2016年11月29日火曜日

年金は「保険料の無料化+無条件支給」が正解です

国民配当(ベーシックインカム)を実現するステップとしては、多様な方法が考えられます。もちろん理想的には、毎月10~15万円支給という、最低生活保障を最初から実現する方法でしょうが、自分はこだわりません。一つの考えとしては、年金制度からステップアップする方法もあると思います。

つまり、「年金保険料の無料化+無条件支給」です。これは、いわば年金をベーシックインカムにしてしまおうという話です。高齢者は原則的にいえば、労働人口ではありません。そもそも、総活躍、などと称して、高齢者を無理に働かせようとする考えがおかしいと思います。ベーシックインカム反対論者の多くは「ベーシックインカムを導入すると働かない人が増える」と主張していますが、高齢者であれば働かなくなるのは、あたりまえであって、何の問題もありません。死ぬまで働かされるのがおかしい。

もちろん、高齢者にあっても、企業として必要な人材であれば、企業は喜んで働いてもらうでしょう。しかし、定年延長や再雇用制度によって、無理に高齢者の雇用を維持するのはおかしい。それは「年金生活者の数を減らすための政府の恣意によって、無理やり高齢者を企業に面倒みさせる」だけです。高齢者は働きたくないのに働かされ、企業は雇用したくないのに雇用を維持する。年金財源を減らすためだけに。まさに不毛です。

もちろん、科学技術が進歩せず、生産性が向上しないにも関わらず、寿命だけが伸びている社会であれば、高齢者にも働いて生産活動を行っていただく必要はあるでしょう。しかし現状として生産性の向上は生産年齢人口の減少率より高く、また今後はロボット化、完全自動生産化により、生産性は加速度的に向上するでしょう。

つまり、簡単に言えば、高齢者は早く退職して、代わりにロボットや機械が働けば良いのです。高齢になってまで、無理に働く必要などありません。それを、総活躍、などと称して強制的に労働参加させるのは残酷にすぎません。働きたい高齢者は働いても良い、しかし、それ以外の高齢者は基本的に働く必要はありません。

そこで、「年金保険料の無料化+無条件支給」です。年金をベーシックインカム化するのですから、保険料は必要ありません。そして65歳以上であれば、無条件に支給します。

保険料が無料化するので、現役世代の年金負担は無くなります。これで毎月国民年金税約15,000円払う必要がありませんから、減税と同じ効果があります。景気刺激効果があります。これは非常に大きいです。

なおかつ、無条件に支給なので、国民の年金に対する不安は消えます。将来への不安が消えれば、貯蓄より消費へおカネが流れるといいますから、景気回復にも効果あります。年金支給額としては、国民年金の2倍の約140,000円ほどを毎月支給すれば生活できるでしょう。もちろん、厚生年金や個人年金は上乗せでも良いわけです。

こうして、年金が保証されれば、仮に人生に果敢にチャレンジして、失敗しても、老後は野タレ死ぬ恐怖から開放されます。リスクを恐れない活力が社会に生まれます。

また、高齢者の生活保護は年々増加しており、結局のところ、年金をベーシックインカム化しても同じことです。それならば、中途半端に生活保護で保障するのではなく、高齢者をまるごと完全に保護してしまうほうが、将来への不安を確実に払拭できます。

そして、社会の自動生産化の進展にあわせて、年金支給年齢を引き上げるのではなく、逆に60歳、55歳と、段階的に引き下げます。また、幼児や学生のベーシックインカム化を併用しても良いです。

つまり、高齢者や若年者という「非生産年齢人口のベーシックインカム化」です。非生産年齢の人は、そもそも働く必要はないのですから、それらの人々の生活を保障することから始めるのが一つの方法だと思うのです。

財源は通貨発行+金融資産課税といったところですが、長くなるので、それは別の機会に。

最初から完全ベーシックインカムを導入するよりも、必要な財源は低く抑えられますから、実現可能性はより高まります。一つのアプローチ方法として、ご提案します。

2016年11月28日月曜日

雇用を守ってもユートピアには至らない

古来より人々の夢はユートピア(理想郷)にありました。そこは、人々は苦痛を伴う無味乾燥な労働から解放され、人々が自らの関心や興味だけで、自由に活動できる社会でしょう。こうしたユートピアはSF小説としては、高度な機械文明に支えられた社会として描かれてきました。たとえば人工知能を備えたロボットが人間の代わりに、労働を担う社会です。

そして今日、人工知能の飛躍的な進化と完全自動生産工場の実用化がいよいよ現実味を帯びてきました。人間が無意味な労働から解放されるユートピアに近づきつつあるわけです。ところが、こうした状況にあって、これを労働から開放されるのではなく、労働を奪われるという話になってきました。ロボットに労働=仕事を奪われるという騒ぎです。

一方で、「雇用を守れ」などと騒いでいる政党があります。こんな意味不明のことで騒ぐ状況では、人間が労働から開放される日など永遠に来ません。雇用を守っていても、ユートピアは永遠に実現できないでしょう。

雇用を守るのではなく、
雇用を必要としない社会を実現する

本来、左派であれば、そうあるべきだと思うのです。もちろん、明日からすぐにそうすべきという話ではありません。ただしビジョンとしてそれを掲げ、ロードマップを描くことはできますし、それが必須です。「雇用を守れ」ではなく「雇用を必要としない社会の実現」を堂々と掲げていただきたい。そのためには、コンクリートへの投資でも人への投資でもなく、未来技術への大規模な投資が必要です。公共投資が悪、などといっているようでは話になりません。

一方、与党・自民党は雇用も守らないし、雇用を必要としない社会の実現も目指していない。これではお話にならないとおもいます。雇用を守る必要はないが、それは「雇用を必要としない社会を実現する」という文脈において有効であって、ただ単に雇用を市場原理に任せるのでは不幸を増やすだけです。

