2017年6月22日木曜日

ベーシックインカムで右派と左派が共闘できるか

右派も左派も一般大衆が大部分なのですから「自分達の生活の豊かさを求める点」で同じはずです。ですから例えばベーシックインカムで右派と左派が協力しても良さそうですが、そう簡単にはいかないようです。「それ以外の違い」が大きな障害になってしまうからです。

なぜなら、もし右派、または左派の政権が誕生したとき、共通の利益とは違う部分の政策において、自分達の考えとは異なる政策が実施されてしまうのではないか、と恐れるからです。

具体的な例では、外交政策があります。仮にベーシックインカム制度の導入に向けて右派と左派の方向性が一致したとします。しかし、仮に左派が政権として主導権を取れば右派が恐れる「中国共産党に親和的な外交」を行われる可能性があるわけです。こうした「恐怖・不信感」が主導権争いを生み、生活の豊かさを求めるべき者同士が互いに潰しあいをします。

それを防ぐ手立ては無いのでしょうか?

連立政権というケースがあります。単独政党で過半数を取れず、連立が必要な状況であれば、両者に共通の政策だけが、まず優先されることになると思われます。

例えばベーシックインカムを主張する左派と、右派が、それぞれに議席の1/3を確保したと仮定すると、その両者はベーシックインカムの推進に関しては一致できます。ですからベーシックインカム政策は推進可能です。外交政策に関しては、他の政党との関連性で決まるわけです。もちろん、そんな都合の良い状況が簡単に生まれるとは思いませんが。

さて、現状の日本でそうした状況が生じるとしたらどんなケースでしょう。たとえば、仮に日本共産党がメイン政策としてベーシックインカムを打ち出したとします。まあまあ、例えばの話ですよw。

もちろん、ベーシックインカム制度にも立場によって違いがあるため精査は必要ですが、仮に十分に評価できる内容であれば、日本共産党の他の政策に大反対であったとしても、ベーシックインカム推進派の右派が、日本共産党に選挙で投票しても良いかも知れません。なぜなら、もし、日本共産党が伸びたところでいきなり政権を取る事はあり得ないので、それほど心配する必要はないからです。

もちろん、それだけでベーシックインカム制度が実現できるはずもありません。しかし、もし共産党がベーシックインカムを前面に押し出して得票を伸ばしたなら、他党は間違いなく危機感を覚えるはずです。すると他党が対抗上、ベーシックインカムを政策として取り入れる可能性が出てきます。あちこちの政党でベーシックインカムを政策に取り入れるなら、投票先政党の選択肢は増えますし、それに比して政策の実現可能性は高まります。

つまり、「右派でも左派でもいいから、朝から晩までベーシックインカムを主張する政党が出てくる」のが望ましい。そして国会でも、与党を攻撃して引き摺り下ろすことに時間を使うのではなく、徹底的にベーシックインカムの議論を吹っかける。口を開けばベーシックインカム。もちろん、人工知能、技術的失業問題など、最先端のテクノロジーや世界的なベーシックインカム推進の動きも交えて。

ですから、ベーシックインカムで右派と左派が共闘するには、日本の野党(このさい右派でも左派でもいい)に、ベーシックインカムを政策として採用させ、それ一本で押させる、あるいはイタリアの五つ星運動のように、ネット運動を通じて、ベーシックインカム一本で押すような政党運動を起こすことが必要かも知れません。そして右派も左派も、とりあえずそこに投票するわけです。

まずは、頭の固い連中の脳みそに風穴を開けることが先決で、そこに右派と左派が共闘できる可能性があるかも知れません。


2017年6月21日水曜日

ベーシックインカムは労働の価値を高める

ベーシックインカムを実施すると働く人が減ると騒がれています。しかし働く人が減れば労働の希少性が高まり、労働の価値が高まります。つまり「労働する人が感謝される社会になる」と思われます。

働かなければ生活できない社会では、労働するのが当然ですから、労働に対する感謝の気持ちが弱まります。すると「安い賃金で働かせても当たり前だ」としか思わない経営者が出てきます。「ブラックのどこが悪い、オレが雇わなきゃお前は死ぬしかないんだ」なんて言うヤツも現れます。

また、一般の消費者の中にも「オレは客だから神様なんだ」と勘違いする人が出てきます。モンスター化し、コンビニの店員に土下座を強要したり、宅配が遅れたと言って集配所にチェーンソーを持って来て暴れ、おまけにツイッターにそれら映像を投稿して自慢するヤツまで現れます。

