2015年1月13日火曜日

日韓日中友好 歴史認識は有害

韓国や中国の主張を聞いていると疲れますね。最近は「どうでもいいや」という「嫌気」が非常に強いです。つまりイヤですね。これを「嫌韓」と称して「恥ずべきもの」と主張する人々がマスコミや歌手に大量出現していますが、余計なお世話です。ほっといてくれ。あんな国は好きになれる方がおかしいです。

それはさておき、一時期は韓流や中国がブームになった事もあります。それを担った人たちは「正しい歴史認識」を持っている人たちだったのでしょうか?そうではありません。「歴史などおよそどうでもよい」人々だったはずです。あたりまえです。二国間の友好において、歴史認識など何の意味もありません。それをあたかも「友好には歴史認識が必要」であるがごときプロパガンダをごり押ししているのが「韓国と中国」です。そして日本のマスコミがその片棒を担いでいます。

日本人は、もともと歴史などどうでもよかったのですが、「歴史を知れ」と激しい口調で何百回となく聞かされたおかげで、多くの日本人が「歴史」を強く意識するようになりました。その結果、すっかり韓国と中国がキライになり、またたくまに韓流や中国ブームが去ってしまいました。かわりに発生したのは「嫌韓・反韓」そしてヘイトスピーチです。この事は何を意味しているか?

「歴史認識は友好関係をぶち壊す」

間違いありません。実際にそうなりましたから。そうなるのは日本人の心が狭量だからとマスコミは言いますが、人間は神のようなすばらしい人格など持ち合わせていません。そんな「神の教え」のようなことで友好など築くことは不可能です。韓流で喜んでいた主婦のみなさんは、正しい歴史認識などまるでなかったはずです。友好に必要なのは、歴史認識ではありません。逆です。

「歴史を忘却してこそ友好がある」

間違いありません。奇特な左派の人々は歴史認識に基づいて友好関係を築けるかも知れませんが、ほとんど誤差範囲です。大多数の大衆を動かすのは「歴史の忘却」です。もし、日本人が「東京大空襲の惨劇」「原爆による非人道的虐殺」を1000年恨んでいたら、今頃アメリカと戦争しているかも知れませんよ。

キリスト教徒とイスラム教徒の果てることない争いをみると、いかに「歴史の忘却」が重要であるかがイメージできるはずです(もちろん現在の紛争の理由はそればかりではないですが)。

韓国と中国における歴史教育は「被害者教育」であり、無垢な子供たちの心に傷を植え込む行為です。一生消すことのできない被害者意識を植え付ける事になります。そして一生、苦しみ続けるのです。何と残酷な事か。精神医学的な見地から見て、反日歴史教育は異常な行為だと思いますね。

お互いに、まったく何のわだかまりもなく、変に意識することなく、対等な、公平な立場に立つことができてこそ、心の底から「友好」が生まれるはずです。そんなのあたりまえですよね?

「歴史認識は友好関係をぶち壊す」
「歴史を忘却してこそ友好がある」

歴史認識が正しいか、誤っているか、そんなものは関係ありません。歴史認識そのものが有害です。