2013年3月20日水曜日

キプロス預金課税~動き出した世界

 デフォルト危機に陥ったキプロスへEUが行う融資支援の条件として、キプロス国内の銀行口座の預金に最大10%の課税を求めることがEU財務相会議で決まりました。この提案はキプロス議会で否決されてしまいましたが、それでもこの提案が打ち出されたことの意味は極めて大きいと思われます。なぜなら、どれほど資産家が預金を膨大に貯め込んでいても、これまでは決して課税対象とされたことがなかったからです。地球を丸ごと買い取るほどのマネーが世界に溢れているにもかかわらず。つまり預金は決して課税されることのない、資産家にとっての「聖域」だったのです。

 この預金という聖域に切り込むEU財務相の決定は世界に前代未聞の衝撃を与えました。日本のマスコミや評論家は今やTPPで大騒ぎしているため、あまり気が付いていないようですが、これは世界の常識が変化する可能性を示唆しているのです。 

 <キプロス預金課税は「銀行戦争」か?>

 今回の預金課税を正当化する理由として掲げられたのはキプロスの「タックスヘイブン」を利用したロシア資産家のマネーロンダリングへの対処です。キプロスの銀行ではロシア資産家から非常に不透明な資金が莫大に入金され、運用されていたという話です。いかにも悪そうな話に聞こえますが、しかし、このようなマネーロンダリングはユーロ危機以前から存在していたはずで、なぜその時点で放置してきたのかが疑問です。「今頃になって気付いた」などという間抜けな嘘は通用しません。こうなる事を予測して放置した可能性もあるでしょう。つまり「銀行戦争」です。キプロスの銀行を潰すためです。

 実際、ロイター3月9日付けのコラム「キプロスの預金課税が正しい理由」という記事において、金融危機に際して銀行救済をしなかった(つまり銀行を潰した)アイスランドを例に挙げて、これを肯定的に紹介しています。
 http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPTYE92I05G20130319?pageNumber=2&virtualBrandChannel=0

 そして、ブルームバーグでは預金への課税にドイツ財務省が強く関与しているという話を紹介しています。
 http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MJW6HF6JIJUY01.html

 しかし、マネーロンダリングも金融に過度に依存した島国「アイスランド」「キプロス」の姿も、程度の差こそあれ世界中にあるわけであり、彼らだけを「悪」と決めつけることができるのでしょうか? 資本主義は競争社会ですから、あらゆる機会を利用して競合他社を排除しようとするのは当然です。そしてそれは「同じ通貨圏」なら国境を越えて容易に行う事ができる。グローバリズムです。金融の暗黒面を批判した日本のアニメ「C The Money of Soul and Possibility Control.」で語られるセリフ「カネは血のにおいがする」を思い出さずにはいられません。 

<緊縮財政地獄ギリシアよりは良い措置?>

 IMFが融資を行う条件として課してきたのは「緊縮財政」です。しかし緊縮財政は通貨の循環量を減らすことになり、経済が衰退し、とりわけ低所得者に対して過酷です。緊縮財政で失業者が溢れ、社会保障も切り捨てられるからです。しかもこれが何年も何年も続く可能性がある。むしろアルゼンチンのように「破綻して借金を踏み倒した方が経済の再生が早い」のです。アルゼンチン経済は一時的に混乱したものの、破たんしたおかげでむしろ絶好調になりました。

 しかし、破たんの道を選ばないなら緊縮財政しかない。それが今までは常識とされてきたのです。ところがキプロス支援では緊縮財政をもとめず、預金への課税を求めてきた。預金は通貨ストックですから、これを失っても緊縮財政のように、通貨の循環量が極端に減ることはありません。つまり過度に経済が冷え込むことはないのです。しかもその損失は低所得者よりもむしろ富裕層が主に引き受ける事になります。富裕層ほど大量の預金を保有しているからです。

 これは緊縮財政であえぐギリシアやスペインよりも、キプロスの多くの国民にとってはありがたい方法論なのかも知れません。もちろん富裕層や銀行の猛烈な反対運動が起こるのは当然でしょう。聖域である既得権を失うからです。 ところで、預金課税を広く拡大してゆくと、取り付け騒ぎが発生する可能性があります。取り付け騒ぎが起こると銀行は簡単に破綻します。

もともと預金は現金から派生した通貨ですから、圧倒的に預金のほうが現金より多い。預金を引き出す、つまり預金を現金に交換すると、たちどころに現金が不足する。これを防止する方法はただ一つ。すべての通貨を現金にすること。すなわち「政府通貨」です。 

