2016年10月21日金曜日

生産事業でカネを稼ぐのは良いことだが

資本主義社会では企業や個人が生産主体となって事業を行う経済形態を取る以上、こうした事業でカネを稼ぐことは良いことです。政府も事業を行いますが、インフラ整備などのように、生産そのものではないですから、企業や個人の事業がないと、経済が成り立たない仕組みだからです。

だから生産事業でカネを稼ぐことは良いことです。そして、稼いだおカネを再投資して、生産事業を拡大することで社会の生産力、供給力を向上させてきたのが資本主義の歴史です。

しかし今や企業や個人は稼いだカネを投資をしなくなり、貯め込むようになってしまった。しかもどんどん貯め込むようになり、世の中のカネが回らなくなる。こうなると、社会にとって、カネを稼ぐことは無意味化してくる。いくら稼いでも貯め込んでカネを死蔵するなら、稼ぐ行為は通貨退蔵によるデフレを誘発する原因になるだけです。

稼ぐ力は、使う力と同時でなければ意味がない。

新聞マスコミは壊れた機械のように「稼ぐ力」を繰り返すが、それだけです。「使う力」の方は、あまりに軽視されている気がします。稼いだら使え。これは資本主義社会を維持するために必須の条件です。もちろん、使えといってもカネのない庶民では知れています。ローンの支払いに追われる庶民ではなく、カネをしこたま貯め込んでデフレを誘発している企業や富裕層にカネを使うようにもっと尻を叩いたほうが良い。

とはいえ、こうしたカネを貯め込んでいる個人や企業は、「カネを使うことには熱心ではないが、カネを増やすことだけには熱心」だから困ります。カネを転がしてカネを増やす、投機に走ればバブルを引き起こす。こういう「使う力」では意味がありません。

「稼いだら使え」。新聞マスコミはカネを稼ぐ力の話だけでなく、カネを消費する力をどんどん啓蒙して、カネを貯め込んでいる連中の尻を叩く必要があると思います。散財は美徳なのです。

それでも使わずに稼いだカネを死蔵するなら、
もはや課税するしかありません。