2017年12月28日木曜日

金融財政一体化と国債の廃止

今日の社会では金融政策と財政政策は別のモノだと考えられています。しかしそれは通貨制度に原因があるのであり、100%マネーの通貨制度を採用すれば、金融と財政の政策は一体化します。そして国債を廃止し、借金財政に終止符を打つことができます。

(じいちゃん)
「新聞やテレビでは、金融緩和政策の効果に対する疑問や、膨張する国債の問題がさかんに取り上げられておる。そうした課題を一気に解決できる可能性を秘めた方法論があるのじゃが、それが金融政策と財政政策の一体化じゃ。」

(ねこ)
「ふにゃ、金融政策と財政政策を一緒にしてしまうのかにゃ。」

(じいちゃん)
「左様じゃ、金融政策と財政政策を一つの政策に統合する。といっても話は簡単じゃ。そもそも金融政策と財政政策が分離しておるのは現在の通貨制度に原因があるからであり、100%マネーという通貨改革を行えば金融政策と財政政策は自動的に一体化するのじゃよ。」

(ねこ)
「う~ん、ちっとも話が簡単じゃないにゃ、どういうことなのかにゃ。」

(じいちゃん)
「通貨制度とは世の中におカネ(マネーストック)を供給するしくみじゃ。現在の通貨制度は準備預金制度と呼ばれる制度じゃ。このサイトで何度か説明しておるが、この制度において世の中におカネを供給する場合、それはすべて「民間銀行からの貸し出し」として行われる。貸し出しの際に「銀行預金」が新規に発行されることで世の中のおカネを増やしてきたんじゃ。つまり世の中のおカネが増えることは、銀行からの借金が増えることを意味する。

一方、100%マネーという通貨制度は、民間銀行の信用創造を禁止することで、貸し出しにおける「銀行預金」の発行を停止する。あくまでも銀行が預かっているおカネだけを貸す。では新たなおカネは誰が供給するかと言えば、政府(日銀)が供給するのじゃ。今までの通貨発行は民間銀行が行ってきたが、100%マネー制度になると日銀あるいは政府がおカネを発行するんじゃ。しかし冷静に考えてみると、それは当たり前の話じゃろう。」

(ねこ)
「確かにそうにゃ。日銀あるいは政府がおカネを発行して世の中に流通させるのは当然なのにゃ。でも、それと金融・財政政策の統合と何が関係するのかにゃ。」

(じいちゃん)
「仮に日銀がおカネを発行したとしても、日銀がそのおカネを世の中に流通させる手段はない。まさか日銀がおカネを撒いて歩くわけにはいかんじゃろう。おカネを世の中に流通させる手段を持つのは政府じゃ。政府は財政支出として公共投資を行ったり、社会保障を行ったりする。このとき世の中におカネが流れ出すのじゃ。つまり日銀が発行したおカネは、財政支出を通じて世の中に供給されるのじゃ。

ところで、金融政策とは世の中のおカネの量を増やしたり減らしたり調整することじゃ。一方、日銀や政府がおカネを発行して財政支出をしたり、逆に税金としておカネを徴収したりすると、世の中のおカネの量が増えたり減ったりする。つまり両者は事実上同じことをしておるのじゃ。従って金融政策=財政政策になるというわけじゃよ。」

(ねこ)
「なるほど、財政政策と課税の組み合わせで世の中のおカネを増やしたり減らしたりすれば、それは金融政策と同じことになるんだにゃ。だから100%マネー制度になれば、金融政策と財政政策は同じ意味になるのにゃ。それだと、金融政策はいらないという話じゃないのかにゃ。」

(じいちゃん)
「ほっほっほ、そうではない。財政政策でおカネを増やすにしても闇雲におカネを増やすわけにはいかん。金融政策的な考えも必要なんじゃ。

金融財政一体政策における金融政策の側面は「どれだけの通貨供給を行うのが適切なのか」という量を管理することなんじゃ。この供給量によってインフレ率が管理されることになる。もしインフレ率が高いようなら、財政支出の量を減らしたり、徴税によって世の中のおカネの量をコントロールしなければならん。適切な通貨供給量の判断が金融政策であり、これは日銀が引き続き関与すれば良いじゃろう。

一方、財政政策の側面としては「発行されたおカネをどれだけ効果的に支出するか」という質の管理をすることになるんじゃ。財政支出と言ってもその方法は給付金や社会保障として支給すること、あるいは研究開発やインフラへ投資することなど多岐に渡る。現在の日本においてどの分野に財政支出を行うことが最も有効かを検討しなければならない。それはこれまで通り国会において決めれば良いと思うのじゃ。」

(ねこ)
「金融政策や財政政策が不要になるのではなく、あくまでもそれらが一つの政策に統合されて、総合的に推進されるんだにゃ。どっちかが不要になるわけじゃないにゃ。」

(じいちゃん)
「そうなのじゃよ。こうすれば今日騒がれている「金融政策優先か、財政政策優先か」という迷いはなくなる。スッキリするんじゃ。インターネット上で一部のリフレ派やケインズ派が「金融政策優先か、財政政策優先か」で対立しておるが、そうした対立は無意味になる。検討すべきは「どれくらいおカネを供給するのか、それを何に使うのか」という判断なんじゃ。

もちろん、財政支出は通貨供給量の範囲だけに収める必要はない。より充実した社会保障や社会資本が求められるのであれば、それに応じて国民や法人に必要最低限の課税を行い、先ほどの通貨供給量に加えて政府予算を検討すれば良いのじゃよ。

いずれにしろ、これまでは歳入をすべて税金によって賄う必要があったために歳入が厳しくなり、消費税増税や国債の発行を余儀なくされてきたんじゃ。もし通貨供給(=通貨発行)を歳入として利用できれば、国民の負担である税金や国債発行を軽減することが可能になるのじゃよ。」

(ねこ)
「すごいにゃ~、100%マネー改革による金融・財政政策の一本化を是非やるべきなのにゃ。でも、通貨を発行して財政支出をすると「財政ファイナンスがー」「ハイパーインフレがー」って大騒ぎする人がいるにゃ。

(じいちゃん)
「財政ファイナンスもハイパーインフレも、どっちもインフレを心配しておるのじゃ。しかし以前にも説明したように、国債を発行して財源を確保しても、通貨を発行して財源を確保しても、同じ金額の財政支出をすれば世の中のおカネ(マネーストック)は同じ金額だけ増える。どちらも同じだけインフレを引き起こす点では違いはない。だから国債の代わりに通貨を発行して財政支出しても問題ない。

ただし、現代の通貨制度のばあいは民間銀行の貸し出し(信用創造)によって世の中のおカネが膨張するから、これが過剰なインフレリスクになるのじゃ。100%マネー制度になれば民間銀行はおカネを発行できなくなるから、必然的にインフレリスクは低下する。」