つまり、もはや左派政党自民党も、基本的な考えが時代遅れでお話になりません。科学技術の飛躍的な進化が描き出す未来へのビジョンが何も感じられないのです。どちらも前世紀の政党です。

雇用を守るのではなく、
雇用を必要としない社会を実現する

これを打ち出せる政党があるならば、支持したいと思います。

2016年11月25日金曜日

付加価値ではなくシステムがカネを生む

見方を変えると世の中が変わって見えることがあります。所詮、すべては解釈に過ぎないからです。正しい考えなどないと思ったほうがよいと思います。たとえば「労働による付加価値が利潤を生み出す」と考える人がいますが、これも単なる解釈に過ぎません。むしろ「システムがカネを生んでいる」と解釈するほうが理にかなっている、とも思えるのです。

たとえば、資産ころがしなどのキャピタルゲインです。株式投資とか、FXなどもそうです。こうした行為がどのような付加価値を生み出しているかといえば、何も生み出していないことは明白です。ですから、付加価値が利潤を生み出すとする解釈には無理があります。

すべての利潤に共通するのは、そこにシステムが存在していることです。ぶっちゃけに言えば、ポケットまでカネが流れ込む一連のシステムが存在しています。いちど、そのシステムが出来上がると、あとは自動的にどんどんポケットにカネが流れ込んできます。

このシステムを構築する能力が高い人間は、金持ちになります。特に付加価値を生み出す能力が高い必要はありません(もちろん、高いほうが有利ですが)。たとえば、自分が労働するのではなく、優秀な労働者を雇用すればよいわけです。最も重要なのは、システムの構築能力です。

このシステムが稼動するには力学が必要であり、それが人間の欲望です。欲望という推進力を用いたメカニズムを考える必要があります。ここには、様々な欲望があり、付加価値もあれば、恐怖・不安・安心など精神的な動機だけのばあい、宗教、あるいはカネからカネを増やしたいという欲望まで様々です。これがシステムの推進力となります。

このように解釈すると、労働による付加価値は、システムの推進力の一つの歯車に過ぎないことがわかります。そして、このシステムには下部構造があって、それは情報技術で言えば「OS(基本ソフト)」にあたるものが存在します。それが資本主義などの、いわゆる経済システムであるわけです。こうした下部構造の上に、それに適合した上部構造が形成されます。

そして、この下部構造のメカニズムが機能しなくなると、上部構造も機能しなくなるわけです。

そんなわけで、付加価値とか労働とかではなく、システムとしての下部構造と上部構造から社会・経済を眺めると、いわゆる新聞マスコミなどの記事が前提とする常識論とは別のことに気が付くと思うのです。

2016年11月23日水曜日

トランプ氏の二国間交渉も要注意

ついにトランプ氏がTPPの離脱を明言しました。これでTPPは頓挫する可能性が大きくなりましたが、トランプ氏は二国間交渉をすると言い出しました。しかし、トランプの二国間交渉は危険な予感に満ちています。貿易不均衡(日本の対米黒字)を挙げて、強引な交渉を仕掛けてくる可能性があるからです。これはTPPよりさらに面倒なことになる。どう対応するか?素人なりに少し考えてみます。

まず、「米や畜産品の関税撤廃をしないと、自動車に課税するぞ」と恫喝してくると考えがちですが、たぶんそれはないかと。日本の農業生産総額は畜産含めて8兆円程度しかない。米は1.4兆円、畜産が3兆円。自分がビジネスマンなら農業など放置して、「貿易が均衡するまで自動車に課税する」と言います。農業関税よりも、むしろこうなると面倒です。

財務省の貿易統計を確認してみましょう。
貿易統計報道発表H27
http://www.customs.go.jp/toukei/shinbun/trade-st/2015/2015_117.pdf

これによると、日本の対米貿易黒字は年間約7兆円あります。何の策も講じることなく、日本がアメリカからの輸入を増やして7兆円もの黒字を解消することは厳しいと思われます。一つの方法としては、国内の景気回復の点からも、ヘリコプターマネーのような給付金によって国民の購買力を高め、輸入を増やす方法があります。

しかし、それだけだと、アメリカからの輸入が増えるとは限りません。中国からの輸入が増えるだけかも知れません。ヘリマネによる内需拡大は絶対に必要だと思いますが、他の政策も同時に必要かと思うのです。

そもそも日本は対米黒字であるとはいえ、総貿易収支は赤字傾向になっています。日本はアメリカ以外の国からの赤字を抱えているわけです。では、いったい、どの国からの貿易が赤字なのか。中東からの赤字が約6兆円、中国からの赤字が約6兆円です。つまり、アメリカからドルを吸い上げて、中東と中国へ流しています。これにアメリカが不満なわけです。

これを単純に解決しようと思えば、アメリカ以外の国から輸入するのをやめて、代わりにアメリカから輸入すればよい、ということになります。もちろん、自由貿易ですから、言うほどに簡単にできるわけではありませんが、一つの方針としてありえると思います。

たとえば、中東からの赤字は、ほとんど石油などです。ですから中東から石油を買うのではなく、アメリカから買えばよいことになります。これらの輸入額は約9兆円です。仮にこの1/3をアメリカから買えば、アメリカから吸い上げたドルの約3兆円がアメリカに戻ります。トランプ氏はエネルギー資源の輸出規制を撤廃し、エネルギー資源の輸出に力を入れると発表しましたから、これはまさにちょうど良いタイミングです。

次に中国です。日本は中国から膨大な輸入をしていますが、これは日本から中国への産業移転が進んだ結果、そうなったものです。つまり、日本にあった工場を中国に移転し、そこで生産した製品を日本に輸入する形になっています。輸入額は電気機器5兆円、電算機類(コンピュータ)2兆円、衣類など2兆円といった具合です。また、原料(鉄やプラスチックといった素材)も約2兆円あります。