 <驚くべき可能性>

 資産家と銀行の聖域である「預金」へ課税するという衝撃。キプロス融資の条件として発表された預金課税を「検討が不十分な政策」と批判する向きもあります。本当に検討が不十分なのでしょうか?預金課税が世界の金融システムにどれほど衝撃を与えるメッセージであるかは、素人でもほとんど瞬間的にわかるレベルであり、検討が不十分どころか、むしろ極めて十分に検討された上での発表であると考えるのが自然です。このメッセージがどのような権力を背景に出されたものであるかはわかりませんが、今までの常識を覆す「何か」が起こりつつあると考えるべきでしょう。日本のマスコミも識者もほとんど語りませんが、それを連想させるニュースが昨年ありました。

 2012年8月、IMFが民間銀行の信用創造(預金創造)の停止と100%政府通貨についてのレポートを紹介しました。しかもレポートの内容は驚くべきもので、100%政府通貨により政府債務が無くなり、国債デフォルトや信用危機の問題が解決されて、GDPが10%も増加するというのです。つまり、信用創造の停止と100%政府通貨を肯定したレポートをIMFが紹介したのです。これは単なるレポートですからキプロス預金課税のように世界的な騒ぎにはなりませんでしたが、銀行の親玉であるIMFが銀行の存在を脅かすレポートを紹介するなど信じられない出来事です。そして、今回はレポートではなく「預金課税」という強制力を伴う判断が示されました。 

何かが変化しています。
 もちろんそれはTPPなどのグローバリズムと無関係ではないでしょう。


2013年3月17日日曜日

TPPは国家弱体化への道

TPPで国家が繁栄するといます。確かに「カネ」という守銭奴的価値観によれば繁栄するかに見えるかも知れません。しかし、それが真の意味で国家の繁栄と言えるか、つまり、「カネ」に走ることが国家の繁栄なのか、問われるべきと思うのです。

<効率化は弱体化と表裏一体>

グローバリズムは国際分業という考え方に基づくのでしょう。それは世界全体としての生産性を高めるかも知れません。しかし、それは同時に世界が相互依存性を高める事であり、逆に言えば、国家としての経済的な独立性を失う過程でもあるのです。

たとえば、食料はアメリカとオーストラリアが生産し、自動車は日本が生産し、石油はサウジアラビアが生産するというような分業になったとしましょう。すると生産効率が高まり、商品単価が低下し、余剰生産力を新たな産業へ振り向ける可能性も生まれます。確かにこれだけ見れば良いことのように思われるかも知れません。

しかし、このときすでに、自国は他国に依存することなしに生きられない。
経済的な独立性を完全に失うのです。
これは極めて危険です。

<事件が起これば一気に連鎖崩壊する>

このような時、たとえばアメリカの穀倉地帯が異常気象で壊滅したらどうなるか?その影響は全世界を襲います。高度に分業化されているため、逃げることはできません。アメリカがダメになったら、世界は終わり。それが分業体制の極めて大きなリスクなのです。

一方、現在の日本のように貿易依存度が低く、自前主義で経済的な独立性が高ければ、確かに生産効率は落ちるかも知れません。しかしアメリカの食糧が全滅しても日本は生き残れる。日本の農業の効率化はTPPと無関係に推進されるべき事でしょう。しかし、それはあくまでも「カネ」のためではありません。リスクへの対処のためなのです。

<グローバリズム(効率化)は人類滅亡へのプロローグ>

今から遥か6500万年前、地上で大繁栄していた恐竜は絶滅しました。なぜでしょう?恐竜の繁栄の背景には無駄を徹底して排除し、環境へ適応した生物の姿がありました。環境が安定していれば、効率化=特殊化は生物の生存にとって有利であり、繁栄をもたらします。ただし、あまりにもその環境に適応して特殊化が進んでしまうと、環境が変化しても、もはやその変化を受け入れるだけの柔軟性は失われてしまいます。隕石衝突のような環境の変化があれば、あえなく絶滅します。

そして生き残ったのは、原始的な哺乳類。
原始的とは、まだ特殊化が進んでいない状態です。
つまり、非効率的ですが、何にでも対応できる柔軟性を持っています。

TPPをはじめ、グローバル化は世界の国々を分業化し特殊化を進めます。
それにより生産効率は高まり、カネは儲かるかもしれません。
しかし、国家としての柔軟性を失い、巨大なリスクを抱える事になるのです。



2013年3月10日日曜日

カネのちからを知り、新しい時代を作ろう

新しい時代へのビジョンはまだ描ききれません。しかし、そこへ至るための一つのステップとして金融制度改革(通貨改革)がきわめて重要な役割を果たすだろうことに自分は確信を持っています。通貨の性質を数年にわたり考察してきた結果、市場経済を主体とするシステムにおいては、通貨こそが経済のすべてをコントロールする鍵であると確信するに至りました。そしてリフレ政策の重要性を数年前から主張してきましたが、予想通り、安倍政権の「金融政策」で日本経済は劇的に変わろうとしています。カネはちからなり。カネは経済システムのすべてをコントロールし、支配する根本的な力なのです。

