無いのじゃよ。

とにかくマスコミや役人が騒ぐ表面的な問題から一日も早く脱却し、本質的な課題である「日本の生産力を高める事」に集中することが年金問題の最優先課題じゃ。そして、生産力と同時に「財の耐久性」を高める努力が必要じゃ。つまり、財(電化製品、車、家財、家)が長持ちして、人々が財を長く使うようになれば、それだけすくない生産力で国民の需要を満たすことができるからじゃ。つまり高齢者を支えるための「必要生産力」を減らすことができる。

Q.なるほど消費税で年金問題が解決するなんでウソにゃ。表面的なおカネの収支で年金問題は解決しないのにゃ。でも、どうすればいいのかにゃ。どうすれば日本の生産力を維持したり、財の耐久性を高めたりできるのかにゃ。

A.カネじゃよ。

Q.おかね?

A.そうじゃ、カネじゃ。何のために金融緩和でカネをばんばん刷っとるんじゃ?今のままでは、株や土地などの資産が値上がりするだけじゃ。もちろん、それが景気回復を引っ張る起爆剤となる可能性は否定しないし、それで日本の生産力が増える可能性はあるじゃろう。じゃが、その成長の背景にはふたたび「借金のあくなき膨張」がある。現代の経済システムは民間の借金で景気が支えられる仕組みになっておる。借金依存は金融資本主義の基本構造じゃから避けられんが、再びバブルとバブル崩壊を引き起こす可能性は高いじゃろう。安定的とは言えん。それよりも、インフラや基礎的な研究開発にどんどん直接投資をすべきじゃ。

Q.たとえばどんな投資がいいのかにゃ。

A.そうじゃな、インフラについてはやはり「エネルギー」じゃ。どれほどリサイクル技術が進んでもエネルギーだけはリサイクルできん。エネルギーこそが国家の浮沈を決めるのじゃ。原子力も有望じゃったが、あまりにリスクが高すぎる。やはり再生可能エネルギー開発じゃろう。どうせ金融緩和でカネをじゃぶじゃぶに刷っているのだから、銀行に渡すんじゃなくて、直接にエネルギー開発に使うべきじゃ。日本は火山国じゃ。実用化には莫大な費用と時間がかかるが、マグマ発電という「ほぼ無限」のエネルギー開発をしてほしいのう。それこそ技術立国日本のロマンじゃがなあ。

Q.じいさんはロマンとかいう年じゃないにゃ。それより他に何か無いのかにゃ。

A.ほっとけ。そうじゃな、あとは「ばら撒きで無駄遣い」することじゃ。

Q.無駄遣いは良くないとマスコミが言ってるにゃ。

A.そうでもないんじゃ。世の中の進歩は、ほとんど暇人間の無駄な研究からスタートしとる。学者なんてものは、そもそも役に立つかどうかわからんような、得体の知れん研究に朝から晩まで没頭しとる。カネになるかどうかなんか関係ない連中じゃ。多くのケースでは何の役にもたたんじゃろう。じゃがそういう変な研究が盛んに行われると、偶然に世紀の発見にぶちあたる可能性がでてくる。確率論なのじゃよ。成長分野とか役人は間抜けな事を言っとるが、未知の分野において、狙い澄まして成功することはまずあり得ない。カネをばらまいて、変な学者をたくさん集めて、山のように変な事をやらせる。大いなる無駄じゃな。じゃが無駄ではない。そして、こういう馬鹿な無駄遣いができる国家こそ、本当の意味でゆとりがある国家なのじゃ。そういう国家こそ「学問のすそ野が広い」というのじゃ。

Q.話のスケールがでかすぎるにゃ。身近なところでは何か無いのかにゃ。

A.もちろん、まずは「デフレ脱却」じゃ。デフレということは、使われずにブラブラ遊んでおる余剰生産量すなわち「デフレギャップ」が存在することを意味する。こいつが年間20兆円とも言われておるから、消費税10%分も無駄にしておる事になる。実に無駄じゃ。カネを刷って労働力や設備を動かせば「財」が生まれる。カネは財を生むための道具に過ぎんと考えるべきじゃ。カネは財を生んでこそ意味がある。

Q.やっぱりデフレ脱却、デフレギャップの解消が生産力を高める近道なのにゃ。ところで、年金って、支払った金額より受け取る金額が多くなるのが常識だと思うにゃ。でも、どうして増えるのにゃ?

A.なぜ払った金額より受け取る金額が増えるのか?普通の庶民は「利息だ」と思っとるじゃろう。確かに表面的には利息じゃ。じゃが単に利息だけなら「資産ころがし」でも増やせる。マネーゲームでカネを増やす現代の病んだ経済に慣れてしまった人々は不思議に思わないかも知れんがな。じゃがマネーゲームでおカネを増やしてもインフレになるだけじゃ。カネの価値の裏付けである「生産力」が同時に増えなければならん。カネだけ増えてもだめじゃ。消費税の増税による年金の帳尻合わせと同じじゃよ。

Q.じゃあ、マスコミが騒いでいる「生産性の向上」ってヤツかにゃ。高齢化社会では生産効率を高めることが必要とか言ってるにゃ。でも、生産効率を高める最高の方法って「解雇」にゃん。人を減らせば企業の生産性は高まるにゃ。どうもおかしいにゃ。

A.そうじゃな。実は企業(ミクロ)における生産性や効率と、社会(マクロ)における生産性や効率は、意味が異なるのじゃ。ミクロでは人件費の抑制こそが生産性を高める最高の方法じゃ。この場合、生産性とは利潤の最大化を目的としとる。じゃからマスコミがさかんに「解雇規制緩和」を唱える。解雇しやくすなれば、企業と株主は守られるからじゃ。じゃから失業者が増えても企業の生産性は高まる。

しかし、社会全体(マクロ)で見た場合、失業者が居るということは生産性の悪化を意味する。なぜなら稼働率が低下するからじゃ。たとえば100人の労働者のうち、20人が失業して80人しか働かなければ効率が悪くなる。つまり、社会の生産性を高めるとは、失業者を限りなくゼロに近づける事をいうのじゃ。

Q.ふにゃ。ミクロとマクロではまるで正反対にゃ。あやうく騙されるところにゃ。

A.マスコミは普通の人々が持っておる思い込み、いわゆる「暗示」を利用して意図的な誤解を仕掛けてくる場合があるので、十分な警戒が必要じゃ。よく考えてみると、資本主義が効率が高いというのは企業レベル(マクロ)においてのみであることがわかる。社会レベル(マクロ)で見ると、失業は増えるし、不況は起こすし、そもそも広告宣伝や営業に莫大な投資が必要なのも、実は非効率的じゃ。つまり、資本主義経済は
ミクロの生産性は高いが、マクロ的にはむしろ非効率であるとも言える。

ミクロを極端に信仰するのが「新自由主義」じゃ。グローバル化も規模こそ大きいからマクロなのかと思えるかも知れんが、実際にはミクロ経済を強化するための道具に過ぎず、かえってマクロ・コントロールを不能にする政策じゃ。極めて「バランスが悪い」と言える。ミクロとマクロの調整こそが大切なのじゃよ。

年金を考える場合も、ミクロとマクロの両面からバランスよく考えたいものじゃ。


2013年7月14日日曜日

日本経済は引き裂かれている

経済の本質とは、人々が生活に必要とする財を互いに生産し分配(消費)する活動です。ところが、こんな単純明快なことが円滑に行われていません。現代の経済は金融バブルとバブルの崩壊を繰り返し、そのたびに財の生産が停滞し、財の分配が機能せず、多くの不幸な人々を生み出しています。なぜこんなバカげたことを繰り返すのでしょうか?

<現代の市場経済は「生産」と「分配」(金融)の機能が分裂している>

まだ通貨による取引が経済の中心ではなかったはるか昔のころ、生産と分配はほとんど一体のものでした。集落の中で分業が発達しても、収穫した食料は互いに持ち寄り、全員で分けていたと思われます。初期の市場が生まれた頃も、取引は物々交換であり、通貨が経済活動を支配するのではなく、小麦や羊毛のように、生産して作り出した「財」を交換していました。ですから、小麦や羊毛といった生活物資を作ることが経済の中心であったわけです。いかに多くの財を作り出すかで豊かさがきまりました。おカネはほとんど意味を持ちませんでした。

ところが現代社会では「生産」が「通貨」に支配されています。それはどういう意味でしょう?現代のデフレ社会を観察すれば一目瞭然です。デフレになると、工場は生産能力がまだまだ十分にあるにも関わらず動きません、消費財を作り出しません。なぜならおカネが無いからです。消費財が必要とされていないのではありません。日本には貧困層が人口の15%もおり、かれらは貧しい、つまり消費財を欲しているのです。もし、昔の頃のように生産と分配が密接な時代だったなら、動いていない工場を動かして消費財を作り、消費財の不足している人に分配すれば良いだけのことなのですが、それができない。市場を介して通貨が循環しなければ、何も生み出せないし、何も分配できない。それが現代の経済の矛盾です。

つまり、本来は極めて密接な関係にあるはずの「生産」と「分配」の機能のリレーション(関連性)が破壊されています。それを担う市場、そして「金融」があきらかにおかしいのです。生産能力はあるのです。にもかかわらず人々に消費財が行き渡らない。その原因は分配系(金融)にあるのです。

<生産系は着実に進歩している>

現代の政治家やエコノミストの多くが忘れている事は「日本には有り余るほどの生産能力がある」ということです。税収を増やさないと財政危機になるとしきりに唱えたり、高齢化社会が到来するから社会保障費が不足すると騒ぐ人々は、おカネの理屈で経済を考え、経済の本質である「生産と分配」は頭にないのです。だからひたすら「カネの収支」に固執し、財政再建や社会保障の抑制、つまり帳尻合わせを唱えるのです。