つまり、中国にある工場をアメリカへ移転すればよいわけです。そして中国で生産するのではなく、アメリカで生産し、それを日本に輸入すればよいわけです。たとえば、中国から輸入している電気機器、電算機、原材料のうち、合計4兆円分をアメリカにもっていく。これは対米投資を意味します。アメリカでは設備投資が増加して景気を刺激し、工場の建設で雇用が生まれます。しかも、貿易不均衡は改善します。

ただし、これだけ自由化が進んだ時代にあっては、そう簡単にはいきません。笛吹けど踊らず。市場は市場原理で勝手に動くものです。ですから、政府主導の政策と、長期的なビジョンに基づき、徐々に成果を出すしかないと思われます。手っ取り早いのがシェールオイルや天然ガスの輸入量を増加することで、構造的な変化が必要な対米投資の拡大については、じっくり取り組む。これをもって、トランプ氏と交渉するわけです。

もちろん、未来的には完全資源リサイクルや完全自動生産などの高度テクノロジーにより、各国の経済的独立性を高めて、貿易は最小限にとどめるようにするべきですが、現状は難しいところもあるので、現在のシステムの範囲で考えます。

御用学者に言わせれば、こんなのは素人考えだと批判するでしょうが、では逆に、グローバリズムによって、どうやってアメリカの雇用を生み出し、貿易不均衡を改善するというのか?そんなメカニズムは聞いたことがありません。耳にするのは、美しいお題目ばかりです。

2016年11月22日火曜日

自由貿易はロマンチックな夢想

資本主義のロマンチストである安倍首相は、自由貿易至上主義についての信仰心も高い。自由貿易ですべて解決できると信じて疑わないようです。グローバリズムに対する懐疑的なみかたが広がらないよう国民に説明し、自由貿易の利益をひろく行き渡らせるという。しかし、具体的にどんな方法で行き渡るのか?何の説明も無い。説明のしようがないからです。

自由貿易とは、その実際は国際分業です(リカード仮説)。各国がそれぞれの国内で最も生産効率の高い財の生産に特化し、これを貿易で完全に相互分配することで、貿易国の総生産力が貿易する前よりも高まる。これが経済成長であり、これが人々に行きわたれば、貿易する前より豊かになる。そういう考えです。

確かに、生産能力がまだまだ不十分だった過去の時代において、貿易を行う国全体の総生産量を増加させるために、国際分業が有効だったことは間違いないでしょう。しかし、生産過剰、消費不足、投資不足という、新たな時代に突入した現在、自由貿易で、さらに総生産力を増加して、いったい誰が消費するのか。そんなカネは庶民にありません。

自由貿易の利益が国民に行き渡るためには何が必要か。自由貿易によって庶民にカネが行き渡たることです。そうでなければ、企業と資本家だけが利益を得るのです。グローバル化によって、庶民にカネが行き渡ったのか?実際にはバブル崩壊以降、中国への進出などで産業がどんどんグローバル化しましたが、逆にサラリーマンの平均所得は減少し続け、非正規雇用が増加しました。一方で中国の人々はどんどん豊かになった。これを「日本人が働かなくなって、中国の人ががんばったからだ」のように言った、とんでもない政治家が居たが、そういう根性論の話ではない。

国際分業とは、すなわち、国内における生産効率の高い財の生産に「特化」することを意味します。「特化」ですから、必然的に国内で生産効率の低い産業は潰れます。というか、どれかが潰れないと特化になりませんので、国際分業になりません。つまり、倒産と解雇を前提として成り立ちます。理論的に必ずそうなります。たとえば、繊維産業と自動車産業があれば、繊維産業が消滅して、その際、繊維産業で働いていた人々が自動車産業に就職する。そして自動車産業に特化する。これが国際分業です。

もちろん、それほど単純ではないため、ある程度は産業の多様性は保たれますが、基本的に産業の多様性は否定され、単純化されます。多様性は非効率なのです。

そして、国際分業によって潰れた産業から、特化した産業へすべての人が吸収されることで、すべての雇用が維持され、人々の賃金が貿易により増加し、したがって人々の生活が貿易前よりも向上します。ですから、あくまでも、特化した産業にすべての人が吸収されることが前提の仮説です。これなら理論どおりに、自由貿易によって経済成長と国民生活の向上が実現します。

では、実際にはどうか?国際分業によって潰れた産業から、特化した産業へすべての人が吸収されるのか?されません。

人を採用せず、機械を導入するからです。今後は、ますます機械が増えるでしょう。なにせ、国際分業は生産効率が高い産業に特化するんですから、ますます機械化します。したがって、国際分業の名目で押し出された人々のうち、必ず一定の人々は溢れます。ですから、国内において生産効率の高い、国際分業可能な、新たな産業を作り出さねばならなくなります。しかし実際に容易ではありません。それが難しいから問題が生じているのです。だからこそ、労働市場において人手が過剰となり、賃金水準が低下し、そこへ、「低賃金に特化したブラック企業」が誕生し、そこに人々が吸収されてゆくわけです。

しかも、これは日本だけでなく、自由貿易を行うすべての国で、同時に解決しなければならない課題となる。

そうした根本的な問題に、安倍首相は何か解決策を示したのか?
ロマンチックな資本主義の夢に酔うだけだ。

現実は甘くない。資本主義の理想的なメカニズムに沿って動かない。理想論どおりに動かないことに業を煮やして産業界に圧力をかけて、賃上げを呼びかけるのは、いかがなものか。そもそも、根本的なシステムがおかしいのに、理想的なメカニズムなど機能するはずがない。ロマンチストにはそれが理解できないのでしょう。



2016年11月21日月曜日

安倍トランプ会談 野党も見習え

安倍首相と次期米国大統領トランプ氏の会談のスピード感はすごい。民進党は「朝貢外交」とイメージ論で評しているようですが、実利優先のビジネスの世界を知っていれば、このスピードがどれほど有効か考えるまでもありません。まあ、民進党もこれが安倍じゃなくて他の国の指導者だったら賞賛するのかも知れませんがw。