労働する人に対する感謝の気持ちが欠落している社会。カネ貰ってるんだから、労働するのは当たり前だろ、苦労するのは当たり前だろ、としか思わない社会。これは「労働に対する冒涜」であるとも言えるでしょう。

もし、ベーシックインカムが実現したならば、労働しなくとも所得が保障されるのですから、労働者の立場から言えば、ブラックな経営者やモンスターの客に頭を下げて働く必要はありません。そんな連中のために働く必要はまったくないのです。

労働者は、労働に感謝して敬うことのできる経営者と共に働くことが出来ます。そのような場合は、無償での労働も苦ではないでしょう。また、お客様との立場も逆転します。労働者が客を選ぶ立場になり、横柄な客はサービスを受ける資格を失います。感謝の気持ちを持たない客は客じゃない。感謝してくれる人のために働くのです。そういう社会になるわけです。

労働者はカネのために働くのではなく、人の役に立ち、人から感謝されるために働くようになり、顧客はカネを払っているんだからあたりまえではなく、サービスを提供する人に感謝するようになる。そのような社会では労働は希少であり、労働は尊いものであり、労働は尊敬される行動になるでしょう。


2017年6月20日火曜日

アベの一億総活躍社会は20年古い

安倍政権の推進する一億総活躍社会は20年古い。失われた20年に突入する頃にその政策を唱えたなら、もろ手を挙げて賛同します。しかし人工知能やロボットの本格的な普及を目前にした現代では、もはや時代遅れも甚だしいと思うのです。

理由は簡単です。人工知能やロボットによって労働力が加速度的に必要なくなるわけですから、すべての人を活躍させる(仕事を与える)ことは早晩、不可能になるからです。もちろん1~2年先の話をしているのではありません。ビジョンのことです。ビジョンとして、いまさら「総労働社会」を打ち出しても、すぐに陳腐化するでしょう。これからは「所得保障社会」なのです。

ところで安倍政権は「人材投資」などと言い出しました。これは明らかに民進党などが主張している「人への投資」へのあてつけなのです。実際のところ人への投資は意味のあることです。しかしそれより何より、民進党の主張する政策の「お株を奪う」効果が高いのです。一億総活躍にしろ、人材投資にしろ、賃金の上昇による経済の好循環にしろ、これを自民党がやれば、もはや民進党にはイデオロギーで騒ぐ以外に出番はありません。

なぜ民進党の出番が無いのか?それは民進党が50年くらい古いからです。安倍よりもさらに古い、労働組合運動の華やかなりし時代に、今でも生きているからです。労働者の権利、雇用の確保、賃金引上げの枠でしか政策を考えられないため、それを先に打ち出されてしまえば、もはや民進党に出番はありません。

だから、安倍政権の先を行くビジョンが必要です。

安倍政権のビジョンは古い。だから人工知能やロボットの普及を見据えたビジョンを打ち出すことで、安倍政権の政策を陳腐化することが可能なのです。もちろんビジョンは実行可能なロードマップを示す、具体的な行動手順を示す、など緻密な提案でなければ意味がありません。それこそ技術者を集めて本格的な政策立案を行う必要があるでしょう。また、そうした技術者を集めたオープンな会議や講演会を行うことで、党の先進性を打ち出し、イメージアップや支持率向上を図ることもできるでしょう。

もし優れたビジョンと計画を示すことが出来れば、それこそ政権交代に相応しい政党に生まれ変わるでしょう。そして、それが出来て国民に認められる事で、支持率が高まるわけです。安倍政権を引き摺り下ろせば支持率が高まるわけではありません。

しかし、日本の野党にそれを望むのは無理かも知れませんね。日本の野党はあいかわらず50年前の時代を、いま、生きている人々なのですから。

2017年6月19日月曜日

資源過剰によるデフレは良いデフレ

テクノロジーの進化によって利用可能資源の幅が広がると、資源の供給量が爆発的に増加して、資源価格は暴落するでしょう。すると原材料費が低下して価格が下落し、デフレを引き起こすと考えられます。しかしこのデフレは良いデフレかも知れません。

今日問題になっているデフレは「おカネが回らないことによるデフレ」です。商品も資源も十分にあるにもかかわらず、消費者の購買力が低いためにモノが売れずにおカネがまわらない。モノが売れないために市場競争によって市場における販売価格がますます低下し、結果として失業を生み、格差を拡大してしまいます。悪いデフレです。