しかし、カネが足りるか、足りないかは問題ではありません。国家経済の根本的な問題は人々の要求する消費財(食料品だけでなく、自動車も家も)を十分に生産して供給できるかどうかなのです。それはカネがあれば解決する問題ではまったくないのです。国家の生産力そして財の耐用年数(商品の品質)こそが問題なのです。人々の生活を支えるのはおカネではなく、財だからです。

今の日本はデフレギャップがあると言われますが、デフレギャップとは使われていない生産力の事です。年間20兆円とも言われていますから膨大な量です。この20兆円は毎年毎年使われずに、いわば「失われて」いるのです。ところで、生産力とは財源の裏付けであり、デフレギャップの20兆円はいわば財源と同じです。消費税1%で税収約2兆円といいますから、消費税約10%分の生産力がおカネがないばかりに毎年失われているのです。ですから、増税よりまずこの生産力を活かすことが国家を豊かにするためには先決なのです。しかし、カネに目がくらんだ人々にはそれが理解できません。国を豊かにするより、帳簿上の収支が大切なのです。帳簿上の収支が合えばそれで良いと考えているのです。

また、毎年毎年、新しい技術が開発され、生産性は確実に向上し続けています。つまり、仮に日本の労働人口が高齢化で減少したとしても、技術革新によって国民一人あたりの生産力が向上し続けるなら、国民が得る事の出来る消費財が減ることは決してありません。国民一人あたりの生産力こそが、人々の豊かさを支えるのです。そして、国内調達のできない消費財は輸出で得るわけですから、やはり輸出するための商品を生み出す生産力が重要です。生産力が国を支えるのです。ですから生産設備の近代化と技術の研究開発が高齢化社会のために最も大切なのです。これは増税しても解決できません。

そして今、日本の生産力は有り余るほどあり、その能力が十分に発揮されるなら、日本のすべての人々にゆきわたるのに十分な量の消費財が生産できるのです。量が十分に作れるにもかかわらず、モノが行き渡らない現象つまり「貧困(格差)」が生じるという事は、貧困(格差)の原因が生産系の問題ではない事がわかります。生産系には何の問題もない、つまり生産性を高めるとされる規制緩和とか自由貿易を推進すれば社会保障や格差の問題が解決するわけではありません。分配系のシステムすなわち金融に問題があるのであり、これを根本的に正さない限り解決できないのです。

<分配系は荒廃している>

市場における高度な分業を円滑に実現するために、貨幣制度や金融制度が発達してきたのだと考えられてきました。しかし、実態はそうではありませんでした。むしろ分業の障害となり、生産と分配の分断を引き起こし、金融なしでは成り立たない病的な経済システムを生み出してしまったのです。金融に依存する経済は、確かに効率的である半面、非常に不安定で、崩壊すると世界中の人々を不幸にするという重大な欠陥を抱える事になりました。

その主たる原因は貨幣の3つの機能のうちの「価値保存」の機能にあると考えられます。貨幣は、市場を通じて様々な種類の財を生産して円滑に交換するための「交換機能」を有します。しかし同時に、貨幣には価値保存機能があるため、貨幣を使わずに貯め込むことが行われるようになります。特に近代において産業規模の拡大に伴い所得の格差が拡がり始めると、おカネが大量に貯め込まれるようになりました。所得の多い資産家や大企業はおカネをそれほど使う必要がありませんから、貨幣を使わずに貯め込むのです。貨幣の偏在です。おカネが貯め込まれてしまうと、市場において循環する貨幣の量が減少し、貨幣の「交換機能」がマヒしてしまいます。そのため、生産して交換される財の量が減少し、不況になる。これがデフレです。

それを防ぐ方法として有効と考えられてきたのが「投資」であり、その動機となるのが「金利」です。つまり「金融システム」です。金融システムにより、貯め込まれた貨幣が再び市場に流れるよう、投資が行われます。投資によりあらたな企業が生まれると、通貨不足で生じているデフレギャップすなわち余剰生産力を吸収して、新たな商品を作る生産力となります。投入された通貨は、新たに生まれた商品の生産と分配のために市場で再び循環をはじめます。新たな通貨の循環は経済成長と呼ばれます。この流れが資本主義の基本的な経済成長システムです。投資することでデフレを避け、資本主義システムを成長させ、維持できるのです。

ということは、資本主義の経済システムは、次々に新しい投資、すなわち、新しい商品を生み出し、大量生産、大量消費を続けなければデフレで経済がマヒするという宿命を負っている事になります。なぜ世界が血眼になって「経済成長」を叫び、東南アジアや中国に進出しようとするのか?それは、資本主義が永久に成長を続けなければ破綻するシステムだからなのです。

しかも最も大きな問題は、今日の経済が、世界の人々を豊かにするために消費財を生産しているのではなく、むしろおカネを循環させてシステムを持続させる目的のため、あるいは利潤を追求しておカネを増やす目的のために消費財を生産するようになっていることです。金融とは「おカネを増やす事が目的」だからです。金融が発達し、金融が力を持つようになり、その傾向は時代と共に顕著になってきました。人々の暮らしのために消費財を生産しているのではなく、おカネを増やすために商品を作っているのです。だから大量生産・大量消費で売り上げがどんどん増える事が美徳とされる。おカネが経済活動のためにあるのではなく、経済活動がおカネのためにあるのです。おカネの暴走です。貨幣経済の発達に伴い、経済はおよそ健全さを失いつつあるのです。

<金融の暴走が分配系をさらに破壊する>

経済活動のためにおカネがあるのではなく、おカネを増やすために経済活動がある。その不健全さは今日の「金融」においてますます深刻化しています。おカネがおカネをうむシステム。株式市場、先物市場、債券市場、それらの取引を過激化するレバレッジという仕組み。もはやそこには生産活動すら介在しません。「生産と分配」の経済とは完全に分裂して、おカネの仕組みだけが独立して暴走を続けています。消費財を何も生み出さないのに、おカネだけが増え続ける。

本来、おカネは消費財などの生産に裏付けられたものでなければなりません。そして消費財を生み出した代価としておカネが存在しなければなりません。そしてより多くの財を生み出した人ほど多くのおカネを受け取ることができる。それが健全な意味での競争であり格差です。

しかし、金融では、おカネがおカネを生むシステムにより、何の財を生み出すことなく、おカネだけを増やすことができます。単に仕組みを利用して機械的におカネを増やすのです。そしてその代価として資産家や金融街の人々は膨大なおカネを受けとり、労することなく消費財を思うままに買い取り、浪費することが出来るのです。どんな理屈をつけても、これが健全であるはずがありません。

<それでもカネに依存せざるを得ない悲惨な経済システム>

しかし金融バブルの崩壊で世界的に明らかになったことは、もはや世界経済が金融街の生み出すカネに依存するような体質に成り下がってしまっていることです。金融バブルが崩壊すると実体経済が崩壊するのです。そして金融バブルが復活すると実体経済が良くなるのです。バブルが生み出すカネそして、そのカネの循環が実体経済を支えているということです。それはなぜか?経済にはおカネが必要だからです。たとえそれが偽札だろうと黒いカネだろうと関係ありません。人々がおカネだと信じているモノが供給されれば経済は動くのです。では、もはや世界経済は金融街が作り出すバブルに依存し続ける宿命なのでしょうか。そんなことはありません。

金融街の生み出すおカネはすべて「信用創造」によって金融街の民間銀行が作り出しています。政府ではありません。あくまでも金融街の民間銀行が信用創造によっておカネを作り出しているのです。しかも、これは貸し付けによって社会に流れ出す仕組みです。つまり、だれかが借金をすることでおカネが生み出される仕組みです。そして実のところ、バブルはこの借金と密接な関係があります。借金から生まれたおカネに依存してバブルがどんどん成長します。バブルが成長すればするほど民間の借金は増大します。そのため、バブルが崩壊すると後には膨大な「借金の山」つまり不良債権が残され、通貨循環が凍りつき、つまり経済がマヒします。

経済混乱の最大の原因は「借金でおカネが生み出されるシステム」にある。

ですから、金融街が信用創造を介して借金として膨大なおカネを作り出すのではなく、政府がおカネを作ればよいのです。日本で言えば、日本銀行だけがおカネを作るのです。あるいは政府通貨でも良いのです。そうすることで、債務や債権を増やさずにおカネを市場へ供給することができます。現代の経済システムは借金の量が多すぎるのです。債権や債務に頼りすぎているのです。債権があれば、当然ながら不良債権が生じるリスクが高まる。債権や債務が増えすぎるから、資産価格の暴落などが引き金となって経済がマヒするのです。債権や債務に過度に依存することは不健全です。債権を発行してまでおカネが必要なのであれば、通貨を発行すれば良いのです。

実際、昨年にIMFから紹介された論文によれば、民間銀行が信用創造でおカネを作りだすのを止めて、すべてを政府通貨の発行に置き換えると、GDPが10%成長し、政府の債務もゼロになるのだそうです。

<貯蓄への課税が根本的な解決>

しかし、政府通貨の発行には根強い反対があり、特に銀行にとっては死活問題ですから、本当にそれをやろうとすると多数の暗殺が発生しかねません。実際にリンカーンやケネディは政府通貨を発行し、あるいは、発行しようとして暗殺されています。

ですから、別の方法として、使われずに死蔵されている貯蓄に課税して徴収し、そのおカネを市場へ供給するという方法も検討すべきと思われます。

つまり不況の基本的な原因が、おカネが使われずに貯め込まれること、つまり「通貨の退蔵」にあるのですから、それを修正することが最も理にかなっています。もちろん貯蓄の「価値保存機能」は人々の生活を安定する上で有効な機能であることは間違いありません。しかし限度があります。あまりにも多すぎる貯蓄は経済や社会に悪影響を与えるため、その代価を支払う義務があるでしょう。たとえば、1000万円以上の預金資産に対して、段階的に課税をかけてゆくといった方法が良いと思います。

