2016年10月27日木曜日

「企業の6割が人手不足」の不思議

財務省の調査によると、企業の6割が人手不足であると回答しているそうです。実に不思議です。人手不足なら労働市場において賃金の上昇が見られるはずですが、実際には顕著な実質賃金の上昇は見られず、政府が前代未聞の「企業への賃上げ要請」をしつこく行っている状況です。

企業いわく「募集かけても人が集まらない」。それって、お前んとこの給料が安いからじゃないのかw、と突っ込みたくはなりますが、まあ、それはさておき、

先行投資を別にすれば、人手不足と言うことは、生産量が増加していることの裏返しのはずです。生産が増えるから人手が足りなくなる。しかし、このところ消費は低迷しており(実質成長がほどんどない)、ゆえにインフレ率も上昇してこない。つまり、生産量はそれほど伸びていないはずなのに、なぜ人手が足りないのでしょう。

生産が増えないのに人手が足りないとなれば、労働人口の減少でしょうか。高齢化によって、日本の生産年齢人口は年率およそ1%のペースで減少しているはず。つまり、生産が増加するから人手が足りなくなるのではなく、高齢の社員が退職するから人手が足りなくなってくる。とはいえ、たかだか年率1%程度の社員減少が原因で、企業の6割が人手不足を感じるとは納得できませんね。だって、1%といえば、100社のうち1社ですから。

とはいえ、「人手不足だー」と言いつつ、すべての企業がロボット化を進めると、すべての企業が人手不足を感じつつも、生産能力は維持され、消費が維持される可能性はあります。しかし、総消費額=総所得額の関係にありますから、消費が維持されつつ労働者数が減少するとなれば、労働者1人当たり賃金が上昇するはず。ですが、賃金は伸びない。

しかし、労働者の賃金が増加しなくても、高齢化にともなって年金支給総額が増加すれば、それが賃金の伸び低迷をカバーして、日本全体の消費量が維持される可能性はあります。ただし年金として政府の債務を増加する可能性がある。これやると、政府の債務が増加して、逆に企業の金融資産が増加する。

う~ん、今はいろんな要素が均衡状態で、この先、どっちへ流れていくか微妙な位置なのかも知れません。それで「景気がいまいち良くないのに、企業の6割が人手不足」という、わけのわからないことになっているのかも。

このまま「人手不足だー」と言いつつ、ロボットを導入し、労働者の実質賃金が伸びないまま、消費が低迷してデフレが長期化するのか。しかも年金カットでさらにデフレ。それとも海外から移民をどんどん入れて、日本の経済が成長するも、国民の1人当たり賃金は伸びないという、企業だけよろこぶ日本になるのか。

このままじゃ、なにも期待できそうにない。

2016年10月26日水曜日

民間VS政府という図式の奇妙さ

ふと思いましたが、民間VS政府という図式が奇妙に思えてなりません。そもそも政府は、民間(大衆)において選挙で選出される議員によって運営されるわけですから、政府は民間の代表であります。にもかかわらず、なぜ民間と政府が対立概念として打ち出されるのでしょうか。これは両者に機能不全があるからではないでしょうか。

両者においてよいパターンと悪いパターンを考えてみます。

民間の良いパターンは自由な民間活力により経済活動が高まり、より社会全体として豊かになるケースです。悪いパターンは、自由の名の下に、通貨や生産財が一部の資産家に独占されることにより、貧困が発生し、格差が固定化される社会になるケースです。

こうした資本や資源の独占と恣意的な利用を防ぐために、政府が独占を緩和し、資源の配分と機会の均等化、あるいは社会全体としての格差の縮小を可能にするのが政府の良いパターンです。悪いパターンは、こうした政府の機能が一部の政治家やそれに癒着する資本家により独占され、公益の名の下に、税金を既得権益集団に分配する構造ができてしまうケースです。

結局のところ、どちらも悪いパターンになれば、ろくでもないことになります。基本的に「法治国家」である以上は、政府の介在は避けられず、法治国家でなければ、民間の権利そのものが保障されない関係にもあります。たとえば、暴力により富を奪うことが堂々と肯定される社会になります。

ことさらに、どちらが悪いとか良いとかいう話ではなく、機能的に考えて、ケースバイケースで使い分けすることが重要でしょう。

それにしても、面白いのは、政府を抑圧者として捉える視点です。確かに政府はその昔、私的なもの、つまり王国貴族こそが政府であり、その抑圧に大衆が対抗する形でした。つまり現代的な意味での民間VS政府とは、まったく違う図式があったわけです。この王侯貴族は財を私的に独占所有する、今日から言えば民間資本でもあるわけで、これに対抗する市民が、今日における民間資本であるという、奇妙な図式もまた成り立つのではないかと。

