2018年4月21日土曜日

引きこもりに社会変革の担い手を期待

多くの人々が日々の労働、残業に次ぐ残業に追われる毎日。社会問題あるいは経済問題をじっくり考える時間などほとんどないでしょう。実際、自分もそうでしたから。そんななか、日本に大勢いる引きこもりの皆さんの活躍に期待しているのです。

引きこもりと言えば、とかく一般の人には「ネガティブ」な印象しかないでしょうが、自分は正反対です。引きこもりには労働者には無い「自由な時間がある」。つまり、考える時間がたっぷりあるのです。この「考える」行為は非常に重要であり、一般大衆のように、短絡的にマスコミの印象操作に載せられて右往左往するのではなく、自分の頭でじっくり考えて判断できる。

現代はインターネット時代であり、ネットを利用することによって、マスコミに頼るだけでは得られない、多面的で深い知識を得ることができます。情報を収集分析する点において、引きこもりはハンデがあるどころか、明らかに一般の人よりも優れているとさえ考えられます。

他人とのコミュニケーションがないことが、考え方に偏りを生じると思うかもしれません。しかしフェイス・トゥ・フェイスがないだけであって、ネット世界におけるコミュニケーションはむしろ現実世界よりも多様かつ活発であり、それは最近の若者のSNSへの対応を見てもわかるでしょう。

むしろ、同じような話を何回も何回も繰り返すだけのマスコミの報道に依存しないだけ、より客観的で多面的な判断も可能だと思います。

ですから、引きこもりの皆さんこそ、社会変革のための意識を持ち、自分の頭でその方法を考える担い手になれるはずだと考えているのです。もちろん、彼らが国会前に集まって騒いだりすることはないでしょう。しかし現代はインターネットの時代であり、社会変革のためにデモをやらなきゃならないわけではありません。インターネットを利用して、自らの考えを発信し続け、あるいは他の人々とバーチャル空間で連携することで十分に活動できるはずです。

引きこもりは日本の改革をリードする担い手となる可能性を秘めています。一人ひとりの力は弱いかも知れませんが、彼らの活動が日本を変えることをひそかに期待しています。引きこもり、大いに結構です。できれば、その立場を生かしてネットによる社会変革への参画をお願いしたいのです。


2018年4月19日木曜日

緊縮に反対だから安倍しか居ない

安倍がどうなろうと知った事ではないが、安倍政権が崩壊すれば緊縮政権が誕生することになる。極めて深刻だ。もしさらなる緩和政権が誕生するなら、いつ政権崩壊してもかまわないのだが。

安倍政権が政治週刊誌ネタのような問題で支持率が低下している。野党はどうせ政権など取れるはずもなく、とにかく中国と韓国に譲歩しない安倍を引きずり下ろせば、あとは首相が自民党の誰であろうと構わないのだろう。だから「自民党を許さない」ではなく「アベを許さない」という個人攻撃になる。

野党はアベさえ降ろせば目的達成だろうが、国民はその後が困る。自民党内では次期首相の座をを狙って水面下の動きが活発化しているらしい。しかし次期首相候補とされる石破、岸田、野田氏らはいずれも財政緊縮派だという。ちなみにこの機に乗じて庶民の人気取り発言に忙しい小泉進次郎氏も緊縮だ。

普通に考えて次期政権が「緊縮政権」になることはほぼ間違いない。つまり、金融緩和の縮小、財政支出の抑制、増税である。結果としてマネーストックの伸びが減少し、通貨の供給不足は経済をデフレへ逆戻りさせることになる。恐らく株式市場は下落し、円高になる。それはますますデフレを悪化させる要因となるでしょう。

こんな緊縮シナリオが目に見えているのに、野党やマスコミと来たら、とにかく目の前のこと、安倍が、安倍が、で先のことなど考えていないとしか思えない。あとは野となれ山となれである。まあマスコミにとって為政者を叩くのはある種のお祭り騒ぎなのだろう。こんな新聞やテレビが報道の公平性などと「放送法改定」に反対しているのだから、笑うしかないw。まさにマスコミ主導で国民が振り回されるポピュリズム政治も極まった感じですね。

こんなお祭りマスコミしかない日本じゃあ、まともな民主主義など機能しないでしょうけど、それにしても、与党も野党も政治家のほとんどが「緊縮派」だという異常な政治はいい加減にして欲しい。これでは日本の衰退は決まったようなものです。

既存の殻を打ち破るべく新しい政党の登場が待たれますが、ところが最近、新党として出てくる政党もことごとく「緊縮派」とくるからすごいw。なぜ人工知能やロボットのようなテクノロジーの時代に相応しい「明るい未来の描ける政党」が出てこないのか?そういう政党が出てくれば、安倍政権を支持する必要はまったくないのだが。

こんな調子だと、自民党に投票しても野党に投票しても日本はおしまい。いよいよ選挙で投票する先がなくなり、投票を「積極的に棄権」をするしか選択肢が無くなるのかも知れませんね。



2018年4月16日月曜日

増税するなら消費税じゃなく金融資産課税

基本的にデフレ期に増税する必要はまったくないと思います。それでも増税したいのであれば、消費税は大間違いであり、膨れ上がり続ける金融資産に課税すべきでしょう。

なぜ消費税の増税が間違いなのか。勤労世帯における有業者1人当たりの給与と、世帯1人当たりの消費金額の長期推移をみます(単位は月額円)。給与所得者の所得が低下し、消費も下がり続けています(消費支出には税も含むので、実消費は消費税の分だけさらに減少している)。このような状況で消費税を増税すれば国民が貧困化するだけでなく、間違いなく消費が減って景気が悪くなるでしょう。



一方、金融資産の推移をみます(単位は億円)。ここでは金融資産から金融負債を引いた純資産の額で示しています。企業がカネを貯めこんでいるといわれますが、貯め込む企業がある一方で、カネを借りる企業も増えているため純資産としてはそれほど増えていません。家計の金融資産はどんどん増加して続けています。家計の純資産としては1500兆円を超える勢いです。こんなにおカネがあるのに景気は良くなりません。なぜなら「貯めこまれたまま使われていない」からです。



こうした状況ですから、死蔵されているおカネ(金融資産)に課税して吸い上げ、低所得者の所得支援あるいはベーシックインカムとして全国民に再分配すれば、消費が増加して景気も良くなると考えられます。例えばわずか1%課税するだけで15兆円(消費税6%に匹敵する)も再分配が可能になります。

もちろん、デフレの現在、増税の必要があるとは一切思えません。通貨発行によるヘリコプターマネーで「増税なき財政再建」も十分に可能でしょう。しかし、そんなに財務省や新聞マスコミが増税したいのであれば、消費税の増税は大間違いであり、正しい方法は膨れ上がり続ける「金融資産への課税」だと思うのです。

2018年4月8日日曜日

マクロから見た脱時間給の欠陥

労働時間ではなく成果によって賃金を決める脱時間給が推進されようとしています。マクロ的な観点から見て、これが欠陥制度(欺瞞)である点を指摘したいと思います。

成果に応じた報酬は、一見すると正しいように見えます。成果がなければ報酬は払えない。企業の立場から言えばまったくその通りです。では成果とは何かと問えば、それは企業の売り上げに貢献することだと言うでしょう。

ミクロの観点から言えば、企業は商品の販売によって売り上げ利益を出し、そこから従業員への給料を支払います。そのため、いくら従業員が優れた労働をしたとしても、売り上げ利益の範囲でしか給料を払うことはできません。つまり企業の売り上げが拡大しない限り、逆立ちしても給料は増えないことを意味します。

一方、マクロの観点から言えば、企業の売り上げが増えるということは、世の中を循環する通貨量が増加することを意味します。これは同時に名目GDPの増加(1人当たりGDPの増加)でもあります。そして世の中のおカネの量(マネーストック)が増えなければ、世の中を回るおカネが増えないのは当然ですから、企業の売り上げはマネーストックの伸び率に大きく左右されます。

以上より、労働の成果はマネーストックの伸び率に大きく左右されることが必然なのです。こうした点を何ら考慮しない「脱時間給制度」は欠陥制度であると言えます。

極端な例で言えば、どれほど天才的な頭脳を持った社員であったとしても、デフレが続けば会社の売り上げは増えないため、成果(売り上げの拡大)は望めず、給料は増えないのです。そうした社員はどうすれば給料を増やせるか?デフレを放置する日本から脱出して、インフレ傾向の国に移民すれば確実に給料が増えるでしょう

すなわち、デフレの国で長時間労働するよりも、インフレの国で短時間労働するほうが、はるかに高い成果(企業の売り上げ)に結びつくのです。これは極端な話ですが、傾向としては間違いないはずです。こんな馬鹿げたことをしていると、優秀な人材は海外にどんどん流出するでしょう。

日本は官民挙げてやっていることが支離滅裂です。各政策間の整合性がありません。「総合戦略」という視点が欠落しています。多くの新聞マスコミ、政治家が金融緩和を批判し、消費増税と緊縮財政によって世の中を循環するおカネの量を減らそうとする一方で、売り上げ依存の脱時間給を導入しようとする。

総合戦略なき烏合の衆に成り果てた日本の行く末に、
危機感を覚えるのです。

2018年4月7日土曜日

輸出拡大より内需拡大を急げ

日本は貿易立国だから輸出拡大は当然だ。そう考えている人は多いかも知れません。しかし貿易立国だとしても輸出拡大の必然性はありません。

そもそも貿易の基本は「国内で調達できない資源を手に入れるため」です。例えば石油を買うためには外貨が必要であり、その代表格が米ドルです。たとえば資源1単位=1ドルとして、日本で100の資源が必要なのであれば、輸出によって100ドルの黒字を稼ぎ出し、その100ドルで100の資源を買えばよいわけです。すると輸出の黒字100は輸入代金100と相殺されますから、それで貿易は成り立ちます。それ以上の貿易黒字は必要ないのです。

生産の国際分業の観点(比較生産費説)から言えば、貿易は資源の調達ではなく多国間における生産コストを抑えるためにありますが、しかしこの場合においても貿易黒字を必要とするわけではありません。輸出ばかりどんどん増やしても意味がないのです。

もちろんそれは基本であって、貿易黒字で稼ぎ出した外貨を外国に投資すれば、日本の企業などは海外に資産を有することになり、これが金利等を稼ぎ出しますから、悪いことではありません。いわゆる対外純資産です。しかし日本の対外純資産はすでに世界最大クラスですから、もう十分かも知れません。

あるいは、開発途上国の段階であればより多くの外貨を必要とします。なぜなら資源だけではなく、先進国から多くの生産設備(資本)、技術などを導入する必要があるからです。ですから途上国はより多くの外貨を必要とします。しかし日本はその段階をすでに過ぎています。

その一方、輸出が増大すれば国内の景気が良くなることは明らかです。その意味では輸出拡大に頼りたくなる気持ちはわかります。しかし、なぜ輸出が増えると景気が良くなるのか?その理由は通貨循環量の増加にあります。

輸出企業が儲かれば、外貨を得られます。その外貨は為替市場で円に戻されますが、その円が輸出企業の従業員、あるいは仕入先、関連企業などに流れます。こうして貿易黒字は国内の通貨循環量を増加させます。これが国内の経済を刺激すると考えられます。しかし、もし貿易黒字によらなくとも、企業の売り上げが増加し、従業員等におカネが流れるのであれば同じことが言えるでしょう。