そして、資産(ストック)への課税を強化すると同時に、逆に所得や消費(フロー)への課税は軽減します。特に消費税はインフレターゲットの目標物価を超えるようになるまでは、ゼロにすべきです。おカネを循環させることが市場経済を十分に機能させるためには最優先です。また、高額所得者の資産には高率な課税がされるようになりますので、逆に所得税率は軽減しても良いでしょう。たくさん稼ぐのは悪い事ではありません。しかし、それを貯めこむことは悪い事です。たくさん稼いでたくさん使っていただくことが、経済を活性化させるでしょう。税制もそのようにすべきです。

<カネの収支ではなく生産と分配を中心に経済を考えるべき>

私たちの生活を支えるのは財であり、それを作り出すための生産力こそが国を支えます。生産のための工場やオフィス、店舗などがあり、そこで私たちが働くこと、すべての人が働く職場を持つことが豊かな社会を生み出します。貿易を行うにしても商品価値の高い財を生み出すことが基本です。そしておカネは生産活動と分配機能を円滑に働かせるための道具であって、カネそのものには価値はない。そこを基本に経済を再構築することが求められていると思います。


2013年6月10日月曜日

金融緩和せずに経済回復する方法

アベノミクスの推進する「金融緩和」に関して積極派と反対派で国論を二分する騒ぎになっています。しかし現在、金融緩和に異を唱える野党の多くは単純に「カネを刷るのは良くない、害がある」と言うだけで、有効と思われる代案は何も持ち合わせません。これでは説得力はないと思います。自分はいわゆるリフレ派ですが、金融緩和しなくても別の方法で通貨循環を維持する方法を考えています。状況に応じた「オプションプラン」を考えておくことは意味があると思います。

<なぜ金融緩和するのか>

そもそもなぜ金融緩和するのでしょう。それはおカネの3つの機能のうちの一つ「市場における交換機能」を高めるためにあります。おカネの機能は「価値の尺度」「価値の保存」「財の交換機能」です。このうち、貯蓄は「価値の保存」機能であり、消費は「財の交換」機能です。現在はデフレ状態であり、財(商品やサービス)の交換機能がマヒしていると考えられます。

なぜ財の交換機能がマヒしていると言えるのか?それは、生産設備や労働力があり余る一方で、消費財を十分に手に入れる事のできない人々、貧しい人や失業者が大量に存在するからです。もし、生産設備や労働力が余っているのなら、それを動かして消費財を生産し、それを消費財の不足している人に分配すれば問題は解決します。ところが市場経済のメカニズムではこんな簡単なことができません。生産と分配の間に「おカネ」が介在しているからです。おカネは生産した財を交換するのに有用であると同時に、ボトルネックにもなるのです。

そのボトルネックを引き起こすのがおカネの価値保存の機能、つまり「貯蓄」です。おカネが貯め込まれるばかりで使われないからデフレが解消しない~と聞いたことがあると思いますが、それは真実です。おカネは生産者と消費者の間でぐるぐると循環し、その循環にのって財が生産者から消費者へ届けられます。ですから、もし循環するおカネの量が減ってしまうと、生産者から消費者へ届けられる財の量も減ってしまいます。すると生産した財が余る一方で、財を受け取れない貧困層が発生するという不合理な状況(デフレ)が発生します。モノは潤沢にあるのに、ますしい人が増えるのです。ぐるぐると循環するおカネの一部を貯蓄に回してしまうと、循環するおカネは減ってしまいます。これがデフレの根本的な要因となります。

循環するおカネが減ったなら、これを増やさねば経済はどんどん麻痺してゆきます。そこで金融緩和を行い、循環するおカネの量を増やそうとするのです。循環するおカネを増やせばよい。ならば、金融緩和以外に方法があります。

<金融緩和せず税制改革でもおカネは循環する>

デフレの原因は過剰な貯蓄にあります。人々が貯蓄すればするほど循環するおカネは減少し、経済は麻痺してゆきます。適度な貯蓄は人々にとって必要であり、生活を安定させる機能を有します。しかし、過度な貯蓄は経済を崩壊させかねないのです。ですから、過度な貯蓄に課税し、それを再び循環するおカネに戻せばよいのです。それが「預金課税」です。

たとえば1000万円以上の預金に対して2~3%の課税をします。そうすれば消費税など引き上げる必要はありません。もともと、使われずに貯め込まれているだけのおカネですから、そのおカネに課税しても日本国としての経済的な影響はほとんどないでしょう。もちろん日本人である以上は、海外の口座であろうとドル預金であろうと課税対象となります。タンス預金が増えるとの指摘もありますが、国民にマイナンバー制が導入されると同時に、個人にB/SとP/L(複式簿記)を導入すれば収支が一目瞭然なので、逃げられません(法人と同じ)。もちろん、法人の預金にも課税されます。

このように、貯め込まれて使われていないおカネに課税し、これを財源として政府が社会保障や公共事業を行う事でおカネが再び循環するようになります。逆にデフレの今は、おカネの循環を妨げる消費税は減税します。消費税の増税が必要となるのは、景気が過熱しすぎたとき、つまりインフレです。消費税は消費を抑制する働きがありますから消費過剰のインフレ時には効果的な税制といえるでしょう。デフレの時にはデフレを悪化させます。

とはいえ、日本人は貯蓄の大好きな国民ですから、預金に課税するというのは不評に違いありません。しかし、金融緩和に反対する野党なら、緩和以外の方法論を示すべきです。マクロ的に言って金融緩和以外の方法は、もはや預金に課税するしかないと思われます。にも関わらず金融緩和に異を唱え、一方でマクロ経済の理論に基づく代案を示さない野党はもはや存在価値はないでしょう。

<同じ緩和でも、通貨発行益による「インフレ税」という方法>

野党が自民党と差別化を図りたいと考えるのは自然です。だからと言って「何でも反対」では存在価値ゼロです。そこで、同じ金融緩和路線でありながら、明らかに自民党の方法とは違うやりかたがあります。それが通貨発行益を財源とする財政政策であり、いわゆる「インフレ税」という考えです。

この方法を採用すると、基本的にすべての税を廃止し無税国家となります。そのかわり財源として通貨を発行して利用します。そうすると、国債を発行する必要が無くなりますので、財政赤字の問題はなくなります。同時にすべての税務署が不要になるため、行政のスリム化が可能になります。また現在さまざまに行われている節税対策や租税回避のための無駄な労力や無駄な投資はすべて不要になります。もちろん、脱税犯罪はなくなり、取り締まりの手間もなくなります。しかも、財務省の利権はすべて消えます。

これなら賛成する国民も少なからずいるでしょう。

通貨を毎年毎年発行すると、通常はインフレになります。インフレとして通貨の価値が目減りする分が間接的に「税」となります。これは既発行通貨全体にかかるので、預金を含む、資産課税の一種と考える事ができます。どの程度のインフレになるかは、市場における需要と供給の関係で決まります。実際のところ、経済成長には循環する通貨の膨張が伴うため、経済の潜在成長率や貯蓄による通貨の退蔵量に合わせて通貨供給をコントロールすれば、インフレがそれほど酷くなることはないと思われます。

インフレでも人々の暮らしは決して貧しくなることはありません。供給される財の量が人々の需要をまかなうのに十分であれば、モノが不足することは決してないからです。もし生活が苦しくなるなら、それは物価上昇ではなく通貨の分配に問題があります。なぜなら、物価とは財とおカネの交換比率に過ぎないからです。単純に言えば物価が10倍になっても、所得が10倍になれば何も問題ありません。もし、物価が10倍になって、人々の所得が10倍にならないとしたら、そのぶんだけ、おカネは誰かに偏って分配されていることになるからです。

であれば、解決方法は簡単です。所得が目減りして貧しくなった人に、政府がおカネを発行して供給すれば良いのです。変な気がするかも知れませんが、課税による所得の再分配と同じ意味です。もちろん、所得の再分配と同じく、やりすぎると社会の活力を喪失する恐れがあるでしょう。

<財政ファイナンスより国債の方が危険ではないか>

おカネを刷って財源とする方法は「財政ファイナンスだ」として頭の固い経済学者から非難を浴びそうですが、しかし、おカネを刷らず、おカネを借りて発行する国債の方が健全であるという考えは、少なくとも最近のEUにおける財政問題を見る限り疑問と言わざるを得ません。国債を返済するために緊縮財政を行い、失業者が20%を超えるスペインなど悲惨きわまりない状況です。国債こそ危険なのです。インフレ税の方がはるかに健全かもしれません。

インフレ税はシステムとして破綻した考えだとは思えません。
もっと研究が進むことを期待したいですね。


2013年6月2日日曜日

企業の租税回避 通貨発行益で対抗

Q:アメリカ議会でアップル社がアメリカに税金を払ってないと叩かれてるにゃ、何のことにゃ?

A:そうじゃな、アップル社に限らずグローバル企業や投資家はタックスヘイブンと呼ばれる、法人税の非常に低い国に幽霊会社を作って、そこで利益を出すように操作して税金を逃れとるんじゃ。たとえばアップル社の場合は、アイルランドに子会社を作り、その会社が全世界のアップル製品の販売をしたことにする。全世界のアップル製品の売り上げがアイルランドの子会社に集中して計上されるので、全世界での利益もその子会社にすべて計上されるわけじゃ。その子会社はアイルランドにあるので、利益にはほとんど課税されない。そういう仕組みじゃ。

Q:ずるいにゃー、真面目に税金を納めているのは一般市民だけにゃ。取り締まるにゃ。

A:ところがそうはいかんのじゃ。租税回避しとる企業や資産家は、違法行為をしておるわけではない。ある意味、法律の盲点をついとるのじゃ。じゃから取り締まることはできん。たとえ一円も税金を払わなくても、法律に反していなければどうすることもできんのじゃ。それに、いくら法律を強化したところで抜け道は必ずあるものじゃ。イタチゴッコじゃよ。おまけにあまりにも法律を強化しすぎると、最終的には企業そのものが国外へ逃げてしまうとも限らん。日本の法人登記を抹消してしまえば、税金など永遠に取れなくなるじゃろ。

Q:くやしいにゃ。何とかならないのかにゃ。

A:ほっほっ、税金を取ろうとするから苦心惨憺するのじゃ。税金を取らなければよい。

Q:はえ?