これは何か、根本的に、ナンセンスなものを感じさせるのです。
単なる醜い欲望の争いかも知れません。
そんな気もします。

2016年10月25日火曜日

中国は世界大戦の道具になるのか

今回は陰謀論ですw。陰謀論というのはある種の仮説ですが、仮説とはその正否に関わらず、物事を判断する上においては常に必要とされてきました。仮説の想定がなければ、科学も今日のような進化はありえなかった。もちろん、仮説が正しいとは限らないわけですが。

それはさておき、自分が一番心配してるのは、中国が世界大戦の道具になるのではないかという懸念です。戦争は昔からカネになるらしい。軍需産業、それに戦費の金貸し。だから戦争を望む連中がいるわけです。

さらに、現代の先進国は大恐慌後の世界と同じような、デフレ不況にあります。生産過剰です。つまり、生産設備が世界的に普及して、生産能力が高く、もうこれ以上の投資が望めなくなりつつあります。

第二次世界大戦によって、世界の生産設備が徹底的に破壊された結果、投資の必要性が劇的に増大したことで、大恐慌後のデフレ不況が吹っ飛びました。これにより、投資による収益が回復し、カネからカネを生む資本主義のシステムが大復活を遂げたわけです。

もし世界をカネの力で動かす「影の支配者」が、その再来を望んでいたら?

世界を動かす連中はおそらく欧米にいるでしょうから、当然ですが、こうした大規模な戦争がアジアで起こることが理想的だと考えるに違いありません。しかし戦争は民主国家では簡単に起きません。第二次世界大戦にしても、それを引き起こしたナチスドイツは独裁国家であり、当時の日本も軍部による独裁政権になっていたわけです。

アジアの独裁国家は中国です。

中国では中国共産党がああいえば、民衆は従うしかありません。反対運動をやれば天安門事件のようになってしまいます。もしアジアに戦争を引き起こそうとすれば、中国を利用することは、確実性の高い方法と考えられます。民衆全体を動かすのではなく、一部の政治支配層を動かせば良いのですから。そして、習近平主席の強権ぶりから見ても、この周辺を動かすだけで中国が動く可能性があります。

中国共産党がカネで腐敗していることは良く知られています。こうしたカネで腐敗する体質をもった独裁政権国家は危険です。カネのために世界の支配者に人民を売るかも知れない。

日本が戦争に巻き込まれるとすれば、中東などではなく、中国が引き起こす、この戦争に巻き込まれる危険性が高いのではないか?

ということで、今回は陰謀論でした。しかし、自分が最も恐れている陰謀論なんです。

2016年10月24日月曜日

財源として国債発行は誤り、通貨発行が正解

政府は財源として国債を発行しますが、それは誤りです。正しい方法は財源として通貨を発行することです。これは以前にも書きましたが、国債に関してマスコミが嘘を繰り返すので、私も正論を何度も書いて対抗しますw。

そもそも通貨発行権を有している独立国が、通貨を発行せずに、わざわざ国債を発行して銀行から借金する必要などまったくありません。ばかばかしいの一言です。マスコミの誘導記事によって、「政府が通貨を発行して財源にするとインフレになる」と思い込まされていますが、とんでもない間違いです。

なぜなら、国債を発行しても、通貨を発行しても、どっちも世の中のおカネが同じだけ増加するからです。世の中のおカネが同じだけ増えれば、同じだけインフレになるのですから、わざわざ借金する必要などなくて、通貨を発行すればよいのです。「国の借金ガー」は、そもそも原点からして間違い。

国債を発行した場合、国債は主に銀行が買い入れます。ところで、銀行が国債を買うということは、おカネを貸すことと同じです。では、銀行がそれだけのおカネを持っているのかといえば、実はもっていません。信用創造によって「預金」として、帳簿上のおカネを増やしているのです。この「預金」は法的に「現金」と同じ扱いになるため、通貨として働きます。皆さんの預金通帳の預金とは、こうして生まれます。つまり、銀行が誰かに貸付することによって発行されます。

この預金は銀行が作り出した通貨です。従って、国債を発行すると、銀行が預金を発行することになり、世の中のおカネが増えます。たとえば、100兆円の国債を銀行が買い入れると、結果として世の中の預金は100兆円増えます。

