2017年2月28日火曜日

悪を退治しても世の中は変わらない

政治家の言動を見ていると、やたら戦うのが好きな人がいます。○○を倒せ!悪と戦って退治する。しかし悪を退治したところで社会システムを変えなければ、新たな悪が登場するだけです。

水戸黄門的な世界観。悪いヤツがいて、そいつをやっつければ一件落着。そういう世の中ならありがたいです。しかし実際にはいくら悪をやっつけても新たに出てきます。社会システムを変えない限り、エスカレーター式に下から次々にあがって来ます。その結果、いつまでたっても悪者探しと悪者退治を繰り返します。

やたらに戦うのが好きな政治家がいます。そういう人は大衆に受けがいい。戦う政治家、悪と戦う闘士。人間の本能にはとても共鳴します。よく言われるポピュリストは闘争を前面に押し出します。このタイプは右派にも左派にもいます。それは人間の本能なので不可避であり、悪いことではありませんが、それだけで終わってしまうと単なる動物です。それがポピュリズムです。

どのように社会システムを変えるのか。ビジョンとプランがあるか。明確なビジョンと手法、ロードマップ短中長期のプラン。それをしっかり確認しなければなりません。逆に言えば、それをしっかり確認したうえで行われる大衆運動は、どれほど感情的であっても決してポピュリズムではありません。

動物である人間を突き動かす動機は感情にあり、理性ではありません。ですから変革を求める行動が、悪との戦いという表現を取ることはやむを得ないと思います。しかしあまり感情的になると感情に飲まれ、対象を倒すことだけが目的化し、倒すことで満足してしまう。

そして大衆は
「悪を倒したのに、ちっともよくならないぞ」と騒ぐのです。