一方、資源価格が下落するとコストが低下するため、それに伴って価格が下落し、デフレになる可能性があります。この場合は「売れないから市場競争によって価格を下げざるを得ない」のではありません。原材料費が下がるので、ほとんど自動的に価格が下がります。

価格が下落するため、企業の売り上げ総額が減少するかも知れません。しかし同時に原材料費も減少しているため、利益は減りません。むしろ、価格の低下によって売り上げ数量が増加する可能性があります。売り上げ数量が増加すると、利益総額が増加します。

利益総額が増加すると、企業は投資を増やしますし、また従業員に支払う賃金を増やす可能性もあります。すると、労働者の購買力が拡大し、消費も増加する可能性があります。こうして、物価が下落する、つまりデフレにもかかわらず景気がよくなる現象が生じる可能性があると思います。

不景気とインフレが同時に生じる現象を「スタグフレーション」と呼び、これは資源価格が高騰する(資源が不足する)ことで生じます。ですから、その逆に、資源が供給過剰になれば、好景気とデフレが同時に生じても不思議はありません。こうしたことは今まで考えられなかった事態なので、名称はありませんけど。

してみると、ただ単純に「インフレが良い」「デフレが悪い」だけで判断することが、必ずしも正しいと言えないと思われるわけです。たとえば最近、原油価格の下落によってデフレを増長しましたが、これは必ずしも悪いことではありません。ただし、原油を産出している国にとっては、良いことではありません。世界全体としてみれば資源の供給過剰は悪いことではないのですから、何かしらグローバルな調整が必要な時代なのかも知れません。

テクノロジーの進化は人類のすべての人々にとって、とても重要であり、政府は国を挙げてテクノロジーの進化、資源利用技術の開発に取り組むべきだと思うのです。それによって「モノが安くなって、なおかつ景気が良くて豊かになる」社会が実現するかも知れません。


2017年6月15日木曜日

陰謀論のすすめ

陰謀論を信じない、そう公言する人は大勢居ます。しかし信じようと信じまいと、世の中が陰謀によって動いている事実を曲げることはできません。陰謀であるがゆえに、証明が不可能なだけです。証明出来ないからといって、存在しないわけではありません。

世の中には陰謀(はかりごと)がないどころか、実際の世の中は陰謀抜きに考えることは不可能なほどです。社会に出た事のない学生かお花畑の人ならまだしも、ひとたび社会に出れば、弱肉強食の競争原理の中で、生き残りをかけて、多くの人が、仕事の場面において謀略を経験しているはずです。市場は利益競合する者との戦いだからです。もちろん謀略を行う人が「謀略なんて考えたこともない」と言うのは当然です。下手をすると無意識にやっているかも知れませんね。もちろん犯罪にならない範囲でのことですが。

普通の日常社会においてもそうなのですから、これが国家間となれば、ますます陰謀は重要な役割を果たすようになるでしょう。国家の動きを陰謀論抜きで考えるのは愚かです。中国も韓国もアメリカも日本に陰謀を仕掛けてきますし、もちろん日本も陰謀を仕掛けるでしょう。陰謀なき国家は弱肉強食の世界では食われて滅びるのが宿命です。

ですから、ある意味で陰謀論をお勧めします。

もちろん陰謀をやたらに信じて大騒ぎするのは愚かです。陰謀は陰謀なのですから推測の域を出ないからです。もちろん諜報機関によって陰謀を知ることも重要ですが、限界がありますし、日本ではそんな機関すらありません。ですから、あくまで推測であることを踏まえなら、相手の行動を観察し、何を意図しているのか、隠された意図を探らねばなりません。日常の近所づきあいならまだしも、生き馬の目を抜くような国際社会において、相手の言葉通りに受け止めるのは自殺行為です。

常にあらゆる陰謀の可能性を排除せず、仮にそれが事実である場合にそなえてあらかじめ手を打たねば手遅れになります。陰謀にも過去の事例があるはずなので、そうした陰謀の研究はとても重要だと思います。

近年において陰謀に最も用いられる手法は、プロパガンダではないかと思います。プロパガンダは新聞マスコミを通じて拡散し、世論を誘導します。これは民主主義、とりわけ言論の自由が制限されていない先進諸国において大変に効果的です。

このような陰謀に基づくプロパガンダが、新聞マスコミを通じて常に仕掛けられていると考える必要があります。ですから国民は、新聞マスコミ報道をそのまま信じるのではなく、その隠された意図を推測して備える必要があると思うのです。