一方、政府が100兆円を発行すると(または日銀に100兆円を作らせてもいい)、これは現金です。こいつを財源として政府支出を行うと、この現金は、たとえば事業者に支払われたとしても、いずれ銀行に預け入れられますので、預金になります。つまり、政府が100兆円の通貨を発行しても、世の中の預金が100兆円増えます。

預金と現金は同じ扱いなので、どっちでも同じだけ世の中のおカネを増やしますから、政府が通貨発行をしたときだけインフレになる、というマスコミの説明は間違いです。

マスコミがこれに反論しようとすれば、信用創造の仕組みを詳しく説明する必要があるので、信用創造を庶民が知るきっかけになります。これは良いことです。銀行が実は「打ち出の小槌」でおカネをバンバン作って貸していることを、公に認知させることができます。そう、それが狙いです。

世間に広めよう
「財源として国債発行は誤り、通貨発行が正解」。


2016年10月21日金曜日

生産事業でカネを稼ぐのは良いことだが

資本主義社会では企業や個人が生産主体となって事業を行う経済形態を取る以上、こうした事業でカネを稼ぐことは良いことです。政府も事業を行いますが、インフラ整備などのように、生産そのものではないですから、企業や個人の事業がないと、経済が成り立たない仕組みだからです。

だから生産事業でカネを稼ぐことは良いことです。そして、稼いだおカネを再投資して、生産事業を拡大することで社会の生産力、供給力を向上させてきたのが資本主義の歴史です。

しかし今や企業や個人は稼いだカネを投資をしなくなり、貯め込むようになってしまった。しかもどんどん貯め込むようになり、世の中のカネが回らなくなる。こうなると、社会にとって、カネを稼ぐことは無意味化してくる。いくら稼いでも貯め込んでカネを死蔵するなら、稼ぐ行為は通貨退蔵によるデフレを誘発する原因になるだけです。

稼ぐ力は、使う力と同時でなければ意味がない。

新聞マスコミは壊れた機械のように「稼ぐ力」を繰り返すが、それだけです。「使う力」の方は、あまりに軽視されている気がします。稼いだら使え。これは資本主義社会を維持するために必須の条件です。もちろん、使えといってもカネのない庶民では知れています。ローンの支払いに追われる庶民ではなく、カネをしこたま貯め込んでデフレを誘発している企業や富裕層にカネを使うようにもっと尻を叩いたほうが良い。

とはいえ、こうしたカネを貯め込んでいる個人や企業は、「カネを使うことには熱心ではないが、カネを増やすことだけには熱心」だから困ります。カネを転がしてカネを増やす、投機に走ればバブルを引き起こす。こういう「使う力」では意味がありません。

「稼いだら使え」。新聞マスコミはカネを稼ぐ力の話だけでなく、カネを消費する力をどんどん啓蒙して、カネを貯め込んでいる連中の尻を叩く必要があると思います。散財は美徳なのです。

それでも使わずに稼いだカネを死蔵するなら、
もはや課税するしかありません。

2016年10月20日木曜日

「軍縮」の視点はどこへ行った?

「戦争法案反対」と共産党や左派の方は騒いでいますが、どうも理解できません。何かピントがずれているような気がするのです。

確かに戦争は絶対に回避すべき事態です。しかし、日本の武力行使ができる、できないは、世界の戦争にとって何の意味もありません。日本が巻き込まれるかどうかも、日本だけで決まるわけではありません。何もしなければ万事うまくいくなら、世界から戦争などとうの昔に消えているはずです。

なぜ、東アジアの軍事的な緊張が高まってきたのか?中国共産党以外に原因はないわけです。自民党の進める安全法制にしろ、日米同盟の強化にしろ、すべて「中国の軍事的な脅威・威圧行動」が原因です。それに対して日本が何もしなけれれば自然に解決するわけはありません。どのようなアクションを起こすのか。共産党など左派には、そういう代案が何もない。

代案として、なぜ「軍縮」の視点が無いのか。

つまり、原因となっている中国の軍事的な脅威や威圧行動を問題視し、中国に軍縮を呼びかけるのが本筋だと思うわけです。そのうえで、日本に自制を求めるなら理解できます。まず非難すべきは日本政府ではなく、中国共産党でしょう。中国共産党の天井知らずの軍拡や南沙諸島、尖閣諸島での軍事的な威圧行動をスルーしつつ、日本政府ばかり非難してもナンセンスです。

