2015年8月3日月曜日

安保法反対なら代案を たとえば

辺野古移設にしても安保法制にしても、代案を出すべきだとの声に対して「代案を考えるのは政府だ」と反論する人がいます。しかしそれでは民主主義になりません。もし政府が代案を出して、そのたびに反対していたら何も決まりません。お上が何かを与えるのを待つのではなく、自ら「こうせよ」との代案を出して勝ち取る。代案を勝ち取れなくても、そういう行為があってこそ民主主義が機能すると思います。

確かに反対派の人は安保法の「法案としての代案」は出せないと思います。そもそも安保法案の前提である「国の守り方」について考えが違うと思われるからです。ですから、代案とは法案ではなく、「国の守り方の代案」であるべきでしょう。中国の軍事的脅威と恫喝に対する国防なのですから、具体的にはその中国の軍事的脅威からどのように日本を守るかの代案です。

ところが反対派から明確な代案が盛り上がってきません。自分がもし反対派なら代案はあります。もちろん与党案のように容易に実現できない難しい方法ですが、本当に軍事力による国防を避けたいのであれば、無理でも困難を承知で実行しなければならないはずです。

一つは中国と軍縮条約を結び、中国の軍事拡張に歯止めを掛ける方法です。米ソ冷戦時代のように、中国と兵器削減交渉を行うのです。集団的自衛権に反対し、憲法9条を守る立場をとる民主党や共産党はすぐにでも取り組むべきでしょう。中国の軍縮が実現すれば、日本の軍備拡張も集団的自衛権も必要ありません。これは実現性が厳しい方法ですが、中国に対抗する方法のバリエーションを広げます。

一つは左派(民主党や共産党)がリードして中国の軍拡に反対するデモを集め、連日のように中国大使館に押し掛けるのです。左派が毎日のように数千人でも集まって抗議すれば、中国に違った動きが出てくる可能性があると予想します。中国は日本の左派勢力を利用しています。日本人の右派も左派もそろって中国政府を強く非難するようになれば、さすがに考えるでしょう。

一つは国連による治安機能の確立です。日本の国内がなぜ平和なのか?それは警察があるからです。警察が無くて犯罪が放置された社会であれば、平和を維持できるでしょうか。しかし国際社会には警察が無く、犯罪は「やったもの勝ち」の状態です。結局は軍事大国の勝手で動いているのが世界です。国連を大改革して、国連に警察としての権力を持たせることができれば、世界の軍事力は削減できます。いまでも国連改革はなんとなく取り組まれているとはいえ、熱意がなく、ほとんど進展がみられません。しかし世論が猛烈に動き出せば、政府も断固とした行動を取らざるを得なくなるはずです。

安保法案反対派の人はあれだけの反対の熱意があるのに、なぜ代案の推進運動を行わないのでしょう。自分は不思議で仕方がありません。あれだけの熱意をもって代案を押し出せば、政府も無視できないと思うのです。そして、あれだけの学者や知識人が中国の軍拡を非難すれば、中国も無視できないと思うのです。

最悪なのは「何もしないこと」です。何もしなければ第二次世界大戦のナチスドイツの暴走を許した失策と同じことになりかねません。世界が火の海になってからでは遅いのです。

自分は「国連による治安機能の確立」が最も理想的だと思います。ただし最も実現が難しいため、せまり来る危機への当面の対応として安保関連法を採用せざるを得ない状況です。