2017年6月14日水曜日

報道の自由より偏向報道の自由が問題

報道の自由が大切であることは当然ですが、日本の場合は報道の自由が制限される心配より、むしろ新聞マスコミによる偏った報道やプロパガンダまがいの報道が「自由に」行われていることのほうが遥かに心配です。

新聞マスコミ等のメディアは、ナチス・ヒトラーのメディア戦略でも明確なように、プロパガンダによる国民の洗脳工作に用いられるリスクが内在していると常に認識する必要があります。つまり、報道の自由を保障するとは、裏を返せば「自由に洗脳できることを保障する」意味があるのです。そしてプロパガンダを行うのは何も政府とは限りません。マスコミそのものがプロパガンダを行う可能性を排除することはできません。

もちろん、報道の自由を軽視すべきであるというのではありません。報道の自由は大切です。しかしあくまでも報道の自由は諸刃の剣であり、ただ単純に「報道の自由はすばらしいねー」だけで安心していてはいけないと言いたいのです。メディアは常にウソを流して国民を陥れようとする危険性がある。それを忘れてはいけないわけです。

そうした中で非常に重要なことは、「メディアの多様性の拡大」です。幸いにしてインターネットの普及によりメディアの多様性は拡大し、前世紀のように新聞やテレビがメディアを独占していた次代は徐々に終わりつつあります。しかし、あいかわらず朝日、読売、日経新聞などの大新聞が存在し、かなり高い独占状態にあります。このような少数の資本によるメディアの独占状態こそ、プロパガンダによる国民誘導のリスクを高めるのです。

新聞にしろテレビにしろ、そうした独占状態を打ち壊して、より多くのメディアにより、多様な報道がされることによって、初めて報道の自由の真の価値が発揮されるようになると思います。



2017年6月13日火曜日

排他的民族主義と共生的民族主義

民族主義と聞けば、世間ではナチス・ヒトラーの民族闘争思想のような排他的な民族主義を連想するようです。しかし民族主義はそもそも排他的である必然性などありません。各民族が互いに協力して、それぞれのコミュニティーを高める共生的な民族主義こそが、本来あるべき民族主義です。それは民族をごちゃ混ぜにする資本主義的な、いわゆる「多文化共生」とも本質的に異なる考えだと思います。

近年、拝金主義的なグローバリズムに対する人々の不信感、あるいは過激派のテロ攻撃による社会不安から、各国で民族主義的な動きが高まっています。こうした動きを新聞マスコミは危険視し、ステレオタイプな「排他的民族主義」と断定して、民族主義的な運動に対するネガティブ報道を展開しています。

しかし、少し冷静に考えればわかることですが、「生き残りをかけて民族が戦う」ような帝国主義時代における民族主義思想が現代に通用するはずもありませんし、その必要もありません。それを現代においてやっているのが北朝鮮です。しかしあれでは民族が衰退するばかりであり、民族の幸福と繁栄を実現することは不可能です。誰もそんな民族主義を望んでいるはずがありません。

現代において、民族の幸福と繁栄を実現するためには(多民族国家であったとしても)、自国のエゴだけ押し通すより、むしろ多くの国々(民族)と協調し、共存共栄を図る方が有効です。もし、ある国が貧困状態に取り残され、資源を搾取される立場にあるとすれば、その国が過激な民族主義に染まり、民族の生き残りをかけて戦争をしかける危険な状況に陥るリスクもあります。その意味からも、世界の各民族は互いに自由・平等・博愛の精神で相互支援する必要があります。

ですから、今日、目指すべきは共生的民族主義です。

共生的な民族主義は、まったく過激ではありません。むしろ、いかに他の民族を助けるかが、現代の民族主義にとって重要です。そこには「互いの民族・文化を尊重する」高い意識が必要となります。どれほど経済力が低い国であっても、民族として尊重する、そして尊重される。地球の多様な民族文化を維持発展させるための、グローバルな民族の共同体です。

それは、現代における拝金主義的なグローバリズムとはまったく異なります。拝金主義的なグローバリズムの第一義はカネであり、企業であり、民族ではありません。グローバル大企業の共同体です。そのため、多文化共生といいながら、実際には多文化をごちゃまぜにしてミックスしてしまうことで、民族特性は消し飛んでしまうのです。そして企業と株主の幸福と繁栄が追求される、世界統一拝金社会になるのです。