<徴税をやめて通貨発行益を財源とする>

A:税金を徴収するのは財政運営のための「財源」を確保するためじゃ。税金に頼らずとも財源を確保できれば良いのじゃ。つまり税金を徴収するのはやめて、かわりに政府がおカネを刷って財源とすれば良いのじゃ。これは「通貨発行益」と呼ばれるものじゃ。

Q:税金をぜんぶやめて、かわりにおカネを刷って財源にするの?

A:そのとおりじゃ。法人税も所得税も消費税も相続税もぜんぶやめるのじゃ。そのかわり、カネを刷って財源にする。これはいわゆる「インフレ税」というやつじゃ。カネを刷ると一般にインフレになるから、企業も個人も物価上昇の形で事実上「納税」することになる。こうすれば脱税は不可能なのじゃ。しかも、貯蓄を多く持っていればいるほどインフレによる資産の目減りは大きくなる、つまり大資産家ほど多くの「インフレ税」を負担する形になるから、実に公平な税制なのじゃ。

Q:でもインフレが怖いにゃ~

A:いたずらに心配する必要などないじゃろう。どの程度の物価上昇を伴うかは、需要と供給によって市場が決めることじゃ。じゃから、単純にインフレが激しくなるとは言えないのじゃ。たとえば、財源としておカネを刷れば、それはやがて消費に回るから需要が増える。その需要の増加を十分に賄うだけ供給能力が増加すれば、インフレを引き起こすことはない。発行したカネがすべて実体経済の通貨循環に吸収されてしまうからじゃ。つまり理想的に言えば、潜在的な経済成長の能力に合わせてカネを刷り続ければインフレは起きないじゃろ。もちろん、民間銀行の信用創造が生み出す通貨の影響は無視できんがな。

それに、日本人はおカネを貯めるのが好きらしいから、おカネを刷ってもかなりの額が消費ではなく貯金に回されてしまうじゃろう。貯金されてしまえば、需要は増えんから、インフレも生じにくいのじゃ。

Q:でもおカネをどんどん刷り続けるのはいいのかにゃ?打ち出の小づちにゃ。

A:思い込みにとらわれてはいかん。原点を考えるのじゃ。そもそも全世界の主流であるインフレターゲット政策とは何じゃ?実際にやっていることはアベノミクスを見てもわかるように、打ち出の小づちで「おカネを刷る」ことじゃ。全世界を見ても、毎年毎年、膨大なカネが刷られておる。ただ、現在の通貨制度では、この刷ったカネはすべて民間銀行の手に渡り、民間銀行が企業や個人に貸し付ける原資となるのじゃ。そして民間銀行に企業や個人が借金することで世の中におカネが流れ出す。これが現代の銀行制度じゃ。

だから「おカネを刷る」という意味では同じことなのじゃよ。ただし、刷ったおカネを民間銀行に渡すのではなく、政府が財源として直接に使って世の中におカネを回すのじゃ。しかも民間銀行が貸し付けする「借金」ではないので、返済する必要がないおカネじゃ。いわゆる「信用収縮」の恐れはない。

Q:う~、むずかしすぎるのにゃ。つまり、アベノミクスでもおカネを刷ってるんだから、それを、民間銀行へ渡すのではなく、政府が使えばいいだろって話かにゃ。

A:そういうことじゃ。実際のところそれに近い方法論がある。それが「日銀による新規発行国債の買い取り」じゃ。一方、アベノミクスでやっておるのは「日銀による発行済み国債の買い取り」じゃ。何が違うのかと言えば、何も違わん。どちらも日銀がおカネを刷って国債を買い取っておるのじゃ。違うのは、日銀の刷ったおカネを「政府に渡すか、民間銀行に渡すか」の違いだけじゃ。政府に渡せば公共投資になり、民間銀行に渡せば貸し付け原資になる。にもかかわらず、政府から買えば財政ファイナンスだと非難され、銀行から買えば絶賛される。実にバカバカしいのう。

「財政ファイナンスが~~」という頭の固い連中が多いので、なら政府通貨を発行して、これを財源とすればよいのじゃ。一時期、オバマが1兆ドルコインを発行するとか言っておったが、あれじゃ。政府通貨を発行して、その発行益を財源とすれば良いのじゃ。

<税の仕組みを根底から変える>

Q:へ~、税金のかからない国家にゃ。といっても、インフレ税はかかるにゃ。でも面白いにゃ。

A:考えてみると実に面白いのじゃ。税金を集める必要がなくなるから、世の中は激変するじゃろ。まず税務署がぜんぶ不要になる。これだけで膨大な経費削減になる。しかも財務官僚も減らせるし、財務官僚が「税」という権力を利用して得ていた既得権もすべてなくなる。脱税という犯罪がそもそもなくなり、節税対策とかいう無意味な事をする必要もない。税理士もいらない。そもそも各企業において、税制という複雑怪奇な制度の運用に費やされていた労働をすべてなくすることができるのじゃ。その労働力を生産活動に回した方がよほど良い。

Q:でも、おカネをどんどん刷ったら円安になるにゃ。輸入品のインフレが酷くなるにゃ。

A:確かに円安になるじゃろ。すると輸入品のコストが上がってインフレが進むこともあり得る。じゃが円安は輸出産業のコスト競争力を高める結果となり、国内経済が活性化するのじゃ。輸出が増えれば、稼いだ外貨を円に買い戻す必要量が増えるから、その分だけ円買いも増え、値を戻す。それに、輸出産業が潤えば、そのおカネがめぐりめぐって、やがて他の国民の所得も増やし、インフレの影響は相殺されるじゃろう。アベノミクスをみれば一目瞭然じゃな。

Q:面白いにゃ面白いにゃ。他にどんな事になるにゃ。

A:そうじゃな、これは単なる推測じゃが、表面上は法人や個人の税率がゼロになるから、日本が「タックスヘイブン」になるかもしれん。すると海外から膨大な数の「幽霊会社」が進出してくる。これらの会社から税を取ることはできんが、雇用を増やしてくれるかもしれないのじゃ。そして、もしかすると幽霊会社ではなく、本当に日本で財(商品やサービス)の生産を行う会社が来るかもしれない。もしそうならすごい効果じゃ。

Q:どうしてにゃ。

A:通貨発行益を財源とする以上はインフレは避けられない。じゃが、どの程度のインフレになるかは、その通貨圏における供給能力と密接な関係があるはずじゃ。すなわち、経済が成長し、供給能力が高まるほどインフレになりにくいはずじゃ。日本にどんどん企業がやってきて、日本の供給能力が高まるほど、インフレになりにくくなるはずじゃ。そうすると、それまで以上に通貨を発行しても大丈夫、という事になる。つまり、企業や個人から無理に税を取らなくても、通貨発行益として財源を増やすことが可能と言う事じゃ。もちろん、推測の域を出ないが、考えてみるには面白いテーマじゃ。

Q:面白いにゃ面白いにゃ。ぜひやるにゃ。消費税を上げるとか上げないとか、そんなミミッチイ話をしている場合じゃないにゃ。税という考えを大変革するのにゃ。

A:でも100%不可能じゃよ。なぜなら既得権益を崩壊させるほどのインパクトがあるからじゃ。まず「税務署を全部廃止する」などという考えは、役人の手で確実に潰される。通貨発行権を独占してきた銀行からも猛反対を食らうだろう。こんなことを言い出す政治家は暗殺されても不思議ではない。既得権益とは社会の支配構造そのものじゃ。

Q:やっぱり絶望的なのにゃ。何も変わらないのにゃ。

A:じゃが僅かな希望は、まがりなりにも政治体制が「民主主義」であるということじゃ。多くの国民が問題意識を持ち、マスコミの垂れ流す情報を信じることなく、自らさまざまに考えるようになれば、やがて世の中を変える事ができるかもしれん。夢のような話じゃが、今はそれを信じるしかないじゃろう。


2013年5月12日日曜日

アベノミクスに対抗するには?


 野党があまりにも無能すぎてアベノミクスに対抗する方法を打ち出せません。しかし、代案ならあるはずです。正直なところ、安倍政権については、金融緩和や対中韓への外交については賛同するものの、TPPや労働規制緩和など新自由主義的な考えには違和感があります。とはいえ、野党はまるでダメなので、安倍政権を支持するしか選択肢がない状態です。では、これなら自民党以外の政党に投票しても良いと自分が思う政策は何かを書いてみます。

1 金融緩和は継続する。ただし直接家計におカネを投入する。

アベノミクスの緩和策は銀行を通じた貸付を増やすことで、供給サイドから経済を動かす方法です。これも悪くないのですが、もう一つの方法として需要サイドから経済を動かす方法もあります。それが国民へ買い物ポイントを配布する方法です。すべての買い物や飲食・サービスなどに対して50%の補助をします(生鮮食料品やエネルギーを除く)。ただし買い物しないと使えないポイントです。

財源は金融緩和つまり国債の買い取りですが、発行済み国債ではなく、政府の新規国債を直接に引き受けるわけです(政府通貨=10兆円コインでもよい)。もちろん民主党の子ども手当みたいにケチケチ配布しても無意味ですから、長期的かつ大胆に行います。たとえば、2年間継続で、世帯当たり毎月5万円分の買い物ポイント給付とかします。

2 消費税増税の凍結。インタゲ2%達成後に実施すると明言。

増税すれば景気は腰折れし、インフレターゲットの実現が遠のきます。逆に、インフレになってから増税すれば、消費税はインフレを抑える効果があるため、物価のコントロール処方として利用できます。これにより、実体経済の成長にマイナス影響を与えずに増税が可能になります。景気が後退し始めたら、消費税は減税します。

3 原発の即時再稼働。ただし脱原発を推進する条件付きで。

原発の再稼働により、エネルギーコストの増加を防ぐ必要があります。とはいえ、長期的には原発は地震国に建設するとリスクが高いので全廃を目指します。輸出産業としての原発を捨てる必要はないので、研究用の原子炉や国の支援は継続します。同時に、核兵器保有のための策も講じます。