トランプ氏の政策は、まだ揺れています。具体的な政策がまさに決まりつつある段階です。その時期にすかさず訪問し、自分に少しでも有利な状況に誘導しょうとネゴシエーションに行ったのです。政策が決まってしまってからでは遅いでしょう。しかも、他の先進国、ドイツ、フランス、イギリスなどの政治家は、のきなみトランプ氏を批判してきました。安倍は批判してこなかった。ですから、彼らが対面上、二の足を踏んでいるときに、まさに「トンビにあぶらげ」状態で、いいところを安倍がさらっていったのです。すべての国が「外交的にやられた」と思っているでしょう。

このようなしたたかな老獪さは、中国の政治家にあって日本の政治家になかったものだと感じます。今までの戦後の日本の政治家なら、「大衆主義の懸念がー」とか言って、世界の顔色を見て、趨勢がすべて決まってから、へらへら動くでしょう。

おそらく、次期大統領がトランプ氏でなかったとしたら、早期会談などしなかったと思われます。クリントン氏だったら規定路線なので、訪米するまでもなし。機を見るに敏、この狡猾さを野党は見習うべきです。安全保障もそうだが、おそらく安倍は自由貿易推進論者として、トランプ翻意をしようとするTPP加盟各国の先人を切り、TPPをなんとしても推進するつもりなのだろう。

自分はTPPに断固反対だか、これではヤツに勝てない。

国会で、TPP批准は、どうせ数で押し切られることは目に見えている。野党が必死に反対しているところをマスコミを通じて報道させ、「強行採決」を演出することで自民党支持率を下げる戦略はありだろうが、やりすぎるとなんでも反対のマイナスイメージが逆効果を生むだろう。こんな戦略ばかりでは、国民もやがて飽き飽きしてしまう。

トランプ氏は選挙中にTPP離脱を明確に打ち出していたため、おそらく、そのままTPPを批准するなどということは絶対にできない。必ず再交渉を要求してくる。そのとき日本が絶対に再交渉に応じない、となれば、間違いなくTPPは潰れると思います。だから、TPPの再交渉は絶対に応じない、という点を、確約取るくらい安倍に追求すべきです。そして「再交渉は絶対に応じない」という発言を、マスコミを通じて国民に広く印象付けておく。その上で押し切られるのはやむを得ない。

どんな方法でも良いのですが、野党は安倍政権を逃げの効かない状況に追い込んで、罠に陥れるくらいの方法を考えていただきたいものです。正面から棍棒を持って殴りかかるだけでは勝てない。


2016年11月18日金曜日

「多様性」という言葉に違和感がある

最近、しきりに「多様性」という言葉が使われます。文脈的には、民族や文化、宗教の多様性を尊重する、という意味で使われます。似たような言葉として多文化共生があります。しかし、生物学系の勉強をしてきた自分からすると、どうもマスコミの好きな「多様性」という言葉の用法に違和感を覚えてしまうのです。

生物学における多様性とは、生物学的多様性のことです。この多様性の概念は、民族、文化、宗教の多様性における重要性とほとんど同じであろうと思います。つまり、単一な構成要素からなる集団ではなく、多様な種からなる集団こそ、重要であるとの考えです。

そして、よく考えてみると、「多様性」には二種類の考え方が内在していることがわかります。しかも、その両方が重要であることが理解されるはずだと思うのです。それは、

①個々の多様性が尊重される(価値の同等性)
②個々の多様性が保持される(種の独立性の維持)

つまり、それぞれの民族、文化、宗教が同等の価値として尊重されると同時に、それらが未来永劫に継承され、保持され続けることが、多様性にとって必須となります。では、その成立条件は何でしょうか。

生物学的多様性については、たとえば外来種の問題があります。外来生物を日本国内へ持ち込めば、外来種によって既存種の存在が脅かされ、生物学的多様性は危機に瀕します。生物学的には「地理的隔離」は種の多様性の必須条件なのです。つまり、アメリカザリガニも日本ザリガニも、種として尊重されるわけですが、それらを同じ場所に混在することは不可能です。

ところが、なぜか、これが民族、文化、宗教の多様性となると話が違ってきます。それぞれの民族、文化、宗教を尊重することは大切ですし、仮に混在したとしても、それを尊重し、維持し続けることは、多様性の本来の意義から言って大切です。しかしだからといって、移民政策を推進し、それぞれを意図的に混在させるのとは根本的に違います。これは生物学的多様性から言えば、外来種の問題に該当します。つまり多様性の危機です。

グローバルな視点から俯瞰した際の多様性とは、生物学的には明らかに地理的な隔離によって成立しています。これが種の分化へとつながるわけです。民族、文化、宗教の形成過程においても、かなりの部分において、個々の地理的な隔離が前提となっていると思われます。こうした地理的な隔離をなくしてしまい、すべて同じ場所に混在させるなら、それは分化とは逆の方向、すなわち多様性の消失へ向かうことは間違いないと考えられます。

ですから、多様性を尊重し、かつ多様性を維持するためは、一定の地理的隔離が必要なのであり、多様性を尊重するなどと言いつつ、地理的隔離をこわしてすべてを同じ場所に混在させる「移民政策」は、多様性を危機に陥れる恐れが大いにあると考えます。尊重することと、ごちゃまぜにすることは同じではありません。

もちろん、生物学的には、地理的に隔離されて分化し、それぞれに進化した生物種が、遺伝的な隔離にいたる前に交雑し、新たな種を生み出すこともあるわけです。こうしたことは、民族、文化においても起こりえることであり、たとえばアメリカのように、異文化が混在することで、今までにない異なった文化が生まれることに意味はあるでしょう。しかし、これはあくまでも多様性における副次的な側面に過ぎないと思われます。すべての国をそのようにすることが、多様性にとって理想的ではありません。

