2016年12月13日火曜日

雇用を人質に構造改造されるリスク

グローバリズムにしろ構造改革にしろ、それらを推進する人々の殺し文句は「雇用を生み出す」あるいは「雇用を失う」です。経済成長もセリフとしてよく使われますが、経済成長しても意味がないと反論される場合もあるわけですが、「雇用を生み出す」といわれれば、これに意味がないと反論する人はいないでしょう。今の社会では、雇用されない人は生きてゆけないからです(自営業、利子生活者は除く)。

そのため、どんなに社会の競争が激しくなろうが、格差が拡大しようが、移民が押し寄せようが、「雇用を生み出す」といえば、たちどころに賛成意見が増える。「雇用が失われる」といえば反対意見が増える。ですから、「雇用を増やす」といえば、どれほど副作用の強い改革であろうと、ごり押しすることができます。つまり、雇用を人質に取られているようなものです。逆らえません。こうして、世の中は、資本利益を最大化する方向へ改造されてゆきます。

しかし、こうした強引な構造改革がまかり通ってしまうのは、雇用と所得が極めて強力にリンクしているからです。これがもし、ベーシックインカム(国民配当)のように、国民の最低生活が保障されるようになれば、必ずしも雇用されなくとも生活できるようになります。すると、「雇用を生み出す」というセリフは殺し文句ではなくなります。雇用より、もっと大切なことに目が向けられるのではないでしょうか。

すると、人々にとって政策の優先順位が変わりますし、要望する政策の内容も変わるでしょう。

そうなれば、もはや強引な構造改革は不可能になるでしょう。もちろん逆に、生活が保障されることで、かえって認められやすくなる改革もあるかも知れません。それはそれで問題があるかも知れませんが、少なくとも、雇用を人質に取られて、仕方なく構造改革を受け入れるのとは全然違うでしょう。

こうした観点から、国民配当による最低生活保障は、拝金主義ではなく、より人間らしい政策判断ができるようになる点でも、意味があると思うのです。