2015年10月21日水曜日

大学の文系縮小はカネによる支配を強める

文科省が6月に国立大学の組織改革に関する通知を発表しましたが、その文面が稚拙であったために大学の人文社会科学系の学部を縮小する通知であると解釈され、大きな波紋を呼びました。しかし、これが単なる誤解なのか、あるいは社会の反発を招いたために、詭弁を弄して逃げただけで、本当は人文社会科学系学部を縮小する意図を持っていたのか、本当のところはわからないと思われます。

しかし、もし、人文社会科学系の学部を縮小する意図があったとすれば、非常に大きな問題だと思います。なぜなら、それは「思想の軽視」を意味すると思うからです。

私は文系ではありませんから、そういう意味での衝撃はありませんでした。しかし、人文社会科学系といえば、人間の「思想」に関わる学問が多く含まれており、人間のあるべき姿であったり、社会の理想的な姿などを追求する学問でもあります。このような学問が万が一にも軽視されることがあればとんでもないことだと思うのです。

人文社会科学系の学問は、一般に「カネを生み出さない」と考えられます。一方で自然科学や工学などの学問は市場における「商品」を生み出す原動力であり、経済活動の視点だけから言えば、人文社会科学よりも自然科学や工学などが役立つことは明らかです。しかし、自然科学や工学には「思想」がなく、ゆえに、ビジョンを描き出すことは難しいのです。

人間の活動には目的や理想像があり、そのビジョンを描き出すことは「思想」の役割です。その一方、そうしたビジョンを実現するには自然科学や工学などの実用的な学問が不可欠です。もし思想部分が欠落して、自然科学や工学が優先すれば、それは商品の開発のためだけに知識が使われ、社会の志向性が変化する可能性があります。つまり、拝金主義です。ビジョンの実現ではなくカネを増やすことが優先され、そのために自然科学や工学などが利用されるわけです。

思想を軽視して、カネを生む活動を重視する拝金主義は、カネのために環境を破壊し、安定した社会を破壊する危険性があります。

そして、カネという経済の原理で人の社会をコントロールするようになれば、カネで社会を支配することが容易になります。思想軽視の考えは、カネによる人類の支配へとつながる恐れがあると思うのです。