2014年10月17日金曜日

利子はカネを刷って生まれる

利子はどこから生まれるのか?ネットで検索すると、いろいろな論が出てきますが、その内容は偏った側面から書かれたものがほどんどです。つまり、利子の根拠だったり、正当性だったり、利子の意味するものだったりするわけです。不思議な事に、貨幣の供給面からの意見はほどんと出てきません。もちろん、検索にかかりにくいだけかも知れませんね。

貨幣の供給面から考えた場合、利子はカネを刷って補充されています。もちろん、家庭レベルや会社レベルでは違います。しかし、国の経済全体で見た場合、マクロかつ長期的に見た場合は必ずそうなるはずです。

なぜなら、もし、世の中のカネの量が一定なら、利子としての貨幣はどこからも供給されることは無いからです。その場合、もし誰かの資産(貨幣の貯蓄)が利子によって増えるとすれば、他の誰かの資産(貨幣の貯蓄)は必ず減ることになるのです。数学的にはそうなります。そして時間の経過と共に、最終的に世の中のおカネは、特定のだれかの貯蓄にすべて吸収されます。

もちろん、それを防ぐには、常に利子としてのフロー(損益)の分を消費(財との交換)してしまえば良いわけで、そうするとストックとしての資産(貯蓄)の量は変化しません。

しかし、人間は貨幣愛なるものを感じるらしく、利子で増えた分をすべて消費することはあり得ません。どんどん貯め込みます。すると、先述のように、おカネは特定のだれかの貯蓄に吸収され続けてしまいます。すると、当然ですが流通貨幣が減少して深刻なデフレ不況になるでしょう。

すなわち、そうならないためには、貨幣を供給し続ける必要がある、つまり、利子を補うためにおカネを刷り続ける必要があるという事です。ですから「利子はカネを刷って生まれる」というわけです。

さて、国債の金利を返済するために、おカネを刷ることは悪か?そんなはずはない。ある意味、それは当然とさえ思えるのです。