2015年7月16日木曜日

禁欲と「増税信仰」

宗教には古くから「禁欲」の考えがありました。バラモン教では僧侶が苦行によって悟りを得る、つまり特別な力を授かると信じられていたわけですし、イスラム教やキリスト教でも戒律を守ることによる、一種の禁欲的な行動が神との契約であり、その見返りとして神の救いを得ることができると信じるわけです。

卑近なところでは、「良薬は口に苦し」とか「努力は報われる」という考えがあり、「こんなに苦労しているんだから、きっと報われる」という思い込みがあります。こうした考えは、精神分析にいう「防衛機制」の一つの形であるかも知れません。そのような精神的逃避がなければ、苦しんでいる人の精神は救われないでしょう。

しかし、このような素朴な禁欲的信仰とも呼べる心理を巧みに利用するのが、増税緊縮派の御用学者だと思います。「痛みを伴う改革で社会が救われる」というわけです。痛みに耐えれば世の中が良くなる。そういわれると、素朴な国民の多くが「なんとなく納得」してしまうわけです。これが「増税信仰」のしくみです。増税信仰によって自己満足しているに過ぎません。

しかし現代社会は増税信仰では良くなりません。禁欲すれば救われるほど甘い世界ではありません。痛いからと言って良くなるとは限らないのです。それどころか「痛みを伴う改革は、痛いだけで逆に悪化」なんて可能性も十分にあります。経済は理論であり、道徳や信仰心とは無関係だからです。

増税すれば社会が良くなるという思い込みは、単なる「増税信仰」であり、その背景は素朴な禁欲的信仰心だと考えられるのです。増税信仰で経済問題が解決できるわけがありません。