2016年5月20日金曜日

完全雇用でも財政出動は効果あり

構造改革論者に言わせると、日本はすでに完全雇用状態だから、財政出動で仮にGDPが増加しても一時的なものに過ぎないという。そして、GDPの底上げとしての財政出動から抜けだせなくなるという。実に「もっともらしいウソ」だ。

そもそも日本が完全雇用なわけがない。本当に完全雇用なら実質賃金が伸びてくるはずだが、実質賃金はほとんど伸びていない。これは労働市場で労働力がまだまだ余っている事を示す。統計上の失業者とは、ハローワークに登録して求職活動を必死に行っている人だけを指す。つまり、長期失業者、就職をあきらめた人などは含まれない。いわば「隠れ失業者」が膨大に居るわけです。どこが完全雇用なのか。

話を戻すと、仮に完全雇用状態だったとしても財政出動には意味がある。

構造改革論者の「○○の一つ覚え」によると、完全雇用状態における経済成長の低迷は、供給制約にあるという。確かにそれは一つの要因だが、あくまでも一つの要因に過ぎない。他の要因を放置したまま、この要因だけを強調しても意味がない。

生産能力(供給能力)は雇用者数だけで限界が決まるわけではない。生産性によって左右される。手工業の時代と違い、現代の産業では機械設備が生産の多くを担っている。これらは常に100%稼働しているわけではない。雇用者数が増加しなくとも、稼働率を高めることで短期間で供給力を増やすことができる。また長期的には設備投資により雇用者数を増やさず供給力を高めることが可能だ。いずれの場合も「需要」がなければ供給力は増えない。

また、サービス業などの第三次産業の生産性は一般に低い。それはサービス業の社員が怠け者だからなのではない。需要が無いからだ。簡単な例を挙げれば理髪店がある。理髪店はお客さんが来ない間は何も仕事が無い。だから生産性は上がらない。もしお客さんがどしどし来たら、休んでいる暇さえなくなり、生産性は上昇する。販売員も似たようなもの。つまり、「需要」があれば生産性は飛躍的に向上する。また、介護ロボットのようなサービス業の機械化も促進される。いずれも需要が無ければ決して起こらない。

供給は需要によって生まれる。
低成長の現代、セイの法則は時代遅れ。

さらに言えば、財政出動と言っても種類は多い。何も公共工事だけが財政出動ではない。確かに土木建設工事についてだけ言えば、確かに供給制約の壁はあるだろう。東北復興にオリンピック、そこへ熊本復興まで加わればかなり厳しい。しかし、需要を創出するなら単に消費者へおカネを給付すれば済むことだ。それがヘリマネになる。

もちろん、ヘリマネだけではない。成長戦略にもマッチする方法として、科学技術振興への財政出動の強化がある。民間の研究開発投資はすでに中国に遥かに抜き去られてしまった。こんなことでどうするのか。こうした研究開発を促進するための助成金、減税政策としての財政出動、あるいは公的な研究開発への大規模かつ長期的な投資が必要だ。これらの研究開発によって新しい財を生み出すことが、新たな産業と経済成長を促すことになる。

構造改革論者の記事を読むと頭にくるのでなるべく読まないようにしているのですが、ついつい、読んでしまったら切れそうになったので、ストレス解消のために少し書いてみました。