しかし、移民政策に対するマスコミあるいは一部の左派の主張を見る限り、こうした視点はほとんど無く、今回指摘したような、多様性の誤った解釈に立脚した人権論、あるいはただ拝金主義的な効率論に立脚しているに過ぎないと思われるのです。尊重することと、混在することを同じにしか考えていません。

「多様性」という言葉を使って、民族や文化を意図的に同じ場所に混在させることの正当性を主張するのは大きな間違いです。尊重することと、意図的に混在させることはまるで意味が違います。それは多様性の成立条件を破壊することになり、やがて世界から多様性は永遠に失われてしまうでしょう。



2016年11月17日木曜日

人類は未来にどこへ行くつもりなの

人工知能が人間の能力を超える時代が近づいているというのに、新聞マスコミはあいかわらず、グローバリズムの推進だの、自由貿易だの、1900年代から同じ事を念仏のように唱えている。もう50年以上にもなるでしょうか。それで世の中が良くなったのですか。

ロボットが人間の代わりに労働するような未来になれば、理想の社会が実現するはずなのに、現実にはどうでしょう。仕事が減れば働かずに済むのですから、すばらしいことなのに、仕事がないから収入を絶たれたり、リストラで所得が減る家計がどんどん増えている。だから何でもいいから雇用を生み出せという。そのためには仕事を作らなければならない。こんなことをしていたら、ロボットが人間の代わりに労働する社会など永遠に来ない。

そうかと思えば、ブラック企業のワタミや電通など、寝る暇もないほど長時間労働せざるをえず、ついに過労死する人まで出てくる。過労死する人は氷山の一角であって、その下には膨大なサービス残業、無報酬労働の巨大な氷塊があるわけです。これが、ロボットや機械が進歩するほどに顕著化してきたのです。こんな状態なのに、政府はのんきに「ロボット産業の推進」とか言っている。国の借金ガーより、日本のエリート政治家どもの、この能天気さの方が危機的です。

1900年代には「資本主義はやがて理想の社会に行き着く」という、まあ、そうなのかなと思わせる未来社会の話がいっぱいありましたが、なんと、格差と過労死、これが資本主義の行き着く先の世界だったのです。

さて、今日に至るまで、グローバリズムと自由競争を推進してきた結果がこれだと言うのに、その蓄積してきた矛盾が、グローバリズムと自由競争をさらに推進すると、やがて解決に至るというのが、新聞マスコミ御用学者の主張である。

主張している彼らがおかしいと思わないのだろうか。

ところが、そんなことはお構いなし。ブレグジットとトランプ大統領の登場で、これまでのマスコミが延々と主張してきた「グローバリズムと自由競争」とは違う考え方が世間に広まったことがわかり、真っ青。面目丸つぶれで権威失墜の危機に追い込まれたマスコミが発狂して、世間に広まった価値観を邪悪であるとして否定しまくる。

こいつら、誰と戦っているのか?

グローバリズムと自由競争の行き着く先はなに、どこ、どうなるの。ビジョンがまるでありません。儲かるの、カネがどんどん貯まるの?それでどうなるの。

いまだに20世紀(1900年代)の舞台において、1人芝居で踊るマスコミは放置しましょう。未来社会の目標は明確です。無味乾燥な労働から解放され、創造的な活動にまい進できる社会の実現。その社会へはグローバリズムと自由主義では、決してたどり着けません。未来社会の理論とかみ合わないからです。

もう時代は21世紀です。
テクノロジーは進化しているのです。
それに相応しい、未来の理論が必要だと思うのです。


2016年11月16日水曜日

「輸出が増えれば豊かになる」は短絡的

新聞マスコミは、何の疑いも無く「自由貿易は輸出を増やすから国民を豊かにする」という。そしてそうした記事を長年にわたり読まされてきた多くの人々も、すでに思考停止状態となり、言われるがままに、自由貿易で輸出が増えれば国民が豊かになる、と信じ込んでいる状態です。しかし、

なぜ、輸出が増えると国民が豊かになるのか?

多くの人々は、その事をきちんと考えたことがあるとは思えません。おそらく、その質問にはこう答えるでしょう。「輸出すれば、おカネが儲かる、だから豊かになる」と。その内容で多くの人々は納得してしまうと思われます。しかし、おカネが儲かったら豊かになるのか?

もしそうなら、輸出するのではなく、日本の政府がおカネをどんどん刷って、そのおカネで輸出用の商品をどんどん買えば、企業は儲かります。過去に発行したおカネであろうと、新しく発行したおカネであろうと、おカネに違いはないため、刷ったおカネで企業の売り上げが増えても同じことです。企業の売り上げが増えれば儲かることになるのですから。

あるいは、外国がおカネを発行して、たとえばアメリカがどんどんドルを発行して、そのおカネで日本から輸出用の商品をどんどん買えば、企業はやはり儲かります。つまり、「儲かるから豊かになる」というのであれば、新たに刷ったおカネで企業が儲けても同じことなのです。

何か変だと思うはずです。そうです、刷った紙切れと商品を交換しているからです。カネという視点だけで経済を考えているからおかしなことになります。「カネが儲かればよい」わけではないのです。カネが儲かって豊かになる理由は何か?それは、

儲けたカネでモノ(財)を買うことで、豊かになる。

つまり儲けただけでは意味が無い。例えば輸出で儲かっても、それは「おカネを手に入れただけ」なのです。紙切れを手に入れただけです。そのおカネで輸入を増やさねば豊かにならない。

すなわち、自由貿易で国民が豊かになるには、輸出をどんどん増やせば増やすほど、輸入も増やさねばなりません。紙切れだけ貰っても豊かになりませんから。では、輸入をどんどん増やすことはありえるのか?未来永劫に輸出と輸入を増やし続けることなど。