(ねこ)
「うにゃ、わかったのにゃ。ところで年間にどれくらいのおカネを供給すればいいのかにゃ。」

(じいちゃん)
「金融・財政を一体化した時に毎年どれくらいの通貨を供給するか。例えばバブル崩壊前、「デフレ日本」になる前の水準である年率7%~10%で考えてみてはどうじゃろう。それまではそれが当たり前の水準だったからじゃ。とはいえ、いきなり年率7%も供給するのは不安なので、まずは5%から開始すると良いと思う。

すると「ハイパーインフレがー」と言い出す人がおるかも知れん。しかし現在もマネーストックはおよそ年率3%伸びておる。現在のマネーストックはおよそ900兆円なので、その3%は27兆円じゃ。日本では年間27兆円のおカネが増えてもインフレ率はほとんどゼロに近い状態なのじゃよ。

そこで伸び率を5%にすると、通貨供給量は年間45兆円になる。この45兆円を財政支出を通じて通貨供給するわけじゃ。今の日本の税収はおよそ60兆円あるから通貨供給量と合計すれば100兆円くらいの歳入が確保できる。今の国家予算はだいたい年間100兆円くらいだし、国債関係の支払いを除いた実質的な歳出(プライマリーバランスの部分)は年間75兆円程度じゃ。25兆円も黒字になるぞw。

つまり今の税収と通貨発行を合わせれば、国債を発行しなくとも社会保障の充実や社会資本の充実は十分に可能なのじゃ。これによって国債に頼ることのない歳出が可能となり、プライマリーバランスが保たれることは間違いない。国債が廃止されれば将来世代への借金は根本的になくなるのじゃよ。」

(ねこ)
「すごいにゃあ、これで「借金ガー」の呪いから開放されるのにゃ。消費税増税も必要ないにゃ。でも、インフレの心配はないのかにゃ。ハイパーインフレにならなくても、あまりインフレ率が高すぎるのは嫌なのにゃ。」

(じいちゃん)
「確かに高すぎるインフレは好ましいと思えない。日本の高度成長期のインフレ率は5%程度じゃ。じゃからこれを超えるのはあまり望ましいとは思えない。そこで例えばインフレターゲットとして3%を設定する。

これは簡単に言えば、インフレ率が3%に達するまでは例えば年率5%ペースの通貨供給を行うが、インフレ率3%に達したら通貨供給のペースを落とす、あるいは消費税などを増税して世の中のおカネを回収してしまうのじゃ。これによってインフレ率を3%を中心とした数値に収めることができる。多少は上にオーバーシュートするかも知れないが、民間銀行の信用創造を停止してあるのでインフレが止まらなくなる心配はまったくない。

そして、金融・財政を一体化した制度、つまり100%マネーを採用すれば、通貨供給量を政府・日銀が直接コントロールできるから、これまでのような民間依存の通貨供給とは比較にならないほど正確に物価をコントロールできるようになるのじゃよ。

まずは、安定的に通貨供給量を5%とし、それを利用して毎月1万円のベーシックインカムをスタートする(予算15兆円)経済活性化策をお勧めしたいのじゃ。

(本編サイトにも同時掲載)

2017年12月27日水曜日

究極の選択(核兵器保有か貧困か)

北朝鮮は核兵器の保有か国民の貧困かの選択を迫られている。それは北朝鮮だけではありません。日本は核兵器の開発を捨てて、国民の貧困を免れたと考えるべきでしょう。

アメリカ、中国、ロシアといった国連の安全保障理事国によってほぼ独占されている核兵器。その核兵器の独占は「核不拡散」の大義名分の下で守られている。しかも、核保有国は自分達の核兵器の数を削減しようとはまったく考えていない。

核保有国がのうのうと核兵器を保有し続ける一方で、あらたな核保有国が増えるのを妨げているのです。そうした核保有国に対抗して自国の安全保障、外交上の優位を確保するために核兵器を保有しようとする国が現れたとしても何ら不思議はありません。それが北朝鮮であり、イランです。

しかし、彼らは核兵器を保有しようとするだけで経済制裁を受け、国民は貧困に追い詰められるのです。北朝鮮は行動が異常なので、とんでもない悪い連中に見えますが、核兵器開発の核心部分だけ見れば、単に安全保障理事国と同じような核ミサイルを保有しようとしているだけです(もちろん北朝鮮は国として正常ではない)。

もし、日本が核兵器を開発しようとすればどうなるか?たちどころに経済制裁を受けて、国民が貧困になると思います。アメリカだけでなく、中国もロシアも猛反発して、日本を潰しにかかるでしょう。どんなにこれまで日本が平和主義だったとしてもです。日本には死んでも核兵器は持たせない。核を持たせるくらいなら潰す。

もちろん、北朝鮮の核兵器保有を認めろというのではありません。核保有国の欺瞞に辟易しているのです。アメリカも中国もロシアも。こいつらはみんな同類です。

北朝鮮の核兵器を廃止させたいのなら、核保有国の核兵器の廃止と引き換えにするのが、核なき世界へ向けての正しい考えではないのか。「オレが止めるからお前も止めろ」。なぜアメリカも中国もロシアもそう言わないのか。そして新聞マスコミは、なぜそういう意見を出さないのか。それは完全にタブーなのでしょう。

地球上からアメリカと中国とロシアが同時にいなくなれば、地球はかなり平和になるんじゃないでしょうか。沖縄の基地もいらなくなりますよ。

2017年12月26日火曜日

超スパコンでリフレ派もケインズ派も超える

近い将来、超スーパーコンピューターの登場により、シミュレーション経済学が実用化できれば、これまでの経済学は時代遅れになるかも知れません。

経済は非常に多くの要因によって動く、どちらかと言えば、理論物理学よりも気象学や生態学に近い分野です。極めて多くの要素が相互作用するので、すべての影響を再計算することは不可能であり、そのため予測が困難でした。

そこで、経済学におけるリフレ派もケインズ派も、現実の経済活動を単純モデル化し、計算可能な一本の公式に落とし込んで経済学の分析を行います。こうすれば計算は簡単にできます。両者ともコンピューターはおろか計算機すら満足に存在していなかった時代の理論ですから、これはやむを得ないでしょう。

ところが今日、スーパーコンピューターの開発が加速度的に進んでおり、量子コンピューターという「超スパコン」も登場しつつあります。こうなると、複雑な相互作用を単純公式化するのではなく、複雑なまま計算してしまうことが可能になります。もちろんコンピューター・シミュレーションにも単純化は必要ですが、遥かに複雑なことができます。

