2017年8月17日木曜日

機械化で人手不足対応 でも賃金増えないよ

人手不足への対応として「人工知能やロボットを導入せよ」と新聞マスコミが騒いでいますが、機械化で人手不足に対応しただけでは景気は良くなりません。賃金が伸びないからです。

人手不足そのものを解消するのであれば、確かに人工知能やロボットなどの機械によって、人手を補うことは可能です。しかし人手不足が解消されただけで、賃金が増えるわけではありません。売り上げが増えなければ賃金を増やせるわけがないからです。人手不足が供給制約になっていたとしても、インフレ率が極めて低いということは、実質的に供給不足になっていないと考えられるからです。つまり、売り上げは増えない。

それどころか、非常に性能の高い人工知能やロボットが導入されると、むしろ人手不足の解消を通り越して、リストラが可能になる可能性も十分あります。たとえばレジ打ちの自動化などは、人手不足を解消というより、そもそも人手を不要にします。そのような業種が増えると、賃金が増えないどころか、失業を増やすかも知れません。

つまり、人工知能やロボットを導入したところで、それだけでは賃金は増えません。従って消費も増えない、景気は回復しない。もちろん、賃金が伸びないのですから国民の景気の実感など良くなるはずもありません。

ですから、機械化で人手不足に対応するだけでは、不十分であると考えられるのです。もちろん機械化は大切ですが、同時に必要なのは「国民にカネを撒くこと」です。

高額所得者の人たちは、すでに買いたいものは買い揃えていますから、カネがあっても今さら需要が増えるはずもありません。需要があるのは「飢えた人々」、つまりカネが無い人にこそ潜在需要があるわけです。格差の拡大した日本では、そうした人はとても多いといえます(世帯の34%は年収300万円以下)。

人工知能やロボットの高い生産能力を生かすには、それらをフルに活動させることが効果的です。国民におカネを撒けば、それらが消費を促し、人工知能やロボットがフル生産します。そうすると、生産性が向上し、企業の利益も増大し、経済も成長する。そうすれば賃金も引きあがるでしょう。それが経済の好循環です。

先におカネを配らないのであれば、機械化で人手不足に対応しても効果は期待できません。頭がセイの法則で出来ている新聞マスコミが「機械化が促進されても景気が良くならない不思議」とか言ってまた騒ぐだけだと思います。

2017年8月15日火曜日

GDP成長 人手不足さわぐ読売新聞

内閣府によると4-6月実質GDPの成長率が年率換算4%に達したと、歓迎すべき指標が発表されましたが、それと何の関係もないのに読売新聞はすかさず「人手不足」と騒いでいます。

内閣府によれば4-6月期の実質GDP成長率は1.0%(年率換算で4.0%)の高い伸びを示した。そのうち内需が1.3%と好調、外需は逆に減少して-0.3%となった。内需のうち、消費は0.9%、設備投資は2.4%、公共投資が5.1%だった。
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/sokuhou/gaiyou/pdf/main_1.pdf

もちろん、賃金の伸びが鈍い状況では、これは一過性に終わる可能性も高いわけですが、こうした「景気のいいニュース」は人々や企業の心理に良い影響を与えるので歓迎すべきです。が、

これに水を差すように読売新聞は「人手不足ガー」始まりました。GDPが高い成長を示しました。ああ、よかったですね、賃金をもっと伸ばしましょう、で終われば十分なのですが、読売新聞はもう、あらゆる機会を使って「日本は人手不足」を国民に洗脳したいようです。

しかも、「伸び悩む賃金と広がる人手不足」により「国民の実感を伴わないまま日本経済が停滞する恐れ」があるというのです(紙面の図に記載されていた)。明らかに変です。

そもそも人手不足だからこそ、労働市場において賃金が引きあがるのです。人手不足が早々に解消したら、賃金は上がりません。人手不足こそが、国民の生活実感を向上させる強力な原動力になるのです。

にも関わらず、判で押したように「人手不足ガー」。人手不足が解消したら、賃金上がらないだろww。そのくせ「賃金が上がらないのが問題」とか言う始末。これに何の矛盾も感じないのだから、読売新聞はオメデタイというより、馬と鹿ですね。

ちょっと失業率が下がったくらいで、もう「人手不足ガー」と大騒ぎする読売新聞。まだ人手不足で賃金も上がっていないのに何を騒いでいるのか。日本のバブル時代を知らんのか。

なぜこんな矛盾したことを平気で言うのか?もちろん移民の推進でしょう。「移民ありき」なので、平気で矛盾したことも言うのです。「反アベありき」と同じです。結論が決まっているので、論がおかしな方向に曲がっていきます。