つまり、外需によって輸出を増やしておカネを回しても、内需によって国内消費を増やしておカネを回しても、同じなのです。国内のおカネの循環を増やすために、必ずしも外貨を稼ぐ必要はありません。むしろ「必要以上に外貨を稼ぐ」からこそ、貿易不均衡だと非難されるのです。

輸出によって外貨を稼ぐことは必要ですが、必要以上に外貨を獲得しても意味がありませんし、貿易摩擦を拡大するだけです。日本は内需を拡大し、内需主導でおカネを回して景気を回復するべきでしょう。

内需拡大とはすなわち国民がそれだけ多くの消費をすることであり、それは国民生活が豊かになることを意味します。その具体的な方法は何も難しくありません。単純におカネを発行し、それを国民に広く公平に配れば良いだけなのですから。


2018年4月3日火曜日

更新日を変更します

今のところ本ブロクの更新は主に平日に行なっておりますが、今後は土日の二日間に変更しようと考えております。同時にツイッター(のらねこま)でも、主に土日を中心に適当に呟きますwので、よろしければそちらもご覧ください。よろしくお願い申し上げます。

まず長期的なグランドプランが必要

政治家もマスコミも「アベノミクスの成果のあるなし」で大騒ぎしていますが、そんな短期的な動きで騒いでも意味ありません。その前にもっと長期的なマクロの動きを確認し、グランドプランを構築する必要があります。

日本の経済は高度成長期からオイルショック、バブル期、バブル崩壊後の失われた20年、そしてアベノミクスの時期と、連続的に流れてきたわけです。その間、良いことも悪いことも様々ありながら、日本経済が推移してきた状況がマクロ的な観点から理解することができるでしょう。

それらの各経済ステージにおいて良かった点と悪かった点、そしてその原因を分析することで、反省や学習に基づき、これからのあるべき経済政策をまず立案することが先決のはずです。いまの短期的な変化を捕まえて騒いでいても意味ありません。グランドプランが必要だと思います。

その上で、そのグランドプランに対して安倍内閣のやっていることはどうなのか?これが問われなければなりません。もしプランとして疑問のある方法を行なっているのであれば、その点において攻撃されるべきでしょう。まずは確たる経済のグランドプランありきです。

グランドプランを理解するには、少なくとも1960年代からの日本の経済の推移と、その理解が重要だと思います。しかし今日においてそれが十分に理解されているとは思えません。マスコミの話は単に「オイルショックはインフレで大変だった」とか「バブルは良くない」とか、そういう程度でしょう。オイルショックのインフレと高度成長期のインフレとは何が違うのか、あるいはバブル経済を全否定して騒ぐだけでなく、その功罪をきちんと考えるべきでしょう。

その中で、現代はますます金融緩和のような、おカネの政策、マネーストックやマネタリーベースといった指標が重視される時代なのですから、「通貨政策」「通貨供給量」の観点から過去の経済を見直す必要があると思うのです。

ここ数年のマクロ指標を取り出して、アベノミクスは成功しただの、失敗しただのと騒ぐ与党も野党もマスコミも、まるでお話にならないと思うのです。




2018年3月29日木曜日

陰謀論なら「新聞の忖度」の疑惑も大

「怪しい」というだけで、証拠が何もないのに「疑惑がある」として騒ぎ立てる。これは典型的な陰謀論です。もしそれを言うなら「マスコミの陰謀」も同様に疑わしい。なぜマスコミに陰謀が無いと言い切れるのか。国民は真実を知りたい。

最も疑わしいのは「マスコミによる財務省への忖度」である。

具体的にはマスコミ総出で消費税の増税を推進する「増税翼賛報道の蔓延」だ。インターネットの様々な情報に接していれば、消費税の増税に反対する著名な経済学者や知識人の意見に多く接することができる。ネットは多様な言論空間である。

しかし新聞テレビにはそれがない。なぜか、財政再建のためには消費税の増税が当然であるとの識者・意見ばかりが押し出される。しかも普段は意見の異なる朝日・毎日系の新聞も読売・産経系の新聞も、もろ手を挙げて消費増税を翼賛しているのである。

これは怪しい。

しかも背景に疑わしい事実が存在する。それが「新聞の軽減税率」である。つまり財務省に忖度して財務省の希望する「増税翼賛記事」を報道することで、新聞の軽減税率を得ようとする陰謀である。いや忖度どころか、裏取引があるかも知れない。いや「そうに違いない」「そうに決まっている」。国民は真実を知りたい。

マスコミに聞いても「そんなことはない」と応えるだろう。信用できない。隠しているのであろう。ならば、なぜ新聞の軽減税率を自ら潔く辞退しないのか。そんなに財政再建が大切なら、新聞は2倍の消費税を払って財政再建に貢献すべきであろう。

しかもマスコミは、財務省の公文書偽造事件に際して、その原因は忖度を生み出した強すぎる官邸主導(政治主導)にあるという財務官僚の声まで報道して、財務省を擁護する姿勢をみせた番組もあったらしい。

財務省を擁護するマスコミを見て「疑念がますます深まった」。マスコミが軽減税率欲しさに国民を売り、財務省の希望する増税翼賛記事を垂れ流し続けているのだろう。

自分は陰謀論を頭から否定しない。安倍政権も怪しいだろう。しかし同様に、財務省とマスコミによる「増税の陰謀」もまた極めて怪しい、いや、陰謀があるに決まっているのである。マスコミが否定するならますます怪しい。国民は真実が知りたいのだ。


2018年3月28日水曜日

日本の格差は「緊縮型格差」だ

社会に格差が広がっているとの声が多く聞かれます。ではどのような形で格差が生じるのでしょうか?考えてみると格差には2つの発生パターンがあると思えるのです。

パターンA:富裕層におカネがドンドン集中する。

富裕層がますます富むことで格差が広がるパターンです。中低所得層の所得が伸びずに、高所得者だけがどんどん豊かになるから差が開くわけです。バブル型、勝ち組・負け組み型とでもいえましょうか。アメリカはこれじゃないかと思います(推論)

パターンB:富裕層はそのままだが、貧困層が増える。

富裕層の所得は増えないが、中所得者が貧困化して貧困層が増えるため、格差が広がるパターンです。富裕層の所得は増えていませんから、富裕層にとっては「格差が広がった」と言うほど、自分達が富を独占している気にはなりません。なので「格差拡大のために高所得者の税金を上げろ」と言われても怒るだけです。これは「緊縮型」あるいは「デフレ型」と呼ぶべきだと思います。



日本の給与階級別分布のデータを見ると、1995年から2015年にかけて、年収400万円以上の階級のほとんどで数が減り、代わりに年収100~200万の低所得層が大きく増加しています。高額所得者も貧困化している、つまり、日本の格差の原因は、

すべての労働者が貧困化した

というわけです。少なくとも、給与所得者について言えば、勝ち組が所得を増やしたのではなく、「すべての労働者の所得が減った」なのです。なぜか?緊縮、デフレだからです。世の中のおカネが回らなければ、労働者の賃金も上がらない。

日本の格差は「緊縮型格差」、
すべての労働者が負け組みなのです。

2018年3月27日火曜日

森友騒ぎと陰謀論の類似点

森友騒ぎはいわゆる「陰謀論」に近い性質を持っています。忖度した・しないには証拠が存在しないため、状況による推論だけで善悪が判断されがちだからです。もちろん陰謀論を頭から否定はしません。その意味では911陰謀論とも共通します。

ある状況に対して疑いの目を持って見れば、いくらでも疑わしい点が出てきますし、考えるほどにそれが整合的であると思えてきます。それが陰謀論です。巨大な陰謀論の代表例として911、アメリカ同時多発テロ事件に陰謀が関係していたという説があります。

当時、ニューヨークの貿易センタービルにジェット機が突入し、二つのビル、そしてジェット機が突入していない近隣する一つのビルも崩壊したわけですが、その崩壊がどれもすべて同じように、綺麗にまっすぐ崩壊しており、ビルの爆破解体に酷似していました。しかもジェット機が突入していないビルも、解体工事のごとく綺麗に崩壊しているのです。さらに映像を詳しく見ると、崩壊に先行して爆発が生じているようにも見受けられるといいます。そのほかにも、「疑わしい」と思えば、あやしい例がいくつもあるということです。

ただしそれは、状況を見る限り、いかにもあやしいのであって、証拠はありません。しかし陰謀によって意図的に破壊されたと考えると、非常にスッキリと理解できます。ああ、ありえるな、と思えるわけです。しかし、証拠はありません。

では、陰謀論をどう扱うべきか?

およそ人間社会は陰謀が渦巻いており、陰謀がない人間社会など考えることすら不可能でしょう。陰謀は何も政府や国家の話だけではなく、企業内の権力闘争、近所との関係においてすらあり得ます。もちろん程度の差があって、たんに相手を出し抜く程度の陰謀もあれば、相手の命を奪うほどの陰謀もある。

ですから、陰謀論そのものを否定することはできないでしょう。陰謀はあり得ると思います。しかし、証拠もなしに推論だけで関係者を非難したり、罰したり出来ないのは当然です。そしてまた、新聞テレビのようなメディアが確たる証拠もなしに、怪しいという状況だけをもって、いかにも疑惑が真相であるかのような印象を与える憶測報道を繰り返すことも許されないでしょう。

911陰謀論にしろ森友騒ぎにしろ、こうした推論はあくまで仮説なのですから、一方の側からだけ報道すれば、それは世論誘導以外の何ものでもありません。逆の側から違う説を説明することによって初めてバランスが取れるわけです。簡単に言えば、「安倍の陰謀だ」という説と、「安倍の陰謀はあり得ない」という説の、両方がバランスよく語られることが必要でしょう。もし911陰謀説を当時のマスコミが、あたかも陰謀が真実であるかのように大々的に煽り立てて報道していたら、どうなっていたでしょうか。

こうした点を冷静に判断し、疑惑を扇動するような行為を自粛しないのならば、マスコミによってやり放題に「犯罪者を作り出す(冤罪)」社会になってしまうと思います。

(ご参考までに:ビジネスジャーナル 2017.09.17)
9・11米同時多発テロ、真相知る民間人が次々と不審死か…米政府の自作自演説も根強く

2018年3月22日木曜日

イタリアでベーシックインカムは実現するか?

イタリアでは選挙公約にベーシックインカムを掲げた政党「五つ星運動」が大躍進しました。これは画期的な出来事ですが、仮に五つ星運動による政権が誕生しても、ユーロ圏である限り、イタリアのベーシックインカム実現は多難です。

新聞マスコミは、「五つ星運動はポピュリズムだ」と連呼し、さかんにネガティブキャンペーンを展開しています。しかし市民運動が既存の右派・左派政党を上回る政治勢力に成長できた画期的な出来事であり、既存の政治勢力に政治を独占されてきた日本でもこうした運動に希望が持てることの証明だと思います。

ところで、日本の新聞マスコミはほとんど報道しませんが、五つ星運動は「ベーシックインカム」を選挙公約に掲げていました。ニューズウィーク日本語版の記事によれば、1週間の社会奉仕と求職活動を継続していることを条件に、全国一律月780ユーロのベーシックインカムを実施するといいます。現在の議席数では、五つ星運動だけで政権を立てることは難しい状況ですが、もし他党との協議が成功して五つ星運動を主体とする政権が誕生すれば、先進国で始めて、ベーシックインカムを実施する国が誕生するかも知れません。

とはいえ、実際に五つ星運動がベーシックインカムを実現できるのでしょうか?それについてはかなりの困難が予想されます。その理由は、

イタリアがユーロ圏だから難しい。

ユーロ圏ということはイタリアに自国通貨がない、つまり国民に通貨を発行する権利がない、通貨は外部(欧州中央銀行)からの借り物でしかないのです。こうした状況では、通貨の発行を財源として利用することはできません。ベーシックインカムの財源はすべて税収である必要があります。となれば、かなりの増税を行なう必要があります。

増税は相当に大きな社会的抵抗があるはずです。しかも日本の消費税をみてもわかるように、増税による経済への影響はかなり大きいはずです。これは簡単ではありません。

もしイタリアが日本のように自国通貨を有する国であれば、通貨を発行して財源にすることができます。とはいえ、いきなり100兆円も毎年発行すれば混乱するでしょうから、いきなり毎月満額のベーシックインカムをスタートするのではなく、月額1万円からスタートして毎年徐々に支給額を増やしてゆく方法をお勧めします。それなら、増税しなくても比較的簡単に実現できます。

ですから、五つ星運動は何よりもまずユーロ圏を離脱し、自国の通貨発行権(=主権)を取り戻す必要があるでしょう。そして人工知能や自動生産機械の進化、すなわち生産資本の蓄積に伴う供給力の増加に応じて、世の中のおカネを増やしつつ、ベーシックインカムを徐々に実現するべきだと思うのです。

もしイタリア人がユーロ通貨に目がくらんで固執するなら、
イタリアのベーシックインカムは必ず失敗するでしょう。

2018年3月20日火曜日

インフレ率2%にこだわらない?