今日における民族主義運動にも、様々な立場はあると思います。中には戦前の民族闘争思想を持っている時代遅れの人々もいることでしょう。しかし、今日における民族主義的な運動の大部分はむしろ民族としての団結、共同体、文化、アイデンティティーを維持すること、つまり、本当の意味で多文化を維持し続けようとする立場に親和的なはずです。そのためには、民族間には「境界線」による秩序が必要なのであり、拝金主義思想に基づく「ごちゃまぜのカオス世界」を安易に認めてはならないのです。

まったく問題ありません。

問題があるとすれば、その手法が「稚拙」である場合です。たとえば自国内にいる異民族を暴行するとか、ヘイトスピーチするとか、差別するとか、そんな手法はまったく無意味です。彼らの自己満足を満たすだけであり何の解決にもならないからです。





2017年6月12日月曜日

生産性が向上しても投資は増えない

投資が伸びないのは日本の低い生産性に原因がある、などと新聞マスコミは書いています。しかし生産性が向上したところで企業の投資は増えないでしょう。私が株主だったら、生産性が向上しても新たな投資などせず、企業に配当金を要求するだけです。

なぜ企業や投資家が投資をするのか?それは投資に見合うだけの利潤の増加を期待するからです。そのためには、投資することで企業の売り上げが増加しなければならないわけです。

デフレで景気が悪く売り上げが増えないとすれば、投資に対する利潤の増加は見込めません。そんな状況では投資効率が悪すぎてカネをどぶに捨てるようなものです。ただし、企業や社員の努力で日本の生産性が向上すれば利潤は増えますので、配当金を要求します。ただし再投資して供給力を増やすよりもカネを回収したほうが得ですから、再投資せずに配当だけ回収します。

逆に言えば、生産性の如何に関わらず、売り上げ総額が増える見込みがあれば、投資する価値があります。生産性が上昇しなくても投資によって供給力を増やすほど確実に利潤が増えるからです。ですから、ごく当たり前に考えて、生産性の向上よりも売り上げの増加の方が投資を促進するでしょう。

一方、投資によって生産性を向上することで利潤を増やす方法はあります。本当に日本の生産性が低いのなら、投資によって生産性を高めることができます。この場合は新聞マスコミの言うような「生産性が向上することで投資が促進される」のではなく、「投資によって生産性が高まる」のです。つまり新聞マスコミの解釈は本末転倒です。

ただし、投資によって生産性を高めるとは、たとえば人工知能やロボットを導入することを意味します。つまり、それによって従業員をリストラし、人件費コストをカットすることで生産性を向上させるわけです。その結果、失業者が増大して、経済にはデフレ圧力が生じます。しかも、投資家は配当金を抜くだけで、デフレ環境下で事業を拡大しようとは考えません。自分なら抜いた利益で売り上げ増加の見込める途上国に投資します。

ですから、変なことを考える必要はありません、
ヘリマネで国民におカネを配ればよいのです。

そうすれば企業は「売り上げが増える」と予想しますから、企業も資産家も設備投資に動きます。投資増と消費増の両方が期待できます。そして企業の売り上げが増えれば、従業員1人当たりの売り上げ(=生産性)が増加しますから、生産性は必然的に向上すると思います。

2017年6月8日木曜日

失業率低下しても賃金伸びないワケ

新聞マスコミは「失業率が低下しても賃金が増えないのはナゾだ」と騒いでいる模様です。しかし、GDPがお涙程度しか増えていないのに、雇用の大部分を創出している中小企業や派遣非正規の給料が増えるわけないのは当然かも知れません。

労働市場において、労働資源の供給が不足すれば賃金が上がる。確かにそうなんですが、考えてみると、そもそも、より多くの賃金を支払うための「おカネ」(原資)はどこから湧いてくるんでしょうか。売り上げですよね。その売り上げが増えないのに、どうやったら賃金を増やせるんですか。いくら人手不足だってカネがなければ払えないです。

企業の売り上げが増えないと、いくら人手が不足しても、賃金なんか払えませんよね。それ以外にどこからそんなカネが湧いてくるのでしょうか。

あるとすれば、借金です。借金を増やせばおカネが増えますからね。企業が人手を確保するために借金を増やして賃金を上げる(つまり投資)。確かに今は人手が欲しいけど、消費税が2019年に増税されることになっているわけですから、景気がどうなるかわかったものではありません。不況予測が立ちます。不況予測があるのに、借金してまで賃金を増やすなんてリスクが大きすぎますよね。