とはいえ、当の読売新聞の記事には「移民」の話は出てきません。国民の反発が強いことを知っているからでしょう。そこで、最初のステップとして「これでもか」というほど、人手不足というイメージを国民の頭の中に、潜在意識のレベルにまで刷り込むのです。次の段階で「移民」が必ず出てきます。これは手法です。

国民の生活水準の向上に人手不足は「まったく関係ありません」。国民の生活水準は国民1人当たりの生産性で決まります。移民は生産性を高めるものではないので、意味がないのです。


2017年8月10日木曜日

ベーシックインカムの本当の目的

ベーシックインカムには様々な目的が考えられます。平等な社会の実現、経済成長、社会福祉の効率化。主張する人によって様々ですが、人工知能やロボットが急速に進化する今日におけるベーシックインカムの本当の目的は何でしょうか。

(じいちゃん)
今日は「ベーシックインカムの本当の目的」について考えてみたいと思う。これは恐らく人によって違うと思うので、あくまでもワシが考えるところの本当の目的じゃよ。さて、ねこはベーシックインカムは何のために行うべきだと思う?

(ねこ)
う~ん、格差をなくして平等で貧困のない社会を実現するためかにゃあ。

(じいちゃん)
確かにそれは目的の一つとして大切じゃな。もし50年前にベーシックインカムを推進するとすれば、それが最大の目的だったはずじゃ。じゃが今日における目的は、大きく変わりつつあると思う。人工知能やロボットの急速な進化に対応することが最大の目的になると思うんじゃ。テクノロジーの進化によって、ワシら人類の経済は「新しい段階」に移行しつつあると思われるからじゃ。

そもそも、人工知能やロボットを何のために進化させるのじゃ?それは、ワシら人間が働かなくとも豊かに暮らせる社会を実現するためじゃろう。未来のSF科学小説にも出てくるあの暮らしじゃよ。そういう社会になれば、社会には人工知能やロボットが作り出す様々なモノやサービスが格安で豊富に供給されるようになるはずじゃ。すると、結果として人間は平等になるし、貧困も解消されるじゃろう。経済も安定して持続的に成長出来るはずじゃ。もちろん成長と言っても、暮らしの必要に応じた範囲での成長じゃよ。

しかし、逆に最初から平等な社会の実現を目的としたり、経済成長を目的とすると、生産活動の中心が人工知能やロボットに移行する過程において、少々問題が生じるんじゃないかと心配しておるのじゃ。

(ねこ)
ふにゃ、どんな心配なのかにゃ?

(じいちゃん)
平等な社会「だけ」を目的としたり、経済成長「だけ」を目的として、それさえ達成すれば良いとの考え方になってしまうのではないかと心配しておる。もちろん単なる杞憂かも知れんがの。

たとえば「平等になればよい」と考えると、平等でさえあれば貧しくなっても良いという話になるかも知れん。その結果、平等だが国民すべてが貧しくなる。人工知能やロボットが自動的に富を生み出す時代になれば、国民全員が貧しくなるはずがない。しかし単純に言えば、国民に支給するベーシックインカムの金額を絞ってしまえば、どれほど機械が進化しても国民の豊かさは支給される金額の上限を超えることはない。じゃから財源ばかり気にして配るおカネをケチるとちっとも豊かにならんじゃろう。

あるいは「最低生活が保障されればよい」と考えると、仕事のない人はベーシックインカム以外に収入がないのじゃから、失業者はすべて最低生活水準になってしまう。それで良いと思う人もおるかも知れんが、何しろ人工知能やロボットによって人間の担うべき仕事はどんどん減ってしまうから、失業するのがあたりまえの社会になる。極端に言えば、やがて人口の99%が失業して最低生活となり、仕事にありついた残り1%が残りのすべての富を手にする「究極の格差社会」になるかも知れん。

また「経済成長すればよい」と考えると、とにかく経済規模を拡大しなければ気が済まなくなる。経済規模はモノやサービスの生産量に比例するため、年を追うごとに生産量を増大させることになるが、そんなことをしていたら地球の資源は直ぐに枯渇してしまうし、環境も破壊されてしまうじゃろう。資源がきちんとリサイクルできる範囲に総生産量をコントロールしなければ早晩、経済そのものが破綻してしまう。

まあ、話はかなり極端じゃが、人間は何につけ「極端になる性質」があるみたいじゃから、用心に越したことはないじゃろう。

(ねこ)
うみゃ~、なんか愚かなのにゃ。じゃあ、なにを目的・目標とすればいいのかにゃ。

(じいちゃん)
ワシは「ユートピアの経済システム」を構築することが真の目的じゃろうと考えておる。それは永遠の持続性が必要とされる。そのようなシステムは単に物理的に永続性が確保されるだけでなく、人々によって永遠に認められなければ持続可能であるとは考えない。つまり不幸な人を生み出すようなシステムは持続不能である。

