2017年2月10日金曜日

分配の平等が当然な時代になる

「富を平等に分配する」という考えは、共産主義の考えだとして条件反射的に拒否する人は多いと思われます。冷戦時代のプロパガンダが未だに人々に強烈な暗示を与えているようです。

あるいは、働いても働かなくても同じ分配を得られるなら人間は働かなくなる、あるいは人々の競争意識を阻害し、やる気をそぐと信じられています。確かに悪しき平等ではうまく行かない。では、平等主義がなぜうまく機能しないのでしょう。

古い時代の社会では、富の大部分が人間の労働によって生産されていたからと考えられます。その場合、人間がより熱心に働けば、それだけ多くの富が生産されます。逆に言えば、人間が働かなければ生産される富の量が減ってしまう。そのため、「人間を労働に駆り立てる強力な動機」が必要だったわけです。この動機が「成果主義」です。つまり、すべての人に平等に分配するのではなく、成果を多く出した人間により多くの分配を与える。これにより人間の労働意欲を強化してきました。もちろん、貧しい時代にあってはそれが悪いとは言いません。

しかし人工知能や自動生産工場の開発がいよいよ加速してきた今日、富の大部分は人間の労働ではなく、機械によって生み出されるようになりつつあります。科学技術の進歩と共に以前からこうした傾向はあったのですが、これまでは依然として生産に人間が関与していたため、ほとんど意識されてきませんでした。しかし、人工知能やロボット技術の急速な進化により、いよいよ「富の生産に人間は必要ない」時代になったのです。

富の生産に人間が必要ない時代になれば、「人間を労働に駆り立てる強力な動機」としての「成果主義」の必要性は、極めて低くなります。確かに一部の優秀な技術者や科学者、あるいは製品開発者の労働は相変わらず必要ですから、そうした人々が高い報酬を得る仕組みとしての「成果主義」は必要でしょう。しかし、そうした人々の人数は近いうちに人口の1%にも満たないようになる(例えば日本の人口1億人として約100万人)と思うのです。

ですから、科学技術が進化すれば、生産に従事する1%の人々(100万人)に成果主義が必要であったとしても、残りの99%の人々(9900万人)に富を平等に分配することは、何ら問題はないと考えられるのです。むしろ成果主義に固執する考えは、科学技術の進化により、間違いなく時代遅れになるでしょう。

もちろん、今すぐ100%平等に分配すべし、などという話ではありません。すぐ極論を持ち出す人がいますからね。近い将来に備えて、徐々に世の中を変えるべきだという話です。いまこの時も機械化が着実に進んでいるのですから。たとえばそれがヘリコプターマネー(小額ベーシックインカム)であるわけです。

科学技術の進歩と共にこれまでの常識論は否定されます。いつまでも古い常識を盲目的に信仰していると、それだけで社会の進化は停滞してしまうと思います。