もちろん、日本だけ軍縮しても意味はありません。同時に中国も軍縮するわけです。それを共産党や民進党は、どんどん中国に提案して、可能不可能は別として、まずは交渉すべきしょう。
その上で、戦争法案反対なら大歓迎です。余りにも明らかですが、軍備・軍隊ほどムダなものはありません。戦争も極めてムダです。こんなものは世界から一刻も早くなくさなければならない。軍縮の実現は人類の夢です。

しかし、中国に対して正面から軍縮交渉を口にした外交交渉を見たことがありません。日本政府が中国を相手に軍縮交渉をしたという話は聞いたことがない。もちろんアメリカのオバマの口からも。軍備拡張はその国の好き勝手にやって良いのか。大いに盛り上がっている二酸化炭素の排出削減交渉と、どっちが重要なのか。あきれてしまいます。

もちろん、中国はまったく応じないでしょうが、だからと言って交渉しない理由になりません。軍縮の呼びかけに中国は拒否するでしょう。しかし、何度も軍縮を口にして、そのたびに中国が否定する、を繰り返すと世界の人々の中国に対する印象は悪くなるはず。経済に陰りが見えてきた中国の庶民にとっても、膨大な軍事費は大きな負担になりますし、もちろんアメリカ国民も軍縮したいはずです。

身内相手に騒ぐもの結構ですが、左派政党は中国へ行って行動していただきたいですね。何度も何度も話をするだけで、十分に効果があるはずです。もちろん、政府や自民党も、軍縮という視点をもっと打ち出していただきたい。もし本気でそれをやれば、世界に影響を与えることができます。しかし政府与党にはできないでしょう。

国際関係とは、科学技術がこれだけ進歩した今日ですら、理想とは程遠い、紀元前の時代の原始的な人間の生存本能むきだしの世界ですからね。国際協調なんて欺瞞もいいところです。

2016年10月17日月曜日

おカネは銀行の内側と外側の二重構造

ニュースではさかんに「日銀が金融緩和して世の中のおカネを増やす」というような話をしていますが、実際には日銀が金融緩和しても、それだけでは世の中のおカネは一円も増えない。なぜなら「おカネは銀行の内側と外側の二重構造」になっているからです。

この二重構造をマスコミはきちんと説明しないので、日銀がおカネを発行すると世の中のおカネが増えるという間違った認識が広がっています。まず世間の多くの有権者に対して、このおカネの二重構造を認識して欲しいと思います。

これはおカネの仕組みの基本ですから。

日銀はおカネ(現金)を発行しますが、これは日本銀行券(紙幣)と日銀当座預金の二種類があります。紙幣を印刷するのはわかりやすいですが、民間銀行の日銀当座預金の預金を増やすことも現金の発行です。日銀の金融緩和では、この日銀当座預金を発行して国債を買い取ります。

そして、紙幣も日銀当座預金も、それが増えたところで、あくまでもそれは銀行の内側の話です。世の中のおカネとは銀行の内側ではなく、外側にあるものを指します。なぜなら、銀行の外側にあるおカネが経済を動かすからです。おカネがどれほど銀行の内側にあっても誰も使えませんから。銀行の内側にどんどんおカネが増えても、積んであるだけです。

なので、日銀が金融緩和でおカネをどんどん増やしても、銀行の内側のおカネが増えるだけです。この銀行の内側のおカネは「マネタリーベース」(ベースマネー)と呼ばれます。それに対して、銀行の外側の、世の中のおカネは「マネーストック」と呼ばれます。一般のニュースでこの二重構造をマスコミが明確に説明した場面は、見たことがない。こんな基本中の基本のことなのに。

では、金融緩和で増えた銀行の内側のおカネが、どうやって銀行の外側のおカネを増やすのか?それは銀行の貸し出しです。銀行が金利を課して企業や個人に貸し出したときにだけ、世の中のおカネが増えます。国債も政府への貸し出しですから同じです。つまり、誰かが銀行に借金をしたときにだけ、世の中のおカネが増える仕組みなのです。

しかも、「貸し出す」と言っても、実際には銀行の内側のおカネが外側に流れ出すのではなく、銀行の内側のおカネはそのままなのです。そして銀行の外側に「預金」という信用通貨が、信用創造によって発生します。これ重要です。「銀行の内側のおカネが外側に流れ出すのではない」。流れ出すのではなく、民間銀行によって預金として新たに作られる。この預金が世の中のおカネのすべての基本です。こうして、銀行の内側のマネタリーベースと銀行の外側のマネーストックの二重構造が成り立っています。