そしてベーシックインカムはあくまでも、ユートピアの経済システムを構築する途上における一つの方法論に過ぎないと考えておるのじゃ。つまりベーシックインカムは到達点ではなく、出発点であると。おそらく未来社会では貨幣すら不要となるはずじゃ。もちろんそれは遠い未来、ワシがもうこの世にはおらん時代の話じゃろう。

そうした社会に一足飛びに到達できるわけではない。ビジョンと計画を持ち、足元をしっかり固めつつ、一歩一歩着実に実現に向けて歩む必要がある。100年レベルの計画じゃよ。そこへ至る過程において、今まさにひとつの山場に差し掛かっておる。それが人工知能やロボットがもたらす失業者の増加の問題じゃ。

そもそも人工知能やロボットが人間の仕事を代わりに行うのだから、これは「働かなくて良い社会」に向けて大きな前進となるはずなのじゃが、驚くべきことに、これが人間の所得を奪う結果をもたらす。これは明らかに現在の経済システムに致命的な欠陥があることを示しておるのじゃ。それが「所得は必ず労働によってもたらされなければならない」というシステムじゃ。

ベーシックインカムの導入によって、このシステム上の欠陥を修復し、山場を乗り越える。それがベーシックインカムの最大の目的であると考えておるのじゃ。そして、それは単に経済システムの進化の過程のおける山場を越えるのみならず、多くのメリットをワシらに与えてくれるのじゃ。それが格差の縮小、貧困の根絶、経済成長などじゃ。じゃから平等社会の実現や経済成長はあくまでも副次的な成果であると思うのじゃ。

~本編サイトと同時掲載



2017年8月9日水曜日

日本にはカネがあるようで実は無い

日本には家計の現金・預金がおよそ900兆円、企業の現金・預金がおよそ250兆円あります。なので「日本にはカネがある」と思っている人は多いでしょう。しかしそれらのおカネのほとんどは、有って無いようなものです。

現金預金は家計と企業の合計で1100兆円を超えますが、そのほとんどは貯め込まれているだけで使われていません。いわば「死蔵」されていると言えます。こうしたおカネは経済活動にほとんど影響を及ぼさないため、有っても無くても同じなのです。

たとえば、今、日本のどこかに徳川の埋蔵金が100兆円あったとしても、無かったとしても、動かないのですから同じことです。家計や企業の貯蓄も徳川の埋蔵金と同じで、動かなければ有っても無くても同じです。

ですから、驚くべきことに日本には「おカネが足りない」のです。おカネが足りないのですから、おカネを増やさなければ経済は決して良くなりません。

もちろん、この「死蔵されているおカネ」が、消費や投資に向かえば、おカネの不足は解消します。しかし、それは非常に難しいでしょう。バブル崩壊以後、日本の現金預金は増え続けており、家計も企業もおカネを使うより、貯め込む傾向が一貫して強いのです。これはもはや日本人の特性なのかも知れません。

それでもなお、社会保障を安定させれば社会不安が解消されて消費が増えるとか、岩盤規制を緩和すれば企業の投資が増えるとかいう主張が見られますが、もう10年以上も同じ主張を繰り返しているにも関わらず、何ら状況は改善しません。いい加減にアプローチの方法を変えるのはあまりに当然ではないでしょうか。

まず、経済活動は世の中を回るおカネの量で決まりますから、最優先にすべきことは、世の中を回るおカネの量を増やすことです。そのためには、政府が通貨を発行して国民に給付する。それだけで良いのです。国民がそのおカネを使うだけで、世の中をおカネが回り始めます。

世の中を回るおカネを増やす。それをしない政党は、どの政党であろうと、まったくダメです。まして、おカネを増やすどころか、世の中を回るおカネの課税を強化して(=消費税増税)、おカネを減らしてしまう(=財政再建)など、正気の沙汰ではないのです。

2017年8月8日火曜日

オイルショックのイメージから脱しない国民

インフレになると生活が圧迫される(生活が貧しくなる)と考える人が今でも多いようです。しかし、実際には「生活が豊かになるからインフレになる」のであって、必ずしもインフレが人々を貧しくするわけではありません。

なぜ生活が豊かになるとインフレになるのでしょう。インフレは消費が増加すると生じます。消費が増加するには、国民の購買力の向上が不可欠であり、それは国民の所得が増えることで生じます。つまり、インフレになるということは、同時に人々の所得が増えているはずなのです。そして消費が増えるために、人々の生活は豊かになるのです。これは「良いインフレ」です。この場合、インフレは好景気と同時に生じます。

逆に言えば、なぜ今の日本がいつまで経ってもインフレターゲットを達成できないかと言えば、それは「国民の所得がちっとも増えていない」からです。そのため消費が増えず、結果としてインフレにならないのです。ですからインフレ目標を達成するには、国民におカネを給付する政策が効果的だと考えられるのです。