大きくこの3つは、アベノミクスの反対の政策ではなく、同じ方向を向きつつ、明らかに別の内容を提案できます。しかも、家計を助け、増税を凍結するなど、国民に人気の出そうな政策ですから、これを行わない手はないと思うのですが、どういうわけか主張する政党が居ないのが不思議です。



2013年4月13日土曜日

TPP グローバリズムの向こうへ


 盲目的なグローバリズム信教の宣教師たるマスコミは、3兆円の農産物が減産しても、輸出が3兆円増えるからよいと主張しています。しかしそれは、日本の輸入依存度の比率を高め、国家としての経済的自立性をより失うことを意味するのです。グローバリズムの本質は「外国頼み」「海外依存体質」である事を忘れるべきではないでしょう。

<グローバリズムで硬直化する経済>

「海外依存体質」は、世界経済環境の激変に対してより「影響を被りやすくなる」事を意味し、世界的な不況の連鎖反応に脆弱になることを意味します。実際、この負の連鎖反応の悪影響はサブプライムローン崩壊の影響が金融を通じて全世界を不況に陥れた事実に如実に表れています。

もちろん、これは金融に止まらないでしょう。世界が相互依存を高めれば高めるほど、ある国で発生した問題は隣国に、そして多くの他国に波及し、連鎖的に人々を不幸にします。不幸の連鎖反応です。そしてフリーダムの世界ではこれを阻止する「規制」はなくなります。規制は「悪」と決めつけられ、次々に磔にされてきました。もちろん無意味かつ不要な規制もあるでしょう。しかし、フリーダムの世界における規制の要・不要の判断基準は「カネ」です。投資に対する利潤の最大化が判断基準であり、人々の幸福度ではありません。

そのグローバリズムの先端を走るEUでは何が起こったか?「見えざる神の手」が次々と弱小国家を蹂躙するおぞましき姿が宣教師マスコミの目には入らないのです。弱小国家は「努力が足りないので滅びるべし」。だが本当に努力の問題でしょうか?カネの問題ではないのですか。

<通貨安戦争の原因はグローバリズム>

なぜ通貨安戦争が問題となるのか?それもグローバリズムが原因でしょう。通貨安戦争は、全世界が輸出依存体質になっている証拠です。別の角度から言えば、通貨安戦争は輸出戦争と言えるからです。「お前は俺の製品を買え」「お前こそ買え」という全世界押し売り戦争です。それでも宣教師マスコミはおかしいと思わないようです。

そんなに輸出してどうするのか。そもそも輸出とは国内では賄う事のできない貴重な資源を輸入するために必要十分なだけ行われるのが基本でしょう。にも関わらず、世界じゅうの国々がどんどん輸出したいという。供給過剰になるのは当たり前です。そんなバカげた争いがグローバリズムの実態なのです。そんなに「カネ」が欲しいのでしょうか?~ああ、欲しいとも。カネはいくらでも欲しい。

<グローバリズム崇拝を乗り越えて先へ進め>

森も山も、じゃまになるものはすべて取り払った、ただ真っ平らな荒野を「神の見えざる手」が駆け巡っています。これがフリーダムのイメージです。あるいは、すべて整地され、アスファルトで固められた大平原でしょうか。そこに球体を置けば、自由に、どこへでも転がることができます。障害物は何もありません。自由です。

日本は、いや世界は「グローバリズム崇拝」の巨大な圧力にさらされています。もちろんその目的は「カネ」です。サブプライムローンをはじめとする金融の貪欲な金儲け主義が世界の経済を大混乱に陥れたにもかかわらず、なぜ金融の根本的な制度の見直しが行われないのか?議論すらない。その偽善の理由は簡単です。金融がカネを生むからです。

グローバリズムは「カネを増やすだけで、何も解決しない」。

国民もそろそろ金融とグローバリズムの茶番に気づき、
新たな経済の仕組みを本気で模索する時代に入ったと思います。
そう思う人は、着実にふえつつあります。

2013年3月20日水曜日

キプロス預金課税~動き出した世界

 デフォルト危機に陥ったキプロスへEUが行う融資支援の条件として、キプロス国内の銀行口座の預金に最大10%の課税を求めることがEU財務相会議で決まりました。この提案はキプロス議会で否決されてしまいましたが、それでもこの提案が打ち出されたことの意味は極めて大きいと思われます。なぜなら、どれほど資産家が預金を膨大に貯め込んでいても、これまでは決して課税対象とされたことがなかったからです。地球を丸ごと買い取るほどのマネーが世界に溢れているにもかかわらず。つまり預金は決して課税されることのない、資産家にとっての「聖域」だったのです。

 この預金という聖域に切り込むEU財務相の決定は世界に前代未聞の衝撃を与えました。日本のマスコミや評論家は今やTPPで大騒ぎしているため、あまり気が付いていないようですが、これは世界の常識が変化する可能性を示唆しているのです。 

 <キプロス預金課税は「銀行戦争」か?>

 今回の預金課税を正当化する理由として掲げられたのはキプロスの「タックスヘイブン」を利用したロシア資産家のマネーロンダリングへの対処です。キプロスの銀行ではロシア資産家から非常に不透明な資金が莫大に入金され、運用されていたという話です。いかにも悪そうな話に聞こえますが、しかし、このようなマネーロンダリングはユーロ危機以前から存在していたはずで、なぜその時点で放置してきたのかが疑問です。「今頃になって気付いた」などという間抜けな嘘は通用しません。こうなる事を予測して放置した可能性もあるでしょう。つまり「銀行戦争」です。キプロスの銀行を潰すためです。

 実際、ロイター3月9日付けのコラム「キプロスの預金課税が正しい理由」という記事において、金融危機に際して銀行救済をしなかった(つまり銀行を潰した)アイスランドを例に挙げて、これを肯定的に紹介しています。
 http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPTYE92I05G20130319?pageNumber=2&virtualBrandChannel=0

 そして、ブルームバーグでは預金への課税にドイツ財務省が強く関与しているという話を紹介しています。
 http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MJW6HF6JIJUY01.html

 しかし、マネーロンダリングも金融に過度に依存した島国「アイスランド」「キプロス」の姿も、程度の差こそあれ世界中にあるわけであり、彼らだけを「悪」と決めつけることができるのでしょうか? 資本主義は競争社会ですから、あらゆる機会を利用して競合他社を排除しようとするのは当然です。そしてそれは「同じ通貨圏」なら国境を越えて容易に行う事ができる。グローバリズムです。金融の暗黒面を批判した日本のアニメ「C The Money of Soul and Possibility Control.」で語られるセリフ「カネは血のにおいがする」を思い出さずにはいられません。 

<緊縮財政地獄ギリシアよりは良い措置?>

 IMFが融資を行う条件として課してきたのは「緊縮財政」です。しかし緊縮財政は通貨の循環量を減らすことになり、経済が衰退し、とりわけ低所得者に対して過酷です。緊縮財政で失業者が溢れ、社会保障も切り捨てられるからです。しかもこれが何年も何年も続く可能性がある。むしろアルゼンチンのように「破綻して借金を踏み倒した方が経済の再生が早い」のです。アルゼンチン経済は一時的に混乱したものの、破たんしたおかげでむしろ絶好調になりました。

 しかし、破たんの道を選ばないなら緊縮財政しかない。それが今までは常識とされてきたのです。ところがキプロス支援では緊縮財政をもとめず、預金への課税を求めてきた。預金は通貨ストックですから、これを失っても緊縮財政のように、通貨の循環量が極端に減ることはありません。つまり過度に経済が冷え込むことはないのです。しかもその損失は低所得者よりもむしろ富裕層が主に引き受ける事になります。富裕層ほど大量の預金を保有しているからです。

 これは緊縮財政であえぐギリシアやスペインよりも、キプロスの多くの国民にとってはありがたい方法論なのかも知れません。もちろん富裕層や銀行の猛烈な反対運動が起こるのは当然でしょう。聖域である既得権を失うからです。 ところで、預金課税を広く拡大してゆくと、取り付け騒ぎが発生する可能性があります。取り付け騒ぎが起こると銀行は簡単に破綻します。

もともと預金は現金から派生した通貨ですから、圧倒的に預金のほうが現金より多い。預金を引き出す、つまり預金を現金に交換すると、たちどころに現金が不足する。これを防止する方法はただ一つ。すべての通貨を現金にすること。すなわち「政府通貨」です。 

 <驚くべき可能性>

 資産家と銀行の聖域である「預金」へ課税するという衝撃。キプロス融資の条件として発表された預金課税を「検討が不十分な政策」と批判する向きもあります。本当に検討が不十分なのでしょうか?預金課税が世界の金融システムにどれほど衝撃を与えるメッセージであるかは、素人でもほとんど瞬間的にわかるレベルであり、検討が不十分どころか、むしろ極めて十分に検討された上での発表であると考えるのが自然です。このメッセージがどのような権力を背景に出されたものであるかはわかりませんが、今までの常識を覆す「何か」が起こりつつあると考えるべきでしょう。日本のマスコミも識者もほとんど語りませんが、それを連想させるニュースが昨年ありました。

 2012年8月、IMFが民間銀行の信用創造(預金創造)の停止と100%政府通貨についてのレポートを紹介しました。しかもレポートの内容は驚くべきもので、100%政府通貨により政府債務が無くなり、国債デフォルトや信用危機の問題が解決されて、GDPが10%も増加するというのです。つまり、信用創造の停止と100%政府通貨を肯定したレポートをIMFが紹介したのです。これは単なるレポートですからキプロス預金課税のように世界的な騒ぎにはなりませんでしたが、銀行の親玉であるIMFが銀行の存在を脅かすレポートを紹介するなど信じられない出来事です。そして、今回はレポートではなく「預金課税」という強制力を伴う判断が示されました。 

