2015年10月19日月曜日

日銀法改正はどうなった

そういえば日銀法改正の話は最近まったく聞かなくなりました。民主党政権の末期に唱えられていた日銀法改正の話はどうなったのでしょう。民主党政権の頃の日銀と言えば、米国FRBのバーナンキが「ケチャップでも買っとけ」wと言いながら現金をバンバン発行していたのと対照的に、白川総裁が「日銀はデフレと全力で戦っている」と言いながら、その実は現金発行に相当慎重だったため、デフレはまったく解消せず、とんでもない円高が日本を襲っていました。

それが自民党の安倍政権に交代して日銀総裁を現在の黒田氏に交代し、日銀法改正の話までちらつかせたところ、ころっと態度が変わって、ようやく現金をどんどん発行するようになりました。ですから、今となっては通貨の供給不足という問題がまるでなかったような気すらします。

しかし考えてみれば、それまでは、マスコミも野党も多くの日銀御用学者も「日銀の独立性」を錦の御旗に掲げ、「日銀ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の様相だったわけです。もうそれは大変な反対でしたから、そのような考えがすべて綺麗に消え去ったとは思えないわけです。

日銀の独立性と言っても、そもそも通貨の主権は「国民」にあるわけですから、国民の代表である政府を無視して勝手な独立性などあり得ません。それは軍部に独立性を持たせるに等しい考えでしょう。日銀にしても軍にしても専門性が極めて高いですから、素人がへんにかき回すと良い結果が生まれないことは理解できますが、だからといって、独立して勝手な作戦を展開されたのでは、たまったものではありません。

ですから、日銀と政府、とくに内閣との連携は極めて重要であり、あるいは日銀と政府の役割分担が重要ですから、そうした考え方は日銀の運用ルールである日銀法にしっかりと明記すべきでしょう。そして20年デフレの反省を込めて、日銀の役割についても、国民的な議論を深めて欲しいと思うのです。

最近は日銀法の改正の話はすっかり消え去ってしまいました。しかし、あれだけ激しく日銀の独立性を神聖性であるがごとく主張していたマスコミや議員や御用学者が大人しく引っ込むとは思えません。虎視眈々と反撃の時を待っているに違いないと思うのです。