では、なぜ多くの人が「インフレになると生活が圧迫される」と信じているのでしょうか。それはおそらく、オイルショックのイメージが人々の意識を支配しているためだと思われます。しかしオイルショックは単なるインフレではなく、スタグフレーションです。これは普通のインフレとは大きく異なります。

スタグフレーションは物価の上昇(インフレ)と不況が同時に起きる状態を指します。これはオイルショックのように、生活に必要不可欠な輸入品が値上がりすることで生じます。スタグフレーションでは、人々の所得が増えることなく、物価だけが上昇しますので、人々の生活が貧しくなります。

オイルショックのように、供給もとの生産量が減ってしまうと、どうすることもできません。どんな景気対策も効果がないのです。基本的にはガマンするしかない、せいぜい、貧しい人の生活必需品が不足することのないよう、再分配政策を強化する程度でしょう。スタグフレーションはそもそもモノが不足する状態になるため、物価を安定化させることは、とても難しくなります。

こうしたスタグフレーションを「インフレだ」と思っている人は多いと思いますが、スタグフレーションとインフレはまったく別物と理解すべきでしょう。スタグフレーションはモノの供給が減少するために物価の上昇と不況が同時に起きますが、インフレはモノの供給以上に需要が伸びるので、物価の上昇と好景気が同時に起こります。

ところで、輸入品について考えると、為替相場の変動によって輸入品の価格が上昇することもあります。つまり円安になると、為替の関係で輸入品が値上がりしてしまうのです。では、この場合はスタグフレーションになるのでしょうか?

例えば、国民におカネを給付金をどんどん支給すると、円の通貨発行残高が増加しますので、為替市場では円安になり、輸入品の価格が上昇してインフレになるかも知れません。しかし、国民におカネが給付されているのですから、負担が増えるどころか、おそらく国民の購買力が増加して、消費が拡大し、景気が良くなると思われます。

また、円安になると日本の輸出競争力が高まるため、輸出が活発化し、これが企業利益を押し上げて、賃金が上昇しますから、景気が良くなります。つまり、国民におカネを給付すると、インフレにはなるものの、同時に景気が良くなるため、スタグフレーションとはまったく違った局面になるでしょう。

ですから、インフレ・インフレと言って、昔のオイルショックのような不況を心配する必要はありません。インフレになるということは、所得が増えることを意味します。天変地異や大恐慌でも生じない限り、所得が増えずにインフレだけ生じる心配をする必要はありません。

最も重要な点は、供給される財(モノやサービス)の量が増加することであり、それが国民にきちんと行き渡るのであれば、物価が上がろうと下がろうと、国民は豊かになるのです。本質的に物価と豊かさは無関係なのです。

2017年8月7日月曜日

マクロを優先しミクロはその後でOK

経済に関係する問題を解決するためには、何よりまずマクロ政策が優先されるべきで、ミクロ政策はその後で行う方が効果的です。そうしなければミクロは無駄な努力になってしまいます。

マクロ政策とは経済の環境を改善する政策です。世の中のおカネを増やし、おカネの循環を良好にしたり、物価を安定させたりすることです。それによって家計や企業などの経済活動を活性化し、社会を全体として豊かにすることも可能です。

例えるなら、それは魚にとっての水質環境のようなもので、いくら素晴らしい、優秀な魚を飼育したところで、水が悪ければ魚はダメになってしまうでしょう。もし水質が最低の環境で魚が育たないのだとすれば、それは魚に責任があるのではなく、環境に原因があることは明白です。

同様に、人間の経済活動においても、経済環境が悪ければ、どんな政策を行っても効果はありません。例えばブラック企業を取り締まり、最低賃金を上げても、あるいは失業者の自己責任を追及して扱いを厳しくしたり、職業訓練を施しても、効果は知れています。こうした政策は経済環境そのものを変えることはできないため、ミクロ政策と呼ばれます。

まずマクロ政策で経済環境を整えることが最優先です。

例えば、低賃金・長時間労働を強いる企業をいくら潰したところで、そうした企業はもぐらたたきのようにいくらでも出てきます。人々は生きるために低賃金・長時間労働でも受け入れざるを得ないため、世の中の仕事の量が少ないと、ブラックと知りつつも、ブラック企業に人がどんどん集まるからです。

また、企業の立場から言えば、デフレ不況の環境下では商品が売れないため、一円でも安く商品を売らなければ市場競争で淘汰されてしまいます。そのため、ギリギリまで人件費と労働時間を厳しくしなければならず、そうでない企業は潰れて消えます。そして最終的にはブラックな企業だけが生き残ります。

