2015年2月28日土曜日

これからの社会主義の原点

社会主義の定義というのは諸説あるようですが、どうもイメージが良くありません。どちらかといえば共産主義とごちゃまぜの印象が大きいのではないでしょうか。共産主義といえば、計画経済、一党独裁、私有財産の制限、集団農場、職業選択の自由なし、イデオロギー統制など、ろくなイメージがありません。おまけに中国もソビエトも「社会主義」を名乗っていたから始末におえません。ソビエトと中国はほんと迷惑な存在です。

しかし社会主義とは共産主義のような過激な思想とは異なり、どちらかといえば「社会における共生」や「国家、民族」を重視する、公益を大切にする思想であり、独裁とか思想の自由を拘束する必要性などまったくないと考えています。必要ないことはする意味が無い。

そこで、資本主義と社会主義の違いをふと考えてみました。

資本主義の中心にあるのは個人の利益追求であり、その欲望が経済や社会を動かす原動力となるわけです。しかし我欲に走りすぎると、個人の利益のために他人が貧困や不幸になることもいとわないという考えに陥る恐れがあります。

社会主義の中心にあるのは社会全体としての利益追求であり、欲望だけでなく奉仕の精神や公共心が経済や社会を動かす原動力となるわけです。しかし怠け者で公共心が低い人が増えると生産性が低下し、経済や社会に停滞をもたらす恐れがあります。

結局のところ、どちらも長所と短所があり、甲乙のつけがたいところがあります。そして必ずしもこのどちらか一方である必要は無くて、実際のところ、「競争原理むき出しの資本主義」は先進国ではあり得ない(中国はのぞく)わけで、現代の資本主義システムには多くの社会主義の政策が取り込まれています。

ところで現代の先進国においては需要がかなり飽和に近づいており、バリバリの資本主義で新しい商品の開発や大量生産・大量消費で豊かさを競う時代ではなくなりつつあるのも事実だと思われます。そうなると、時代的には社会全体、あるいは国家・民族としての利益を追求するスタンスのほうが適している気もするわけです。

ですから、社会主義に資本主義の利点を取り入れる方向から新たな経済体制を検討するのも意味がある気がします。社会主義でも企業による経営や個人による起業などは必要な要素ですし、逆に既存の社会主義国のような中央集権による計画経済に類する考えも必要ありません。必要なのはミクロではなく、マクロコントロールです。それは資本主義の現代でも主流になりつつあります。

最も重要なのは社会の生産性を高めることであり、これは資本主義と何ら代わらないわけで、違うのは資本主義のように、それを個人の利益にのみに還元するのではなく、社会としても共有するための仕組みを整えることにあります。

難しいように思うかもしれませんが、自分は難しくないと思っています。むしろ、市場原理オンリーでは実現できないような政策を打ち出すことができるからです。世界がデフレから脱却できない、バブルだけが膨張する。市場原理はもはや機能不全と言えるでしょう。市場原理は市場原理によって改善することができない。市場原理を超えた力が必要です。

資本主義は市場に逆らうことができません。資本主義は市場に支配されているわけです。だから最近の政治家は「市場の信任」「市場の評価」としきりに言います。政治家は国民より市場を向いている。政治より市場の方が強い。このように市場に束縛されたままでは自由な政策は実現できません。

社会が市場にリードされるのではなく、社会が市場をリードする必要が出てきました。