これは、普通の有権者の方にも、ご理解していただきたいです。銀行制度の基本ですから。こういう話を、それこそ「そうだったのか」とやって欲しいですが、まあ無理でしょう。銀行の内幕をテレビで詳しくやると、大騒ぎになりますから。

多少詳しい人なら、この程度の事は知っていますが、少数派です。普通の人でも簿記の知識があれば、即わかります。しかし大多数の人はなんにも知らないまま、マスコミがいい加減なおカネの話を広めているだけです。愚民化ですね。それで世の中が動いているのだから恐ろしいです。

もしご興味があれば、本編のサイトに関連記事ありますので、ご覧ください。

2016年10月13日木曜日

日銀の国債保有残高40% 国の借金減る

日銀発表によれば、2016年10月7日時点における日銀の国債保有残高は400兆3092億円となり、政府の発行済み国債のおよそ40%を占めるようになりました。いや~良かった良かった。「国の借金ガー」の40%は返済おわったようなものです。日銀がこのまま(借り換えを含めて)国債を保有し続ければ、拙速な消費税増税の必要はありませんね。

2013年に130兆円だった国債残高が2016年には400兆円を超えたわけでして、日銀は300兆円ちかい現金を発生したわけです。とはいえ、ぜんぜんインフレになりません。なぜなら日銀が現金を発行しても、世の中のおカネを一円も増やしているわけではないからです。このことは本ブログでは何度も書いてますが、初めて見る人が居るかも知れませんので、しつこく書きますw。マスコミが嘘書きまくってるので、これ、大切です。

国債が発行されて財政支出がされた段階で(時差はあるが)、世の中のおカネはすでに増えています。これは国債を買い入れた民間銀行の信用創造によって、おカネが預金としてポンと発生したからです。だから、その時点で世の中の預金は増えています。その預金の裏づけとして、民間銀行が国債を保有しているわけです。

金融緩和、量的緩和の場合、日銀が現金を発生して、この民間銀行の保有している国債を買い取り、代わりに発生した現金を支払うので、民間銀行からみると、国債がなくなって、代わりに現金を保有した形になります。つまり、銀行の保有する資産が国債から現金に換わっただけです。裏づけ資産が入れ替わったですから、世の中のおカネは増えず、インフレにはならないわけです。

では、銀行が手に入れた現金をどんどん使えるかといえば、そういうものではありません。この現金は銀行が過去においてすでに発生した「預金」の裏づけとなっているため、勝手に使えるおカネではありません。銀行ができるのは、このおカネを使って貸し出しを増やすことだけです。が、景気が悪いし、消費も増えないので、おカネを借りる人があまり増えない。だからインフレにならないわけです。

そんなわけですから、日銀が国債をどんどん買い取ってしまっても、インフレを心配する必要はありません。日銀が国債をどんどん買っていただきたいですね。もちろん「オレの国債は絶対売らない」という人もいるでしょうから、すべての国債を完全に買いきるのは無理ですけどね。少なくとも「国の借金ガー」が大人しくなるまで買いましょう。


2016年10月12日水曜日

オタクによる世界征服計画とベーシックインカム

えー、私が総理大臣になったら、日本のオタク文化による世界征服計画を実行するのであります。漫画・アニメなどは広く世界中に広がっておりますぞ。このようにして、日本に対する良いイメージ、日本の大衆文化を受け入れる素地を外国で作り出すことは、とりもなおさず、日本のビジネス拡大、ひいては日本の世界征服を実現する第一歩となりましょう。

その重要な役割を果たしているのがインターネットであります。日本のオタク文化はすでにネットにあふれかえっており、それがインターネットを通じて、全世界へ流れ出して、世界の人々に多大な影響を与えていることは周知のごとくであります。ゆえに、今後は、ますますインターネットを通じたオタク文化の発信を強化する所存であります。

そこで、ベーシックインカムであります。ベーシックインカムを支給すると働かなくなるという話もありますが、逆に、好き勝手な活動を始める人々が間違いなく増加しますな。いまでもネットにはオタクらが作った、へんな動画が氾濫していますし、萌え画像などもますます増殖しておりますぞ。うへへ。これらはカネを稼ぐために作られたものではありませんな。オタクが好き勝手に作って、喜んでいるだけであります。

