2016年9月14日水曜日

なぜ大衆運動が右派と左派に分離するのだろう

なぜ大衆運動が右派と左派に分離するのだろうか。これは非常に興味深いテーマです。

大衆運動といえば、まず市民運動と自称している人々が居りますが、彼らが左派です。そして右翼などといわれますが、市民運動は当然ながら右派、あるいは保守もあるわけです。右派や保守はあまり街頭に出てこないので、市民運動と認識されにくいのですが、ネット空間では多数派を形成しています。

右派左派いずれも大衆運動です。つまり、多くの庶民が自分達の生活や暮らしのために行動します。そういう意味では彼らの主張には共通点もあります。たとえば、大資本や金融・銀行による経済支配に反対し、ウォール街を批判し、格差の拡大に反対し、新自由主義的な自由貿易に反対しています。

しかし、外交面、移民などに対する考え方、歴史認識、国防面などにおいて、右派と左派は激しく対立しています。このような対立はなぜ発生するのでしょうか。自分達の生活や暮らしのための行動であるにも関わらず、同じ大衆運動であるにもかかわらず、なぜ強烈に対立するのか。

もし、右派と左派の大衆運動が同じベクトルを向くことがあるとすれば、その方向に向かって社会を大きく変えることができることは間違いありません。民主主義ですから、大衆の圧倒的な多数によって、政治は動かざるを得ない。

もし本気で政治を動かそうと思えば、右派と左派を何らかの形でまとめる必要があるのであって、それが可能なのかどうか。それは右派と左派をよく観察することから始めたいと思います。