自分が中小企業の経営者だったら、人手は欲しいけど、カネがないから賃金は上げられない。2019年には不況も待っている。業務の効率化や残業でまず乗り切ろうとします。だから、求人は出すけど(求人倍率の上昇)、賃金は上げない(賃金伸び悩み)。

金融緩和でわずかばかりのGDPが増加したところで、大企業の内部留保と資産家の配当金が増えるだけです。とてもとても国民の大多数を占める中小企業や非正規雇用の賃金なんか増えるはずありませんよ。

くだらないことで悩んでないで、さっさとヘリマネでカネを撒けばいいんです。そしたら、あっという間に企業の売り上げが増えて、賃上げの原資が確保できます。カネがあれば賃金を払えます。ですから、もし人手不足が本当だとすれば、ヘリマネすれば賃金なんかすぐ増えます。

まずそこが好循環のスタートですよね。


2017年6月7日水曜日

アリの貯蓄とヒトの貯蓄の違い

アリと言えば冬を越すために食料を貯め込む、という印象がありますね。アリの貯蓄。ヒトも老後に備えて貯蓄するわけですが、この両者の貯蓄には本質的に大きな違いがあります。それは貯め込むものが「財かカネか」の違いです。

アリの蓄えは食料です、現物ですね。いわば消費「財」です。モノとして貯蓄するわけです。これは貯蓄の最も原初的な形態だと思います。必要な食料を溜め込み、それを直接に消費することで生活できます。これらの消費財は溜め込むときにすでに世の中に存在しているものを利用します。いまあるものを、手元に溜め込んでいます。

ヒトの蓄えはもっぱらカネです。これは「財」ではありません。何しろカネを食べたり飲んだりできませんから。あくまでも、食料などの消費財が必要になったその時に、カネとモノを交換することで手に入れるわけです。つまり、財を溜め込んでいるのではありません。では何が溜め込まれているのか?現在、世の中には存在しない、未来において生産されるはずの何かと交換できるという「約束」です。これは人間社会に独特な、不思議な貯蓄です。

アリの貯蓄は現物ですから、確実です。腐敗するので長期保存の難しいものもあるでしょうが、使用価値そのものを保存するので確実に価値が保存されます。そして貯蓄するときに、食料がたくさんあればよりたくさんの貯蓄が出来ます。すなわち、今、たくさん生産することが重要です。

ヒトの貯蓄はカネですから、確実ではありません。もし将来に国の経済が破綻してしていれば、何も貯蓄しなかった場合と同じになります。使用価値ではなく交換の約束を貯めているだけだからです。そして、貯蓄をする際には、世の中により多くの財があっても無意味です。貯蓄するときに世の中の材がどれほど豊富でも貯蓄とは何の関係も無く、得られる財の質と量は将来に生産されるであろう財によって決まります。

アリの貯蓄は現物を蓄えるので、誰かの蓄えが多いからといって他のアリが困ることはありません。財は毎年のように生産されるため、もし消費しなかった財を毎年のように溜め込んでいっても、世の中の財が足りなくなることはありません。

ヒトの貯蓄はカネですから、誰かがたくさん蓄えてしまうと、他の誰かが困ることになります。カネは財のように毎年生産されるわけではなく、世の中のカネの量はある程度決まっています。そのため、誰かがおカネを溜め込んでしまうと、別の誰かに行き渡るおカネがなくなってしまいます。

つまり、貯蓄の意味がまったく違います。

ところで、もし、ヒトがアリのような貯蓄をしたならば、つまりカネではなくモノ、財で貯蓄するようになれば、世の中はずいぶんと違った世界になるでしょうね。でも、その方が本質的には健全かも知れません。少なくとも、世の中をおカネが回らなくなるといった心配はありません。

その場合における貯蓄の有効性は、いま、生産を最大化することで実現されるでしょうね。

2017年6月6日火曜日

ケインズ派ならベーシックインカム推進で決まり

新聞マスコミは経済を「なんとか派」に分類するのが大好きですか、自分はどうもしっくりこない。でもあえて言えば、ベーシックインカム推進はケインズ派そのものです。財政支出で有効需要を創出するのですから。