こうしたシミュレーションはすでに気象分野で実用化されています。気象現象をスパコンの強力な計算能力によって無数回の計算を繰り返すことでシミュレートするわけです。擬似的にコンピューター上に気象現象を再現することができるので、これによって天気予報、長期予報だけでなく、地球温暖化の影響なども予測されています。

経済におけるシミュレーションの難しさは、人間の行動予測の難しさにあると思われます。人間は必ずしも経済合理性に基づいて行動するわけではないからです。ただし、こうした分野も人工知能を応用すれば、より人間に近い意思決定をシミュレートすることが可能なると思われます。個々に意思決定をするバーチャルな経済人からなる1万人くらいの社会を用意するわけです。それぞれ個性や年収、職業などの属性を別々に設定します。

それに比べて環境設定は比較的に容易でしょう。なぜなら、人間の社会は人間の作り出しているシステムに過ぎないからです。そこにはルール(法律・習慣)が決まっています。それらの条件はすでにわかっているため、人間の本能・衝動などよりはるかに簡単に設定できるでしょう。

そして、様々な環境下において個々のバーチャル人間が行動(ミクロ)した結果をすべて合成することで、社会全体(マクロ)の経済活動がどのように変化してゆくかを観察できます。最初は現実離れした結果が導き出されるでしょう。しかし実験を繰り返せば、やがてシミュレーションの精度が向上します。バーチャルな経済社会がスパコン上に現れます。

すると、「なぜそうなるか」がわからなくても、経済が正確に予測できるようになります。「なぜそうなるか」を理解するためのものではないのです。これが従来の経済学とはまったく違う点です。もちろん、ここで想像するほど簡単ではないでしょうが。

こうした超スパコンの開発にはいくらおカネをかけても良いと思います。もし成功して経済シミュレーターが完成すれば、その経済効果は何兆円にもなると思うからです。最適な経済政策があらかじめシミュレーション上で確認できるからです。

日本のスパコン研究者が研究費を不正受給したとして逮捕されましたが、その額は4億円、その他もろもろの助成金総額は100億円になると騒がれていますが、わずか100億円に過ぎません。スパコンの開発に毎年総額1000億円の投資はあたりまえ、それくらいの考えが必要だと思います。

そして利権争いのために学者、政治家、官僚、マスコミが大騒ぎして経済政策が紆余曲折する現状に終止符を打つべきだと思うのです。


2017年12月21日木曜日

利権としてのリフレ派VSケインズ派

リフレ派とケインズ派の争いを冷めた目でみると、利権争いの側面が見える気がします。それは資産家利権VS土建業利権です。

ケインズ派は財政出動による経済の安定化を目指します。よく言われることとして、ケインズ派は公共工事の増額を主張するため「土木建設業の利権と関わっている」といわれます。利権ガーです。しかし実際にそうでしょう。土木建築業におカネを流すのですから、それらの業界にとってこれほど美味しい話はないからです。これは否定しえません。

もし利権に関係ないと主張するのであれば、公共工事だけでなく社会保障、あるいは給付金(ヘリマネ)のような形で財政出動し、有効需要を活性化すれば良いはずです。「消費者におカネを渡しても貯蓄されるだけだ」との意見もありますが、そもそも、公共事業を通じて賃金として消費者に渡った段階でも同様に貯蓄されるのですから、違いはありません。意味のない指摘です。

公共事業を行えば、確かに統計上はGDPが増加するものの、国民が消費活動したわけではないのです。あくまでも消費者に渡ったおカネが消費に使われるかどうか、それが本質的に重要です。ですから、同じように消費者におカネを渡すのであれば、公共事業を通じて渡さなければならない必然性はありません。にも関わらず、有効需要のために公共事業を無理に増やそうと主張すれば、それは利権だといわれても仕方ないのです。

もちろん、誤解されると困りますが、盲目的に公共工事を敵視するマスコミとは違います。公共工事は直接の利潤を生みませんが、社会資本として社会の基礎を支えたり、安全な暮らしを実現するために重要です。国土強靭化も必要でしょう。しかし、それらが景気を押し上げる効果はあくまでも二次的な効果であり、公共工事の本質的な目的ではないのです。

その一方で、リフレ派は利権がーと言ってケインズ派を攻撃し、自分達は利権と関係ないふりをしていますが、リフレ派も土建よりさらに巨大な利権です。

現代の金融制度において、世の中のおカネを増やすには誰かに借金を負わせるしか方法がありません。もし、借金を増やさなければ、世の中のおカネは1円も増えないわけです。リフレ派は新古典主義つまりマネタリズムの流れを汲むと考えられます。であれば、安定的な通貨供給を重視するはずです。

しかし、貸し出し金利を操作することで借金を増減させ、それによって世の中のおカネの量を調整するリフレ派の考えは安定するはずがありません。事実、歴史上、通貨供給が安定したことはなく、常にバブルとバブル崩壊を繰り返しています。

にも関わらず、リフレ派は決してその問題に切り込まないのです。

なぜか?金利が大切だからです。金利という「フリーランチ」が何よりも大切だからです。世の中のおカネがすべて借金から成り立つ制度であれば、金利は必ず発生します。これが人類最大の既得権益なのです。

もしリフレ派がマネタリストであるなら、当然ながらフィッシャーやフリードマンらの支持した通貨制度改革「100%マネー」を推進して当然なのです。100%マネーは借金によらない通貨供給のしくみであり、極めて安定的です。なのになぜリフレ派が通貨改革を主張しないのか?100%マネーにすると、金利がほとんどなくなるからでしょう。つまり、リフレ派は「金利によってフリーランチを謳歌している世界の1%の資産家」の利権に絡んでいるのです。

このように、リフレ派もケインズ派も、一歩離れて冷めた目で見てみると、どちらも利権に絡んでおり、リフレ派とケインズ派の争いは利権争いに過ぎないと見ることができるのです。そうしてみると、リフレ派とケインズ派の争いは実にバカバカしいw。あんなものは学者やエコノミストに勝手にやらせておけば良い。

わたしたち国民は、こんな馬鹿げた利権争いに乗せられてはいけません。もっと本質的な社会システムの確立のために、リフレ派の考えも、ケインズ派の考えも、バランスよく取り入れて行動すべきだと思うのです。

2017年12月20日水曜日

金融財政一体化の考えに至るまでの経緯

自分の考えは典型的なリフレ派やケインズ派とは異なります。何かの参考になるかも知れないので、こうした考えに至った経緯を書いてみます。

自分が最初に経済について真剣に考え始めたのはリーマンショックの頃、勤めていた会社が倒産した後からです。それまでも政治や経済に興味はあったものの、マクロ経済について、特に「おカネ」について考えることはなかったと思います。それまでは毎月70時間くらい残業する完全な会社人間でした。

