2017年9月1日金曜日

「ベーシックインカムは社会保障」の認識は古い

新聞マスコミにベーシックインカム(BI)の話題がボツボツ取り上げられるようになりました。しかしBIに対する彼らの認識は未だに「社会保障」のようです。そろそろBI=社会保障の認識から卒業する時期です。

BIが本格的に提唱され始めたのは1960年代のアメリカだったといいます。その当時の常識から言えば、それは社会保障の一種だと考えられていたと思われます。BIが社会的な格差を縮小し、貧困を解消することから、その後も、弱者救済の政策すなわち社会保障であると認識されてきたとしても当然なわけです。

ところが21世紀に入り、BIが提唱され始めた時代にはまったく想定されていなかった事態が生じてきました。それが人工知能やロボットなどの機械の飛躍的な進化です。機械の生産性は時代とともに常に向上してきましたが、その速度がますます加速し、将来的には大量の失業を生む可能性が出てきました。

しかも、そもそも人工知能やロボットによって人間が無味乾燥な労働から解放される社会こそ、理想の未来社会であるわけです。人間がいつまでも仕事にしがみ付いていれば、そんな未来社会は永遠に訪れません。人間の仕事を徐々に減らさねばならないわけです。

ところが、所得の全てを労働の対価として受け取る現在のシステムは、その未来のビジョンと激しい矛盾を生じます。所得のすべてが労働の対価である以上、人間は未来永劫、労働に依存し続けるしかないからです。こうした観点から、BIは新たな経済システムの一部として必要不可欠であると考えられるようになったのです。これがBIの新しい展望です。

こうした展望はBI運動の始まった1960年代にあろうはずもありません。まさに、21世紀における新たなビジョンであり、ここにはBI=社会保障という意味はまったくないのです。

社会保障という言葉のイメージは、明らかに「弱者救済」です。ですから、もしBIが社会保障であるとするなら、BIは弱者救済という意味に捉えられるでしょう。しかし、21世紀のビジョンから言えば、BI=弱者救済との認識はまったくの的外れであり、むしろ国民にあらぬ誤解を与えるだけの認識であると思うのです。

弱者救済はどちらかといえば道徳的な価値観に関わる問題なのです。そのため賛成・反対の両者があって不思議はありません。しかし、新しいBIのビジョンでは、それは弱者救済ではなく、経済システムの向上と持続可能性の問題なのです。それゆえ、もしBIを導入しなければ経済システムそのものが破綻するリスクにさらされるのです。

つまり、BIは社会保障のように価値観で是非が判断されるような代物ではなく、導入が避けられないシステムであり、そのような認識を国民に正しく理解していただく必要があるのです。

しかし新聞マスコミの頭は相変わらず20世紀で止まっており、未だにBIは社会保障との古い認識から一歩も踏み出せないようです。もちろん新聞マスコミは税制に関しても未だに20世紀で足踏みしており、彼らの頭では、BIの財源(通貨の循環システム)を設計することなど未来永劫に不可能でしょうね。まさに役立たずです。

そろそろ「ベーシックインカムは社会保障」という時代遅れの認識から卒業する時期です。