<20年のデフレ不況で学んだ国民>

金融制度の善し悪しがどれほど経済に大きな影響を与えるか?多くの日本国民はそれを安倍政権の金融緩和のもたらした威力で知ることとなったでしょう。なぜこれほどまでにカネが力を持つのか?それはカネが人を動かすからです。富とは人が動く(働く)ことで生み出されます。たとえそのカネが偽札であろうと、結果として人が動けば富が生み出されるのです。逆に言えば、どれほど優秀な人が多数いても、カネが無ければ富は何も生まれません。人が動かないからです。

もし、そんな強力な威力を持つカネ、つまり金融制度が「間違っていたら」どうなるのか?それも我々国民は20年間のデフレで学んだはずです。日銀の間違った金融政策がどれほど日本を苦しめたか?そして過去の政権が行った膨大な公共投資も、労働規制緩和も、富裕層の減税も、何の効果ももたらさなかった。ところが安倍が「金融緩和する、日銀法改正も辞さない」と言っただけで、今まで何をしても変わらなかった歯車が逆回転を始めたのだ。まさしくレジームの転換だった。これがカネのちからだ。

<国民の金融制度への無知は国を滅ぼす>

いまこそカネのちからを痛感し、国民は「金融制度」に真剣なまなざしを向けるべき時です。カネが世界を変える。そのカネの仕組みとはいかなるものなのか?ところが、大多数の国民は金融制度(通貨制度)についてほとんど「無知」なのです。驚くべき事に、およそ小学生のレベルを脱しません。嘘だと思うなら、偉そうな説教をたれる会社の上司に「準備預金制度」について訊ねてみましょう。ほぼ確実に何も答えられないでしょう。それなら、もっと簡単なところで「紙幣と硬貨の起源の違い」について上司に訊ねてみてください。「紙と金属の違い」と答えたら幼稚園レベルです。

国民はもっと金融制度を勉強し理解しなければなりません。 金融制度を知らなかったために、われわれは日銀に騙され続け、
20年もデフレに苦しめられてきたのです。

カネのちからを知る、新しい時代はそこから始まるのです。


革新政党なき時代の保守政党の争い


日本の政治には革新政党がありません。もちろん中道もありません。あるのは保守政党と宗教政党(共産宗教含む)だけです。国民が革新を望んで政権を託した民主党は、蓋をあけてみるととんでもない保守=シロアリ集団だった。「保守亜流」の民主党に今更国民が望むものは何一つありません。

<民主党は保守亜流のシロアリ集団>

自民党の支持率が高いのは当然です。安倍政権が最優先に打ち出した「金融政策」へのコミットメントが市場に大きな影響を与え、それまで民主党の財務相が必死にわあわあ言っても何の効果もなかった為替相場があっという間に円安となり、株価が上昇して日本経済に明るい兆しが表れ始めました。国民が望んでいたのはこれなのです。

民主党への政権交代前から、金融緩和=リフレ政策の有効性が説かれていました。しかし、当時の自民党はおよび腰だった。だから、政権交代の時に革新であるべき民主党が、すかさず金融緩和を成すべきであったのです。ところが、あろうことか民主党は財務省・日銀のシロアリ集団に取り込まれ、緊縮財政の鬼「与謝野」を喜んで招き入れ、消費税の増税を強行し、泥沼の円高・デフレ不況へと日本経済を陥れたのです。これは典型的な「悪い保守」です。

そして民主党はTPPをなりふり構わぬ推進しました。TPPは保守です。なぜならグローバル経済とは目新しい考えではなく、すでに保守化した概念にすぎないからです。最近は「グローバルに動くことが常識」と多くの人が思い込んでいますので、それは保守(既成の価値観)なのです。その保守概念のままに、猪突猛進した野田は典型的な「保守」です。革新とは「既成の価値観を破壊し新たな価値観を構築すること」です。そのような政党は日本から死滅しました。

<日本は保守政党だらけ>

革新とは「既成の価値観を破壊し新たな価値観を構築すること」です。そのような政党は日本には一つもありません。具体的に考えてみましょう。

(保守)別名:右派、資本主義
自民党、民主党、みんなの党、維新の会、公明党

あえてこの単純なフレームで切り取るのは、新聞などが好んで利用する単純なフレーズであり、それが国民の意識を深く支配しているからです。自民党も民主党もみんなの党も維新の会も公明党もすべて保守です。もちろん違いはありますが、所詮は保守の派生形に過ぎません。だから「国民はどの政党も同じに見える」のです。民主党がなぜ独自色を打ち出すのに窮するのか?それは自民と同じ保守だからです。