これでは、低賃金・長時間労働の問題は解決しません。

ところが、マクロ政策で経済環境を変えると、まるでウソのように物事が反対方向に回り出します。

例えば、おカネを発行して全ての国民に配ると、国民の購買力が向上して消費が増大し、その結果として企業の生産活動が増加して仕事が増えます。仕事が増えれば、何もムリをしてブラックな企業に勤める必要はありませんので、人々はより待遇のよい企業に次々に転職し、ブラック企業は人手がいなくなって潰れます。わざわざブラック企業を取り締まって潰す手間(ミクロ政策)は必要ないのです。

また、企業の立場から言えば、景気がよくなれば商品がどんどん売れるため、ムリに安くする必要はありません。そのため従業員をより高い賃金・短い労働時間で雇用することが可能になりますし、また、雇用条件を良くしなければ、他の企業に人手を引き抜かれてしまいますから、可能な限り労働者の待遇を良くするようになります。

つまり、企業も労働者も、
マクロ環境という釈迦の手のひらの上で踊らされているのです。

マクロのように、経済を全体から俯瞰してみると、「善」も「悪」もありません。企業も家計も単に「環境に適合するように行動している」だけです。その結果が「善」になったり「悪」になったりしているのです。つまり、環境次第で善にも悪にもなるのです。

ブラック企業のような違法な企業は取り締まられて当然ですが、大切なのは、本当に悪いヤツは誰なのかを知ることです。それは「マクロ環境を悪くしている連中」なのです。そいつらのせいで、人々は好むと好まざるとに関わらず「悪人プレイ」を強いられているのです。

2017年8月4日金曜日

残業代ゼロとロボットによる生産性

残業代をゼロにして生産性を高める必要があるとの主張があります。しかし生産性を向上する上で人間の生産性など取るに足りません。実際に生産性を支えているのは機械だからです。

(じいちゃん)
残業代をゼロにすると生産性が高まると騒いでおる。しかし仕事の効率を高めるなら、残業をゼロにするより機械を導入するほうが遥かに効率的じゃ。じゃからそんなに生産性で騒ぐなら、設備投資を増やすことを最優先に考えるべきじゃな。仕事の効率化など、その効果は知れておるのじゃよ。

(ねこ)
ふにゃ、仕事の効率化なんか知れているのかにゃ。

(じいちゃん)
機械による効率化と仕事の効率化を数値で比較するのは難しいが、そんなことしなくとも、よく考えてみると理解できるはずじゃ。例えば、もし人間が機械に頼らない生産活動を行ったとしたらどうなるか。発電所も工場も停止し、自動車も農耕機械も使わない。すると生産量は10%以下、いや数パーセントにも満たないと思う。こうなるといくら「仕事の効率がー」と言ったところで知れておる。

つまり、生産の効率化のほとんどすべては、機械によって成し遂げられておると考えるのが自然なんじゃ。人間の生産効率性(=能力)は機械のように何十倍、何百倍にも伸びるものではない。せいぜい機械の進歩にあわせて、それに適合するよう労働の内容を変化させるだけなんじゃよ。じゃから「仕事の効率」に血眼になって取り組んでも生産性はあまり増えない。

生産性を向上するための最も効果的な方法は「機械化」なんじゃ。設備投資を増やして生産用の機械を導入し、従業員にそれを操作させることで、生産効率は飛躍的に向上するんじゃ。

(ねこ)
じゃあ、なんで企業は設備投資をせず、新聞マスコミが仕事の効率化にうるさいのかにゃ。

(じいちゃん)
それは単に企業が残業代を払いたくないからじゃろ。「賃金を下げるための、それらしい理由が欲しい」のじゃよ。それはデフレ不況が影響しておる。生産効率を高めるには機械を導入するのが最も有効じゃが、仮に生産効率を上げてより多くの商品を生産したところで、今日のようなデフレ不況では売れ残り在庫の山ができるだけじゃ。そうなると逆に生産性が低下してしまう。じゃから企業は設備投資よりも人件費のカットによる生産性の向上を目指すんじゃ。

(ねこ)
にゃにゃー!不況はろくでもないにゃ。早くおカネを国民に配って、不況を終わらせるべきだにゃ。

(じいちゃん)
まったくその通りじゃな。国民におカネが潤沢にあれば購買力が高まるから、企業が設備投資して機械を導入し、生産量を増やしても売れ残る心配は少なくなる。そういう環境を作り出せば、企業の設備投資によって「企業の生産性」も「社会の生産性」も同時に向上するじゃろう。

また、機械化による生産性の向上は、雇用の流動化と同時に行われることで、より効果が高まるんじゃ。機械が導入されると人手が必ず余るようになる。こうして余剰になった労働者が、新たな機械を使って新たなモノやサービスを生産するようになれば、より多くの種類のモノやサービスが社会に供給されるようになる。