いくら真剣に働いても経済がおかしくなると簡単に会社が倒産して人生がリセットされてしまう。再就職したものの賃金はそれまでの半分。心にむなしさが吹き荒れました。これはもう、個人の努力の問題ではないと理解したのです。

なぜバブルが崩壊して景気が悪化するのか。なぜ景気が一向に良くならないのか。最初に目を付けたのは財政出動です。ですからケインズ派ですね。大恐慌の後に効果を発揮したのがケインズ派です。財政出動すれば消費者におカネが渡って、景気は良くなる。有効需要です。政府はもっとどんどんおカネを使えというわけです。

そのうち、金融緩和という考え方が登場してきます。リーマンショック後の景気下落、失われた20年の原因はおカネを増やさない日本銀行に責任があるとの考えです。これにも目を付けました。リフレ派ですね。基本的におカネを増やさなければ経済はどうにもならない。金融緩和でおカネを増やして、財政支出をどんどんやるべきだと考えたのです。

しかしその頃、おカネについて調べていたとき、ユーチューブでとんでもない動画を発見しました。「Money as Debt」と「Zeitgeist2 Addendum」(どちらも日本語字幕版)です。ここには「おカネの仕組み」が説明されていました。が、それまでおカネの仕組みなど考えたこともなかった自分は、おカネは日銀が発行するものだとばかり思っていたため、頭が大混乱しました。

この頭の混乱を解決したのがバランスシートでした。おそらくバランスシートを用いなければ、現代の銀行制度を正しく理解することは不可能です。とはいえ、銀行制度とバランスシートを説明した資料はネット上にもほぼ皆無(最近はぼちぼち出てきたか?)でしたから、1年くらい自分の頭で徹底的に試行錯誤し、矛盾のない形に仕上げました。

その結果、準備預金制度の制度的な欠陥が理解でき、これを克服する方法があることもネット上で探し当てました。それがシカゴプラン、100%マネー改革でした。これは世界大恐慌による経済の壊滅的な被害を受けて、これを二度と起こさないために、フィッシャー、フリードマンらマネタリストが支持した方法ですね。しかし、100%マネーの論文も日本語で読める記事は極めて少ない状況です。

ここで、ケインズ派、リフレ派、マネタリズムの考えが出揃いました。してみると、これらの考え方の関係が見えてきます。そこには「おカネの仕組み」が非常に深く関与していたのです。

そして、おカネの仕組みから考えると、ケインズ派、リフレ派、マネタリズムをうまく融合して考えることが可能になり、それらが対立するという構図が、まったく意味不明であることがわかりました。マネタリストの支持する通貨制度改革「100%マネー」を核にして、それらを一体化できるはずなのです。

それが、「金融・財政の一体化」です。

何のことかわからないかも知れませんね。もっと詳しく書けばわかると思いますが、そこそこ長文になるので、今日はこのへんで。

2017年12月19日火曜日

学びなおし5000億よりも研究投資

政府は高齢者の学びなおしに5000億円を投じるという。しかし高齢者を無理に働かせる社会の実現より、AIやロボットの研究開発に5000億円を投じるべきでしょう。

高齢者の学びなおしに5000億円を投じる政府の目的は何か?年金支給額の抑制に他なりません。高齢者が働けば、年金の支給額を抑えることができる。「財源がー」緊縮脳です。こんな馬鹿げた考えでは、高齢者が年金だけで生活できない社会、死ぬまで働かされる社会になってしまうかも知れません。

しかし、小学生でもわかるように、人工知能やロボットの技術が進歩すれば、それらが高齢者に代わって、24時間365日働くようになるわけですから、高齢者が働く必要など無いはずです。それは遠い未来ではなく、10年~20年後には確実にそうなるのです。

もし10~20年後では遅すぎるというのであれば、それこそ5000億円を人工知能やロボットの技術開発に投資すべきでしょう。年間1000億円で5年間。優秀な頭脳を持った研究者を大勢集めて、国家プロジェクトとして強力に推進する。そして高齢者の代わりに働くロボットを5年で実用化する。

そうすれば、高齢者が働く必要はありません。もちろん働きたい高齢者は働けば良いでしょう。しかし、生活のために高齢になってまで働かざるを得ない社会になるのでは、人類は進歩どころか前世紀に向かって後退することになります。驚くべきことに、政府の推進している政策は、人類の進歩に逆行しているのです。

そして、高齢者の代わりにロボットが働いてくれるのですから、その分の賃金を高齢者が受け取れば良いのです。それが年金になるわけです。

一般の人は、高齢者の代わりに働けるロボットの実用化は遠い未来の話だと思っています。しかし、何も人間そっくりの超高性能アンドロイドを作る必要はありません。無人化工場がどんどん普及すれば、高齢者の労働は必要としなくなるのです。しかも技術の進化する速度は、全世界のシナジー効果によって加速しつつあります。そこに、政府が5000億円もの予算を投じれば、さらに短期間で実用化できると思います。

学びなおしよりも、人工知能とロボットの研究開発。

緊縮脳による年金抑制の古い発想から、テクノロジーの未来を見据えた持続可能な政策へと転換しなければなりません。これは事なかれ主義の官僚には絶対にできません。財務省を見れば一目瞭然です。また与野党を問わずそうしたビジョンを描ける政治家は誰もいません。旧時代の政治家ばかりです。

テクノロジーの時代に明るい、新しいタイプの政治家の登場が待たれるのです。


2017年12月15日金曜日

通貨供給5%でインフレ3%、実質成長2%の目標

金融・財政を一体化した時にどれくらいの通貨を供給するか。例えばバブル崩壊前の水準である年率7%~10%で考えつつインタゲ2~3%を設定してみてはどうでしょう。

通貨供給(マネーストックの伸び)はバブル崩壊前、つまり「デフレ日本」になる前は年率で7%~10%程度だったわけです。ですから通貨供給の目安としてその数値で考えるのも一つの方法と思われます。とはいえ、いきなり年率7%も供給するのは不安なので、まずは5%から開始すると良いと思うのです。

すると「ハイパーインフレがー」と言い出す人もいるでしょうが、そもそも、現在もマネーストックはおよそ3%伸びています。にもかかわらず、インフレ率はほとんどゼロに近い状態です。現在のマネーストックはおよそ900兆円なので、その3%は27兆円です。年間27兆円のおカネが増えてもデフレなのです。

そこで伸び率を5%にすると、年間45兆円になります。この45兆円を財政支出を通じて通貨供給します。これだけあれば、社会保障の充実も、社会資本の充実も可能でしょう。もちろん、税収に加えて45兆円も財源があるのですから、国債を発行する必要はなくなります。

