2017年7月10日月曜日

良い国会と悪い国会

安易なタイトルですが、こういう表現が結局のところ解りやすいと思うのです。こんなクダラナイ国会をいつまで続けるのか。どんな国会が良くて、どんな国会が悪いのでしょうか。

良い国会は、国民生活を向上させるための政策に関して、与野党が激論を戦わせる国会です。例えばヘリコプターマネー(ベーシックインカム)や日銀の国債引き受け、消費税減税、金融資産課税と再分配など、国民生活・国民経済に関する議論はいくらでもあるはずです。

野党はこうした政策を打ち出し、「一歩も引かない態度」で議論を行う。国会で未来のビジョンを説明して法案を提出し、自民党を挑発する。学者も動員する。とにかく、口を開けば政策を、しかも具体的で計画的なプランや法案を出しまくる。こういうスタンスで自民党をどんどん攻撃していただきたいのです。

すると、国民の意識も変わる。ヘリマネも日銀の引受も、消費税の減税も税制改革も、国民は意識が低すぎ、ほとんど知識を持っていません。しかし野党が朝から晩まで繰り返すと、国民にも徐々にその知識が浸透してゆくのです。これまでのような「国民の生活が第一」なんてお題目は意味がありません。「具体的な政策と実行計画」がなければ美辞麗句に過ぎないからです。具体的政策、実行計画、法案、学者を巻き込んだ議論などが必要です。

これが行われる国会は、良い国会です。こんな国会は興奮するでしょうねえ。日本はもしかすると変わるかも知れませんよ。わくわくします。若者もきっと政治に関心を持つようになるでしょう。

悪い国会は、国民生活などそっちのけで、政策議論ではなく政権の引き摺り下ろしが目的化している国会です。まさに、「日本の伝統的な国会」がこれです。多少なりとも意識の高い国民は、ヘリマネ、消費税減税、財政支出拡大など国民経済に関して議論が進むことを期待しています。ところがそんなものはおかまいなし。政策議論は一歩も進まず、あいもかわらず、何十年も昔ながらの「政争」が繰り返される日本の国会。

プロ市民の皆様はおお喜びでしょうが、政策で日本を変えたいと願う多くの無党派国民は絶望しています。いったい、何十年おなじことを繰り返すのか?私が死ぬまで、こんな無為無策を繰り返す国会を見せられるのか?

無能の新聞マスコミは「政権を批判することが役割」だと勘違いしているらしい。そのため、とにかく政権をこき下ろせば満足している。紙面やネットで挑発的な記事を書き、国民を煽り立ててポピュリズムを先導しているに過ぎません。冗談ではありません。政策議論を前に進めろと言いたい。どうせ挑発するなら「政策で挑発すべき」です。

騒ぐだけ騒いで、何もなさない、何も残らない。これが延々と繰り返されてきたのが日本の国会です。これで新聞マスコミが「みなさんもっと政治に関心も持ちましょう」など、アホらしいにもほどがあります。こうした新聞マスコミの「政策なき批判」が、ただ単に国会や政治家の不信感を煽り、国会や政治家を頭から「ムダ、無意味」と思わせ、それらに対する関心を失わせてきたのです。

日本は世論を挙げて、政策の論争に明け暮れるべきです。口を開けば政策。そうしなければ、日本はこのまま永遠にずるずると自民党と官僚の利権政治のままに引きずられ、沈んでゆくだけだと思います。

まあ、こんなことを言っても、私が新聞マスコミと一緒になって安倍政権を批判しなければ「安倍信者」のレッテルを張られるんでしょうけどね。情けない人たちです。