何かが変化しています。
 もちろんそれはTPPなどのグローバリズムと無関係ではないでしょう。


2013年3月17日日曜日

TPPは国家弱体化への道

TPPで国家が繁栄するといます。確かに「カネ」という守銭奴的価値観によれば繁栄するかに見えるかも知れません。しかし、それが真の意味で国家の繁栄と言えるか、つまり、「カネ」に走ることが国家の繁栄なのか、問われるべきと思うのです。

<効率化は弱体化と表裏一体>

グローバリズムは国際分業という考え方に基づくのでしょう。それは世界全体としての生産性を高めるかも知れません。しかし、それは同時に世界が相互依存性を高める事であり、逆に言えば、国家としての経済的な独立性を失う過程でもあるのです。

たとえば、食料はアメリカとオーストラリアが生産し、自動車は日本が生産し、石油はサウジアラビアが生産するというような分業になったとしましょう。すると生産効率が高まり、商品単価が低下し、余剰生産力を新たな産業へ振り向ける可能性も生まれます。確かにこれだけ見れば良いことのように思われるかも知れません。

しかし、このときすでに、自国は他国に依存することなしに生きられない。
経済的な独立性を完全に失うのです。
これは極めて危険です。

<事件が起これば一気に連鎖崩壊する>

このような時、たとえばアメリカの穀倉地帯が異常気象で壊滅したらどうなるか?その影響は全世界を襲います。高度に分業化されているため、逃げることはできません。アメリカがダメになったら、世界は終わり。それが分業体制の極めて大きなリスクなのです。

一方、現在の日本のように貿易依存度が低く、自前主義で経済的な独立性が高ければ、確かに生産効率は落ちるかも知れません。しかしアメリカの食糧が全滅しても日本は生き残れる。日本の農業の効率化はTPPと無関係に推進されるべき事でしょう。しかし、それはあくまでも「カネ」のためではありません。リスクへの対処のためなのです。

<グローバリズム(効率化)は人類滅亡へのプロローグ>

今から遥か6500万年前、地上で大繁栄していた恐竜は絶滅しました。なぜでしょう?恐竜の繁栄の背景には無駄を徹底して排除し、環境へ適応した生物の姿がありました。環境が安定していれば、効率化=特殊化は生物の生存にとって有利であり、繁栄をもたらします。ただし、あまりにもその環境に適応して特殊化が進んでしまうと、環境が変化しても、もはやその変化を受け入れるだけの柔軟性は失われてしまいます。隕石衝突のような環境の変化があれば、あえなく絶滅します。

そして生き残ったのは、原始的な哺乳類。
原始的とは、まだ特殊化が進んでいない状態です。
つまり、非効率的ですが、何にでも対応できる柔軟性を持っています。

TPPをはじめ、グローバル化は世界の国々を分業化し特殊化を進めます。
それにより生産効率は高まり、カネは儲かるかもしれません。
しかし、国家としての柔軟性を失い、巨大なリスクを抱える事になるのです。



2013年3月10日日曜日

カネのちからを知り、新しい時代を作ろう

新しい時代へのビジョンはまだ描ききれません。しかし、そこへ至るための一つのステップとして金融制度改革(通貨改革)がきわめて重要な役割を果たすだろうことに自分は確信を持っています。通貨の性質を数年にわたり考察してきた結果、市場経済を主体とするシステムにおいては、通貨こそが経済のすべてをコントロールする鍵であると確信するに至りました。そしてリフレ政策の重要性を数年前から主張してきましたが、予想通り、安倍政権の「金融政策」で日本経済は劇的に変わろうとしています。カネはちからなり。カネは経済システムのすべてをコントロールし、支配する根本的な力なのです。

<20年のデフレ不況で学んだ国民>

金融制度の善し悪しがどれほど経済に大きな影響を与えるか?多くの日本国民はそれを安倍政権の金融緩和のもたらした威力で知ることとなったでしょう。なぜこれほどまでにカネが力を持つのか?それはカネが人を動かすからです。富とは人が動く(働く)ことで生み出されます。たとえそのカネが偽札であろうと、結果として人が動けば富が生み出されるのです。逆に言えば、どれほど優秀な人が多数いても、カネが無ければ富は何も生まれません。人が動かないからです。

もし、そんな強力な威力を持つカネ、つまり金融制度が「間違っていたら」どうなるのか?それも我々国民は20年間のデフレで学んだはずです。日銀の間違った金融政策がどれほど日本を苦しめたか?そして過去の政権が行った膨大な公共投資も、労働規制緩和も、富裕層の減税も、何の効果ももたらさなかった。ところが安倍が「金融緩和する、日銀法改正も辞さない」と言っただけで、今まで何をしても変わらなかった歯車が逆回転を始めたのだ。まさしくレジームの転換だった。これがカネのちからだ。

<国民の金融制度への無知は国を滅ぼす>

いまこそカネのちからを痛感し、国民は「金融制度」に真剣なまなざしを向けるべき時です。カネが世界を変える。そのカネの仕組みとはいかなるものなのか?ところが、大多数の国民は金融制度(通貨制度)についてほとんど「無知」なのです。驚くべき事に、およそ小学生のレベルを脱しません。嘘だと思うなら、偉そうな説教をたれる会社の上司に「準備預金制度」について訊ねてみましょう。ほぼ確実に何も答えられないでしょう。それなら、もっと簡単なところで「紙幣と硬貨の起源の違い」について上司に訊ねてみてください。「紙と金属の違い」と答えたら幼稚園レベルです。

国民はもっと金融制度を勉強し理解しなければなりません。 金融制度を知らなかったために、われわれは日銀に騙され続け、
20年もデフレに苦しめられてきたのです。

カネのちからを知る、新しい時代はそこから始まるのです。


革新政党なき時代の保守政党の争い


日本の政治には革新政党がありません。もちろん中道もありません。あるのは保守政党と宗教政党(共産宗教含む)だけです。国民が革新を望んで政権を託した民主党は、蓋をあけてみるととんでもない保守=シロアリ集団だった。「保守亜流」の民主党に今更国民が望むものは何一つありません。

<民主党は保守亜流のシロアリ集団>

自民党の支持率が高いのは当然です。安倍政権が最優先に打ち出した「金融政策」へのコミットメントが市場に大きな影響を与え、それまで民主党の財務相が必死にわあわあ言っても何の効果もなかった為替相場があっという間に円安となり、株価が上昇して日本経済に明るい兆しが表れ始めました。国民が望んでいたのはこれなのです。

民主党への政権交代前から、金融緩和=リフレ政策の有効性が説かれていました。しかし、当時の自民党はおよび腰だった。だから、政権交代の時に革新であるべき民主党が、すかさず金融緩和を成すべきであったのです。ところが、あろうことか民主党は財務省・日銀のシロアリ集団に取り込まれ、緊縮財政の鬼「与謝野」を喜んで招き入れ、消費税の増税を強行し、泥沼の円高・デフレ不況へと日本経済を陥れたのです。これは典型的な「悪い保守」です。

そして民主党はTPPをなりふり構わぬ推進しました。TPPは保守です。なぜならグローバル経済とは目新しい考えではなく、すでに保守化した概念にすぎないからです。最近は「グローバルに動くことが常識」と多くの人が思い込んでいますので、それは保守(既成の価値観)なのです。その保守概念のままに、猪突猛進した野田は典型的な「保守」です。革新とは「既成の価値観を破壊し新たな価値観を構築すること」です。そのような政党は日本から死滅しました。

<日本は保守政党だらけ>

革新とは「既成の価値観を破壊し新たな価値観を構築すること」です。そのような政党は日本には一つもありません。具体的に考えてみましょう。

(保守)別名:右派、資本主義
自民党、民主党、みんなの党、維新の会、公明党

あえてこの単純なフレームで切り取るのは、新聞などが好んで利用する単純なフレーズであり、それが国民の意識を深く支配しているからです。自民党も民主党もみんなの党も維新の会も公明党もすべて保守です。もちろん違いはありますが、所詮は保守の派生形に過ぎません。だから「国民はどの政党も同じに見える」のです。民主党がなぜ独自色を打ち出すのに窮するのか?それは自民と同じ保守だからです。

<日本にあるのは革新ではなく「改革」だけ>

同じ保守でも「改革」という点で政党間に違いがあります。しかし、あくまでも改革は改革であり革新ではありません。たとえば安倍政権は明らかに「改革派」です。しかし既存の経済・社会のシステムの枠内でのみ変化を求めます。だから改革なのです。維新の会も同様です。橋下は安倍よりもさらに強い改革を唱えます。一方で民主党は「反改革派」です。金融緩和に反対し、緊縮財政を堅持せよという、まさに保守の中の保守として振る舞っています。アメリカでは保守政党である共和党の政策がこれと同じです。

<自民と民主の違いは「親米」か「新中」かの違いだけ>

右派・左派という概念はすでに時代遅れにすぎません。その実体は、イデオロギーを隠れ蓑とした「親米派」と「新中国派」の対立であったのです。共産主義のイデオロギーが崩壊したにも関わらず、新聞は未だに右派とか左派とか騒いでいる。変だと思ってよく観察してみると、右派・左派対立は保守とか革新とか、資本主義とか共産主義とかいう対立ではなかった。バックにいる国が資本主義か共産主義かという違いがあっただけなのです。

ですから、本来は革新であるはずの日本の民主党の主張が米国の保守である共和党と類似したり、逆に米国の革新政党である民主党の主張が日本の保守である自民党と類似したりという変な現象が普通に起きるのです。

もはや右派も左派も保守も革新もあったものではありません。その違いは「背景にある勢力(創価学会・外国含む)」なのです。政治は腐りきっています。

<共産党は宗教政党>

共産党が革新であると思うなら、それはとんでもない勘違いでしょう。彼らは共産主義という宗教団体です。神の教えを書いた小冊子を配っている連中と同じで、信じる者の精神は救われるかも知れませんが、世の中を変えることは何もできません。仏壇に向かって「マルクスありがたや・マルクスありがたや」と唱えても現世の人々は救われないのです。

