2016年9月13日火曜日

財源の枯渇は100%あり得ない

財務省と御用新聞は、何かといえば「財源ガー財源ガー」と言っているが、経済学的に言えば、財源が枯渇することなど100%あり得ない。不足するのは、常にカネではなく財(物やサービス)なのです。

もし金本位制≒金貨の流通する時代であったなら、財源が枯渇することはあります。資本家が金貨を貯め込んで放さなくなると、世の中に金貨が出回らなくなり、ある意味で、財源は失われます。

ところが、管理通貨制度の場合、やろうと思えばおカネは無限に作れます。おカネが足りなくなることはありえないのです。ですから、財源の心配をするのはまったくナンセンスです。おカネが無ければ刷りなさい。

しかし、財(物やサービス)は印刷してできるものではないため、こっちが不足します。ですから、普通に理屈で考えると小学生でもわかりますが、財源の心配をするより、財の生産を心配すべきなのです。そして、何よりも財の生産能力が重要であることがわかります。

すると、財の生産能力さえ高めてやれば、おカネはどうにでもなるのです。必要に応じて発行しても良いし、あるいはしこたま貯め込んであるのを回収しても良い。発行したおカネは消えませんから、どこかに溜まっているはずです。

財源が枯渇することなど100%あり得ない。不足するのは、常にカネではなく財(物やサービス)なのです。

ではなぜ、財源が不足するのか?誰とは言わないけれど、
制度設計者が無能で役立たずだからですよ。