<日本にあるのは革新ではなく「改革」だけ>

同じ保守でも「改革」という点で政党間に違いがあります。しかし、あくまでも改革は改革であり革新ではありません。たとえば安倍政権は明らかに「改革派」です。しかし既存の経済・社会のシステムの枠内でのみ変化を求めます。だから改革なのです。維新の会も同様です。橋下は安倍よりもさらに強い改革を唱えます。一方で民主党は「反改革派」です。金融緩和に反対し、緊縮財政を堅持せよという、まさに保守の中の保守として振る舞っています。アメリカでは保守政党である共和党の政策がこれと同じです。

<自民と民主の違いは「親米」か「新中」かの違いだけ>

右派・左派という概念はすでに時代遅れにすぎません。その実体は、イデオロギーを隠れ蓑とした「親米派」と「新中国派」の対立であったのです。共産主義のイデオロギーが崩壊したにも関わらず、新聞は未だに右派とか左派とか騒いでいる。変だと思ってよく観察してみると、右派・左派対立は保守とか革新とか、資本主義とか共産主義とかいう対立ではなかった。バックにいる国が資本主義か共産主義かという違いがあっただけなのです。

ですから、本来は革新であるはずの日本の民主党の主張が米国の保守である共和党と類似したり、逆に米国の革新政党である民主党の主張が日本の保守である自民党と類似したりという変な現象が普通に起きるのです。

もはや右派も左派も保守も革新もあったものではありません。その違いは「背景にある勢力(創価学会・外国含む)」なのです。政治は腐りきっています。

<共産党は宗教政党>

共産党が革新であると思うなら、それはとんでもない勘違いでしょう。彼らは共産主義という宗教団体です。神の教えを書いた小冊子を配っている連中と同じで、信じる者の精神は救われるかも知れませんが、世の中を変えることは何もできません。仏壇に向かって「マルクスありがたや・マルクスありがたや」と唱えても現世の人々は救われないのです。

資本主義を超えるためには、資本主義を熟知し、資本主義をコントロールするすべを持たねばなりません。むしろ自民党よりも優れて資本主義をコントロールできなければなりません。そのための究極の知識、資本主義的マクロ経済理論を持たねばなりません。そしてその理論を使って国を富ませ、政権を担ってこそ社会変革が可能となるのです。それこそが野心です。野望です。風車の突撃するドンキホーテではダメなのです。

共産党だからといって最初から死ぬまで共産主義に固執するのは愚かです。

<革新のビジョンが無いという悲劇>

なぜ日本に革新政党が無いのか。これは日本に限られた事ではなく、世界的にも同様だと思います。そのむかし、資本主義の発展形として革新の姿を人々に指し示したかに見えた共産主義は自己崩壊し、もはや世界に革新の価値観が失われてしまったのです。人々は次なる時代の方向性を見失い、政党が乱立し、それこそ「全世界的に決められない政治」になっているのです。

しかしマスコミでは紹介されることのない多くの革新的なアプローチがインターネット上で胎動しています。マスコミは保守の典型であり、革新的な価値観は決して紹介されません。新聞、雑誌、そのた大手マスコミの扱うものはすべて保守です。革新の目指すべきビジョンは、そのヒントすらマスコミから得ることはできないでしょう。

国民はマスコミを捨て、インターネットの世界に出なければなりません。
そこには虚実や罵詈雑言が飛び交っています。
しかしそんなものは、意に介しません。
なぜなら宝石の原石はそこにしかないからです。

<民主党を倒して真の革新政党を>

日本には革新政党がありません。日本には革新政党が必要です。しかし民主党は完全な保守政党です。中道どころか、保守中の保守です。にもかかわらず、いまだに民主党に革新の期待を寄せる国民が居るとすれば、これは日本の真の革新にとって欺瞞でしかありません。

エセ革新政党である民主党を一人残らず雲散霧消させ、日本に真の革新政党を誕生させましょう。もちろん道のりは単純ではありません。民主党は放置しても自滅するでしょうが、失われた「革新のビジョン」を作らねばならないからです。それはもちろん資本主義の次の段階のビジョンでなければなりません。

バブルとバブル崩壊を繰り返し、デフレで自殺者を数万人も生み出す資本主義が「人類至高のシステム」と言えるでしょうか?永久に成長(拡大)しなければ維持不可能な資本主義に地球環境が耐えられるでしょうか?

国民はマスコミを捨て、インターネットの世界に出なければなりません。
そこには虚実や罵詈雑言が飛び交っています。
しかしそんなものは、意に介しません。


なぜなら宝石の原石はそこにしかないからです。