資本主義を超えるためには、資本主義を熟知し、資本主義をコントロールするすべを持たねばなりません。むしろ自民党よりも優れて資本主義をコントロールできなければなりません。そのための究極の知識、資本主義的マクロ経済理論を持たねばなりません。そしてその理論を使って国を富ませ、政権を担ってこそ社会変革が可能となるのです。それこそが野心です。野望です。風車の突撃するドンキホーテではダメなのです。

共産党だからといって最初から死ぬまで共産主義に固執するのは愚かです。

<革新のビジョンが無いという悲劇>

なぜ日本に革新政党が無いのか。これは日本に限られた事ではなく、世界的にも同様だと思います。そのむかし、資本主義の発展形として革新の姿を人々に指し示したかに見えた共産主義は自己崩壊し、もはや世界に革新の価値観が失われてしまったのです。人々は次なる時代の方向性を見失い、政党が乱立し、それこそ「全世界的に決められない政治」になっているのです。

しかしマスコミでは紹介されることのない多くの革新的なアプローチがインターネット上で胎動しています。マスコミは保守の典型であり、革新的な価値観は決して紹介されません。新聞、雑誌、そのた大手マスコミの扱うものはすべて保守です。革新の目指すべきビジョンは、そのヒントすらマスコミから得ることはできないでしょう。

国民はマスコミを捨て、インターネットの世界に出なければなりません。
そこには虚実や罵詈雑言が飛び交っています。
しかしそんなものは、意に介しません。
なぜなら宝石の原石はそこにしかないからです。

<民主党を倒して真の革新政党を>

日本には革新政党がありません。日本には革新政党が必要です。しかし民主党は完全な保守政党です。中道どころか、保守中の保守です。にもかかわらず、いまだに民主党に革新の期待を寄せる国民が居るとすれば、これは日本の真の革新にとって欺瞞でしかありません。

エセ革新政党である民主党を一人残らず雲散霧消させ、日本に真の革新政党を誕生させましょう。もちろん道のりは単純ではありません。民主党は放置しても自滅するでしょうが、失われた「革新のビジョン」を作らねばならないからです。それはもちろん資本主義の次の段階のビジョンでなければなりません。

バブルとバブル崩壊を繰り返し、デフレで自殺者を数万人も生み出す資本主義が「人類至高のシステム」と言えるでしょうか?永久に成長(拡大)しなければ維持不可能な資本主義に地球環境が耐えられるでしょうか?

国民はマスコミを捨て、インターネットの世界に出なければなりません。
そこには虚実や罵詈雑言が飛び交っています。
しかしそんなものは、意に介しません。


なぜなら宝石の原石はそこにしかないからです。




2013年1月6日日曜日

経済の本質は「物々交換」 ゆえにインフレは怖くない


経済をおカネで考えるのが現在の主流ですが、その思考法だけに頼ると経済の本質が見えなくなると思われます。そもそもおカネに価値はなく、財と交換できるという約束、信用があるだけの存在です。にもかかわらず、おカネを財と同様の価値あるものとの前提に立つ経済学は、おカネがおカネを生む虚構の経済活動を正当化し、人々を実体のないカネ中心の経済論争に巻き込む危険性があると思われるからです。

<経済の本質は物々交換>

私たちの生活はおカネではなく、消費財を消費する事で成り立っています。それらは財(商品やサービス)と呼ばれます。世間ではおカネも「財産」と呼ばれたりするのでややこしいのですが、おカネは財ではありません。財とはあくまでも私たちの生活を直接支える「モノ」です。そしてこれらのモノは人々が労働して作り出したものです。流通や販売なども、このモノの一部と考える事ができるでしょう。そして、市場という場で、おカネという媒体を用いてモノを交換しあう事で多くの人々に消費財が分配され、経済が成り立ちます。

ですから、経済は物々交換が基本であり、おカネはその媒体です。当たり前の事です。ところが、経済の話になると、なぜかこの基本が忘れ去られて、おカネのやり取りの話が中心に躍り出てきます。モノの生産や分配という本質は捨て置かれ、おカネの収支だとか、おカネの価値(インフレ・デフレ)で経済を論じようとするのです。しかしおカネはモノと交換できる信用によって価値を維持しているのです。モノの生産と分配をほったらかして、おカネの話などいくら論じたところでナンセンスです。まずモノの生産と分配のシステムを活性化することが先決であり、そのためにおカネとはどうあるべきかを考える必要があると考えます。

<物々交換にはインフレもデフレも関係ない>

物々交換の経済には基本的にインフレもデフレもありません。おカネを介さずモノとモノを交換するのですから当然といえば当然です。昨日までニンジン10本と交換できた卵が、あすはニンジン12本、あさってはニンジン15本・・・というように、交換比率がどんどん増える、なんて事は、鳥インフルエンザでニワトリが全滅でもしないかぎり普通ありえません。ニンジンを受け取る側が、そんなにニンジンをもらっても仕方ないですから。ニンジンは腐ってしまいますから、必要以上に交換比率を吊り上げる人はいません。一方、おカネは腐る事がありませんから、いくらでも交換比率は上昇します。インフレです。

もちろん物々交換でも「作りすぎ」という問題が発生するかも知れません。あまりに多くの人が同じモノを作ると余ってしまい「もういらない」といわれてしまう。そんな時は作らなければ良いのです。一方で不足しているモノがあるなら、手分けしてそれを作ればよいのです。人々が分業して必要なモノをすべて作り出すことができれば、モノ不足は解消し、すべての人々に必要な消費財が行き渡ります。人々は生産者であると同時に消費者です。そして、人々が必要だと考えているモノがすべて満たされたなら、何もそれ以上に働く必要はありません。健康を損なうほど必要以上に働いてモノを生産しても無駄に腐るだけです。これは物質的に腐敗する事がない電子機器や家電製品でも同じです。技術の進歩で時間と共に商品が陳腐化するからです。

<インフレで貧しくなる原因は物価高ではなく賃金格差>

経済の基本が物々交換であるなら、たとえ交換におカネが介在したとしても同じ理屈が成り立つはずです。つまり、日本は生産力が十分に高く、人々の必要とするモノを作り出す能力が十分にありますから、モノ不足は生じません。モノは余るほどあるのですから、それを交換し合うだけでよいわけです。それが市場の役割です。

従って、仮にインフレになった場合でも、モノの値段は上がりますが、モノの量は不足しません。おカネの価値が下がったところで、人々が貧しくなる理由は何もありません。モノ不足による貧困は、途上国のように生産能力が低すぎる場合に発生する問題です。モノが十分にあるにも関わらず、人々にモノが十分に行き渡らないとすれば、それはインフレが原因なのではなく、市場の分配機能が麻痺している事が原因です。

通貨は消費者と生産者の間でぐるぐると循環しています。通貨循環です。モノの値段が上がるとモノが売れた時に生産者の受け取るおカネの量が増えます。高く売れるのですから、生産者の売上げは増えます。この場合、生産者は企業という事になりますが、企業は労働者が働く事で成り立っており、企業の受け取るおカネの量が増えれば、必然的に労働者すなわち消費者に分配されるおカネの量も増える事になります。原材料の仕入れ先から会社役員や株主まで含めてこれを生産に関与する労働者として捉えるなら、企業の受け取ったおカネはそれらの人々にすべて行き渡ります。これがキチンと機能するなら、インフレでモノの値段が上がっても、消費者の所得も増加し、モノが買えなくなる事はないはずです(ただし、銀行への借金返済は考慮していません)。

とはいえ、支払われるおカネの分配比率によっては当然ながらインフレ率より多く所得の伸びる人や、インフレ率より少ない分しか所得の伸びない人が生じます。これは所得格差です。この格差が大きくなると、所得の少ない人は賃金が伸びてもインフレに追いつかず、実質的に貧しくなります。つまり、インフレの弊害は物価が上昇する事で発生するのではなく、支払われる賃金の格差によって発生します。一方で、所得が大きく伸びた人は、その伸びた所得の分だけ消費を増やすかといえば、実は増やしません。増やすのは貯蓄です。貧しい人が増えて、逆に貯蓄だけ伸びる。これは問題です。

<モノが不足しないのに物価は上がるのか>

市場原理で物価が上昇する場合、需要が供給を上回る状態がなければならないはずです。日本の供給力が十分にあってモノ不足が生じないなら、市場原理から言えばインフレなど生じないと考える事もできます。確かにタマネギやニンジンなどは、いくら庶民がおカネを持っていても二倍も三倍も食べるようになるわけではありませんから、そのような意味でのモノ不足は生じないでしょう。しかし、ニンジンやタマネギでも単価に差があります。立派なニンジンや上等なタマネギは単価が高いし、量も少ない。庶民におカネがたくさんあると、そのような単価の高い商品が売れるようになると考えられます。

つまり、庶民のおカネにゆとりが生まれると、より品質の高い、付加価値の高い商品へと売れ筋の価格帯がシフトする可能性があると思われます。実はバブル経済の華やかな時代、おカネが有り余った人々は高級品嗜好、本物嗜好となり、高額で品質の高い商品が飛ぶように売れました。おカネにゆとりがあれば、高くても良いモノが欲しい。高くても自然食品が食べたい、健康に良い食事がしたい、中国産ではなく、国産の商品が欲しい、そう思うものです。

このような「商品の高品質化」という形で物価上昇が生じるのであれば、それは人々を不幸にするでしょうか?安ければ良いというデフレの風潮。そして安いから品質は悪く、どこが産地かもわからない食品を食べることに甘んじる、それがデフレ。そんなのはごめんです。インフレがモノ不足ではなく、商品の高品質化、高付加価値化から生じるのであれば、消費者にとってむしろ望ましい変化であると思います。

もちろん、希少品の価格は需要が増えることで上昇すると思われます。高くて買えなくなる人も出るかも知れませんが、おそらく一時的な現象で終わると思います。なぜなら、売れ筋の商品なら、メーカーがこぞって参入するからです。日本の企業を甘く見てはいけません。このような産業に失業者が吸収され、日本の生産力が拡大し、景気は回復してゆきます。

