2016年5月19日木曜日

マルクスの貨幣に関する考えとは

自分は左派を自認していますが、資本論は読んだこともないし読む気にもならない。理由は文章表現が難しくてわかりにくいので拒絶反応なんです。

ところが、Webの世界では、この資本論を取り上げて、比較的分かりやすい表現で、ああだこうだ書かれた文章があって、いろいろ検索していると、どきどき引っかかってきます。これは非常にありがたいです。そんなわけで、マルクスの貨幣に対する考え方が書かれた文章がありました。

http://members3.jcom.home.ne.jp/wing-pub/capital/capi-2.html

まあ、わかりやすいと言ってもよくわからない部分も多いですが、およそ、貨幣に関する部分を引用すると、マルクスの資本論では、

 「それ(紙券)が現実に同名の金の額に代わって流通するかぎり、その運動はただ貨幣そのものの諸法則が反映するだけである。紙幣流通の独自な法則は、ただ金に対する紙幣の代表関係から生じているだけである。……すなわち、紙幣の発行は、紙幣によって象徴的に表わされる金(または銀)が現実に流通しなければならないであろう量に制限されるべきである」(資本論)

「銀行券がいつでも貨幣と交換できるものであるかぎり、流通銀行券の数をふやすことはけっして発券銀行が勝手にできることではない」(資本論)

「与えられた一期間に流通する貨幣の総額を見れば、それは流通手段および支払手段の流通速度が与えられていれば、実現されるべき商品価格の総額に、満期になった諸支払の総額を加え、そこから相殺される諸支払を引き、最後に同じ貨幣片が流通手段の機能と支払手段の機能とを交互に果たす回数だけの流通額を引いたものに等しい」(資本論):わかりにくい。

と言っているらしいです。そしてそれらから著者(マルクス経済学者)はマルクスの考えは
(商品の価格総額)÷(同名の貨幣片の流通回数)=(流通手段として機能する貨幣の量)
であるといいます。

そして、マルクスは貨幣数量説を誤りであるとして対置します。

「しかし古典派経済学は、なによりもまず流通の支配的形態としての金属流通を目前に見ていたのだから、金属貨幣を鋳貨として、金属鋳貨をたんなる価値章標として理解するのである。かくして、価値章標流通の法則に照応して、諸商品の価格は流通貨幣の分量に依存するのであって、逆に流通貨幣の分量が諸商品の価格に依存するのではない、という命題が立てられる」(資本論)

つまり、貨幣数量説では
(商品の価値総額)=(流通手段として機能する貨幣の量)×(同名の貨幣片の流通回数)
となるわけです。

こうした考えを見ると非常に面白いことがわかります。マルクスはあくまでも労働価値説の立場から、「商品の価値が絶対的に決まる」と考えているようです。彼は労働には絶対的な価値があると考えますから、それによって生み出される価値の総額も絶対的であるべきで、その場合は、通貨量も一意に決まります。その点で労働価値説との論理的な整合性がしっかり保たれていると思われます。

一方で、市場経済では市場交換の立場から「商品の価値は相対的に決まる」わけです。貨幣も商品の一種なので、取引数量は変動し、貨幣価値や商品価値は常に相対的です。ですから貨幣数量説は有効なのでしょう。この場合はマルクスの考えがまったく意味を持ちません。マルクスの考えは面白いのですが、財の希少性がまだまだあたりまえの現代社会では市場の機能を否定し切れません。マルクスが通用するのは未来の理想社会の話だと思います。

また、マルクスの考えは貯蓄を前提としていない気がします。まあ、マルクスは資本(私有財産)を否定するわけですから、貯蓄を否定すれば理論的に整合性は取れていると思います。もし貯蓄を認めると通貨が退蔵してしまいますから、流通通貨として機能する貨幣の量は減ってしまいます。こうなると投資が少なくなれば、デフレ不況になります。資本主義社会では貯蓄が無制限に認められているわけですから、貯蓄による不況を回避するには通貨発行とインフレは不可避だと思います。

こうしたマルクスのおカネに関する考え方を、今回は初めて知ったわけですが、非常に面白いですね。なぜ共産党や民進党などが金融緩和に反対なのか?上記から、マルクスは金融緩和を一切認めていないようです。となれば、金融緩和を認めると、マルクスを否定することになってしまいます。だから左派は金融緩和に否定的なのかも知れません。単なる推測ですけど。

(追伸)
ふと思いましたが、右派にも緊縮財政派、金融緩和反対派がいます。彼らは左派と同じように金融緩和に反対しますが、おそらく考え方は全く違うと思います。「貨幣の価値は絶対普遍」という立場かも知れません。金融緩和や財政ファイナンスは通貨量を増加させる手法ですが、彼らはこれによって「おカネの価値が棄損」すると言っています。おカネの価値が最重要である人にとっては許せないでしょう。彼らにとっておカネは絶対なのです。

以上より、
マルクス=労働の価値は絶対=商品総額と通貨量を一致すべし
緊縮派=貨幣の価値は絶対=デフレ容認(商品価格が相対変化)
貨幣数量説=貨幣も商品も相対価格

と、まとめることが出来るかも知れません。少々強引ですが。