与野党や識者を問わず「インフレ率目標2%達成にこだわるべきでない」と発言する人がいます。しかし、彼らはわずか2%のインフレ率すら達成できないことに疑問を持たないのでしょうか?インフレ率達成の方法は他にもあるのですから。

毎年80兆円にも達する日銀の大規模な量的緩和によってもインフレ率2%は達成されていません。そのためインフレ率2%の達成は、なにかしら「大変難しい目標」であると考えている人が多いかも知れません。そして「難しいなら目標を下げるべき」と思うかも知れません。しかし量的緩和だけにこだわっているから難しいのであって、インフレ率を達成する方法は他にもあるのです。

例えば財政出動として、全国民に毎月1万円の給付金を配れば(年間12万円)、消費が増えて景気が良くなり、物価が上昇するであろう事は小学生高学年程度の頭があれば容易に理解できるはずです。給付金政策だけでなく、公共工事や技術開発への投資など、財政出動の方法はいくらでもあるでしょう。

もし私が日銀総裁だったら、毎年80兆円ものおカネを発行して市中の国債など買わず、その2割程度の15兆円を発行して、政府から新規発行の国債を買い取って、政府から全国民に毎月1万円の給付金を支給してもらいます。その方が発行する現金の量も少なくて済むではないですか。しかも銀行への副作用があるとされるマイナス金利政策なんかする必要はありません。

おカネを国民に配れば、
物価目標2%など簡単に達成するでしょう。

すなわち、与野党や識者、マスコミを問わず、そんな程度のことすら提案しないのです。そして2%の物価目標が、まるで難易度の高い目標であるかのように言い、「2%は高すぎる、2%にこだわる必要は無い」と言うのです。こういう茶番を見ていると、あまりのバカバカしさに脱力し、腰が抜けてしまうほどです。

目の前にある政策(給付金)を、まるで存在しないかのようにスルーする。もはや何かの陰謀なのでしょうかw?

そして彼らは、仮に国民への給付金政策(ヘリマネ)の存在を認めたとしても、「そんなことをすればインフレになる」と言って非難する。そりゃ消費が増えて景気が良くなるからインフレになるでしょうw。彼らはインフレになるからダメと言って給付金政策を否定しながら、その一方で「なんでインフレ率が2%にならないのか、消費が弱いのは賃金が上がらないからだ」などと言い、物価目標は高すぎるというのです。

もっと驚くべきことに、そうした政治家やマスコミの茶番劇を見ている一般国民が、その話に、うんうんと頷いているらしいのです。何も見えていないのでしょうか。そうかと思えばマクロ経済なんかほったらかして、国会で悪者追及に興じる始末。

何とかしてくださいよ、ホントに。

2018年3月16日金曜日

忖度は防止不可能、システムを変えよう

忖度が問題視されているようですが、忖度は人間の基本的な性質であって、忖度を防止することは不可能です。忖度があっても問題が起きないシステムが必要です。

これはシステムを考える際に当然に必要な視点ですが、ミスがないことを前提にしたシステムは脆弱です。どれほど注意してもミスは防ぎきれないからです。ミスした担当者を責めても問題は解決しません。ミスがあることを前提としたシステムが強固なシステムになります。同様に、忖度があることを前提としたシステムこそ必要だと考えられます。

忖度を無くせば良いと思うかも知れませんが、忖度は人間の基本的な性質(本能)なので、これを問題視しても意味がありません。程度の大小はあるものの、社会は忖度(=相手への気遣い)なしには成り立たないと言えます。

ただし、これが行政において横行すると不公正な行為を招く可能性があることもまた、事実だと思います。ですから忖度があることを前提としながら、忖度による不公正を防止するための仕組みを持ったシステムへ改変することが求められています。とはいえ、基本的な考えは簡単です。それは、

①権力の分散化を図る
②監視機能の強化

ではないかと思われます。

今回の公文書改ざん問題に関しては、本省による強烈な上意下達があったとも言われており、これにより上から下まで強固な隠蔽体質が築かれていたと考えられます。こうした本省の強力な命令権による、中央集権的な組織(システム)を改め、フラットで風通しのある組織に変える必要があると考えられます。これは民間組織と同じ考えであって、当たり前ですね。

また今回の件では会計監査院が改ざんを見抜けなかった点も指摘されています。これは彼らの人的な責任というより、そもそも監視機能が不十分であることに原因があると思われます。組織をフラット化して風通しを良くし、監視機能を強化すれば、仮に不正が行われても役所内における情報隠蔽を防ぐことができると思われます。これもいわゆるガバナンスとして民間組織における不正問題でも最近騒がれていますね。

外務省や防衛庁はその性質上難しいにしろ、それ以外の省庁に関しては、この機会に組織の大改革を行なうべきではないでしょうか。ハッキリ言って、森友問題で政治家や役人の首が何人飛んだところで、大衆はおお喜びかも知れませんが、何の得にもなりません。ノーパンシャブシャブ接待事件と同じで、何年かすれば、また同じ騒ぎが発生するだけです。

忖度がどうこう言って騒いでも意味ありません。少なくとも外務省に関しては、徹底的に組織を改革すべだと思うのです。

2018年3月15日木曜日

財務省を解体しないなら首相も同罪

安倍首相は財務省による森友関連の公文書偽造事件を受けて、財務省の解体(権力の分散等)を主導すべきです。もし財務省を少しでも擁護するのであれば、それこそが首相退陣に値する罪になると思います。

忖度はなぜ行われるのか?忖度を行う側の心理としては、「相手に恩を売っておいて、後で返してもらおう」という魂胆があります。印象を良くすることで、便宜を図ってもらう魂胆がある。そして、なぜこれが行われるかと言えば、「忖度に効果がある」からです。

忖度される側(権限者)が何らかの形で忖度に応えるから、忖度に効果が生じるわけです。もし忖度される側(権限者)がまったく忖度など勘定にいれず、原則に基づいてズバズバと業務を行うのであれば、忖度なんかしても意味がない事になります。以上より、

忖度をやめさせるには、
忖度してもムダになるように仕向ける必要がある。

と考えられるわけです。権限者が何の便宜も図ってくれないなら、苦労して忖度するのは馬鹿みたいです。なら、忖度なんかしなくなります。学習効果ですw。

ですから、財務省の公文書偽造事件に関して、もし、安部首相が財務省をわずかでも擁護することがあれば、それは安部首相が「忖度に応えた」ことになります。そうすれば、財務省は「ああ、安倍首相に忖度すれば応えてくれる」と学習し、今後も「バレないように」忖度を続けるかも知れません。

もし安部首相が原則に基づいて、容赦なくスバスバと財務省の根本的な改造を行えば、財務省は「ああ、安倍首相に忖度してもまったく意味がない」と学習し、今後、一切の忖度は行われなくなるかも知れません。下手すると今まで忖度してきた財務省に逆恨みされるかも知れませんが・・・。

今回の事件も、本省による上意下達が疑われますが、これは本省に権力が集中しすぎていることにも原因があるはずです。本省の指示により上から下まで口裏が合わせられ、どこからも問題が発覚しない、最強の隠蔽体質が完成されていたわけでしょう。ですから、財務省の役人の首を何人飛ばしてもまったく意味がありません。こうした組織そのものを変えなければ何度でも事件が起きるでしょう。

だからこそ、財務省の権限を分散し、監査機関を強化して監督する必要があるはずです。このような、財務省を容赦なく改革することが安倍首相には求められています。もし、安部首相が少しでも改革に手加減するようなことがあれば、それは首相が「財務省の忖度に応える」ことになるのです。



2018年3月13日火曜日

官僚の責任を政治家に押し付けるな

日本人は不祥事なれば「ハラキリ」を好むようですが、そんな属人的な処置をしているから日本はいつまで経っても失敗の経験が蓄積されないのです。システムを変更することでしか日本を変える事はできません。

もちろんこれは森友学園に関する財務省による公文書改ざんの責任問題についでです。公文書の改ざんそのものは極めて重大な問題です。しかし、公文書の改ざんが政治家の指示によって行われたのであればいざ知らず、そうでなければ、これは単に財務省による自らの保身を目的とした犯罪行為であるわけです。

しかし、単に安倍政権を引き摺り下ろしたいだけのマスコミ、野党、活動家の中には、この財務省の保身行為をもって安倍政権を潰そうとする人々がいるようです。

官僚の責任を政治家に押し付けるな。

こうした官僚の勝手な暴走の責任を政治家に押し付けることは断じて許されることではありません。まさに民主政治の根幹を揺るがすような行為です。もし官僚の責任を政治家に押し付けることが許されるなら、今後、様々な陰謀・謀略にこれを用いることが可能になるリスクが生じます。すなわち、意図的に不祥事を引き起こすということです。

財務省を解体せよ。

今回の犯罪行為は、財務省というシステムそのものを根本的に改革するチャンスです。公文書の改ざんという発想が出てくること自体がおかしいが、どうやら役所とはそういうものだと考えるべきだと思うのです。つまり、役所に権限を集中すること、組織を一本化して巨大化することは、そのこと自体がリスキーであると考えるべきだと思うのです。財務省を複数の省に分割して、権力の集中を分散し、仮に隠蔽や偽造などが行われた場合でも被害を最小限にとどめるような組織にすべきではないかと思うのです。

そして、良い機会なので、歳入庁を実現しましょう。

今回の件で官僚の責任を政治家に押し付けることがあっては断じてなりません。しかし、仮に右派左派のポピュリストがマスコミを利用して大衆を扇動し、権力者を引き摺り下ろす快感に踊らされた国民によって安倍政権が責任を取る事態に追い込まれることが避けられないのであれば、

財務省も解体すべきと思うのです。

2018年3月9日金曜日

緊縮ニッポンでは物価を上げられない

緊縮ニッポンではパッケージの内容量を減らして価格を押さえる「シュリンクフレーション」が進行中。原材料が値上がりしても、庶民におカネがないから値上げできないのです。

例えば、私が好んで食べるチーズ。これはデザインが新しくなって、包み箱の仕様も二分割できるようにすることで付加価値を高めたように見せかけて、実は内容量が少なくなっています。