いわゆる「ケインズ派、リフレ派」なる世間一般の認識は自分の認識とはだいぶ違います。まず、ケインズ派ですが、世間ではケインズ派と言えばひたすら公共事業推進という認識です。これまでがそうだったからでしょう。しかし考えてみれば、ケインズの本質は「財政支出による有効需要の創出」なのであり、それを公共事業に限定する必要があるとは思えません。ベーシックインカムも含まれるはずです。ケインズ派は「政府の財政支出によって有効需要を増やし」、世の中のおカネを回すことが本質だからです。

一方でリフレ派は基本的に金利です。金利操作によって民間の設備投資を誘導しようとする方法論になります。「金利を操作して民間投資・消費による有効需要を増やし」、世の中のおカネを回すことが本質です。リフレ派におけるインフレ予想もあくまで金利(実質金利)のマイナス誘導が目的です。ここにはベーシックインカムの考え方は微塵もありません。

ですから、ベーシックインカムはあくまでもケインズの有効需要に基づく方法論であり、ベーシックインカム推進はケインズ派の考えに極めて近いのです。ケインズ派の皆様は、ぜひベーシックインカムを積極的に推進して欲しいですね。国民におカネを配っても貯蓄されるだけ?いえいえ、それは人々の貯蓄が少ないからです。好きなだけ貯蓄させてやったら、そのうち使うようになりますよ。それで何か問題あるとは思えません。

もちろんベーシックインカムをやったからと言って、公共工事をやめてしまう必要はないわけです。ただし公共工事は景気の変動に合わせて増やしたり減らしたりするのではなく、必要に応じてしっかりベースアップして、その額を長期安定的に継続する必要があります。企業経営においては「長期安定」が設備投資の判断にとって重要だからです。短期変動では困るのです。

ところで、リフレ派に対する世間的な認識もかなりおかしいです。世間的にリフレ派は世の中のおカネを増やすという認識です。しかし日銀が市中銀行から国債を買っても現金(マネタリーベース)が増えるだけで、世の中のおカネ(マネーストック)は1円も増えません。企業や個人が銀行から借金をしなければ世の中のおカネは増えないわけですが、あたかも日銀が世の中のおカネを増やしていると思われているのです。ネット上の日経新聞のイラストがまさにそれでしたね。ハイパーインフレがー。企業がカネを借りないのに、どうやったらハイパーインフレになるのか摩訶不思議です。

こうしたおかしな認識は、新聞マスコミによって世間に広められ、人々の経済に関する判断力を狂わせていると思います。

ところで、「ケインズ派かリフレ派か」の二者択一である必要なんかありません。ケインズ派とリフレ派の「良いとこ取り」が最もいいです。それがヘリコプターマネーです。財政出動で有効需要を増やし、同時に世の中のおカネ(マネーストック)も増加するからインフレ予想も立つ。公共工事もできる。まさにケインズ派とリフレ派の両方にとって満足できる政策ですよね。

2017年6月5日月曜日

「貯蓄は社会に損害を与える」との認識が必要

生産不足(インフレ)の時代から消費不足(デフレ)の時代へと時代は大きく変化しました。それに伴い、これまでの価値観は大きく見直されるべきでしょう。その一つが貯蓄です。「貯蓄は社会に損害を与える」との認識を持つ必要があります。

戦後の生産不足の時代においては、市中銀行の信用創造が加熱すると、たちまち世の中のおカネが増えて消費が増加し、物不足からインフレを引き起こしてきました。ですからインフレを抑えるためには消費を抑える必要があります。

ですからインフレの時代において「貯蓄は美徳」でした。国民がどんどん貯蓄すればおカネが消費に向けられませんから、インフレを低く抑えることができるわけです。その一方、信用創造で作られたおカネは消費よりも投資へと向かい、日本の生産力をいちはやく向上させることができたわけです。

ところが、日本の生産力が次第に大きくなり、さらには自由貿易で途上国からも商品が供給されるようになった今日、供給力が過剰になり、相対的に消費が不足するようになりました。そうなると商品が売れ残り、商品価格が下落するデフレが生じるようになります。それが企業の収益を悪化させ、従業員の解雇、賃金引下げを引き起こします。

デフレの時代において「貯蓄は悪癖」です。国民が貯蓄すればするほど消費が減り、ますますデフレが悪化してしまうからです。そしてどれほど生産性が向上しても、貯め込まれたおカネが死蔵されたままなのですから、おカネが世の中をまわらず、デフレスパイラルへと落ちてゆきます。貯蓄が経済をダメにしてしまうのです。

