2016年7月26日火曜日

アリでさえ働かなくても価値がある

アリでさえ働かなくても生活できるのに、人間ときたら働らかなければ死んで当然といった具合に評価されるらしい。つまり人間の社会は考え方によってアリ以下の社会といえるかも知れない。

ある研究によれば、アリの社会では、せっせと働いているアリはわずかに3%だという。72%のアリは半分しか働かず、25%のアリは何もしないで巣にじっとしているだけで、エサをもらっている。

もちろん、エサが不足して食べ物が十分に確保できなくなれば、働かないアリも働くようになるのだろう。しかし、他のアリが働いて十分な食べ物が確保できるなら、すべてのアリが働く必要は無いというわけだ。

一方、人間の世界では、どれほど食料や生活用品があふれていても、働かない人(失業者)には、食料も生活用品も分配されない。生産しようと思えば生産施設はいくらでもあるのに、決して働かない人には分配しようとしない。市場経済ではすべてが商品であり、すべては「交換」によって分配されるからです。労働者が「労働」という商品を市場において交換しなければ何も得られない。

それだけではない。生活に困った失業者をブラックな企業が安い労賃でこき使おうと、アリ地獄のように待ち構えている。人間の社会はそういう仕組みになっている。

アリの社会では働かないアリを放置して餓死させるという話は聞かない。食料が十分にあるなら、働いていようがいまいが、すべてのアリに分配される。人間の社会では「労働しないものには価値がない」と判断される。しかしアリの社会では、「生存していることに価値がある」というわけだ。生存していることそのものが、社会にとって意味がある。

もちろん、生産力が低くて、食料も日用品も不足しているなら、働かない人にそれらを分配するのはおかしな話だ。しかし、生産力が過剰になり、その結果として人手が余って失業者が生まれている。人手をかけなくても食料や日用品がありあまるほど生産される生産過剰の時代に、なぜ貧困問題が生じるのか?

生物学的に不思議な現象だと思う。