つまりパッケージの価格を上げずに内容量を減らす。

チーズは原材料が値上がりしているため、本来であればメーカーが原材料の値上がり分を価格に転嫁することでチーズ商品が値上がります。もちろん内容量はそのままにです。

ところが国民におカネがない、購買力がないために値上げできないのです。つまり物価が上昇しないのは、マスコミがまことしやかに言う「デフレマインド」などではなく、買うカネがないからです。

つまり商品価格は値上がりしないが、質が低下する。

これが世の中のおカネを増やさない「緊縮ニッポン」の実態でしょう。緊縮主義は国民をどんどん貧困(おカネの無い状態)にしています。原材料が上昇しても、企業は今後も必死にパッケージをリニューアルし続け、そのたびに内容量を減らしたり質を落としたりし続けるでしょう。

国民にカネがないからです。

もし、カネがあったらどうでしょう?国民におカネがあれば値上げしても商品は売れます。商品が売れるなら企業は商品の質や内容量を落とすのではなく値上げできますから、物価が上昇してデフレを脱却するでしょう。

それだけではありません。高くても売れるのであれば「質を高めることで売ろう」とする動機が企業サイドに生じてきます。つまり値段が多少高くても質の良い商品が売れる経済状態になってきます。こうして「多少高くても質の良い商品」が消費者の手に渡る社会になります。質的な豊かさが実現します。

こうして、循環するおカネの量が増加すれば国民生活の質が向上するだけでなく、税収も増加するでしょう。これこそが経済の好循環と呼べるのではないでしょうか。

ですから、経済の好循環のためには、まずは国民の購買力を高めること。そのためにヘリコプターマネーです。すべての国民に毎月1万円を支給しましょう。この金額なら年間予算15兆円、通貨発行だけで十分に賄うことができます。



2018年3月7日水曜日

仮想通貨には正しい定義が必要です

ブロックチェーンを用いる電子通貨をすべて「仮想通貨」と呼ぶことは混乱の原因になります。なぜならモノによってバランスシート上における通貨発行の仕組みが違うからです。この仕組みが通貨の本質を決めます。

「仮想通貨」はあくまでもビットコインのような、元祖仮想通貨にのみ与えるべき名称です。それらは技術的にブロックチェーンを用いると同時に、バランスシート(BS)上は資産として発生するはずです。

それに対して、同じくブロックチェーンを用いる銀行が計画している電子通貨は、BS上で負債として発生するはずです。これらは「前払い式決済手段」に属するはずです。つまりこの両者は本質的にまったく別のおカネなのです。にもかかわらず、技術的にブロックチェーンを用いるという理由だけで「仮想通貨」と呼ぶと、本質的に違うタイプの電子通貨がおなじであると誤解されてしまいます。

同じ通貨でも、資産として発生するおカネと、負債として発生するおカネではまるで違います。例えば資産として発生したおカネは消えませんが、負債として発生したおカネは消える仕組みになっています。

残念ながら、こうした「おカネの本質」を学校では一切教えませんので、大の大人でも赤ん坊程度の知識しかありません。もちろん新聞テレビで教えるおカネの話にも、有名経済評論家の書くおカネの本にも、赤ん坊レベルの話しか出てきません。そのため、今申し上げた二種類のおかね違いを理解することは至難の技でしょう。

バランスシートを使わなければ、
おカネの仕組みは何一つ理解したことになりません。

もし、多くの人がこの違いを正しく理解できるなら、預金制度の本質も理解できますし、さらにはマネタリーベースとマネーストックも理解できるようになるはずだと思います。

えらく話が逸れましたがw、仮想通貨はあくまでビットコインのような、資産として発生させるタイプの電子通貨にのみ与えられるべき名称です。そして、技術的にブロックチェーンを用いたとしても、その本質が「前払い式決済手段」の場合は、そうであることが明確にわかるような名称にすべきでしょう。「BC電子マネー」とか(従来の電子マネーは「電子マネー」のまま)。

ブロックチェーンはあくまで通貨システムを担う「技術」に過ぎませんので、新聞テレビと一緒のレベルで騒いでは、頭が混乱するだけです。

2018年3月5日月曜日

金融正常化って意味わかってるの?

新聞テレビは「金融正常化(出口戦略)」なんてしたり顔で書いてますが、何がどんな理由で「正常化」なのか説明しません。意味も明確にせず「正常化」というお題目を唱えるだけです。

新聞テレビでは「金融正常化」と言うものの、何をどんな理由で正常化するのかきちんと説明した記事を見たことがないですね。日銀の資産が大きすぎると書いてあっても、そもそも日銀の資産が大きいと何が問題なのか不明です。これでは多くの人は今の金融の何がどんな理由で「非正常」なのかわからないでしょう。

なので、説明しようと思います。日銀の資産つまり保有国債が多いこと自体には何の問題もありません。なぜなら、それは日銀の供給している現金の量がそのぶんだけ増えているに過ぎないからです。何しろ政府の借金によって世の中に現金が供給されるのが現代金融の基本的な仕組み(管理通貨制度)なのですから、日銀の資産は通貨発行残高(マネタリーベース)を意味しているに過ぎません。

問題はその先です。増えた現金(マネタリーベース)によって、市中銀行からの貸し出し(マネーストック)がどんどん増え続けるリスクがあるのです。とはいえ、もとより、デフレを脱却するために現金の量を増やし、貸し出しを促進しようとして日銀が「量的緩和」を行ってきたのですから、貸し出し(マネーストック)が増加しなければ困るわけです。

ただし、貸し出しが増えすぎると、これまた困る。需要が増大し、モノが売れすぎて景気が過熱することでインフレになってしまいます。また資産バブルがどんどん膨張してしまいます。これは次なるバブル崩壊のリスクを拡大します。ちょうど良い具合に貸し出しが調整されれば良いわけですが、そんなもの人類の過去の歴史で成功したためしがありませんw。

話が逸れましたが、現金(マネタリーベース)が多いと、貸し出し(マネーストック)が増えすぎる恐れがあるというのが問題なのです。場合によっては貸し出しの増加を止められなくなり、インフレが止まらなくなります。なぜか?市中銀行が信用創造によって保有現金(マネタリーベース)の何倍ものおカネ(マネーストック)を貸し出すからです。これがバブル経済の根本的な原因となります。

つまり、これが「非正常」と呼ばれる原因なのです。
しかし新聞テレビからそんな話は一言も出てこないでしょう。
「正常化のお題目を連呼する」

では貸し出し(マネーストック)が暴走することを抑える方法は無いのか?その一つが増やしすぎた現金(マネタリーベース)を減らすことです。これを新聞テレビでは「出口戦略」と呼び、「金融正常化」と呼ぶのです。これを実行するのは結構至難の業です。しかし、それしか方法が無いわけではありません。

もう一つの方法は、市中銀行が現金(マネタリーベース)を「何倍にも膨らませて」貸し出す行為(信用創造)を抑制することです。そもそも、現金を、いわば勝手にふやして貸し出すこと、そのものが正常とは思われません。そんなことをすれば、世の中のおカネの量をコントロールできなくなるのは当たり前です。つまり、これ(信用創造)を正常化するのが、もう一つの方法です。

そしてその方法こそが「100%マネー制度」であり、マネタリーベース量=マネーストック量にすることで、現在の金利政策とは比べ物にならないくらい正確に世の中のおカネの量(マネーストック)をコントロールすることができる制度でもあるのです。

ところが、新聞テレビには後者の方法論はまったく出てきません。多くの場合、最初の方法論すらきちんと説明しないのですから、一般国民は知る由も無いのです。

そして、言葉遊びのように「出口戦略」「金融正常化」というイメージ用語だけが新聞テレビに飛び交っているわけです。こんな世の中で、経済が良くなって、人口が増えるなんて夢のまた夢ですね。


2018年3月2日金曜日

「緊縮主義」は一つのイデオロギー

経済イデオロギーには大きく資本主義と共産主義があると考えられていますが、それだけではありません。資本主義でも共産主義でもない「緊縮主義」という強力なイデオロギーがあると思います。

「緊縮主義」は資本主義でも共産主義でもありません。まったく別のイデオロギーです。そして緊縮主義は右派・左派を問わず、その両方に共通して存在しています。その証拠に現在の野党は緊縮主義です。そのイデオロギーの特徴は「通貨供給量を絞ること」です。

ところで現在の資本主義には、リフレ派とケインズ派の二大派閥があり、対立しているものの、どちらも通貨供給量(マネーストック)を増やす立場にあります。なぜなら、リフレ派の主張する量的金融緩和政策は民間借り入れの促進により通貨供給量を増やしますし、ケインズ派は政府の借り入れ増加により通貨供給量を増やします。どちらもマネーストックを増やします。

それに対して、緊縮主義はマネーストックの増加に反対しています。すなわち、量的緩和に反対し、財政出動にも反対しています。つまり、いわゆるリフレ派ともケインズ派とも正反対立場にあるわけです。緊縮主義は「現代の資本主義とはかなり違う考え方」であるとわかるでしょう。

おカネを増やせばインフレになります。資本主義の主流の考えによれば2~3%程度の低インフレが良いとされています。にもかかわらず、おカネを増やさすことに猛反対するのですから、「資本主義というより何か別のイデオロギーである」と考えるべきです。

緊縮主義の本質は拝金主義も同然です。

彼らはインフレを極度に嫌いますから、おカネの価値が最優先にあることは間違いありません。おカネの価値を至上と考えるのですから、これは「拝金主義」と言えると思います。そして通貨供給量を絞れば必然的にデフレーションが発生しますが、緊縮主義の人々はこれを容認あるいは積極的に評価する傾向を示します。その結果として生じる円高も良いものだと歓迎します。

こうして少し考えると、緊縮主義は資本主義でも共産主義でもない、まったく別の経済イデオロギーだとわかります。通貨供給を絞って貨幣価値の維持を最優先する主義です。円の貨幣価値を維持することで、円が「安全資産」となり、マネーゲーム投機筋の駆け込み寺として1%の支配層に歓迎されるでしょう。新聞テレビは、間違ってもそんな主張はしないでしょうね。何しろ緊縮主義の総本山は財務省ですから。

そして共産主義が市場経済を否定して失敗したように、同じく緊縮主義も通貨の不足により市場の機能を損ない(=経済のデフレ化)、共産主義と同様に人々に不幸をもたらすと思われます(実際、失われた20年で不幸をもたらして来た)。

市場経済の機能を軽視し、カネの価値をひたすら信じる「緊縮主義=拝金主義」が日本を覆えば、日本は「後生大事にカネを抱え込んだまま」、ずぶずぶと三流国へと没落してゆくのです。



2018年2月27日火曜日

働き方改革が危険な理由

働き方改革は「働き方改革」だけでは評価できません。「働き方改革+好景気」なら良いですが、「働き方改革+緊縮財政」になると、働き方改革が地獄の一丁目になるリスクが高いからです。

新聞テレビは働き方改革を「多様な働き方」を実現するとして、「労働者のため改革」であると報道します。その一方、企業の立場からの見方、すなわち「多様な雇い方」「使い勝手の良い雇用改革」を報道しません。このような一面的な見方のみを取り上げるのは、いつもの新聞テレビの手法です。

「多様な働き方」そのものを否定するつもりはありません。もちろん現在の安倍政権の提示するような働き方改革はまるでダメですが、労働するかしないかまで含め、「労働に対して自由な立場で生活できる社会」にする必要はあると思うからです。

しかし、安倍政権の働き方改革のように、あたかも労働者のためであるような顔をして、実際には企業のために都合の良い労働者を提供するような結果を導きかねない欺瞞を見過ごすことはできません。