アルバイトなどの安い賃金労働の合間に、こうした好き勝手なコンテンツをネットに流していたオタクが、ベーシックインカムによって無味乾燥な労働から解き放たれ、一日中、部屋に引きこもって、膨大な量の動画や萌え画像を狂ったように放出するようになれば、ネット上のオタク文化の質と量が向上するだけでなく、何か新しい変化が現れるかもしれませんぞ。

従って、私は、ベーシックインカムによるオタク世界征服計画をぶち上げるのであります。

※本稿は冗談であり、現在行われている不毛な政権争いとは一切の関係はありません。

2016年10月11日火曜日

性格の違い システム主義と人治主義

会社組織や社会の人々を観察していると、人によって何を重視するかが異なっており、どうやらシステム主義と人治主義にわかれるように思われます。

よく、法治主義と人治主義のように比較されますが、その法治とはシステムの一種です。なぜここで法治と言わないかといえば、法治とは法律に限定されるからです。実際には社会のさまざまなシステムを指して「システム主義」と呼ぶのが相応しいと思うのです。

会社の経営者を見ると、面白いことにこの2種類のタイプがいるようです。システム主義の人は会社のシステムにこだわり、人によらずともシステムが動くように組織や仕組みを設計しようとします。それから、そのシステムがきちんと機能するように人事を行うわけです。そして、何かトラブルが発生すれば、それはシステム上の欠陥を疑い、システムに修正を加えてより機能的なシステムになるようにします。ルール違反が無い限り、あまり人の責任は追求しません。

一方、人治主義の経営者もいて、この場合はとにかく優秀な人材を、会社の組織上の要所に配置して権限を持たせ、その人材にあれこれ指示して会社を動かそうとします。そのため組織も人が変わると代わったりします。あまりシステムは重視せず、直感と判断力でその場を切りぬける力がモノをいいます。そして何かトラブルが発生すれば、それは誰かが悪いからだと考え、責任追及を始めます。そして悪い奴に罰を与えることでトラブルが防げると考えるようです。多くの場合、誰かを罰して満足してしまいます。そして、同じような問題を繰り返します。そのたびに憤慨して悪者を探しますが、システムがそのままなので、永遠に同じ失敗を繰り返します。

自分はシステム主義なので、人治主義の経営者とは合いませんでしたね。なにしろ人治主義の社長は「誰が悪いか、悪い奴を切る」ことばかり考えてましたからね。自分はシステムが悪いと考えるのですが、それは責任逃れだというのです。確かにシステムの良し悪しだけで事業を的確に運営するには限界があるんですが、システムが無いのに、社員の能力だけで乗り切るなんて不可能なんです。人治主義の人は、そこが理解できないようです。

さて、これは会社の経営者だけじゃなくて、世間における一般の人の場合もそれが当てはまるようです。政治や経済のことに関しても、人治主義の人は「責任者を探して処罰する」ことが大好きで、非難したりつるし上げたりしますが、それが終わると溜飲を下げてしまう傾向があるように思われます。こうした人は、政治家として良い人を送り出せば政治が良くなると思っているような気がします。逆に政治が良くならないのは政治家が良くないからだと考えます。ですがそんな都合の良い人はいませんから、常に政治家に失望しています。これを永遠に繰り返します。

しかし、システム主義からしてみると、問題は政治家の個人的な能力というより社会そのもの、つまり問題はシステムにあると考えるわけです。ですから、悪い奴を見つけて罰すれば世の中が良くなるなんて、これっぽっちも思えません。なので、端から政治家の能力にまったく期待などしていません。そうではなく、自分の頭の中には「こうあるべきだ」と思うシステムがあらかじめあって、それを実行しそうな政治家がいないかどうかを探します。それが居ない場合に失望します。

人治主義の人たちとはどうも意見が合わないですね。アベが悪いとか、朝鮮人が悪いとか言ってデモしている。そういう人たちはどちらも理解不能です。それに、こちらが「社会システムに問題がある」というと、人治主義の人は「お前は社会のせいにしている」と必ず言うのです。人治主義の人の頭の中は、常に誰かが悪い、人間に原因があると考える傾向があるようです。これじゃあ、何年経っても同じことを繰り返しますよ。まるで話が合いません。

そんなことを、つらつら、考えてしまいます。




2016年10月10日月曜日

ベーシックインカム導入は避けられない

ベーシックインカムに否定的な意見も多いようですが、しかし残念ながら、ベーシックインカムの導入は避けられないでしょう。なぜなら、近い将来、人工知能やロボットの劇的な進化により「生産に労働力をあまり必要としない時代」が到来するからです。