貯蓄は社会に損害を与える。
「過剰な貯蓄は罪である」との常識が必要です。

時代が変われば常識が変わる。絶対王政の時代は王による統治が常識でしたが、そんな常識は時代の変わった現代では通用しません。同様に、時代が変われば貯蓄に対する人々の常識も大きく変えていかねばなりません。もちろんある程度の貯蓄が社会にとって有益であることは確かです。ベーシックインカムのようなセイフティーネットがない、今日の原始的な社会にあっては、貯蓄は人々の生活をリスクから守る有効な手段です。とはいえ、限度があります。

「貯蓄は社会に損害を与える」のですから、これを政策的に抑制する必要が生じるのは当然でしょう。それが「金融資産課税」あるいは「マイナス金利」です。おカネがおカネを生み出す。おカネを貯め込めば貯め込むほど得をする、そんな都合の良い時代は終わったのです。これからの時代は、おカネを貯め込むことで社会に与える損害を補填してもらう必要があると思うのです。

2017年6月2日金曜日

二つの異なるグローバリズム

グローバリズムは大きく異なる二つの種類がありますが、新聞マスコミはその二つをごちゃ混ぜにしてグローバリズムと呼んでおり、それが大きな誤解を招いています。その二つとは、

①世界規模の課題解決としてのグローバリズム
②拝金主義的な単一市場化のグローバリズム

①世界規模の課題解決のためのグローバリズムに反対する人々がいるとは思えません。人類の活動が世界にわたり、かつ大規模化することにより生じてきた、環境問題、人口爆発などの地球規模の危機への対応。あるいは全人類的な貧困撲滅、疾病の根絶など、今日におけるグローバルな協力関係が重要であることは疑いもありません。こうしたグローバリズムはますます活発化すべきでしょう。世界はグローバルに協調すべきです。

問題は②拝金主義的な単一市場化のグローバリズムです。

世界に広がる民族主義や社会主義的なうねりは、拝金主義的な単一市場化のグローバリズムが生み出す「経済格差、失業者」に原因があります。それは反グローバリズム運動が右派にも左派にもあることからわかります。民族主義的な色合いの濃い右派、例えばフランスの国民戦線やイギリス独立党もあれば、左派ではスペインのポデモス、また中道としてはイタリアの五つ星運動があります。

彼らの共通点は「拝金主義の追放」です。

カネ儲けのために行き過ぎた市場原理主義が容認され、世界を強制的に単一市場化し、それを新聞マスコミがやれグローバル化とはやし立ててきました。その結果、貧富の格差が拡大し、失業者が生まれ、人々が苦しんでいる。政治家もマスコミも御用学者も、上っ面で「チェインジ」などと言いながら、根本的な問題解決を放置してきたのです。

現在のEUで何が起きているのか?金融のグローバル化がもたらした巨大バブルとその崩壊を発端とする緊縮政策。それによって失業者が溢れ、格差が拡大する一方で、グローバル資本とその関係者だけが利益を独占する。この状況に対する人々の怒りが反グローバリズムを押し立てています。

ですから、反グローバリスムの共通にあるのは「拝金主義の追放」であって、自由、平等、博愛を追求するグローバルな取り組みに対しては、何ら反対するものではないのです。

しかし新聞マスコミはこうした論点にはあまり触れようとせず、グローバリズムに批判的な右派政党の民族主義的な側面を捉えて、グローバリズムに反対する人々は「極右や反知性主義の台頭だ」と決め付け、あるいはそうした人々が増えている現状を「ポピュリズムだ」と批判しています。

新聞マスコミの一面的な報道によって、
問題の本質は大きく歪んでゆく。

多くの人々は、民族同士が争う世界や排他的な社会を望んでいるのではなく、極めて単純な動機で動いています。「まともな生活がしたい」。それだけ。にもかかわらず、政府も御用学者もマスコミも、拝金主義に染まり、そうしたごく普通の庶民の夢と希望を打ち砕いてきたのです。

国際分業やテクノロジーの進化の恩恵を多くの人々に分け与えるのでなければ、庶民にとって経済的なグローバリズムは何のメリットもありません。緊縮財政をただちに中止し、ベーシックインカムなど分配政策を推進する必要があります。そんなものはシステムとしては単純なので、政府がその気になればすぐにできます。

それが行われない限り、市場原理主義に基づく、単一市場化のグローバリズムは格差や貧困を生み出すだけであり、絶対に受け入れるわけにはいかないのです