(ねこ)
なるほどにゃ~、国民におカネを支給することと、機械化と雇用の流動化が同時に必要なんだにゃ。

(じいちゃん)
そうなんじゃよ、じゃから必ずしも雇用を守れば良い訳ではない。ただし雇用の流動化は必ず失業を伴うから、失業者を社会的に不利な状態に置けば、みんな失業を恐れて雇用の流動化は低下してしまうじゃろう。むしろ失業あるいは転職を推奨するくらいでちょうど良いのじゃ。政府が「転職推奨金」を出しても良いくらいじゃ。もちろん同時に機械化が行われなけれなければ、雇用だけ流動化してもあまり効果がない。

これまではそれでよかった。ところが最近は「人工知能やロボットが仕事を奪う」という問題が出てきた。これまでは「機械を導入して従業員に操作させる」ことで生産性を高めてきたが、人工知能を備えたロボットの登場で「機械が自動で働くので操作する従業員がいらない」という事態になってきた。こうなると雇用が流動化するのではなく、単に「雇用の切捨て」が行われるようになるんじゃ。なぜ切り捨てるかと言えば、ムダな賃金をカットして生産性を向上するためじゃ。

ムダな賃金をカットする考え方は、残業代ゼロと同じ原理じゃ。しかしムダな賃金をカットするという考えじゃと、人工知能やロボットが普及するにつれて、残業代ゼロはおろか人々の賃金も限りなくゼロに近づくことになるんじゃ。本当にそんなことすれば、失業者がどんどん増加して、国民の総購買力もどんどん低下し、おカネが回らなくなって経済はデフレ縮小の果てに破綻するじゃろう。

人工知能やロボットが普及すると、残業どころか、何ら仕事をしない人にも賃金を支払わなければ、やがて経済が成り立たなくなるのじゃ。すなわち残業代ゼロのような考え方、つまり従業員の数や支払い賃金を減らすことで生産性を高める考え方は、もはや時代遅れなんじゃよ。

(ねこ)
じゃあどうやって生産性を高めるのかにゃ。

(じいちゃん)
労働時間ではなく、生産された付加価値に応じた所得を支給すれば良いのじゃ。

(ねこ)
ふにゃ、それじゃあ、脱時間給とか成果主義と同じじゃないのかにゃ。

(じいちゃん)
いやいや、脱時間給は「労働時間と関係なく、企業において生産された付加価値=成果に応じて給与を支給する」考えじゃ。これからは「労働時間と関係なく、社会において生産された付加価値に応じて所得を支給する」んじゃ。労働時間ではなく、生産された付加価値に応じて所得が分配される。これが本当の「脱時間給」じゃよ。もちろん国民に均等に所得を分配するのではなく、生産活動への貢献度が高い人により多くの所得が得られる仕組みは必要じゃ。じゃから基本所得となる部分だけ支給する「ベーシックインカム」というわけじゃよ。基本となる所得以外の分配はこれまでの資本主義と市場原理のしくみにまかせるのじゃ。

そして社会の生産性を高めるには、生産量を増やせばよい。生産されるモノやサービスが増えて社会に行き渡るほど、社会の生産性は向上するし、それは企業だけではなく人々も同時に豊かになることを意味するんじゃ。そのためには機械化じゃ。人工知能やロボットの研究開発にもっと力を入れて、社会全体の生産量を増やすんじゃ。同時に資源リサイクルや自然エネルギーの技術開発も重要じゃ。資源を使い捨てる生産様式ではいずれ生産不能になる。将来もきちんと見据えなければ、そもそも生産性を向上する意味がなくなってしまうのじゃ。

(ねこ)
ふにゃ~、生産性は奥が深いにゃあ。そしてすごく大切だにゃ。

(じいちゃん)
そのとおりじゃ。生産性は一言で片付けられるほど簡単ではない。しかし最も重要なポイントは「何のために生産性を高めるのか」じゃ。それは人々が労働する時間をなるべく減らしながら、より豊かな生活をするためじゃ。もしそうならないのであれば、明らかに間違っておるのじゃよ。

~本編サイトと同時掲載

2017年8月3日木曜日

加計騒動とマスコミ扇動政治の危険性

新聞マスコミに煽られて、無意識のうちに新聞マスコミや官僚の片棒を担がされていることに気付かない人は多いようです。日本は民主政治を揺るがす問題に直面しているのです。それが加計学園騒動の核心にあります。

もちろん、政権批判が行われるのは当たり前ですし、たとえばこれが「共謀罪」「憲法改正」「安全保障」といった、国の重大な案件に関して国民が反対運動を展開し、その結果として安倍政権が倒されるとしたら、これはまったく正しい民主主義そのものです。

しかし加計学園騒動は違います。「疑わしきは罰せず」の原則を曲げてまで、推論による断罪によって政権を交代させようとしているのです。しかもその案件は、たかが大学学部新設に対して首相が口利きしたか、していないか、という下世話な話です。その中心に居るのが新聞マスコミです。