最も大きなリスクは「景気」です。

実のところ、景気が絶好調になり、労働者にとって売り手市場(労働者有利)になるとどうなるか。労働者は引く手あまたの状態になりますから、こうした状況で「多様な働き方」があったなら、労働者にとって最も良い働き方を選択することができます。これが理想です。

しかし逆に緊縮財政がすすんで景気がデフレ不況になり、労働者にとって買い手市場(企業有利)になるどどうなるか。仕事の数が減って労働者が余った状態になります。こうした状況で「多様な働き方」があったとしても、労働者にとって有利な働き方を選択することは難しくなり、より厳しい働き方を選択せざるを得なくなります。仕事しなければ生活できないからです。多様な仕事とは、当然ながら労働者に不利な仕事も含まれます。つまり多様な働き方は逆効果になるリスクがあります。

例えば、不況になった場合。多様な働き方として、脱時間給のように成果が出なければ(=会社の売り上げが増えなければ)、何時間働いても賃金が増えないという働き方が蔓延すれば、賃金は法定最低賃金に向かって下がり続けるリスクがあるのです。

つまり「働き方改革」の効果は景気に左右される。

だから働き方改革は働き方改革そのものでは評価できないのです。「働き方改革+好景気」なら悪いことではないのですが、「働き方改革+不況(緊縮財政)」になると、働き方改革が地獄の一丁目になる可能性が高いのです。

もちろん、このまま景気回復の傾向が続けばいいでしょう。しかし安倍政権の後はどうなるか?緊縮と不況が待っています。オリンピック景気が終了し、消費税が増税される。しかも自民党内は「財政再建・金融引き締め・緊縮派」が権力を狙って蠢いており、次期政権は緊縮のリスクが高い。おまけに野党はそろって「財政再建・金融引き締め・緊縮派」だ。

すなわち、安倍政権以後に日本の景気が再びデフレ不況に落ちてゆく可能性が高い状況において働き方改革を行うことは、大変にリスクが高いと思われるのです。

野党は今こそ安倍政権の働き方改革に対して、ヘリコプターマネーによる永続的な景気の引き上げを交換条件として突きつけるべきです。景気が良くなれば、働き方改革が労働者に不利になることはないからです。


2018年2月26日月曜日

オリンピックは国境を越えるという欺瞞

オリンピックは素晴らしいものだし、アスリートの競技や観客の応援に何らケチを付ける気はありません。ただし新聞テレビが報道する「オリンピックは国境を越える」的な記事に欺瞞を感じるのです。

国と国の関係が良好ではない二つの国の選手が互いの健闘をたたえあう友情、外国の選手にも送られる声援。それらは感動的で素晴らしいものです。しかし、それをして新聞テレビが「オリンピックは国境を越える」的な記事を書く。おそらく彼らは「そういう記事を書くものだ」という常識だけで、漫然と記事を書いているに過ぎないでしょうが、もし彼らがもっと深く考えるなら、そこに欺瞞が存在することに気付くはずだと思うのです。

そもそも人と人の競技あるいは交流、友情といった関係には国境など関係がありません。国境を越えたのではなく、最初からボーダー(境界線)はないのです。国境がない分野において「国境がある」がごとく考えていた人は、多国間の交流や応援は「国境を越えた」と驚く事態かも知れませんが、そもそも国境はないのですから当たり前です。

逆に言えば、人々の交流や友情に国境があると考えるのは、政治的な洗脳・強要が行われることで「国境に分断されている」と人々が思い込んでいるだけに過ぎないと思います。外国とは単に地理的に遠いために交流の機会が少ないだけでしょう。

なぜ国境がないのか?競技、交流や友情を行う人々の間で「利害関係は対立していない」。利害関係の対立のない人々の間ではボーダー(境界線)はないし、必要もない。だからボーダーを意識することはありません。互いに競技で争っているので利害があるようにも見えますが、実際、競技に負けて不利益を被るわけではないですし、勝ったからといって敗者から搾取するわけでもありません。名誉を競うのであってそれは利害ではありません。だから最初から国境など関係ありません。

そして新聞テレビにおける「国境を超える」の報道には、「国境は悪いもの・撤廃されるべきもの」とのニュアンス(プロパガンダ)が強く含まれています。ここには政治的なメッセージが強くにおいます。

では、国境を越えて、国境がなくなるとオリンピックの競技のように素晴らしい社会になるのでしょうか?シリア国内では多数の派閥が勢力争いをしています。それぞれの派閥には「国境」(ボーダー)が存在しません。仮に派閥ごとに国境で分割すれば少なくとも殺し合いに終止符は打たれるはずですが、あくまで国境(ボーダー)は設定しない。あくまで分断はせず、だれかが勝者となって唯一無二の指導者になり、統一しようとします。

なぜ人々は殺しあうのか?彼らは「利害関係が対立している」。利害関係の対立している人々の間にボーダー(境界線)がなければ、地獄が生まれます。勝てば全てを得て、負ければすべてを失う。ゼロサムゲームの世界。そんな関係に競技、交流や友情などあり得ないでしょう。

つまり国境は最初から関係ありません。人々を分断し、世界に対立を引きこす原因は国境ではなく「利害関係」であり、その大部分は「経済格差」だと思われます。しかし仮に人々の間に経済格差がなくなったとしても、政治的な洗脳・強制(プロパガンダ)が存在すれば、それは人々の間に本来は発生することがないはずの「不自然な国家間の対立」を生み出す原因になると思います。例えば歴史問題のように。

新聞テレビは漫然と「オリンピックは国境を越える」と記事にしますが、自分は胡散臭さを覚えざるを得ないのです。

2018年2月23日金曜日

マイナス金利に文句あるなら引き出せば?

新聞は「マイナス金利で銀行の利益が圧迫されている」と言うが、なぜ新聞マスコミがデフレ脱却よりも銀行の利益の心配をするのか。銀行がマイナス金利に文句あるなら、日銀から預金を引き出したら良いでしょうw。引き出してしまえば、マイナス金利は関係ありませんからね。

ところで一般に、預金者が銀行の預金を大量に引き出せば「取り付け騒ぎ」が発生します。銀行は閉鎖されてしまいますね。しかし銀行が日銀の当座預金を引き出しても取り付け騒ぎは起きません。なぜなら日銀は、印刷さえ間に合えば、預金の全額を紙幣として出すことができるからです。というのも、日銀当座預金はすべて現金だからです(100%マネー)

一方、市中銀行の預金はその一部が現金であるに過ぎません(大部分は現金の預け入れとは無関係に信用膨張で発生した預金)。だから常に「現金の量>預金の量」の関係にあり、従って預金者がすべてを現金で引き出そうとすることは「最初から不可能」な制度なのです。

その点、日銀の預金は全て現金なので引き出し可能です。

ですから、そんなに銀行がマイナス金利に不満あるならば、日銀当座預金を引き出してしまったらどうでしょうw。引き出してしまえばマイナス金利でおカネが目減りする心配はありません。引き出した紙幣を銀行の金庫の中に保管すれば良いのです。しかしそんなことをする銀行はありません。

では、なぜ銀行が日銀からおカネを引き出さないのか?おそらく最大の理由は銀行が「日銀の顔色を伺っている」、ということでしょうね。日銀としては紙幣がすべて引き出されたところで痛くもかゆくもありませんが(普通の銀行とは違うから)、メンツは丸つぶれでしょうw。民間銀行は銀行の親玉である日銀の機嫌を損なうと生きていけませんから、日銀の気分を害する行為はできません。

しかし、それだけではないでしょう。もし現金を引き出すと、当の銀行が損するからだと思われます。なぜなら、マイナス金利の対象とされる日銀当座預金は、その全額ではなく一部だけだからです。それどころか、マイナス金利の対象以外の預金については、プラスの金利が発生しているわけです。

なんと銀行は、日銀当座預金におカネがあるだけで
膨大な金利収入を「タダで」得ているのです。

もし銀行が日銀当座預金をすべて引き出してしまったら、マイナス金利はなくなりますが、同時にフリーランチ金利収入も得られなくなる。これならマイナス金利に不満があっても預金を引き出すわけにはいかないわけですね。

でも不満がある。
そこで新聞マスコミの出番ですw。「銀行の利益ガー」。

まあ、マイナス金利なんて姑息な手段はさっさと止めて、ヘリマネで国民の購買力を直接に引き上げたほうが、より確実に、より強力に脱デフレを推進できますよ。

2018年2月21日水曜日

甘ったれた感情論で日韓友好は実現しない

自分は韓国人に対してヘイトや嫌悪感情を持つことはありません。韓国には同情的な立場であり、むしろ日韓友好の真の実現を強く切望しています。しかし同時に、歴史問題に関する彼らの要求に譲歩するつもりはまったくありません。甘ったれた関係は無意味であり、対等あるいは競合相手としての日韓友好こそ真の友好であると考えています。

自分の立場から言えば、嫌韓トークやヘイトスピーチによって韓国人を攻撃する人々(右翼)も、逆に日本が譲歩して韓国を甘やかせる人々(左翼)も、日韓の問題を解決する事は永久に出来ないと考えています。つまり、韓国人を侮辱することも、逆に甘やかせることも、どちらもナンセンスだと思うのです。反発や攻撃をするのではなく、紳士的かつ毅然とした厳しい態度で、一切の甘えを許さない対応をすべきだと考えています。

慰安婦など歴史問題で日本は一歩たりとも譲歩すべきではありません。論理をもって徹底的に韓国の主張を撃破すべきです。むしろ積極的に韓国を論破するのです。そして、それこそが韓国人に「気付き」を与えることになるはずです。彼らを攻撃しても、甘やかせても、彼らは「感情的に反応するだけで、気付くことはない」と思います。感情から目を覚めさせるには、冷徹な現実を直視させることこそ最も大切だからです。ふと我に帰るとき、気付くのです。

自分達はいったい、何をしているのか?
本当に自分達の利益のために行動しているのか?