生産に労働力を必要としないようになれば、必ず失業者が膨大に発生することになります。そして失業者が増えるほどに消費者の購買力は低下し、モノが売れなくなって不況が深刻化し、経済はどんどん縮小しまいます。もちろん失業による貧困が拡大して社会も荒廃します。いわゆる「技術的失業問題」です。これを防ぐには、労働のいかんに関わらず、消費者におカネを支給しなければならない、つまり、これをベーシックインカムと呼ぶなら、それを実施しなければならないわけです。

ですから、「ベーシックインカムは不可避」です。残された問題は「いつ、どのようにして始めるか」だけなのです。

これは、多くの識者の間ではすでに自明なのですが、マスコミ、政治家、官僚、御用学者の多くは意識的にスルーしています。気付かないはずがありませんから。なのになぜスルーなのか?これが社会に大変革をもたらす可能性が高いからです。しかも既得権の構造を脅かす可能性がある。だからスルーを決め込んでいるのでしょう。

こうした日本の「事なかれ主義」と異なり、欧州ではベーシックインカムに関する社会の認知も高まり、賛否に関するアンケートが行われたり、投票が行われたりと、活発な活動が行われているようです。未来に対するビジョンを政治が受け止めるだけの能力があるのですね。

一方の日本で、マスコミ、政治家、官僚、御用学者の熱心なのは「財政再建」「増税」「労働法規の改正」です。彼らの頭の中は、相変わらず1900年代のまま何の進歩もないようです。まもなく2020年にもなろうというのに、驚くべき低レベル。

おそらく、問題が抜き差しならないほど深刻化してから、マスコミも政治家も、はじめて気付いたように大騒ぎを始めるんでしょうが、バカバカしいにもほどがあります。こうした技術的失業問題はある日、突然に起こるのではなく、もうすでに現在進行形で進んでいると考えるのが自然です。だから今の世の中、消費者に行き渡るおカネが少なく、消費者の購買力が不足して、景気が低迷している。

ですから、「ベーシックインカムは不可避」です。残された問題は「いつ、どのようにして始めるか」だけなのです。

2016年10月7日金曜日

ベーシックインカム推進論者は多様

ベーシックインカムを推進している人々のベーシックインカムに対する考え方は、さまざまのようです。というのも、立ち位置(目的)の違う様々な人たちがベーシックインカムの必要性を認識し、その導入を主張しているからです。では、どんな人たちが居るのでしょう。思いつくところで書いてみます。

一つ目は、社会福祉から入ってきた人たちです。彼らは、弱者救済、貧困生活者の最低所得保障を最大目的としているようです。そのため、財政の効率化、あるいは経済論、経済システムとしての考え方よりも、理想・思想・人権といった分野における主張を展開します

二つ目は、行政の効率化から入ってきた人たちです。彼らは社会保障制度にからむ既得権益を排除し、非効率を解消し、歳出を削減すると同時により費用対効果の高い社会保障制度の確立を目的としています。もちろん弱者救済の大儀はあるものの、それが最優先ではないようです。

三つ目は、人工知能や自動生産機械などの急速な進歩に伴う、技術的な失業に対応して経済システムを維持するために、労働と所得の分離を図ろうとする考え方です。これは貧困救済の意味もありますが、中心的な目的ではなく、行政の効率化もほとんど関係ありません。自分はこの三番目の入り口から入ったわけです。

この3つ以外に他にもあるかも知れません。

このように、ベーシックインカムの導入を主張する人たちには、多様な立ち位置があるため、同じ推進派の人でも微妙に考え方が異なるのです。これを念頭に置かないと「そもそもベーシックインカムは・・・・」と始めても、話が全然かみ合わなかったりします。

とはいえ、これは、多様な人々がベーシックインカムの必要性を認識しはじめたことの証左であり、やがてベーシックインカム推進派が多数を形成する予感がします。

EUにおけるベーシックインカムの賛否を問う世論調査の結果によれば、賛成が約6割、反対が2割といった結果が出ているようです。つまり、EUにおいては、「総論」でベーシックインカム賛成が圧倒的に多数を占めるようになってきています。

問題は「各論」つまり制度設計です。多くの庶民は「ベーシックインカムを実施すると、貧困層におカネを吸い取られて、自分の生活が逆に苦しくなるのではないか」との不安を抱いているようです。庶民の生活を悪化させることの無い、優れた制度設計があれば、ベーシックインカムの実現は近いかも知れません。