マスコミに煽られ、安倍政権を倒すことに目をくらまされ、多くの人々は物事の客観性を忘れて興奮してしまいます。扇動による大衆操作(ポピュリズム)。人類は同じことを歴史の中で、何度も繰り返してきました。それを、文化大革命の写真を用いて表現してみました。



文化大革命では、無実の多くの人たちが「有罪」のレッテルを貼られ、大衆の前に引きずり出されて暴行を受けました。それを人々は熱狂し、大歓迎したのです。

これは安倍政権にかかわるだけの話ではありません。今回は安倍政権だっただけのことで、新聞マスコミがその気になれば、どんな政権でも可能になってしまいます。昔の鳩山政権だろうと野田政権だろうと同じことです。

こうした、新聞マスコミによる扇動政治、しかも官僚がその影に見え隠れする事態に危機感を覚えないとすれば、それこそ危険です。安倍政権を倒したい気持ちは分かりますが、そのためにこうしたマスコミの扇動政治を受け入れてしまえば、マスコミや官僚ははこの手法に味をしめ、大衆は彼らに操られるようになってしまうでしょう。

日本の民主政治に大きな禍根を残すことになるのです。



2017年8月2日水曜日

「人治政治」を望んでも不毛です

一般的な日本人は「よい政治家が政治をすれば社会は良くなる」と考えているのではないでしょうか。これは人が社会を治める「人治政治」の立場ですが、おそらく庶民の願いは永遠にかなわないでしょう。

そもそも「良い政治家」とは何なのかよくわかりません。清廉潔白であれば良いのでしょうか。人間的な魅力があれば良いのでしょうか。ウソを付かなければ良いのでしょうか。つまり「良い政治家」とは具体的な基準がなく、イメージにすぎません。その人が政権に着いたらどんな政策を行うのか、まるでわからないのです。

多くの国民はこの漠然とした「イメージ」の良し悪しで、政治家の良し悪しを判断します。だから、人の良さそうな、人気のあるテレビ・タレントが都知事にしばしは選ばれるのです。

しかし、イメージが良い政治家だからと言って、人々の意に沿う政策をするかどうかはわかりません。政策はイメージではなく具体論なので、政治家が実際に政治を行う段階になって始めて、人々は「現実」に向き合うことになります。そして、騒ぎ始めるのです。「そんなことを望んでいたのではなかった」と。とはいえ、具体的にどんな政策を望んでいるのか事前に何も表明しない大衆の望むことを、的確に予測して政策を立案できる「超能力政治家」はいません。

にもかかわらず、人々が政治家に不満を感じると、こんどは政治家のあら探しが始まります。新聞マスコミがそれを嗅ぎ付けて政治家の周辺をうろつきまわり、疑念を見つけると、政治家を引き摺り下ろそうと大騒ぎが始まります。こうして、何を望んでいるかを明確に示さない大衆によって選ばれた政治家は、長続きできないのです。

これを延々と繰り返します。
なぜそうなるのか?

大衆が「良い政治家に任せれば良い政治になるはずだ」、という人治政治の考え方を望んでいるからです。すでに申し上げたように、そんな都合の良い政治家はいませんので、結局は何回選挙をやっても大衆の望むような政治家は出てきません。

にもかかわらず、大衆の望む政治家が出てこないものだから「政治家はどれもこれもダメだ」と言い出し、それが政治不信を招き、投票率を低下させ、結局は集票のできる既得権益集団を中心とする政治家に多数を支配され、それがさらに政治不信を招くという「悪循環」を繰り返しています。いわば自業自得なのです。そして、これを助長しているのが新聞マスコミです。

そもそも、「良い政治家」を求めることが間違いです。そんなものはいません。国民の望む政策を実行する「国民の操り人形としての政治家」こそ求めるべき政治家です。

国民の操り人形とは、表現が少し極端ですが、要するに国民がどんな政策をして欲しいかを政治家に命令し、政治家がそれに基づいて具体的な政策を立案して実行するのです。そのような政治家と国民のあり方が求められるのです。

今日の一般大衆のように、国民が政治家にぜんぶ丸投げするスタンスは非常に無責任です。これでは、政治はよくなりません。政策の根幹部分を考えるのは国民の責任です。それを具体化して実行するのが政治家の責任です


2017年8月1日火曜日

残業代ゼロと社会の生産性

新聞マスコミは残業代をゼロにして生産性を向上すべきといいます。確かに残業代をゼロにすれば企業の生産性は高まりますが、それで必ずしも社会全体の生産性が高まるとは限りません。

(じいちゃん)
前回説明したことは、残業代をゼロにすれば確かに企業の生産性は高まるが、それは必ずしも仕事の効率が高まることではないし、人々の賃金を下げるだけに終わるリスクもあるということじゃった。ところで残業代をゼロにすれば企業の生産性は高まるが、そのとき、社会全体としての生産性はどうなるじゃろう。