たとえば、前世紀(1900年代)であれば、世界の生産力はまだまだ低く、現在のような消費不足&生産過剰の経済状況ではありませんでした。こうした生産力が低い時代では、自由貿易による国際分業は一定の効果があったはずです。モノが足りないんですから。しかし、先進国における生産力はすでに飽和になっており、それぞれの国は輸入を増やすどころか、「オレの国の製品を買え」と、貿易戦争、通貨安戦争まで起きている有様です。

もう、古い時代の常識をそのまま適用することはできません。

生産過剰の時代では、貿易に関しても新しい常識が必要とされているはずです。それは一見すると保護主義であると思われがちですが、第二次世界大戦前のようなブロック経済を意味する、化石のような一国主義とは無関係です。

「自由貿易か鎖国か」、などという極端な二元論で考えることは単純すぎます。新しい時代の貿易は「儲かればよい」という拝金主義から脱し、世界中の社会や人々の暮らしとの、新しい、世界調和的な思想が必要だと思うのです。

2016年11月15日火曜日

マスコミの世論操作強まる~トランプ勝利後

トランプ氏が大統領選挙に勝利した後、予想通り、新聞マスコミはトランプ新政権になると、こうなるぞ、という「不安」「懸念」を盛り込んだ記事を量産しています。

確かに、トランプ氏の主張は、長年にわたって新聞マスコミが大衆を「啓蒙」し続けてきた価値観とは相容れない部分があるわけです。ですから、もし、仮にトランプ氏の主張を許せば、我こそは良識の代表であるという、新聞マスコミの今まで築き上げてきた権威が失墜してしまう。新聞の権威を必死に守らねばならない。

新聞にとって権威こそもっとも重要なもの。それを失えば、人々は新聞マスコミを信用しなくなる。すると、世論操作ができなくなる。これは致命的です。そして新聞マスコミにとって都合の悪い考えが世間に広まることを恐れているのだと思われます。

しかし、トランプ氏は選挙期間中、あまり政策を具体化しておらず、実際のところ何をするかは、しばらく様子を見なければわからない。常識的に考えて、発言そのままに行動することなどあり得ない。ですから日本政府も「予断を持たずに対応する」と言っている。推測で拙速な判断をしないという姿勢です。

ところが新聞マスコミは、自分達の保身のために、何も決まっていない新しい政権について「こうなるのではないか」という予断に基づいて記事を書き、人々の不安を煽り立てています。また、こうした記事を何度と無く繰り返すことで、新聞マスコミを信用している人々は、あたかも、その予断が事実であるかのように思い込むようになり、新聞マスコミの予断に基づいて人々が考え、行動するようになる。

アメリカの新政権に対して、大衆に予断を刷り込んでいる。

まさに大衆操作と言えるでしょう。大衆操作といえば、まさにポピュリズムの手法です。人々の将来に対する不安を煽り、それとは逆の方向へ誘導する、自らの権威を高める。結局のところ、新聞マスコミもまた、ポピュリズムなのです。

新聞ポピュリズム。

英国のEU離脱に関連した新聞マスコミの報道、そして今回のアメリカ大統領選挙に関連した新聞マスコミの報道。すべて「予想外」だという。しかし予想外ではなく「予定外」だったのだろう。新聞マスコミの予定に誘導するはずの記事を書いていたにも関わらず、人々は新聞マスコミの記事に踊らなかった。

新聞に踊らない人々の出現。

これこそ、新聞マスコミにとって最大の脅威、彼らの存在価値の否定です。インターネットが普及しても、高齢者を中心として日本はまだまだ新聞マスコミの権威は強いようですから、何とかして日本という牙城を守りたいと考えているに違いありません。

だからこそ、日本の新聞マスコミは、ブレグジット、そしてトランプ現象に対して、両論併記の原則すら完全に忘れ、ヒステリックとも思われるような批判を頭から繰り返しているのだと思います。

2016年11月10日木曜日

「大統領選が分断を招いた」は本末転倒

マスコミ御用学者のおきまりのセリフが「大統領選挙によって国民が分断された」というストーリー。これは英国のEU離脱を問う国民投票のときも同じだった。「選挙が分断を引き起こす」というのだが、これは原因と結果が転倒している。現実には、「すでに分断していた社会が選挙で表面化した」に過ぎない。

「選挙が分断を引き起こす」というセリフは、あたかも、選挙での勝利者が分断を引きこしたかに見せかける、実に巧妙な印象操作と言えるでしょう。意図的に原因と結果を逆にしたストーリーを作る。マスコミの常套手段ですね。

大統領選挙以前から、すでに既存政治家の政治によってアメリカ社会は格差が拡大し、様々な問題が蓄積し、社会の実情は分断されていた。だからウォール街を占拠せよなどの運動も起こるほどでした。しかし、選挙がなかったから、「一見すると分断が無いように見える」だけに過ぎなかったと考えるのが自然です。

アメリカは選挙前からすでに分断していた。

ここにこそ、問題の本質があるのです。表面的に分断が見えないからといって、選挙前は分断がなかった、とのマスコミ御用学者のポジションは、あきらかに偽善です。もしアメリカ社会に分断が無かったとしたら?国民の大多数がある程度満足できる政治が行われていたなら、たかが選挙で社会が分断することなどあり得ない。大統領選挙によって、分断した社会の実態が明らかになったに過ぎないのです。

マスコミの大好きな、「勝ち組と負け組」の社会。

トランプ大統領は、ここから生まれてきたはずです。もしアメリカ社会が分断されていなければ、トランプ大統領は誕生していたでしょうか。おそらく相手にされていなかったでしょう。

民主主義の危機も、ポピュリズムも、大衆主義も、すべて分断された社会から生まれてくる。その分断を生んだのは、既存の政治であって、それ以外の何者でもない。

マスコミ御用学者がしきりに好んで使う「選挙が社会の分断を招いた」という、おそろしく安易な、偽善な、あるいは意図的な誤解を招くセリフ。マスコミには、本当に苦笑せざるを得ないと思うのです。