もし世の中のおカネが増えたにも関わらず、生産性がまったく向上しなければ、生産される財の量は同じなので、おカネが増えた分だけ物価が上昇します。増えたおカネ以上に物価が上昇することは「基本的に」ありません。これは小学校の算数程度の問題です。

もちろん例外があって、いままで貯蓄として死蔵されていたおカネが急に消費や投資に向けられた場合は、それ以上に物価が上昇します。しかし使えるおカネの量は存在するおカネの量(マネーストック)を超えることは不可能ですから、いずれインフレは収束します。逆立ちしてもハイパーインフレにはならないのです。

5%の通貨を供給して5%のインフレだと面白くありませんね。これは生産性が向上しないなら、そうなる可能性はあります。しかし機械化はどんどん進みますから、生産性は必ず向上します。ですから5%の通貨を供給してもインフレ率は3%程度で収まり、名目成長率5%、実質経済成長率2%程度を実現できる可能性はあるでしょう。

実際にどれだけ生産性が向上するか、どれだけ死蔵されている貯蓄が動き出すか、それらを机上で正確に予測することは不可能です。ですからインフレターゲットを2%あるいは3%に設定して、通貨供給量をコントロールする必要があると思われます。

そして、金融・財政を一体化した制度、つまり100%マネーを採用すれば、通貨供給量を政府・日銀が直接コントロールできますから、これまでのような民間依存の通貨供給とは比較にならないほど正確にコントロールできるようになるのです。

まずは、安定的に通貨供給量を5%とし、それを利用して毎月1万円のベーシックインカムをスタートする(予算15兆円)べきだと思います。

2017年12月14日木曜日

通貨制度改革による金融・財政の一体化

現在の制度では金融政策と財政政策は別のモノだと考えられています。しかしそれは通貨制度に原因があるのであり、100%マネーの通貨制度を採用すれば、金融と財政の政策は一体化します。

100%マネーについては何度も説明していますが、民間銀行の信用創造を禁止することで、民間銀行による預金通貨の発行を停止し、すべての通貨供給をあくまでも政府(日銀)が担うものとする制度です。今までの通貨供給は民間に依存していましたが、政府が直接に行うのです。

これまでの通貨制度におけるおカネの供給は、すべて「市中銀行からの貸し出し」として行われてきました。この際に預金が新規に発行されることでおカネを増やしてきました。しかし、100%マネーになると、市中銀行から貸し出される際に預金は発行されません。ですから、政府が市中におカネを供給するには、必然的に財政政策として直接に供給する必要があります。

金融政策とは世の中のおカネを増やす(あるいは減らす)政策のことです。金融・財政が一体化すると、世の中のおカネを増やす場合は、財政支出が行われるということになります。では、この政策の肝はなにか。

金融政策の側面としては、「どれだけの通貨供給を行うのが適切なのか」という量を管理することになります。この供給量によってインフレ率が管理されることになります。もしインフレ率が高いようなら、財政支出の量を減らしたり、徴税によって世の中のおカネの量をコントロールします。適切な通貨供給量の判断は日銀が引き続き関与すれば良いと思います。

財政政策の側面としては、「どれだけ支出に効果があるか」という質の管理をすることになります。消費者サイドに給付金や社会保障として支給すること、あるいは政府投資として研究開発やインフラ投資などへ投資することが有効だと考えられますので、それらのバランスを検討することになるでしょう。それは国会において決めれば良いと思います。

こうすれば、今日騒がれている「金融政策優先か、財政政策優先か」という迷いはなくなります。両方兼ねているからです。検討すべきは「どれくらいおカネを供給するのか、それを何に使うのか」という判断になります。

もちろん、財政支出は通貨供給の範囲だけ収める必要はないわけです。より充実した社会保障や社会資本が求められるのであれば、それに応じて必要最低限の課税はすべきでしょう。その際の歳入としては「通貨発行益+税収」になるわけです。

これらによって、国債に頼ることのない歳出が可能となり、プライマリーバランスが保たれることは間違いありません。国債は廃止され、将来世代への借金は根本的に必要なくなるのです。


2017年12月12日火曜日

国益は国民の所得引き上げで守れ

自由貿易による悪影響を緩和し国民生活を守るためには国民の所得向上が欠かせません。自由貿易に反対するだけでは十分といえません。

自分は調和的なグローバリズム(たとえば平和、環境、文化交流)には賛同していますが、カネを増やすためになりふり構わない「拝金主義グローバリズム」にはまったく賛同していません。もちろん自由貿易の効用は経済学的に明らかですが、物事はすべてに功罪があるのですから、節度ある自由貿易が必要と考えています。

しかし、拝金主義グローバリストが支配する今日の世界では、自由貿易から逃れることは困難を極めます。政治家も新聞テレビも多くの経済評論家も、もろ手をあげて拝金主義的なグローバリズムを賞賛しており、熾烈な国際競争によって日本に格差と貧困が蔓延するその日まで手を緩めることはないでしょう。

では強欲な拝金主義者にどう対処するか。

安い輸入品が入ってきても、国産品を買えるだけのおカネが国民にあれば、その影響は軽減されます。国産品の質が高く安全であれば、それは競争力を持ちます。しかしおカネがなければ買えません。国民におカネがないから安い輸入品が脅威になるのです。もしおカネがあれば「本物志向の消費者」は国産品を買います。

もちろん「高いけど粗悪」なら、これは救いようもありません。残念ながら諦めていただきましょう。そういう製品を生産する意味はありません。しかし、国民にカネがないという理由で高品質の国産品が駆逐されるなら、これは国益にかなうとは思われませんね。

必ずしも輸入品を排除する必要はないのであって、消費者に選択の幅を与えるということです。消費者にカネがなければ、輸入品を選択するしか道はありません。消費者にカネがあれば、安い輸入品を買う人もいれば、品質を優先に買う人もいる。選択の幅が広がる。これこそが消費者メリットではないでしょうか。

国民を貧乏にしておいて、「安い輸入品に消費者メリットがある」と主張する新聞マスコミは、欺瞞もはなはだしい。

グローバリズムを推進しようというなら、国民所得の引き上げは必ずセットでなければなりません。それを怠るから、グローバリスムのもたらす過酷な市場競争が社会を歪め、人々の不満を高め、過激主義や排他主義が台頭すると思うのです。


2017年12月7日木曜日

ベーシックインカム実現方法の整理

ベーシックインカムを実現する方法を整理した方が、すっきりと考え易くなると思います。すべて同時に考えると頭が混乱します。

整理の仕方にはいろいろあると思いますが、一つのやり方として次のように考えます。それぞれに関連性はあるのですが、ひとまず、各項目ごとにわけて考えた方がスッキリするでしょう。

