2016年10月11日火曜日

性格の違い システム主義と人治主義

会社組織や社会の人々を観察していると、人によって何を重視するかが異なっており、どうやらシステム主義と人治主義にわかれるように思われます。

よく、法治主義と人治主義のように比較されますが、その法治とはシステムの一種です。なぜここで法治と言わないかといえば、法治とは法律に限定されるからです。実際には社会のさまざまなシステムを指して「システム主義」と呼ぶのが相応しいと思うのです。

会社の経営者を見ると、面白いことにこの2種類のタイプがいるようです。システム主義の人は会社のシステムにこだわり、人によらずともシステムが動くように組織や仕組みを設計しようとします。それから、そのシステムがきちんと機能するように人事を行うわけです。そして、何かトラブルが発生すれば、それはシステム上の欠陥を疑い、システムに修正を加えてより機能的なシステムになるようにします。ルール違反が無い限り、あまり人の責任は追求しません。

一方、人治主義の経営者もいて、この場合はとにかく優秀な人材を、会社の組織上の要所に配置して権限を持たせ、その人材にあれこれ指示して会社を動かそうとします。そのため組織も人が変わると代わったりします。あまりシステムは重視せず、直感と判断力でその場を切りぬける力がモノをいいます。そして何かトラブルが発生すれば、それは誰かが悪いからだと考え、責任追及を始めます。そして悪い奴に罰を与えることでトラブルが防げると考えるようです。多くの場合、誰かを罰して満足してしまいます。そして、同じような問題を繰り返します。そのたびに憤慨して悪者を探しますが、システムがそのままなので、永遠に同じ失敗を繰り返します。

自分はシステム主義なので、人治主義の経営者とは合いませんでしたね。なにしろ人治主義の社長は「誰が悪いか、悪い奴を切る」ことばかり考えてましたからね。自分はシステムが悪いと考えるのですが、それは責任逃れだというのです。確かにシステムの良し悪しだけで事業を的確に運営するには限界があるんですが、システムが無いのに、社員の能力だけで乗り切るなんて不可能なんです。人治主義の人は、そこが理解できないようです。

さて、これは会社の経営者だけじゃなくて、世間における一般の人の場合もそれが当てはまるようです。政治や経済のことに関しても、人治主義の人は「責任者を探して処罰する」ことが大好きで、非難したりつるし上げたりしますが、それが終わると溜飲を下げてしまう傾向があるように思われます。こうした人は、政治家として良い人を送り出せば政治が良くなると思っているような気がします。逆に政治が良くならないのは政治家が良くないからだと考えます。ですがそんな都合の良い人はいませんから、常に政治家に失望しています。これを永遠に繰り返します。

しかし、システム主義からしてみると、問題は政治家の個人的な能力というより社会そのもの、つまり問題はシステムにあると考えるわけです。ですから、悪い奴を見つけて罰すれば世の中が良くなるなんて、これっぽっちも思えません。なので、端から政治家の能力にまったく期待などしていません。そうではなく、自分の頭の中には「こうあるべきだ」と思うシステムがあらかじめあって、それを実行しそうな政治家がいないかどうかを探します。それが居ない場合に失望します。

人治主義の人たちとはどうも意見が合わないですね。アベが悪いとか、朝鮮人が悪いとか言ってデモしている。そういう人たちはどちらも理解不能です。それに、こちらが「社会システムに問題がある」というと、人治主義の人は「お前は社会のせいにしている」と必ず言うのです。人治主義の人の頭の中は、常に誰かが悪い、人間に原因があると考える傾向があるようです。これじゃあ、何年経っても同じことを繰り返しますよ。まるで話が合いません。

そんなことを、つらつら、考えてしまいます。