2016年1月18日月曜日

信長の茶器が21世紀にも必要

意味不明のタイトルですが、ちょっと変わった思い付きです。

織田信長は支配地域を広げるにあたって、戦闘で功績をあげた武将に恩賞として土地を与えていた。これは織田に特有のことではなく、鎌倉時代か、それより昔から行われていたことです。しかし、戦闘のたびに土地を与えていたのでは、土地はいくらあっても足りません。そこで信長は、土地ではなく、恩賞として「茶器」を利用したとされます。茶会や茶器に特別の価値を持たせ、それを利用したわけです。

こうしたことは、今世紀においても重要な意味を持つと思うのです。というのも、報酬をおカネで与えていたのでは、きりがないからです。もちろん、庶民に茶器を与えても何にもなりませんね。茶器で生活することはできませんから。しかし、すでに普通に生活するために十分なおカネを得ている人は、さらにおカネをもらっても、実質的にはあまり意味がありません。貯蓄を増やして財テクに走るだけです。

そこで21世紀版の茶器の登場です。そうした人々におカネではなく、茶器を報酬として動機づけを行えば、むやみに世の中のおカネを増やす必要はありません。

もちろん、現代では茶器じゃダメなので、国民栄誉章のようなものを、もっと拡大して、都道府県単位でも行い、「名誉」「栄誉」を求める人々の欲求を利用する方法を考えるわけです。これを成功させるためには、人々に名誉欲がなければなりません。これは学校教育によって養うことが可能です。現在は人々が「よき消費者よき労働者」になるよう、資本主義的な現世利益の拝金主義的な教育がされるようですが、もっと、精神的な価値観を追求するように教育するわけです。

精神的な豊かさを重んじる国民を育てれば、カネではなく、精神的な代価で人を動かすことが可能になります。それを形にしたものが茶器です。