そして、アメリカ、中国、ロシアのような大国の軍事・政治のパワーゲームに翻弄される世界の現実に気付く必要があるのです。自国の世論は常に大国の干渉によってコントロールされています。マスコミを通じた情報・洗脳戦争の只中にいるのです。もし、自国の世論が自分達の考えや価値観だけで形成されたものだと信じているなら、極めてセンチメンタルに過ぎません。もちろんそれは日本でも同じことです。

そんな国際社会において、感情に振り回されていればどうなるか?まさに、大国の思うがままにコントロールされることになる。それに気付かなければ、感情に振り回され続け、大国を利し、自分達の生活を犠牲にするだけなのです。感情的になればなるほど、恐らく生活はますます酷いものになるでしょう。

感情で思考力を麻痺させられ、良いカモにされるのです。

本当の利益とは何か、生活を改善するには何が必要か?冷静に考えれば、気付くはずなのです。


2018年2月20日火曜日

中国民主化が朝鮮統一の必要条件

朝鮮半島の南北統一は素晴らしいことだし、是非にも実現して欲しいと思います。しかし南北友好の延長線に統一の実現があるとの甘い考えは、今すぐに捨てたほうが良いでしょう。現実を直視すべきです。

南北統一は素晴らしいし、民族が再び一つの国家になって欲しい。大賛成です。また南北の人々の交流も悪いことではない。どんどん盛んになって欲しい。しかし人々の交流と政府はまったく別の次元です。韓国の人々は北朝鮮の政治体制がどれほど自国とかけ離れているか冷静に考えた方が良いと思います。

韓国の中には、最近の北朝鮮の甘言に惑わされて、南北の人々の交流の延長線上に平和統一があるという、甘い気持ちの人々がいるように思われます。しかしこれは北朝鮮の独裁政権に力を与えることになり、北朝鮮政府が延命すればするほど統一はさらに遠くなるでしょう。なぜなら、北朝鮮の体制が崩壊することでしか南北朝鮮の統一はあり得ないからです。当然です。韓国は民主国であり、北朝鮮は独裁国なのですから。

そして、北朝鮮の体制が崩壊するかどうか、それはまさに中国にかかっています。それは歴史を振り返るなら容易に想像できます。

東西ドイツが統一できたのはなぜか?ソビエトの体制が事実上崩壊したためです。旧・東ドイツ政権を支えてきたソビエトの影響力が消失したためです。同様に、もし南北朝鮮の統一が実現するとすれば、それは中国の一党独裁体制が事実上崩壊し、民主国家に生まれ変わることが条件でしょう。今の北朝鮮は中国の後ろ盾によって支えられているのであって、もし中国が北朝鮮に関わらなくなれば、早晩、北朝鮮は体制を維持できなくなり、南北の統一は急速な実現に向かう可能性があるはずです。

ただし、北朝鮮は旧・東ドイツほど理性的な政治体制ではありません。共産党一党独裁よりさらに凄い「キム一家による独裁」体制です。ほとんど専制君主の国なわけです。こんな国と平和的に統一できると本気で考えている人が居るとすれば、理論的な判断力が欠落しているとしか思われません。

それにしても、中国が北朝鮮の体制を支持し続けている限り、南北朝鮮の統一があり得ないのは間違いありません。ですから南北統一にとって最も重要なことは「中国の政治体制の崩壊」すなわち「中国の民主化」でしょう。

残念ながら朝鮮半島の南北統一は、韓国や北朝鮮の人々の気持ちではなく、「中国・ロシア・アメリカによる軍事パワーゲーム」の結果で決まるという冷酷な現実があります。極めて不愉快ですが、これが国際社会の現実です。日本もそういう世界で生きているわけです。

韓国の人々には、この冷酷な国際社会の現実を見極め、あちこちのプロパガンダに振り回されることなく、現実的かつ理論的な判断を期待したいと思うのです。

2018年2月15日木曜日

仮想通貨・電子マネー・銀行預金のバランスシート

2018.2.15

バランスシートにおける仮想通貨の発行のしくみについて、電子マネー・銀行預金と比較しながら考えてみました。仮想通貨がまさに恣意的な「打ち出の小槌」となる可能性は否定できないと思います。

(じいちゃん)
今回は仮想通貨の発行のしくみをバランスシートで考え、電子マネーや預金通貨とどこが違うか考えよう。なお、バランスシートを使わずにそれぞれの違いを過去記事「仮想通貨・電子マネー・銀行預金の違い」で説明しておるので、始めにそちらを読んで欲しいのじゃ。

さて、まず始めは何度も説明しておる銀行預金の発行のしくみを考えてみるのじゃ。銀行預金は市中銀行が発行する準・法定通貨じゃ。預金は銀行が企業や家計などに貸し出しを行う際に発行する。



※図が見にくい場合は本編サイト記事でご確認ください。

A)預金の発行前の状態においては、銀行にも企業・家計にも預金はない状態じゃ。B)例えば銀行が1000円の貸し出しを行う場合、①銀行が預金通貨1000円を発生させて企業・家計に貸し出しを行う。銀行にとって預金は「預かり金」を意味するので負債に計上される。一方で家計や企業にとって預金は資産じゃ。②銀行は貸し出しをしたので貸出債権(貸出金)1000円が資産として計上され、それに対して企業は銀行からおカネを借りたので負債として借入金1000円が計上されることになる。このようにして、A)なにもない状態からB)1000円の預金通貨が発生したのじゃ。これによって世の中の預金が1000円増加する。

C)もし企業・家計が借り入れを返済しようとすればB)とはまったく逆の操作になる。①企業・家計は返済として預金1000円を銀行に支払うことになり、おカネを返したわけじゃから企業・家計の借入金1000は消える。②預金1000円が銀行に返済されると銀行の貸出債権と相殺される、つまり預金1000円は消えて、同時に貸出金1000円も消える。こうしてA)元の何もない状態にもどるわけじゃな。預金は「借りては発生し、返しては消滅する」を繰り返しておるのじゃ。なお、実際には企業・家計が銀行に返済する際は利息も銀行に支払うのじゃがここでは省略する。

(ねこ)
ふにゃ、「借りては発生し、返しては消滅する」預金というおカネって何度聞いても変な気がするにゃ。まあいいですにゃ、ところで電子マネーの場合はどうなのかにゃあ。

(じいちゃん)
電子マネーは前回説明したとおり「前払い式支払い手段」と呼ばれるもので、マネーと言っても商品券と同じ分類になる。電子マネーは銀行ではなく一般の企業が発行することが可能じゃ。



A)電子マネーを発行する前の状態は、企業や家計が預金をすでに持っている状態からスタートする。B)例えば電子マネーの発行元が1000円の電子マネーの発行を行う場合を想定する。①企業・家計の人が1000円分の電子マネーをカード等にチャージしたい希望すると、企業・家計の預金の1000円が発行元に支払われて発行元の資産に計上される。②代わりに発行元が電子マネー1000円を発行し、企業・家計のカード等に電子マネーがチャージされて利用可能な状態になるんじゃ。同時に、発行元の負債に電子マネーが計上される。これは発行元からすると預金を電子マネーとして預かった状態にあることを意味する。一方、企業・家計から見れば、自分の預金と電子マネーを交換した恰好となる。

この場合は世の中の預金の量は増えも減りもしない。預金が企業・家計から発行元に移動するだけじゃ。そして世の中の電子マネーの量は1000円分だけ増える。もし広い意味で電子マネーをおカネだと考えるなら、預金と電子マネーの両方を合計すると世の中のおカネの総量が増えたことになるじゃろう。しかし電子マネーを売ることで発行元が入手した預金1000円は発行元が自由に使えるおカネではないんじゃ。なぜなら電子マネーがお店(加盟店)で使われた後で、お店から電子マネーと預金の交換を求められるからじゃ。つまり「預かり金」として預金が発行元に固定化され(流動性がない)、その預金の代わりに電子マネーが出回るという寸法じゃ。

例えば、C)電子マネーをチャージした企業・家計の人が電子マネーの加盟店から商品を買ったとしよう。その際、企業・家計のカードから電子マネーが加盟店に移動する。D)その後、加盟店は電子マネーの発行元に対して預金の支払いを請求することになる。①加盟店が電子マネー1000円を発行元に返却し、その時点で電子マネーは消えることになる。②そして発行元は預金1000円を加盟店に支払うわけじゃ。ただしその際に発行元は加盟店から電子マネーの利用料金を受け取るのじゃが、ここでは省略しておる。

(ねこ)
電子マネーはあくまでも預金の代わりとして利用されているだけなんだにゃ。預金を預かって、代わりに電子マネーを渡しているのにゃ。だから電子マネーを発行することは世の中のおカネの流通量を増やすことにはならないんだにゃ。

(じいちゃん)
ちなみに預かり金と言えば銀行の「預金」を連想するが、実際には銀行の預金は預かり金ではない。もし預金が預かり金であるなら、世の中の預金が増えるためにはあずかる元になる現金が先に増えるはずじゃ。増えた現金を預けるから「預かり金が増える」ことになる。しかし実際には世の中の現金が1円も増えなくても、銀行が貸し出しをすると預かり金であるはずの「預金」が増加する。これを信用膨張という。よって銀行預金はバランスシート上では預かり金の形になっているが(銀行の負債)、実際には預かり金ではない。

一方で電子マネーはまさに預かり金じゃ。電子マネーが増える際には、必ずおカネが発行元に預け入れられることになる。電子マネーだけが勝手に増えることはない。しかし、もし発行元が銀行と同じように電子マネーを「貸し出し」するとどうなるか?この場合はおカネがまったく預け入れられなくとも、預かり金であるはずの電子マネーが膨張する。これが信用創造の本質じゃな。ただし一般の電子マネーの発行元がこれをやれば加盟店に支払うための預かり金が不足して取り付け騒ぎになり、牢屋にぶち込まれることになるじゃろう。

(ねこ)
なるほど、おカネの仕組みは複雑だにゃ~。

(じいちゃん)
仮想通貨の場合は預金通貨や電子マネーとはまるで違うんじゃ。



A)仮想通貨は貸出やチャージの際に発生するわけじゃなく、仮想通貨の発行元がまず最初に発行する。おもちゃの紙幣を発行するのと同じことで、発行だけなら誰でもできる。ただし発行したばかりの仮想通貨は価値がゼロじゃ。A)例えば仮想コイン10万枚(時価=0円)を発行したとしよう。B)発行元は仮想コイン10万枚を市場で売りに出す。いくらで売れるかは市場原理で決まるわけじゃ。例えば①コイン10万枚を企業や家計が1000円で買ったとすると、②企業・家計が預金1000円を発行元に支払い、発行元は仮想コイン10万枚の売り上げとして預金1000円を資産に計上する。企業や家計は預金の代わりに仮想通貨1000円分を資産として手に入れる。さてここからが仮想通貨と電子マネーの大きな違いじゃ。

発行元が入手したおカネは、電子マネーを販売した際のような「預かり金」ではなく、売上金に該当するんじゃ。例えばおもちゃの紙幣を製造してそれが売れれば売り上げになるのと同じじゃ。従って③この売り上げは発行元の利益となり「純資産」に剰余金として計上されるわけじゃ。従ってこのおカネは発行元がすべて自由に使うことができる。

(ねこ)
ふにゃ~、なんだか発行元は丸儲けなんだにゃ。

(じいちゃん)
確かにそれは言えるじゃろうな。電子マネーが預かり金であったのに対して仮想通貨は売り上げ利益になる。仮想通貨が商品とされるからじゃ。しかし仮想通貨の発行は、本質的には何らモノやサービスといった価値を生産しておらん。じゃから世の中の富は一切増えておらんのじゃ。にも関わらずに仮想通貨を販売して利益を得ることを放任すれば、特定の個人や集団にだけ利益を与えることになる。おかげで仮想通貨としての本来の機能よりむしろ投機ゲームの対象商品となっておる。これは公共の利益に寄与すべき通貨の責務から逸脱しておる。こうした点には注意が必要じゃろう。

ところで仮想通貨を発行した場合は世の中のおカネの量が増える可能性が高い。というのも、電子マネーの発行と異なり、発行元が入手したおカネはすべて発行元の利益なので自由に使うことができるからじゃ(流動性が高い)。また仮想通貨はもともと仮想通貨を使った取引を行うことが前提じゃから、これも自由に使うことができる。しかも電子マネーが発行元に戻って消滅する仕組みになっておるのに対して、仮想通貨は一旦発行されると消滅することはない。じゃから仮想通貨によって世の中のおカネの量は増えるんじゃ。

その点では、仮想通貨は政府通貨に近い存在じゃ。政府通貨は政府が発行する通貨であり、貸し出しや預金の預かりをせずとも通貨が発行されるし、一旦発行されると基本的に消滅することはない。じゃから政府通貨を発行すれば世の中のおカネを増やすことができる。政府通貨が仮想通貨と違う点は、法定通貨として「政府通貨1円=現金1円」の関係が政府によって最初から法的に保証される点じゃな。