また、余ったおカネは新商品の販売を促進します。新商品は希少なので、みんなが新商品に飛びつくと需要が追いつかず、価格は高くなるでしょう。このような新商品が既存の低価格商品を市場から駆逐しはじめると、物価は上昇すると考えられます。

このような動きは、庶民におカネが十分に行き渡らなければ生じないでしょう。日本の貧困率は15%、OECD加盟国ではアメリカについで高い社会になってしまいました。ですから、所得格差を緩和し、庶民の所得を増やさねばならない、一億総中流の社会へ戻さねばならないのです。そして目指すべきは「一億総上流」の社会です。

<円安による輸入価格上昇で購買力は低下するか>

民主党や一部のマスコミは通貨供給の拡大による「円安」が輸入品の価格を押し上げ、インフレで生活が苦しくなると主張しています。本当にそうでしょうか。もしおカネを増やした結果として円安になり、モノの価格が高くなったとしても、増やしたおカネが庶民に行き渡ることで所得が増えるなら、物価上昇の影響は相殺される事になります。もちろん、おカネの回り方によっては所得の増えるタイミングが早い人もいれば遅い人もいるでしょうから、人によっては一時的に影響を受けるでしょう。しかし長期的に見れば、おカネがきちんと世の中に回り続けるなら、やがて多くの人の所得が上昇します。ですから、問題はおカネを増やすことにあるのではなく、「おカネの循環を妨げる行為」にあるのです。せっかく増やしたおカネを誰かが貯め込めば、所得は減り、購買力は低下するでしょう。

さらに、円安になれば輸出産業が輸出を伸ばす事になります。これらの輸出産業は輸出代価として外貨を受け取りますが、この外貨を売って円を買い、それを国内の設備投資や従業員の給与の支払いへ振り向けます。すると、おカネの循環量が増大し、所得を押し上げます。また貿易黒字の拡大に伴い、外貨を売って円を買う圧力が高まるため、円安にも一定の抑制がかかります。

<物価が上がる事は本質的な問題ではない>

モノの「価値」とは、人々がそれをどれほど必要としているかで決まるものであり、本来はおカネとの交換レートである「価格」で決まるものではありません。インフレは、おカネとモノの交換レートが変化しているだけであり、モノの価値は何ら損なわれていません。経済はモノとモノを互いに交換する活動ですから、その交換の媒体物であるおカネとモノの交換レートすなわち価格が変化しても、交換には影響はありません。

たとえばりんごと靴下の値段が同じ100円だったとすれば、りんごを100円で売って、その100円で靴下を買うと、りんごと靴下の交換が成立します。さて、消費者物価が10倍になり、りんごの値段も靴下の値段も1000円に値上がりしたとします。りんごを1000円で売って、その1000円で靴下を買うと物価上昇前と何ら変わりなくりんごと靴下の交換ができます。

つまり、価格とは媒体物である通貨とモノの交換レートに過ぎないからです。交換レートである「価格」が変化しても、我々にとってのモノそのものの「価値」は依然として変わらないのです。

<インフレを恐れるな、格差こそ貧困化の原因>

以上のように、インフレで人々が貧しくなる理由などありません。もし貧しくなるとすれば、それは賃金格差が拡大する事によって生まれるのです。物事にはバランスが重要です。能力や実績に応じて所得に格差があって然るべきですが、かといって、高給マンションに住む人々とネットカフェ難民が同じ日本に同居する事が健全だとは思われません。一億総中流といわれ、世界的に格差の少ないといわれていた経済成長期の日本が、活力のない社会だったわけではありません。

おカネを増やし、それをいかにして循環させるか。
それが日本を救う唯一の方法です。


2013年1月4日金曜日

良いバラマキと悪いバラマキ

<バラマキって悪い事なの?>

Q:子供手当てや公共事業は、よく「バラマキだから悪い」と言われるけど、悪いことなのにゃ?

A:ほっほっほ、バラマキだから悪いというのは先入観じゃな。子供手当てが支給されれば子育て世帯は大助かりだし、公共事業が行なわれれば、雇用が生まれて失業者も減る。じゃから、バラマキそのものは決して悪い事じゃないんじゃ。良い事なんじゃよ。ただし、そのための財源が必要になるから簡単ではない。今はデフレ不況のために、財源となる税収が毎年落ち込んでおるからのお、バラマキの財源は借金で、という話になるのじゃ。じゃから借金でバラマキを続ける事は出来ないという話なんじゃよ。バラマキは良いとか悪いとかいう「善悪や道徳の問題」ではない。「バラマキ」と聞いただけで深く考えもせずに「悪い」と決め付けるのは思考停止なんじゃ。逆に、バラマキで税収が増えるという場合だってある。言うなれば「良いバラマキ」と「悪いバラマキ」があるわけじゃな。

Q:良いバラマキって何にゃん。人助けのことかにゃ?

A:確かにそういうのも必要じゃな。日本は地震やら台風やら、自然災害が多い。だから人々の生命を守るために公共事業を行うのは国家の大切な役割の一つじゃ。じゃが、国土がコンクリートで頑丈に強化されても、人々が貧しくなってしまったら本末転倒。だからバランスが大切なんじゃよ。

Q:じゃあ、他にはどんなバラマキが良いバラマキなのかにゃあ。

A:そうじゃな、企業の活動を促進して、国の生産力を増やすバラマキが良いバラマキじゃ。インフラというやつじゃ。道路や鉄道、通信網などは、それそのものが価値を生み出すことはないが、経済を活性化して財(商品やサービス)の生産を増やす働きがあるのじゃ。より多くの財(商品やサービス)が生み出されれば、GDPは増加し、つまり国民の手にする財の量も増加することになるんじゃよ。経済活動が活発になれば、世の中を回るおカネの量が増加するから、当然ながら税収も増える。これなら借金して投資しても、税金として戻ってくるから問題ないのじゃ。このような公共事業は決して無駄ではないぞ。むしろどんどん推進すべきじゃ。

Q:でも、日本のインフラは十分にあるのにゃ。もういらないにゃ。

A:インフラは確かに発達しておる。じゃが、老朽化したインフラは新しいものに作り変えていかなければならないのじゃ。それを怠っているとトンネルが崩落したりして経済活動に悪影響を及ぼすようになる。それに何といっても今後は原発の代替エネルギー開発じゃ。ひとたび事故を起こせば国土を荒廃させるような原発に依存することは極めて危険じゃ。しかも核燃料はすべて輸入に頼らざるを得ないため、日本のエネルギー依存度は一向に改善できないんじゃ。日本のエネルギーの自給率が4%なんて異常じゃろう。エネルギー自給率を高めるのは確かに時間はかかるがの、日本が世界情勢に振り回される事なく安定した国民生活を得るためには不可欠な事なんじゃ。メタンハイドレートは日本近海に大量にあるとされ、また自然エネルギーはすべて日本国内で調達できるから、これらの開発が急がれるのじゃ。

Q:でも自然エネルギーはコストが高いっていうにゃ。

A:だからこそ公共投資なのじゃ。民間需要主導では発注量が少ないため、量産効果でコストが下がるまでに相当時間がかかる。大規模な公共事業によって量産効果が現れると、導入コストも下がって民間も参入しやすくなる。その後は、民間主導に切り替えて行けばよいのじゃ。そのためにも、公共事業はザルではなく、しっかりした管理の下に効率的に行なわれ、技術開発が進められなければならないのじゃよ。

Q:じゃあ、悪いバラマキは?

A:使われない施設などを作る、むやみに河川や海岸をコンクリートで固めるなどじゃ。こういう分野におカネを使っても、経済活動を促進するわけではないので、財の生産も増えず、税収も増えない。財政を悪化させる事にもなりかねないのじゃ。じゃが、最初にも触れたように自然災害から人々を守るための必要な公共事業は行なわれなければならないのじゃ。それは、経済の「余力」で賄わねばならん。そのためにも、日本全体の経済が活性化しなければ、余力など生まれんのじゃ。

Q:子供手当てなどは悪いバラマキなのかにゃ。

A:そうとは言い切れんな。じゃが、民主党のやった子供手当てはまずい、あれでは子供など増えない。子供手当ての本来の目的は「子供を増やす」ことじゃ。本気で子供を増やしたいなら、一人目は出さず、二人目から、そして子供の数が増えるほど支給額も相乗的に増やす「成果主義」にするんじゃ。それなら三人目、四人目の子供を育てる意欲がわくじゃろ。子供は成長すれば将来の生産をになうのじゃ。財を生み出すのじゃ。じゃから、借金してでも子供を増やせば、必ず日本は良くなる。逆に言えば、子供が増えない子供手当ての制度は悪いバラマキなんじゃよ。

Q:でも、政府にはおカネがにゃいから、当面は借金でまかなうのかにゃ?大丈夫なのかにゃ。

A:ほっほっほ、じゃから日銀引受なんじゃよ。日銀引受なら財政は悪化しないんじゃ。前回も話したが、日銀は政府の銀行じゃ。政府の銀行から政府がいくらおカネを借りても借金にはならんのじゃ。通貨が増えるだけなんじゃよ。これを批判する人は「財政ファイナンスは禁じ手」などというが、何も悪い事ではない。それころか、自ら禁じ手を作って泥沼から抜け出せないまま水底に沈んで行くのは、馬鹿というものじゃ。そういう輩は、政府がカネを増やす事でインフレになると損をする連中なのじゃよ。じゃから必死にデフレを維持しようとしておるのじゃ。

Q:おカネが増えるとインフレになるの?

A:そうじゃな。一般的にはそう思われておるが、そんなに単純なことではないぞ。インフレの基本をしっかり理解しておらんと、ただ単純に「カネが増えればインフレになる」という思い込みに振り回されて、本質を見失う事になるのじゃ。基本をすっとばしてはいかん。

次回はインフレの話じゃ。