2014年9月30日火曜日

「カネは道具」という視点

世間の人はおカネを中心に経済を考えます。自分はモノを中心に経済を考えます。すると、いろいろと違った面が見えてきます。

世間の人、多くの経済評論家たちは経済を「おカネの収支」で考えるため、おカネにばかり目を奪われ本質を見失い、考えが硬直しています。今日の財政再建や税と社会保障の問題も、おカネの収支で頭がいっぱいで、「消費税を上げる、上げない」という単純な話しかありません。

自分は、経済の本質である「モノの生産と分配」を中心に考え、次に、その実現のためにカネをいかに利用するかを考えます。「カネは道具」という視点が常に根底にあります。すると、方法は単純ではなく、複数の選択肢があることに気が付きます。

たとえば、社会保障制度(年金)であれば、自分はまず「モノの生産を増やし、それを円滑に分配するためカネの流れを設計する」という考え方をします。するとカネの流し方は消費税以外に何通りもあります。

もし税制(通貨の徴収)にこだわるなら、預金課税あるいはインフレ税。金融緩和(通貨の発行)なら政府紙幣あるいは日銀の国債引き受け。市場への通貨の投入なら給付金、ベーシックインカムといった具合で、さらにそれらの組わせにより、方法はもっと多様になります。加えて税制一つとっても、法人税の減税やフラット税制の組わせ、消費税の減税など、多様に考えられます。

ところが世間の人は「カネの収支」しか頭にありません。そのため話は「増税するかしないか」だけであり、増税するとどんな影響があるか、しないとどうなのか、それしか議論がありません。もっと本質から、根本から考えれば、多様な方法論があるはずなのに、マスコミをにぎわすの増税議論は、おそまつとしか思えないのです。