1)よりハードルの低い導入方法を検討する
2)大衆の共感を集める方法を検討する
3)政治的アプローチの方法を検討する

1)よりハードルの低い導入方法を検討する

ベーシックインカムは理想的なシステムであり、未来社会において必要不可欠であることは間違いないでしょう。とはいえ、そのシステムは既存のシステムとは大きな違いもあることから、いきなり導入すれば混乱を招くリスクもあります。そうした懸念が人々に不安を与え、反対論者に口実を与えると同時に反対論者の増加を招くことになります。

こうした不安を解消するため、例えば支給額を10年で10万円まで逓増させる方法のように、ハードルの低い導入方法もあるわけです。もちろん、他にもハードルの低い方法はあるでしょう。より抵抗が少ない方法が何であるかを検討するわけです。

2)大衆の支持を集める方法を検討する

いくらハードルの低い導入方法が見つかっても、大衆の支持を得られなければどうにもなりません。如何にしてベーシックインカムの認知度を高め、大衆の支持を得るかを検討し、実行します。これは活動する人によって様々な方法があるわけで、それぞれの得意分野において、どんどんやれば良いと思います。自分は人前に出るのが無理なので、ネットや書籍などで活動します。

大衆のより高い共感を引き出すための言い回し、プレゼンといったテクニカルな方法について検討し、それらを推進者の間で共有しても良いと思います。それにより、より多くの人々にベーシックインカム情報を発信する発信者になっていただけば、より効率的に支持者を拡大できると思います。

3)政治的アプローチの方法を検討する

最終的には政治が動かなければベーシックインカムは実現しません。政治はパワーゲームのような世界なので、自分にはちょっと勝手のわからない分野ではあります。今の政治を見ると、ベーシックインカムからレベルが遠すぎる政党ばかりですが、こうした政党の中からどこかを選んで推進させるか、あるいはお話にならない政党ばかりなので、困難を承知で新しい政治運動を起こすべきなのか、そういう検討も必要になるのだろうと思います。

いずれにしても、大衆のベーシックインカムに対する支持が大きくなれば大きくなるほど、旧態依然とした各政党も無視できなくなるでしょうし、新しい政治運動を始めるにも有利になると思われます。

と、書くのは簡単ですが、実際には大変です。

自分的には、現在は2)のあたりに注力中です。今後はベーシックインカム情報の発信者を増やすために、誰でも簡単にコピペできるフレーズや画像なんかを、体系的に準備してみたいですね(妄想中w)。

2017年12月6日水曜日

生産性と生産資本の独占

現代社会におけるほぼ全ての生産資本は私的に所有されています。この生産資本の独占が社会格差の根源的な原因であるにも関わらず、それがこれまで許されてきた理由は、生産資本の独占が高い生産性を実現したためだったと考えられます。

(じいちゃん)
「現代は格差社会などと言われておるが、人々の間に経済的な格差が生じる根本的な原因は何だと思う?」

(ねこ)
「うにゃ、やっぱり資本家と労働者という関係があるからじゃないかにゃ。」

(じいちゃん)
「そうじゃな、富裕層はカネを持っているから一般には資本家と考えられる。こうした人々は株式などを直接あるいは間接的に保有しておるから企業を所有している立場にあるのじゃ。こうした人々は配当金、利息などにより高い所得を得ることができるから、どんどん資産が増加する。また、そうした企業の運営に関わる経営者などの人々もその恩恵を他の労働者より多く受けることができる。だから一般の労働者と富裕層の格差が拡大するのは当たり前じゃな。

企業が保有する建物や生産機械を生産資本という。生産活動のおおもとになる部分じゃ。その企業は株主のモノだから、世の中のほぼ全ての生産資本は株主によって私的に所有されておることになる。会社だけではない。個人事業や農業、漁業も生産資本はすべて私的に所有され、その利用は所有者によって独占されておる。生産資本を持つ者は財(モノやサービス)を生産することができるが、生産資本を持たない者は何も生み出すことが出来ない(無産階級)。これが格差の根本的な原因となる。」

(ねこ)
「う~ん、生産資本の利用が所有者に独占されていると言っても、企業に就職して働けば利用できるのにゃ。」

(じいちゃん)
「確かに利用していることにはなるが、企業で働いて生産された製品は基本的にすべて企業のモノ(株主のモノ)じゃ。あくまでも生産物はすべて資本家のモノであって、それを企業の判断によって労働者に分け与えているに過ぎない。どの程度を分け与えるかの判断は生産資本の所有者が決める。資本家と労働者は常にこうした関係にあるため、両者の経済的な格差が生じるのは当然じゃな。」

(ねこ)
「確かにそうにゃ、すべての生産資本は資本家に独占されているんだにゃ。それが社会格差の原因だから、生産資本を資本家に所有させるのではなく、国有としてみんなで共有することにしたのが共産主義なんだにゃ。でも共産主義は失敗したにゃ。なぜかにゃ。」

(じいちゃん)
「共産主義よりも資本主義の方が生産性(物的生産性)が高い。それは生産資本の独占的な利用を認める方が生産性が高いからなんじゃ。そのため共産主義の国と資本主義の国が生産競争をすると、資本主義の方が生産効率が高いために、物質的な豊かさでは最終的に資本主義の方が勝つことになる。ではなぜ生産資本の独占的な利用が高い生産性を実現するのじゃろうか。

話は簡単じゃ。生産資本を高い効率で利用できるノウハウを持った企業(個人)に生産活動を集中すれば、社会全体としての生産性が高くなるからじゃ。もし誰でも生産できるなら、生産性の低い人も高い人も同時に生産手段を利用するため全体としての効率は低くなってしまう。生産性の高い人にもっぱら生産させたほうがより多くの財を生み出せる。

では、どのようにして生産効率の高い企業(個人)に生産を担わせるか?これは市場原理によって自動的に決まる。生産効率の最も高い企業の製品は最も安いコストを実現できる。だから生産性の高い企業が価格競争で勝ち残り、生産効率の低い企業は倒産して排除される。こうして、より生産性の高い企業に生産がどんどん集中することで、社会全体としての生産性が高まる。共産主義では生産資本の独占と市場原理を否定したため、このメカニズムがまったく機能しなかった。」

(ねこ)
「生産資本の独占は経済格差の原因でもあると同時に、高い生産性を実現するメカニズムとしても機能しているんだにゃ。ややこしい問題なのにゃ。」

(じいちゃん)
「ところで、生産資本の独占と言えば普通は資本家による独占を思い浮かべる人が大部分じゃろう。しかし人工知能やロボットの登場によって、人手がいらない、労働者をあまり必要としない時代になると、今度は就業者による生産資本の独占という考え方も登場してくると思われるんじゃ。」

