2016年11月25日金曜日

付加価値ではなくシステムがカネを生む

見方を変えると世の中が変わって見えることがあります。所詮、すべては解釈に過ぎないからです。正しい考えなどないと思ったほうがよいと思います。たとえば「労働による付加価値が利潤を生み出す」と考える人がいますが、これも単なる解釈に過ぎません。むしろ「システムがカネを生んでいる」と解釈するほうが理にかなっている、とも思えるのです。

たとえば、資産ころがしなどのキャピタルゲインです。株式投資とか、FXなどもそうです。こうした行為がどのような付加価値を生み出しているかといえば、何も生み出していないことは明白です。ですから、付加価値が利潤を生み出すとする解釈には無理があります。

すべての利潤に共通するのは、そこにシステムが存在していることです。ぶっちゃけに言えば、ポケットまでカネが流れ込む一連のシステムが存在しています。いちど、そのシステムが出来上がると、あとは自動的にどんどんポケットにカネが流れ込んできます。

このシステムを構築する能力が高い人間は、金持ちになります。特に付加価値を生み出す能力が高い必要はありません(もちろん、高いほうが有利ですが)。たとえば、自分が労働するのではなく、優秀な労働者を雇用すればよいわけです。最も重要なのは、システムの構築能力です。

このシステムが稼動するには力学が必要であり、それが人間の欲望です。欲望という推進力を用いたメカニズムを考える必要があります。ここには、様々な欲望があり、付加価値もあれば、恐怖・不安・安心など精神的な動機だけのばあい、宗教、あるいはカネからカネを増やしたいという欲望まで様々です。これがシステムの推進力となります。

このように解釈すると、労働による付加価値は、システムの推進力の一つの歯車に過ぎないことがわかります。そして、このシステムには下部構造があって、それは情報技術で言えば「OS(基本ソフト)」にあたるものが存在します。それが資本主義などの、いわゆる経済システムであるわけです。こうした下部構造の上に、それに適合した上部構造が形成されます。

そして、この下部構造のメカニズムが機能しなくなると、上部構造も機能しなくなるわけです。

そんなわけで、付加価値とか労働とかではなく、システムとしての下部構造と上部構造から社会・経済を眺めると、いわゆる新聞マスコミなどの記事が前提とする常識論とは別のことに気が付くと思うのです。