ところで、仮想通貨を発行しても世の中の預金の量は変わらない。預金は仮想通貨を買った人から仮想通貨の発行元に移動するだけじゃからのう。世の中の預金の量が増えるのはあくまでも市中銀行が貸し出しを行った場合(預金の信用創造)だけじゃ。

(ねこ)
うにゃ、ややこしいにゃ。もっとややこしいことに民間銀行が独自の仮想通貨を発行する話があるにゃ。民間銀行の仮想通貨とビットコインなどの元祖・仮想通貨は何が違うのかにゃ。

(じいちゃん)
民間銀行の仮想通貨はまだ実施されておらんのであくまで予測じゃが、どうやら銀行の仮想通貨は仮想通貨1単位=1円という交換レートになるらしいの。とすればこれは電子マネーと同じ「前払い式支払い手段」である可能性が高い。では電子マネーと何が違うかと言えば、送金の仕組みに仮想通貨と同じ「ブロックチェーン」技術を利用する点じゃ。これをもって民間銀行は銀行の仮想通貨を「仮想通貨」だと呼んでおる。しかし実態は電子マネー(前払い式支払い手段)じゃから、デジタルに弱い人から見ると実にややこしい存在じゃのう。



さて、バランスシートを考えてみよう。そもそも銀行は預金通貨の発行元じゃから、一般の企業が電子マネーを発行する場合と少々異なるじゃろう。例えばA)銀行の仮想通貨を発行する前、企業・家計が資産として1000円のおカネを保有しているとすれば、それに対する負債として銀行には1000円の預金が必ず存在する。これは企業・家計が銀行におカネを預けているような形になっている。そこでB)企業・家計が仮想通貨を要求すると、銀行が仮想通貨を発行して預金と仮想通貨を交換する形となる。つまり①企業・家計の保有する預金と銀行の負債である預金が消滅し、代わりに②銀行が仮想通貨1000円を発生して企業・家計に仮想通貨を渡すことになる。

これにより、銀行は負債としての預金の量が減って負債としての仮想通貨の量が増えることになる。負債の総額は変化しないが、銀行にとってはメリットがあるのじゃ。なぜなら預金に対して銀行は預金者に金利を支払わねばならない。現在の預金金利はほぼゼロじゃが、それでも巨額の預金があれば支払利息は馬鹿にならんじゃろう。一方で仮想通貨の保有者に対して金利を支払う必要はない。つまり銀行は預金が減って仮想通貨が増えるほど金利負担が軽くなって利益が出易くなるわけじゃ。

(ねこ)
なるほどにゃ~、もしかすると銀行は預金者に支払う金利を節約するために仮想通貨を推進したいのかも知れないにゃあ。

(じいちゃん)
ほっほっほ、そこらへんは何ともワカランのう。しかし仮想通貨を利用すればシステムの維持費が削減される分だけ手数料が安くなるから、それは銀行にとってだけじゃなくワシら一般人にとってもメリットになるじゃろう。

とまあ、今回は仮想通貨のバランスシートを、預金通貨、電子マネー、銀行の仮想通貨と比較してみたのじゃ。一口に「おかね」と言っても、バランスシート上も大きな違いがあることがお分かりいただけると思う。悪意のある連中に騙されんように、ワシらはおカネについて十分に理解する必要があるのじゃな。さて、次回は仮想通貨の課題とあるべき仮想通貨の姿について考えてみたいと思うのじゃ。

(本編サイトにも同時掲載)

2018年2月14日水曜日

北朝鮮の悪事の後始末は統一朝鮮が負う

韓国が北朝鮮の策略に載せられて人権や核兵器をウヤムヤにしそうな気がします。もしその責任は自分達にないと韓国が考えているのだとすれば大間違いでしょう。北朝鮮がなくなっても責任が消えるわけではありません。韓国にとって北朝鮮の悪事は他人事では済まされません。

北朝鮮との融和ムードに目をくらまされ、もしかすると韓国の中には「北朝鮮の悪事は自分達と関係ないから好きにやらせておけばよい」と考えている人がいるかも知れません。もしそうなら、これは韓国の人々の判断を誤らせる原因になるかもしれないと危惧しています。

例えば最悪の場合、北朝鮮が核ミサイルを日本や中国に撃ち込んで甚大な被害を出し、その後に北朝鮮が崩壊して統一朝鮮が誕生したとすれば、その北朝鮮の核ミサイルの被害の責任を誰が負う事になるのか。北朝鮮政府が消滅したのだから関係ないでは済まされません。統一朝鮮が責任を負う事になります。

それはそうでしょう。日本の場合もそうでした。日本は敗戦後にアメリカに占領されて、憲法を始め、あらゆる制度が強制的に変更されたわけです。つまり、旧日本政府は倒れて消滅し、まったく違う日本政府が作り出されたのです。しかし戦争によって多くの国に被害を与えたため、その責任は新しい政府に引き継がれることになったわけです。

つまり、北朝鮮が働いている悪事の数々は、すべて統一朝鮮に引き継がれることになるのです。こうした厳しい現実をしっかりと認識するなら、北朝鮮の動向に無関心ではいられないでしょう。今からでも北朝鮮が諸外国に対して被害を与えようとする行為を全力で阻止しなければならないはずです。

もちろんそこまで単純ではありません、実際には駆け引きとか、パワーバランスとか、国際関係のどろどろした汚い部分で決まるからです。しかし、北朝鮮が仮に大問題を引き起こしたなら、それは統一朝鮮の責任に引き継がれるのです。

しかし、驚くことにこうした基本的な部分を新聞マスコミが報道することはありません。おそらくお得意の「見て見ぬふり」でしょう。このことに気付かないはずがないからです。厄介ごとには関わらない、騒ぎになるまで放置するのでしょう。


2018年2月9日金曜日

仮想通貨・電子マネー・銀行預金の違い

2018.2.9

仮想通貨・電子マネー・預金通貨の違いについて、技術的な側面からではなく、発行と流通のしくみ(おかねとしての本質)から考えてみました。おかねの本質を考える上での一つのヒントにして頂ければと思います。

(ねこ)
ふにゃ~、最近は電子マネーやら仮想通貨やら種類が多すぎて、一体何がどう違うのかさっぱりわからないのにゃ。それらは「おカネ」といわれているけど、本当におカネなのかにゃあ。

(じいちゃん)
ほっほっほ、まったくややこしい世の中になってきたのう。しかしこれは「おカネとは何か?」を多くの国民が真剣に考える大きな機会になると思うのじゃ。経済にとっておカネは重要じゃから、ワシらは何を差し置いてもまずおカネについて十分に理解することが大切じゃ。

さて、厳密におカネと言えば、それは現金のことじゃな。つまり政府が発行する「硬貨」と日本銀行が発行する「日本銀行券」すなわち紙幣だけじゃ。ただしこれらは日本銀行の当座預金として存在することもできるため、「日銀当座預金」という通帳のようなものに記載されている額も現金になる。現金による決済(支払い)は法的に有効とされ、だれもそれを拒否することはできない、これを「強制通用力」という。こうしたおカネを「法定通貨(法貨)」と呼ぶんじゃ。厳密に言えば政府や日銀が発行するおカネ「現金」だけがおかねと言える。

(ねこ)
ふにゃ、民間銀行(市中銀行)の預金通帳に記載されている預金はおカネじゃないのかにゃ。

(じいちゃん)
もちろん、銀行(市中銀行)の預金も政府が現金に準じるおカネと認めておるからおカネと言って間違いない。しかし、預金はあくまで現金から派生して出来たおカネであって現金そのものではない。預金はあくまで銀行の存在によって保証されているため、銀行が潰れれば預金はすべて消滅する。とはいえ、それでは誰も銀行など信用しないので、保険によって1000万円まで保障される仕組みになっておるが、全額は保障されておらんのじゃよ。それでも預金は法貨に準じる信用があるとされており、狭い意味では「現金」と「銀行預金」だけがおかねじゃ。じゃから狭い意味では電子マネーも仮想通貨もおカネではない。

(ねこ)
ふ~ん、電子マネーも仮想通貨も狭い意味ではおカネではないのにゃ。現金・預金でない限り正確にはおカネではない。でも広い意味ではおカネなのかにゃ。

(じいちゃん)
左様じゃ、というのも法律で決められたおカネでなくとも、おカネと似たような機能を持ち、おカネと同様に利用できるものがあるなら、それは広い意味では「おかね」と言えるじゃろう。じゃから広い意味では電子マネーや仮想通貨もおカネと言えるんじゃ。ただし、同じおカネと言ってもその仕組み(システム)は銀行預金、電子マネー、仮想通貨では大きく異なっておる。だから社会や経済に与える影響もそれぞれに違っておる。ワシらはおカネを利用者の立場からしか見ないから同じに見えるが、内情はまったく違う。じゃからその仕組みを正しく理解し、批判したり評価したりできなければならんのじゃ。そうしなければ「騙され損」するリスクを負う事になる。

(ねこ)
うにゃあ、世の中は油断ならないにゃ。おカネを使って良からぬことを企む連中がわんさといるんだにゃ。良からぬ事といえば、仮想通貨みたいに勝手におカネを発行すると偽カネ作り(通貨偽造)で捕まらないのかにゃ。

(じいちゃん)
素朴に考えるなら誰しもそう思うじゃろう。しかし法的に信用があるおカネは現金と預金だけじゃ。じゃからあくまでも日本銀行券に似たデザインの偽物を作れば通貨偽造(偽カネ作り)になる。これらは作っただけでも社会を混乱させるので有罪じゃな。

しかし、法貨と似ていないオリジナルの紙幣を誰かが「これはおカネだ」といって発行しても通貨偽造(にせカネ作り)にはならないんじゃ。玩具メーカーがおもちゃのおカネを印刷するのと同じ。だれもそんなものは信用しないからじゃ。ただしその紙幣を使って誰かに損害を与えるのであれば詐欺罪になるじゃろう。現金や預金と絡めば出資法や資金決済法などに抵触する可能性がある。しかしいずれも偽カネ作りではないのじゃ。

(ねこ)
う~ん、どうもしっくり来ないにゃ。

(じいちゃん)
そもそもおカネとはなんじゃろう。仮に誰かが「おもちゃの紙幣」を発行して、これを買う人が居たとしても、それは「おもちゃの紙幣」という商品を買うだけの行為に過ぎないんじゃ。だからおもちゃの紙幣を印刷することは商品の生産であって、違法でもなんでもない。だから仮想通貨を作ってこれを誰かに売ったとしても違法ではない。

そして、もし「おもちゃの紙幣」を使って商品の売り買いに応じる人がいたとしても、それは違法ではない。たとえば大昔は「貝殻」がおカネとして使われていたらしい。貝殻そのものにはほとんど価値は無いが、それをおカネとして利用できる。「商品を交換する手段として貝殻を利用しよう」という互いの合意、信用があれば成り立つんじゃ。同じようにおもちゃの紙幣であっても互いの合意と信用があればおカネとして利用することができる。こうしておもちゃの紙幣は「おカネ」になる。

とはいえ、おもちゃの紙幣は簡単に偽造できてしまうから現代社会では信用されない。だからおもちゃの紙幣が現実におカネとして利用されることはあり得ないのじゃよ。しかし例えば仮想通貨であれば偽造はほぼ不可能じゃ。じゃからおカネそのものの信頼性は高い。あとは「商品を交換する手段として仮想通貨を利用しよう」という互いの合意、信用があればおカネとして成り立つんじゃ。

(ねこ)
う~ん、法貨としてのおカネと広い意味でのおカネが頭の中でごちゃまぜになって混乱しているにゃ。それをわけて考えなくちゃダメってことなんだにゃ。難しいにゃあ。