(ねこ)
「就業者による生産資本の独占ってどういうことかにゃ。」

(じいちゃん)
「生産資本は資本家が所有している。一方で就業者(労働者)は賃金労働としてではあるが、この生産資本にアクセスすることで企業の生産過程に参加し、その代価として企業から賃金を与えられている。一方で企業はすべての人を雇用するわけではない。失業している人は企業の生産資本にアクセスすることはできず、生産過程に関わることはできず、所得も得られない。こうした状況を客観的に見ると、これは就業者による生産資本の独占状態であると判断することができるじゃろう。

こうした状況は就業者と失業者の間に経済的な格差を生み出す。人工知能やロボットが進歩するほど人手は不要になり、失業者が増加することになるじゃろう。すると就業者によって生産資本が独占されていること(仕事が独占されていること)がいずれ大きな問題となるはずじゃ。」

(ねこ)
「労働者が労働者を駆逐する事態になっているのにゃ。労働者は団結して、雇用を守る運動をしないといけないのにゃ。」

(じいちゃん)
「そういう考えもあるじゃろう。しかし現実には無理じゃ。市場原理によればコスト競争に勝ち残れない企業は淘汰される宿命にあるからじゃよ。もし日本の労働者が団結して雇用を守ったところで、自由貿易によって海外から安いコストで作られた製品がどんどん輸入されてくれば、日本の企業が倒産に追い込まれるじゃろう。そうすれば大量の雇用が失われる。元も子もないのじゃ。」

(ねこ)
「うにゃ~深刻な問題だにゃあ。」

(じいちゃん)
「ところで、人工知能やロボットが進化すれば、近いうちに完全自動生産も可能になるじゃろう。こうなると生産性が極めて高くなるだけではなく、企業間の生産性にあまり差がなくなってくる。製品が完全自動生産になるのだから、どこが作っても似たようなコストになる。

また製品が大量に生産可能であるため供給過剰となり、市場価格が暴落するようになる。こうなるとコストの安い企業が競争に生き残るという機能もほとんど意味がなくなる。

そもそも生産資本が不足していた前世紀の時代では、生産効率を高めることが豊かさを実現するために必要だった。少ない生産資本を効率的に利用する必要があるのじゃ。しかし、人工知能やロボットの登場により生産資本が過剰なほど溢れる時代になると、生産性を高めることにあまり意味がなくなってくる。すなわち、より高い生産性を実現するために生産資本の独占が必要だった時代は終わりを迎えつつあることがわかるのじゃ。」

(ねこ)
「なるほど、昔と違って生産資本が過剰な社会になりつつあるから、生産資本の独占はあまり意味を持たなくなってきたんだにゃ。」

(じいちゃん)
「むしろ生産資本の独占は経済を破綻させかねないリスクを負うことになった。なぜなら生産資本の独占は生産物(成果物)の独占も意味しておるからじゃ。先ほども触れたが、企業が生産したモノは原則としてすべて企業の所有物じゃ。これまでは生産過程に携わった労働者に対して、その生産物の一部を賃金の形で分配してきた。だから曲がりなりにも社会全体に生産物を分配する機能を果たしてきた。

しかしこの分配方式は「完全雇用」を条件として成り立つのじゃよ。もし完全雇用が実現せずに失業者が大量に発生すると、生産物を社会全体に分配する機能が麻痺してしまう。それが貧困の原因となる。ところがロボットと人工知能の急速な進歩によって仕事の多くが機械に代替されると考えられることから、完全雇用を維持することは極めて困難になりつつある。つまり「生産資本の独占=生産物の独占」という既存の常識が経済を破綻させる原因となりかねない。」

(ねこ)
「時代遅れなんだにゃ。」

(じいちゃん)
「テクノロジーの進化は常に人間の社会や価値観に革命的な変化をもたらして来たのじゃ。農業や産業革命がそうだった。そして今、まさに次なる局面を迎えつつある。これまでの常識は通用しないどころか、害をもたらす可能性がある。ところが既存の常識から一歩も踏み出すことのない政治家、官僚、マスコミによって現代社会は管理されており、大きなひずみを生じつつある。

政権争いに明け暮れる政治家(与党も野党も)、財源ガーばかり叫ぶ官僚、揚げ足とって騒ぐだけのマスコミには呆れるばかりじゃ。もっと頭を使っていただきたいのじゃよ。」

(本編サイトに同時掲載)

2017年12月4日月曜日

通貨供給としてのケインズ主義

ケインズ主義(財政出動)における通貨供給の役割について、多くの人は認識していないような気がします。しかし財政出動は金融政策と並ぶ通貨供給の方法であり、金利によらない強力な通貨供給を可能とする政策です。

(じいちゃん)
「ケインズ政策って知ってるかね」

(ねこ)
「うにゃ、知ってるにゃ。政府が公共事業や社会保障として財政出動することで、世の中の有効需要を増やすのにゃ。すると人々におカネが行き渡って、国民所得が向上するから消費も拡大して景気が良くなるにゃ。」

(じいちゃん)
「その通りじゃな。国民の所得が増えて消費が拡大することが重要じゃ。中には「公共投資すれば需要が増えるから」なんて思っておる人もいるようじゃが、それは表面的なことに過ぎない。確かにダムや橋を作ればGDPは拡大するが国民が直接に豊かになるわけではない。それを通じて国民におカネが行き渡ることが重要なんじゃな。

それじゃあ、国民所得が増えるとすると、そのおカネはどこから出てくるんじゃ?」

(ねこ)
「そう言われてみると、考えた事がなかったにゃ。国民の所得が増えるなら世の中のおカネの総量も増えるのは当然だから、おカネを発行しているんじゃないかにゃ。」

(じいちゃん)
「そうなんじゃ、ケインズ主義つまり財政出動は世の中のおカネを増やしておるのじゃ。おカネを増やすからこそ国民所得は増大する。どういうことか。

政府が景気対策として財政出動をするような時は、景気が非常に悪い状態の時じゃ。例えば大恐慌の後、バブル崩壊の後なんかだ。こんな時は税収がまったくあてにならないから、政府は国債を発行して資金を調達する必要があるんじゃ。政府の発行した国債の多くを引き受けるのは市中銀行じゃ。市中銀行が国債を買うと、結果的に信用創造が働いて預金通貨が発生する。これはマネーストックと呼ばれる「おカネ」のことじゃ。

つまり、財政出動によって政府が国債を発行し、それを元に市中銀行が預金を発行することで世の中のおカネ(マネーストック)が増える仕組みになっておる。これが国民所得を押し上げる。」

