2017年9月4日月曜日

悪しき「痛みの分かち合い」精神論

消費増税の大義名分に多用される「痛みの分かち合い」精神論は、緊縮論者の主張する増税による社会保障の方法論であり、日本全体を貧困化する悪しき精神論です。

民進党の党首選においてオール・フォー・オールを政策理念に掲げた前原氏が当選したこと受け、先日の読売新聞に何人かの識者の論評記事が掲載された。そこにさっそく、慶応大学の財政御用者が出動し、「痛みの分かち合い論」を展開していました。オール・フォー・オールは痛みの分かち合いであると。

曰く、皆でおカネを出し合い(消費増税)、痛みを分かち合うことで育児・介護などの社会保障サービスを向上させるべきだという。厄介なのは、これを一見すると、さも正しく見えてしまうことにあります。多くの一般読者は深く考えずにコロッと騙されるでしょう。しかし根本的に間違いです。

なぜなら、これは国民への社会保障の提供を公共サービスの供給力ではなく、カネの量によって決めようとする考えだからです。この場合のカネの量とは税収に限定されるカネのことです。社会保障に関する発想がサービスの供給力ではなく、カネの量に縛られています。

しかし冷静に考えてみると、公共サービスはカネの量ではなく、公共サービスの供給量そのものによって制約をうけます。すなわち、公共サービスの供給量が必要十分であれば、人々が受けられる公共サービスの量も必要十分になるのは当然と考えられます。社会保障にとって重要なのは、いわゆる財源(カネ)ではなく、公共サービスの供給量そのものなのです。もしサービスの供給量が十分にあり、カネが足りないだけなのであれば、そんなものは刷ればいいのです。

つまり「皆でおカネを出し合い(消費増税)、痛みを分かち合うことで育児・介護などの社会保障サービスを向上させるべきだ」は、経済学的に言えば、とんでもない間違いなのです。もし痛みを伴う必要があるのであれば、次のように考えるのが正しい。

「カネを発行して国民に支給し、育児・介護などの社会保障サービスを向上させ、その結果として生じるインフレによって痛みを分かち合う」

これが、正しい痛みの分かち合い論なのです。消費増税による痛みの分かち合い(緊縮脳)は、あっちのカネを奪い取ってこっちに回すだけなので、社会全体としての消費が拡大しないのです。確かに社会保障は確保できますが、経済が拡大しませんからデフレも脱却できず、社会全体はちっとも豊かになりません。社会保障の受け取り手だけが豊かになります。

一方、通貨発行(ヘリマネ)による痛みの分かち合いは、どこからもおカネを奪わず、おカネの足りないところにカネを回します。なので、全体としておカネの回りが良くなり、消費量が拡大し、経済成長し、好景気になります。もちろん、税収も自然に増加しますから、やがて税収による社会保障にも道筋が見えてくるかもしれません。

通貨発行による痛みの分かち合いは、「インフレ」として現れます。インフレ率は需要と供給の関係できまるので、比較的に経済合理性が高いと言えます。また必ずしも高インフレになるとは限りません。もし人工知能やロボットのような機械化によって供給がどんどん拡大すれば、インフレ率は低く抑えられます。いずれにしろ、国民負担は合理的な範囲にとどまります。また、インフレになれば国民所得も同時に向上するため、インフレもそれほど苦にならないはずです。

一方で、消費税の増税による痛みの分かち合いは「税率」によって決まりますが、それは需要と供給とは無関係に、役人の恣意的な意図によって決まるため、市場にとって歪んだものになります。しかも通貨発行を否定して、今あるカネの量でやりくりしようと言うのですから、世の中のおカネの量は増えず、税収は毎年減り続ける一方でしょう。従って、消費税率はどんどん引き上げられ、20%、30%はあたりまえになってしまいます。増税すれば好景気にもインフレにもなりませんので、国民所得も減り続けます。最終的に行き着く先は社会保障制度の破綻です。消費増税による痛みの分かち合い精神論は、悪しきどころか破綻を免れないのです。

ところが、この「消費増税による痛みの分かち合い精神論」を、新聞テレビ、御用学者、政治家が総出で強力に後押ししているのが現状です。彼らは社会保障制度の破綻に向かって、レミングのごとく全速で崖下の海へ奔走しています。まさに狂気です。

正しい痛みの分かち合いは消費増税ではなく
インフレによって担われなければなりません。