2016年11月9日水曜日

政治は変えられる~米大統領選

アメリカ大統領選挙では、新聞マスコミ、御用学者の予想に反してトランプ氏が善戦どころか、トランプ氏が勝利することになりました。これはちょうど英国のブレグジット(EU離脱)の国民投票における新聞マスコミ、御用学者の事前の予想が外れたこととよく似ています。

新聞マスコミがいかに信用できないか、あるいは新聞マスコミが嘘の予想情報で、世論を意図的に誘導していたのではないか、という疑いまで考えざるを得ません。マスコミ大嫌いの自分としては、さもありなん、と言う感じです。

とはいえ、どうせクリントン大統領になるんだろうと思ってましたから、かなり衝撃的な展開でしたね。これは、ある意味で「政治は投票で変えられる」ということを、明確に示した結果だといえます。多くの日本人は「自分が投票しても政治なんか変わらない」と言ってますが、変わるんです。本気になれば。アメリカも庶民の政党離れが進んでおり、日本と同じように無党派層が多く、半数をしめています。

では、日本でなぜ政治が変わらないのか?もちろん大衆の政治意識の低さもあるかも知れませんが、アメリカのように盛り上がらないのは、野党がつまらなすぎるから、アメリカのように、庶民の不満を受けとめる「受け皿がない」のも一つの原因のような気がします。

既得権益集団の塊のような自民党に対して、それ以外の政党も、やっぱり役に立たないと多くの人が考えているのではないでしょうか。少なくとも自分はそう感じています。こんな野党なら、自民党のほうがまだマシだと。

もちろん、日本でも政権が交代したことがあります。2009年に民主党政権(現在の民進党)が誕生したことです。しかし、当時の民主党政権やったことは「消費税の増税」と「沖縄基地問題のかきまわし」でした。他にもあったのでしょうが、ほとんど記憶にありませんね。これを国民が望んで民主党に投票したのか?まさかでしょう。だから民主党政権は倒れたのです。

ところが、日本の野党には自浄作用がありません。民進党は前政権で政策的に大失策をやらかしているにも関わらず、根本的な政策転換はまったく行わず、執行部も刷新されない。あいかわらず同じような顔が並んでいる。所詮は「内輪」から代表を選んでいるに過ぎないからです。だから何も変わらない。

しかし、アメリカは民主党にしろ共和党にしろ、サンダース氏やトランプ氏のような無名の候補者がどんどん出てくるシステムになっています。こうした、政党のシステムこそ、民主政治にとって非常に重要だと思えます。

政治は変えられる。大衆の支持も得られる。そのためには、政党内の内輪で執行部や代表を決めるのではなく、無名の新人まで飛び出すような、新陳代謝の活発な、それこそ下克上のある政党でなければならないと思います。民進党にしろ、どの野党にしろ、こうした、あっと驚くような政党に変わらなければ政治は変わらない、大衆は惹きつけられないと思います。

ちなみに話は変わりますが、アメリカ民主党がクリントンじゃなくて、サンダースを選出していれば、もしかすると違った場面が見られていたような気がします。サンダースVSトランプなら「庶民VS庶民」の対決でしたが、クリントンVSトランプは「既存のエリート政治家VS庶民」ですからね。もう、庶民は既存のエリート政治家に期待していないんです。これがトランプの勝因かと。

さて、良くも悪くも、この変化を日本の国益にどう利用するか、まさに安部政権の力量が問われることになるでしょうね。


2016年11月7日月曜日

「ケインズ主義=公共事業」ではないだろ

様々な場面において、世間では「ケインズ主義=公共事業」という思い込みが強すぎる気がします。そもそもケインズは公共事業「信者」ではなく、流動性の罠の状況下における、有効需要の創出の必要性を指摘したのであり、その方法の一つとして公共事業を取り上げたに過ぎないはずなのです。

有効需要とは「所得に裏付けられた消費意欲」のようなものであり、人々の懐におカネが行き渡らなければ有効需要は生まれません。ですから、金利を引き下げただけでは、永遠に需要不足の経済収縮(デフレ)から脱却できないと指摘したわけです。この「人々の懐におカネを行き渡らせる方法」の一つとして公共事業を取り上げたわけです。ですから、ただ単に失業しておカネが無い人におカネを給付しても同じことです。

ただし、その当時においては、人々の労働力は大切でしたから、こうした労働力を活用して、まだ不十分だったインフラの建設を行えば一石二鳥であると考えられますから、公共事業によって人々の懐におカネを行き渡らせる手法は、単なる給付金よりも大きな意味があったと思われます。

しかし、科学技術の進歩(機械化)により、労働力は急速に過剰になりつつあります。また、戦前とは異なり、インフラもかなり蓄積されております。こうした状況下にあって、有効需要を創出するためには、必ずしも公共事業である必然性は薄れつつあるはずです。

もちろん、過去に作られたインフラは老朽化しますから、こうした部分のメンテナンスや建て替え、あるいは新技術によるインフラの新設もあります。また自然災害への防災、震災の復興、あるいは僻地における適度なインフラの整備など民間が関与しない分野もあります。ですから、公共事業が不要になる、などということは未来永劫にありえないでしょう。

ですから、これからの時代は、こうした状況を見極めつつ、有効需要の創出方法として、公共事業だけではなく、定額給付金、子供手当てなどを含めた、幅広い政策をバランスよく行うことが大切だと思われるのです。

ところが、世間を見てみるとどうも理解できない主張が多い気がします。ケインズと聞けば反射的に「公共事業=ばら撒き」と反応し、頭から公共事業を悪と決め付ける人々がいると思えば、「ひたすら公共事業を推進すれば万事解決する」という人も居て、彼らは給付金を批判してくる。重要なのは公共事業の是非ではなく、有効需要の拡大にあるはずです。