(ねこ)
「ふ~ん、ケインズ主義に関しては、有効需要にばかり気を取られておカネの供給面については注目していなかったのにゃ。そういう人は多いんじゃないかにゃ。」

(じいちゃん)
「財政出動による通貨供給機能には面白い特長がある。それは「世の中の金利とはまったく無関係に世の中のおカネを増やすことができる」という特長じゃ。

一般におカネの供給は金利によって決まるとされる。それは現在の通貨制度が借金によってすべてのおカネを供給する仕組みになっているからじゃ。金利が低いと借金する企業や個人が増えるから世の中のおカネが増え、金利が高いと借金する企業や個人が減って返済が進むから世の中のおカネが減ることになる。よって、世の中のおカネの量をコントロールする方法として金利が用いられる。

一方、財政出動は政府が国債の発行によって増やしたおカネを公共工事や社会保障などに使うことで、直接に世の中のおカネを増やす。そのため金利が高かろうが低かろうが関係ない。前者との違いは、前者の場合が企業や個人が借金することで世の中のおカネを増やしたのに対して、後者は政府が借金をすることで世の中のおカネを増やしたことになる。いずれも市中銀行から借金することで世の中のおカネを増やす点で違いはない。

前者は「金融政策」と呼ばれる方法で、金利によっておカネの供給量を決める方法。後者は「財政出動」と呼ばれる手法で、財政出動によっておカネの供給量を決める方法だと考えることができる。」

(ねこ)
「金利をゼロに下げても貸し出しが増えない状態(流動性のワナ)になっても、金利とは無関係の財政出動を使えば、いくらでも世の中のおカネを増やすことができるのにゃ。だから財政出動は効果があるんだにゃ。」

(じいちゃん)
「そういうことじゃ。いずれにしても世の中におカネが存在するためには、市中銀行から借金をしなければならない。もしすべての借金を止めてしまったら世の中のおカネはすべて消える。従って、必ず誰かが市中銀行から借金をしなければならないのじゃよ。今は企業も個人も借金をしたくないらしいので、政府が借金を引き受けるしかないわけじゃ。」

(ねこ)
「誰かが必ず借金を負わないと通貨制度が崩壊するなんて、やっぱり現代の通貨制度はおかしいにゃ。」

(じいちゃん)
「そこで現在の準備預金制度に代わって、政府通貨制度を採用する方法をお勧めしておるのじゃ。100%マネーとも呼ばれておる。といっても社会に大変革が必要なわけではない。政府が国債の代わりに政府通貨を発行すれば良いだけじゃ。

例えばオバマ大統領が一時計画したことのある1兆ドルコインと同じように、政府が10兆円コインを発行する。それを日銀に預金して日銀当座預金とすれば、紙幣や硬貨や預金は今までとまったく変わらずそのまま利用できる。いわゆる非金融部門には一切の影響がないのじゃよ。

何が違うのかと言えば、これまでのおカネ(マネーストック)は国債発行により預金通貨として供給したために「返済が必要なおカネ」だったのだが、政府通貨の発行で預金通貨として供給するから「返済が不要なおカネ」になった。それだけなんじゃ。」

(ねこ)
「そうすれば、誰かが借金をしなくとも世の中のおカネを維持することができるようになるから、わざわざ世の中の借金を増やすために金利をゼロあるいはマイナス金利にする必要はなくなるにゃ。」

(じいちゃん)
「そういうことじゃ。おカネは金利操作ではなく財政出動によって供給できる。ケインズ主義的な財政出動は野党やマスコミから批判を浴びせられて、推進が難しい状況じゃ。しかしそれは「借金に頼っている」から難しいのであって、政府通貨の発行による財政出動であれば「借金」という制約はない。

国債を発行した場合も政府通貨を発行した場合も、財政出動は世の中のおカネを増やすことに違いはないんじゃ。であれば、国債を発行して「借金ガー」と批判を浴びるより、政府通貨を発行して財政出動することをお勧めしたい。ケインズ主義の人たちは財源を国債にこだわることなく、通貨制度に踏み込んだ議論をお願いしたいのじゃよ。」

(ウェブサイトにも同時掲載)

2017年12月1日金曜日

誰に借金させるのか明言すべき

財務省・政治家・マスコミは、さかんに財政再建を唱えるが、財政再建すれば必ず通貨収縮する。そのくせ、政府の代わりに誰が借金するか一言も触れないのは欺瞞だ。

少しでも通貨制度について知識があるなら、財政再建すれば世の中のおカネ(マネーストック)が減ることは知っている。現代の通貨制度では、借金としておカネが発行されているのだから、借金を返済すればおカネが消える。これはバランスシートから明らかだ。

それでなくとも「世の中のおカネが足りなくてデフレになっている」というのに、おカネを減らしてどうするのか。もし政府の借金を返済して減らすのであれば、代わりに誰かが借金を負わなければ世の中のおカネが減ってしまうのだが、その話は財務省・政治家・マスコミは完全にスルーしている。ひたすら「借金ガー」と国民を煽る。

財政再建を唱えるなら、
代わりに誰が借金を負うべきか明言せよ。

報道しない自由はいい加減にしていただきたい。肝心なことを隠して知らせず、都合の良いことを声高に叫んで誘導する。財務省・政治家・マスコミすなわち「増税の枢軸」の手口だ。もちろんこの手口は財政再建だけじゃなく、拝金主義グローバリズムとか移民政策とかでも使われている手口だが。

資本主義においては、
サプライサイドである企業が借金を負うことが正しい。

それはリチャード・クー氏も言っていた。バランスシートが綺麗になったんだから、今度は政府に代わって企業が借金する番だと。そもそも「家計が貯蓄し、それを借りて企業が投資する」ことが資本主義のあたりまえのスタイルだった。それで貯蓄と投資のバランスか保たれ、貯蓄過剰に起因するデフレにならずに済んだ。

ところが、今や借金して投資すべき企業がカネを貯めこんでいる状況だ。これでは貯蓄と投資がバランスするわけがない。そのうえ、政府は法人税を減税するという。つまり政府は企業に借金させる気など更々ない、ということは、家計に借金を押し付ける気がマンマンなのである。

財政再建を唱えるなら、
代わりに誰が借金を負うべきか明言せよ。

もちろん企業は猛反対だろう。そんなのイヤだって?それなら政府の国債はすべて日銀が買い取れば良いのです。それなら誰も借金を負う必要はありません。世の中のおカネも減りません。あれ?なんだ、すでに量的緩和で日銀が既発国債の4割くらい買い取ってますよ。そのまま買い取れるものはすべて買い取れば良いだけです。もちろん新規国債も。

政府も企業も家計も、おカネを発生させるためにわざわざ借金を負うことはありません。日銀が借金をすべて肩代わりします。日銀が借金を肩代わりするということは、単におカネを発行することです(日銀のバランスシートから明らか)。

おカネが必要なら日銀が発行する。当然ですね。