(ねこ)
企業の生産性が高まれば、社会の生産性も高まるんじゃないのかにゃ。

(じいちゃん)
多くの人はそう思うようじゃが、話はそう簡単ではない。残業代をゼロにするとどうなるか、企業と社会で考えてみよう。

企業では、残業代をゼロにすれば賃金カットと同じじゃから、賃金コストが低下することで生産性は向上する。これは前回説明したとおりじゃ。

社会では、残業代がゼロになると給料が減るわけじゃから、国民全体としての総所得は減ってしまう。すると国民の総購買力も低下して消費が抑制されてしまう。消費が減ると企業は生産を縮小するから総生産は減少し、経済は縮小へ向かう。つまり残業代をゼロにすると、社会全体でみれば生産性は逆に低下するリスクがあるんじゃ。

(ねこ)
うみゃ~変だにゃ、同じ生産性でもなんで違う結果になるのにゃ。

(じいちゃん)
企業の生産性と社会全体の生産性は立場が大きく違うからじゃよ。企業の生産性は株主利益の立場から、社会の生産性は国民全体の利益の立場からみた見方なんじゃ。企業の生産性は前回説明したように、次の関係式がある。

企業の生産性=付加価値の生産量÷従業員数

企業の生産性とは、従業員1人当たりの生み出す付加価値のことじゃ。じゃから、より少ない従業員数で生産するほど生産性は向上する。つまり、生産量を減らさないようにしながら、従業員を1人でも多く首にすればそれだけ生産性が高まる(=利益が出る)ことを意味する。じゃから企業は常に余剰労働力の排除(リストラ)を目指しておる。これは企業が悪だからではなく、資本主義とはそういうシステムだからなんじゃよ。

(ねこ)
必然的に失業者を生むシステムなんだにゃ、だから自由放任していると、どんどん失業が増えるんだにゃ。

(じいちゃん)
次に、社会全体の生産性の式は次のように考えられる。

社会の生産性=付加価値の総生産量÷国民の人口

つまり国民1人当たりの生み出す付加価値のことじゃ。企業は余剰になった従業員を首にして生産性を高める。しかし社会は企業とは違って余剰労働力を排除して生産性を高めることはできない。そんなことをすれば、失業者を国外追放したり殺処分しなければならなくなる。企業がいくらリストラして生産性を高めても、社会全体でみれば人口は同じままなので、生産性はまったく上昇しないんじゃよ。従って企業の生産性を高めるだけでは、社会にとって無意味な場合もある。

生産性の式は「社会の生産性=付加価値の総生産量÷国民の人口」なので、もし人口が変わらないなら、生産性を高めるには生産される付加価値の総量を増やす必要があるんじゃ。つまり、より多くの商品が生産されて売れる(分配される)ようになれば生産性が高まる。それはつまり国民1人当たりの生産と消費が増えることであり、国民が豊かになることを意味するんじゃな。

(ねこ)
なるほどにゃ。社会の生産性を高めるのは「総生産量を増やす」しかないんだにゃ。

(じいちゃん)
その通りじゃ、そして総生産量が増えてもそれが売れ残ったのでは、企業はやがて生産を縮小してしまう。じゃから総生産量を増やしつつ、総消費量も増やさねばならんのじゃよ。じゃからこそ、国民におカネを配って消費を刺激するヘリコプターマネーなどが有効なんじゃよ。

社会の生産性は総生産と総消費によって決まる。

(ねこ)
なるほどにゃ、それじゃあ仕事の効率なんか関係ないのかにゃ。

(じいちゃん)
そうではない。仕事の効率を高めると、国民一人ひとりが生み出す時間当たりの付加価値の量が増える。じゃから社会全体として生産されるモノやサービスの量も増えるから、生産性は高まる。じゃから仕事の効率を高めることは大切じゃ。ただしそれだけでは社会の生産性は向上しないという点が重要なんじゃよ。おカネを世の中にどんどん回して、生産した商品を国民全体に行き渡らせなければ、社会の生産性は向上しない。

(ねこ)
生産性はややこしい考え方だにゃ。

(じいちゃん)
そうなんじゃよ。よくよく考えてみると、生産性はかなりややこしいんじゃ。それを忘れて単純に新聞マスコミの「生産性ガー」記事に振り回されると、国民だけが損してしまうリスクもある。基本的にマスコミの記事は疑ってかかることが必要なんじゃな。

まあ、新聞マスコミへの批判はさておき、生産性と言っても、企業の生産性はあくまで株主利益の視点なんじゃ。国民庶民にとって重要なのは「社会の生産性」じゃ。より多くの付加価値を生産し、人々に広く行き渡らせることが社会の生産性を高め、日本を豊かにするのじゃよ。

~本編サイトと同時掲載