2016年6月23日木曜日

利潤とは付加価値ではなく希少性

付加価値という言葉があります。労働して付加価値を生み出すといいます。すると、付加価値を生み出すことが経済の本質であって、付加価値によって利潤が生まれる様な錯覚を覚えます。しかし付加価値=利潤ではありません。市場経済における利潤は希少性が生み出すからです。

もちろん、希少であっても需要のない財は利潤を生みだしません。しかし、どれほど有用で需要が大きい財であっても、希少性が低いと利潤はわずかです。どれほど有用で需要が大きい財であっても、量産すれば市場価格が下落して赤字となり、生産者に不幸をもたらします。多く作ってはいけないのです。

それを如実に示しているのが、最近の「資源安」です。石油も鉄鉱石も非常に有用な資源です。しかし、市場経済においては、どれほど有用な資源であっても量が多ければ、それだけで価値を失います。付加価値という考えは幻想に過ぎないわけです。

逆に言えば、生産調整、買い占めによって財の供給量を減らせば、いくらでも利潤を増やすことができます。これを付加価値と呼ぶに相応しいのか。これによってカネを稼ぐことは、はたして社会に貢献することなのか。マスコミが最近安易に使いはじめた「稼ぐ力」という言葉は何を意味するのか。

有用なものが多く生産され、溢れるほどに財が供給されれば、社会は豊かで幸福になるはずだと誰もが思うのですが、実際には豊かになるほど希少性が失われ、利潤が減り、投資が減って貯蓄ばかりが増え、経済がマヒするようになる。ポスト資本主義は、この問題の解決を求められていると思います。