2015年9月15日火曜日

暴力団に勝てないので懐柔するのか

安保法案に反対する意見として「日本は中国に勝てないから対抗するな」という意見をどこかで目にした記憶があります。これって「住民は暴力団には勝てないから対抗するな」と同じことを意味しています。中国=暴力団ですからね。もし中国が暴力団でなかったとしたら、もちろん安保法案の改正なんかまったく必要ないですし、自分も大反対ですね。

比喩で話を進めるのはちょっと無理がありますが、あえて比喩でやりましょう。現在の状況としては日本のとなりに組長(共産党の独裁)が取り仕切る中国という暴力団があって、近隣を脅しているわけです。日本も庭の一部をよこせと恫喝されています。日本は腕っぷしが弱くて暴力団には到底太刀打ちができない状況です。そこで、同じく暴力団ですが民主的(多党制民主主義)な暴力団である米国に頼んで、後ろ盾になってもらおうというのが、安保法制の基本です。そして日本を守ってもらうために、米国という暴力団に協力するのが後方支援です。

理想から言えば、米国も暴力団の一種ですから、暴力団に日本を守ってもらうなど望ましいこととは思えません。これは日本社会の暴力団と同じで、みかじめ料をはらって暴力団に守ってもらうのはいけない事だと警察も言ってます。しかし世界は社会と違って警察はいませんから、警察のような強制力を後ろ盾にする方法がないわけです。

では住民が団結して対抗すれば良いと考えますが、世界における住民の団結の場である国連はあのザマであり、国連事務総長はあれです。暴力団に対して、何かの役に立つんでしょうか?町内会があつまって、町内会長のじいちゃんが暴力団の事務所に乗り込むんですか。暴力団の組長が町内会のじいちゃんの話を聞いて、まじめで健全な組織に生まれ変わるんですか。国連は役立たずです。国連は弱い国には強く、強い国には無力です。

もし日本が米国という暴力団に頼りたくないならどうするか。一部の人は「中国には勝てないから対抗しない」と言います。それは暴力団の要求に屈して、暴力団に金銭を提供して見逃してもらうことと同じです。現実の社会でそれをすれば、暴力団はますます拡大し、やがて手が付けられないほどになってしまうでしょう。歴史的にはナチスの軍事的台頭を平和的に解決しようとしたヨーロッパの悲劇が教訓となります。

こうした警察が居ない弱肉強食の世界で生き残るためには、自分が強くなければなりません。もし米国の後方支援に協力したくないなら安保条約を廃棄して、日本が自分で日本の国を守らなければならない。日本の国防予算を3倍に増やし、憲法も改正して戦争できる国にしなければならないのです。核兵器も保有する軍事大国になるのです。自分は本当はそれが良いと考えています。自分の国は自分で守る。しかし米国が日本の軍事大国化を許さないし、国内の反対論はさらに大きいでしょう。それなら、いつ暴走するかわからない中国の脅威に対して米国という暴力団に日本を守ってもらうしか選択肢がない。

実に情けないですが、これが現実の世界ではないでしょうか。あれもだめ、これもイヤばかり言っても、子どもと同じで、問題は何も解決できないと思います。