2016年10月6日木曜日

私的にはデフレが有利なのだが・・・

私は自分のブログにおいて、金融緩和や財政出動、インフレターゲットなどインフレを擁護する発言をしています。しかし、私的な状況から言えば、自分にとってはインフレよりデフレの方が有利です。なぜかといえば、老後のために個人年金をやってるからです。

基本的に政府の年金制度はあやしいと思っていたため、仮に政府の年金が破綻しても老後に餓死することがないよう、個人年金にかなりのおカネを突っ込んでます。インフレにならなければ、何とか死なない程度に生活できるよう準備してます。その意味で、実はインフレになると計画がご破算になるかも知れないので不安はあります。デフレの方が良いのはそのためです。

しかし、デフレで日本がますますダメになってゆくのは、見るに耐えないと思うのです。デフレで貧困化する若者を尻目に、自分の老後をデフレに頼るなど不健全です。だから自分はインフレを容認しているんですね。日本を信じているんです。若者を信じている。だから、日本は成長しないとか、山を降りるとか、そういうことを平気で発言して、デフレを容認している連中には賛同できないんです。極めて腹が立つのです。

日本経済は必ず良くなるはず。確かに人口が減れば総額としてのGDPは伸びないけれど、一人当たりの生産力、つまり一人当たりの豊かさはまだまだ伸び続ける。人類の科学技術がそれを必ず可能にするはずであり、それを阻んでいるのは社会の制度的な欠陥であると思うのです。その欠陥を、欠陥と知りながら既得権益集団が自分たちのエゴのためだけに「カネを」守っている、そう考えています。まさに貯め込んだカネを必死に守っている。そのために経済が死んでゆく。

その制度的な欠陥を叩き壊し、科学技術の進歩を人々が正しく享受できるシステムを作り出せば、たとえインフレになったとしても、年金制度は必ず維持できる、むしろ支給額がもっと増加するはずなのです。技術の進歩により国民一人当たりの生産力が拡大すれば、国民が豊かになるのは当然だからです。あまりにも当たり前の話ではないでしょうか。

だから、自分の老後をデフレには頼りたくない。貯め込んだカネにすがるのではなく、未来に達成される財の生産力によって老後の生活を支える方に賭けたいと思っているのです。

カネの価値のために経済を殺すべきではありません。


2016年10月5日水曜日

ノーベル賞の将来は日本よりも中国へ?

今年のノーベル賞(医学生理学賞)に日本人である大隅教授が受賞されたことで、ここ数年の日本人のノーベル賞受賞に世間が沸いています。しかしその大隅教授はむしろ日本の基礎研究の空洞化を心配しておられました。こうした基礎研究の不足に関しては、近年の日本の受賞者も共通して指摘されています。

基礎研究はおカネにならないので、こうした分野は公的な研究助成が欠かせないと思われるわけですが、では日本の近年の公的な研究開発費予算はどうなのでしょうか。これは、経済産業省によるレポート「我が国の産業技術に関する研究開発活動の動向」掲載されています。その2014年版のP.26より以下に図を引用します。



この図より、アメリカがスバ抜けて多いわけですが、その60%近くが軍事研究です。しかし軍事技術の民間転用は十分に大きいわけですから(ちなみにインターネットも軍事技術が起源)、含めて考えるべきでしょう。そして日本が失われた20年で研究開発費が伸び悩む中で、世界各国は徐々に予算を拡大しており、中でも中国の伸びは急激であり、すでに日本の3倍に達する勢いです。

たとえ日本で若い研究者が育ったとしても、彼らを受け入れるべき研究機関が増えなければ、そうした若者は職を得ることができず、海外へどんどん出て行くしかないのです。もしかすると、これからの世界の研究者は中国を目指すことになるのかも知れません。

基礎研究はカネになりません。いわゆる経済的な成果を期待できる分野ではないし、何が後世の役に立つかもわからない研究です。わけのわからないものに、ひたすら挑戦する、ある意味、大いなるムダこそが基礎研究なのです。オートファジー研究なんか、失礼ですが、面白いだけの現象であって、役に立つなんて想像も付かない時代にスタートした話です。私も生物系出身なので良くわかります。

大隅教授の受賞を期に、これをもっと国民が理解し、経済的にムダな研究に多くのおカネを費やすようにならなければ、10年後のノーベル賞は日本ではなく、中国の時代になるに違いないと思います。