2017年1月11日水曜日

一億総活躍はビジョンといえない

個人商店でもない限り、企業経営にはビジョンが必要ですが、それは国家の場合も同じことです。はたして日本政府にビジョンはあるのでしょうか?安倍首相は「一億総活躍社会」なる考えを打ち出しましたが、これはビジョンなどと呼べる代物ではありません。単に「完全雇用」あるいは「総労働社会」を謳っているに過ぎません。

完全雇用を目指すな、とは言いませんがそれがビジョンになるとは思えません。短期的に完全雇用は可能だと思います。財政を拡大し、景気が回復すれば雇用は増えるでしょう。そのうえで、高齢者の雇用も増やすことさえ可能かも知れません。

しかしそれは持続不能です。人工知能や自動生産機械が加速度的に進歩し続ける限り、近い将来において労働力は過剰な状態となり、すべての人に職を与えるだけの仕事を作り出すことはもはや不可能になるでしょう。技術的には、20年後に日本の労働のおよそ50%が機械によって代替可能であるといわれています。

未来において成り立たない展望はビジョンと言えない。

ビジョンとは将来において目指すべき展望です。人工知能や自動生産機械が人間の代わりに労働する未来の展望とは、一億総労働社会ではありません。一億総活躍はビジョンではないのです。

まさに今の日本の政治には未来のビジョンが欠落しています。政府与党はもちろんのこと、野党にいたっては、未来のビジョンどころか、前世紀の懐古趣味的な労働組合のビジョンを追い求めているようにしか見えません。

今の日本には、テクノロジーの進化を見据えた未来のビジョンを示すことができる政党が求められています。