2014年12月9日火曜日

「痛みに耐えれば救われる」 苦行信仰と財政再建

また始まりました。新聞で「痛みを伴う改革」「痛みは避けられない」の連呼です。これから日本の陰の支配者「財務省」の逆襲が始まるのかも知れませんね。

マスコミはよほど「痛い目にあう」のが大好きらしいですが、自分はそういう趣味はありませんね。この「痛みに耐えれば救われる」という考えは苦行信仰です。神憑りですね。世界の宗教の多くには「苦行」「禁欲」「厳しい戒律」などがあり、その代価として神からの恵みを賜るのだという信仰が広く含まれています。

人間の心理には、そのような「痛みに耐えれば救われる」という素朴な信仰心があり、それを逆手にとって、国民に「不必要な痛みまで耐えさせよう」という意図がマスコミにはあると分析しています。

財務省の信奉する「財政再建神」が好きな苦行は「増税」と「社会保険料の増大」と「社会保障の縮小」。経産省の信奉する「新自由主義神」が好きな苦行は「労働規制緩和」「残業ゼロ」などですね。

もちろん社会の変革は不可欠でしょう。しかし、だからといって痛みに耐える必要などまったくありません。むしろ痛みに対する手立てを十分に講じながら、国民が変革に果敢にチャレンジできる仕組みを作ることが大切だと思います。必要なのは、痛みに耐えることではなく、果敢なるチャレンジです。痛みに耐えるだけでは前進はありません。

人間は痛みを恐れるがゆえに、チャレンジしなくなります。痛みをしっかりサポートしてやれば、痛みを恐れることなく、積極的にチャレンジをはじめます。それでこそ社会は変革できます。それが今の政治には足りない。労働者を犠牲にするだけでは、社会改革など達成不能だと思います。