日銀が行う金利政策はあくまでも「民間投資」がなければ機能しませんが、民間投資は利潤がなければ行われないわけです。しかし利潤は必ず時間とともに(資本蓄積とともに)減少するため、やがて投資が減少して、貯め込まれたおカネが死蔵され、デフレから逃れられなくなる。これが現在の経済システムの致命的な欠陥です。利潤とは結局のところ通貨膨張であり、こうしたバブルの上でしか現在の資本主義(民間投資主導経済)は維持できません。

それでもなお、現在の経済システムを維持させるのであれば、通貨を膨張させて企業に利潤を発生させるしかないと思われます。これには金利政策は効果が無く、有効需要の拡大が必要であり、これを行うのがケインズ主義の目的だと思うのです。つまり、公共事業だろうと給付金だろうと、とにかく人々の懐におカネを増やし、有効需要を増加させるべきでしょう。

だから、ヘリコプターマネーと公共事業の両方をやれば良いと思うのです。が、物事を「ばら撒きか、そうでないか」、という判断でしか考えられないマスコミとそれを信じている世間の人々には、残念としか言えません。

2016年11月4日金曜日

銀行の信用創造が有効だったのはなぜか

銀行の貸し出し(=信用創造)とは、銀行が保有している現金を誰かに貸すのではなく、新たに預金通貨を発行してこれを現金と同等であるとして、預金を貸し出します。これは銀行のバランスシートから明らかですが、この行為は、銀行が保有する現金の何倍ものおカネを貸し出すことになりますから、つまり、無からおカネを作って増やしている、いわば「打出の小槌」を銀行は振っているわけです。これが信用創造です。

こんな、怪しげな事が許されてきたのはなぜなのか。それは、銀行制度が「かつて」、経済成長にとって有効だったからではないかと思うのです。どうして有効だったのか、考えてみました。

まず、貯め込まれたおカネを放出する効果があるとおもわれます。この場合は、打ち出の小槌でおカネを増やす話ではなく、たとえば、金庫にある現金を貸すような場合、昔風に言えば、金貨の貸し出しのような場合です。いわゆる一般的な貸金業がこれに当たります。

古今東西、おカネは時間と共に、お金持ちにどんどん集中し、独占的に所有されるようになります。つまり、誰かが金貨を貯め込んでしまうわけです。そして、そのまま金貨が死蔵されると、世の中に流通する金貨、つまり取引に使われるおカネの量が減ってしまいます。こうなるとおカネ不足からデフレが発生しますし、人々の手におカネが行き渡らなくなって経済が低迷してしまいます。

そこで、貯め込んだカネを貸すことによって、世の中におカネを回すわけです。もちろん貸し出す金利を課しますから、金利を払うためには商人や職人などの、おカネを稼ぐ(利益を出す)人が、事業を行う目的で借りるわけです。

ところで、経済の成長速度が加速すると、経済を回すために、より多くのおカネが必要になってきます。金貨は金が採掘されない限り供給できませんから、金貨の供給量には限度があります。つまり経済の成長速度が速いと、金貨で貸し出していたのではおカネの供給が間に合わないわけです。

一方、紙幣であれば、紙に印刷するだけなので、ほとんど無限に増やせます。こうして、最初の段階の信用創造、つまり紙幣が生まれてきました。つまり、銀行は、金庫にある金貨の何倍もの紙幣を発行し、これを貸し出すようになったわけです。

いまでは、紙幣つまり現金の発行は中央銀行だけが行いますが、今度は民間銀行がこの現金を元にして、何倍もの預金を発生し(信用創造)、これを貸し出しています。

こうして、銀行がおカネをどんどん発行することで、金貨の量によらず、何倍ものおカネが供給されることになり、金貨の不足による経済の低迷を防ぐ結果となったと考えられます。

そして、信用創造のすごいところは、「持っていないおカネを貸すことができる」点です。つまり、ある意味、強制的に世の中のおカネを増やすことができるのです。これは金貨にはまねのできない芸当です。錬金術は不可能ですから。しかし、これがなぜ経済を成長させるのでしょうか。

おカネを借りたい人は、つまり事業を起こして、商売や工場などを始めたい人たちです。そうした人たちにおカネを貸してやれば、借りた人が事業を始めることで、新たな商品やサービスが世の中に供給されるようになります。もし金貨のようにおカネの量が限られていたなたら、借りたい人すべてにおカネを貸すことは不可能です。銀行に打出の小槌があればこそ、小槌を振って、借りたい人に潤沢におカネを貸せるわけです。

ところで、世の中の生産能力は限られています。たとえば労働者の人数は一定ですが、この一定の労働力を用いて、経済では「消費財」と「生産財」の二種類の財が生産されます。消費財は食料、衣類などの生活用品、生産財は工場や生産設備のような生産能力を高める財です。

銀行の貸し出しが増加すると、これらのおカネを借りた人は事業を始めますから、そのおカネは生産財の生産に振り向けられ、その結果、生産財の生産に生産力(たとえば労働力)が割かれるようになります。そのため、(たとば人手不足で)消費財の生産が間に合わなくなり、消費財が不足して値上がりする「インフレ」が生じます。つまり、銀行が無理やりにおカネを増やして貸し出すからインフレは発生します。

しかし、もし、銀行が無理やりにでも、起業家におカネを貸さなければ、生産力は延々と消費財の生産を続けるだけになるかも知れません(もちろん企業の売り上げ利益再投資を除けば)。これでは生産能力は高まりません。つまり、インフレと引き換えてでも、生産力を生産財の生産に振り向けることにより、経済が成長できる(生産力が拡大する)わけです。

つまり、通貨貸し出しを通じて、生産力と資源を生産サイドへ投入することができたから、銀行の信用創造には効果があった(もちろん副作用も)。

思いつくままに書きましたので、少々わかりにくいかも知れませんね。そのうち、本編のサイトにでも書こうと思います。