(じいちゃん)
左様じゃ。狭い意味での法定通貨であれば、それは何も考えることなく「おかね」じゃ。単純明快で誰でもわかる。じゃが広い意味でのおカネとは「おカネとしての機能」から考えて判断するから難しい。極端に言えば合意と信用があれば何でもおカネとして利用できる。ケチャップでもおカネとして利用できる。

(ねこ)
ところで、銀行預金、電子マネーと仮想通貨の違いはなにかにゃ。

(じいちゃん)
おお、前置きがえらい長くなってしまったの。まず銀行預金じゃが、これは市中銀行が信用創造によって作り出すおカネじゃ。すでに本サイトで何度も説明しておるが、世の中に流通している通貨の大部分は現金ではなく預金であり、これは銀行が発行したおカネなんじゃよ。発行の仕組みはこうじゃ。ある企業がおカネを借り入れたいと銀行に申し出ると、銀行は預金を発生して企業の預金口座に振り込む。つまり貸し出しの際に預金が発行されることになる。従って逆に言えば、返済の際に預金は消滅するのじゃ。企業が借金を返済する際、預金は銀行に戻されると同時に消滅することになる。この仕組みは電子マネーや仮想通貨とまったく異なる。そして銀行が貸し出しをすると世の中のおカネの量(預金の量)は増加する。

ところで、預金はすでに電子化されていて、ほとんどが電子的に取引されておる。ワシらは銀行振込みで給料を受け取ったり商品を購入したりしておるが、それは預金を電子的に受け取ったり払ったりすることで成り立っておる。その点においては電子的に取引ができる電子マネーや仮想通貨と違いはほとんどないのじゃ。もちろん電子取引の技術的な仕組みは大きく異なっておるが、今回の主旨から外れるので技術的な違いは省略する。今回はおカネとしての本質的な違いを考えるのじゃよ。

(ねこ)
電子的に取引される意味では預金も電子マネーと同じだにゃ。何が違うのかにゃ。

(じいちゃん)
電子マネーは発行の仕組みが銀行預金と大きく異なる。あくまでも新たにおカネを作り出すものではないのじゃ。電子マネーは法律的に「前払式支払い手段」であり、商品券と同様とされておる。ただし支払い手段として利用できる点はおかねに似ているから、広い意味ではおかねだと言えるじゃろう。発行の主体は銀行ではなく一般の企業が発行元になる。発行の仕組みはこうじゃ。誰かが電子マネーを買いたい(チャージしたい)と要求すると、電子マネーの発行元が現金・預金と引き換えに同額の電子マネーを発行して渡す(カードに書き込む等)。発行元がこのときに受け取った現預金は売り上げではなく預かり金じゃ。ここがポイントじゃよ。

売り上げ金だったら、このおカネは発行元の好き勝手にできるが、そうではないのじゃ。この電子マネーを使って誰かがお店(加盟店)から買い物をした後で、お店はお客から受け取った電子マネーを現預金に替える必要がある。電子マネーのままだとお店の経費や給料を仕入先や従業員などに支払うことはできないからな。じゃから発行元に電子マネーと現預金の交換を求めてくるんじゃ。その時のために預かったおカネを保管しておかねばならんのじゃよ。そしてお店が電子マネーと現預金を交換する際にお店から支払われる利用手数料が発行元の売り上げになるんじゃ。元に戻ってきた電子マネーは用済みになって消えることになる。

(ねこ)
うにゃ、電子マネーを発行するといっても、発行元は現金・預金を預かっているだけなんだにゃ。そういう意味じゃおカネは発行していないと言えるにゃ。

(じいちゃん)
そうじゃな、今のところ電子マネーはあくまでも消費者がお店から商品を買うときに使えるだけじゃ。お店は電子マネーをそのまま仕入先や従業員への支払いに使えない。電子マネーを発行しても、その分だけ預かり金として発行元に保管される預金が増えるだけじゃから、いくら電子マネーを発行しても自由に流通するおカネの量が増えることはないのじゃ。

(ねこ)
そうかにゃ、んじゃ仮想通貨はどうなのかにゃ。

(じいちゃん)
仮想通貨はさっきの話しに出てきた「おもちゃの紙幣」に近い存在じゃ。つまり仮想通貨の発行は商品の生産のようなものじゃよ。発行の仕組みは単にそれを作り出せば発行したことになるんじゃ。銀行預金のように誰かに貸し出す際に発生するとか、電子マネーのように誰かの現預金を預かることで発生するんじゃない。おもちゃの紙幣と同じで、単に仮想通貨を1000単位なら1000単位つくるだけ。ただし作っただけでは価格が何も決まらない。市場取引において「仮想通貨1000単位を10円で買います」という人がいると、取引が成立して仮想通貨1単位=0.01円と仮想通貨の価格が決まるんじゃ。だから仮想通貨の価格(=現金との交換レート)は市場原理によって常に変動する。

それに対して預金はそもそも法定通貨と同様だから現金と同じ価格なのは当たり前じゃな。預金1円=現金1円は当然なんじゃよ。また電子マネーはあくまで預かり金じゃから、電子マネー1単位=1円は当然なんじゃ。これが勝手に増えたり減ったりすると、預けている意味がないからのう。

(ねこ)
うにゃああ、仮想通貨は銀行預金や電子マネーとは似ても似つかないんだにゃ。なのに、なぜ「おカネ」と考えられているのかにゃ。

(じいちゃん)
さっきも貝殻のおカネで説明したとおりじゃ。つまり「仮想通貨はおカネである」と互いに合意してモノやサービスの売買に応じる人が居れば、それはおカネとして機能するんじゃ。仮に仮想通貨を現預金と交換しない前提の場合でも、その仮想通貨で売買に応じる人が居ればそれだけで通貨として機能する。とはいえ仮想通貨を商品の売買に利用する人はまだまだ限られておるから、お店などは電子マネーと同じように現預金との交換を前提として受け入れているのじゃ。そこで現預金との交換レートが重要になってくるわけじゃな。

しかし現預金に替えることを前提とする場合、仮想通貨にあまり急激な価格変動があると困ってしまう。確実にレートが上がり続ければ良いが、下がった場合は下手をすると赤字になってしまうからじゃ。その意味では仮想通貨は不安定な存在じゃな。しかし価格が安定してくれば、おカネとしても安定して利用可能になるじゃろう。そして電子マネーがあくまでも預かり金と引き換えに発行されるのに対して、仮想通貨は無制限に発行できるから、爆発的に世の中のおカネが増える可能性があるのじゃよ。

(ねこ)
仮想通貨を発行することは、おカネを発行することになるのかにゃ。

(じいちゃん)
その通りじゃ。仮想通貨が普及してくると世の中のおカネの量が爆発的に増える可能性がある。それはなぜじゃろうか。仮想通貨の発行段階での価値はゼロじゃ。これを誰かに売ると発行元は現預金を手に入れる。これは預かり金ではなく売り上げに該当するじゃろう。じゃから発行元はこの現預金を保管することなく自由に運用することができる。加えて、市場に出回った仮想通貨が取引に利用されるようになると、これは事実上おカネとして機能することになる。じゃから、仮想通貨の発行分だけ世の中のおカネが増えることになるんじゃ。

おまけに、もしある仮想通貨が非常に大きい信用力を持つようになるとどうなるか?その仮想通貨の発行元は仮想通貨を新たに発行するだけでモノやサービスを買うことができてしまうじゃろう。カネを発行しただけで何でも買える、つまり特定の個人(あるいは集団)が通貨発行益を私的に独占するようになる可能性もあるのじゃ。

もちろんそれは仮想通貨による取引が活発になり、仕入れや賃金の支払いまでもが仮想通貨で行われるようになった段階での話じゃ。今は仮想通貨の値上がり益を目論んだ仮想通貨そのものの転売が主流じゃから、発行元が丸儲けする異常な事態はあるものの、まだ社会全体に及ぼす実質的な影響はかなり小さいと言えるじゃろう。

(ねこ)
にゃるほど、今まではおカネと言えば「法定通貨」のことだったから、おカネを発行するのは日銀や市中銀行だけだったにゃ。でも今や仮想通貨みたいに「法定通貨とは無関係のおカネ」が出現して、ある意味では誰でもおカネを発行できる世の中になったんだにゃ。すると無制限におカネが増え続ける可能性もあるんだにゃ。これからどうなってしまうのかにゃ。

(じいちゃん)
ほっほっほ、これは笑い事では済まされないかも知れないのう。法定通貨を含めて通貨の大競争時代になるかもしれない。じゃが法定通貨は法治国家における契約や経済の基盤を担う制度じゃから、法定通貨が無意味になれば法律も無意味になる恐れがある。政府は私的な仮想通貨に負けない機能性の高い通貨システムを国民に提供し続ける義務があるじゃろう。

そのためにはベーシックインカムが重要になると考えておる。つまりベーシックインカムをシステムとして組み込んだ「政府仮想通貨」が必要とされる時代になると思うのじゃ。その構想についてはまた後日に述べたいと思うのじゃよ。

(ねこ)
そういえば、銀行が仮想通貨を計画していると聞くにゃ。銀行の仮想通貨は1単位=1円になるらしいけど、ビットコインのような仮想通貨とは違うのかにゃあ。

(じいちゃん)
これがまたややこしい話じゃな。銀行の仮想通貨はビットコイン等のいわゆる元祖・仮想通貨とは「技術的に同じ」じゃが「機能的には違う」のじゃよ。仮想通貨はブロックチェーンと呼ばれる技術を利用した送金システムによって成り立つ。銀行の仮想通貨もブロックチェーンの技術を利用した送金システムを利用する点で同じなので、銀行の仮想通貨も仮想通貨と呼ばれるのじゃ。

しかし銀行の仮想通貨の発行の仕方は元祖・仮想通貨とは異なり、おそらく電子マネーと同じ仕組みになるはずじゃ。まだ実際に運用されておらんのでハッキリは言えないが、電子マネーと同じ「前払式支払い手段」じゃと思う。なぜなら1単位=1円と固定されておるからじゃ。これは仮想通貨と現預金を等価交換することを前提にしておる。もし本来の意味での仮想通貨であれば交換レートは市場原理によって変動する。銀行の仮想通貨は仮想通貨の技術を利用した電子マネーの一種なんじゃ。じゃから銀行の仮想通貨を仮想通貨と呼ぶのは誤解を招くので止めたほうが良いと思う。銀行チェーン通貨とか、VRマネーとか、呼び方を変えたほうが良いじゃろう。

(ねこ)
うにゃあ、ややこしいにゃあ。ところで銀行は本当の意味での仮想通貨を発行しないのかにゃ。変動レートの仮想通貨を発行しないのかにゃ。

(じいちゃん)
ほっほっほ、それをやると銀行が丸儲けになるじゃろう。銀行の信用力は絶大じゃ。じゃから銀行が変動レートの仮想通貨を発行すれば高値で売れるじゃろうから、銀行は莫大なおカネ(現金)を手に入れることができる。あるいはそれは民間銀行が中央銀行に代わって通貨を発行することを意味する。そんなことがあって良いじゃろうか?それは政府も理解しておるはずじゃから、許可しないと思うのじゃ。

仮想通貨はまだ始まったばかりじゃから、ワシも仮想通貨をどう評価すべきか、あるいは仮想通貨をどのように改善すれば、特定の個人の利益ではなく広く公益に奉仕する制度に変える事が出来るか悩んでおる。多くの人は仮想通貨を使い勝手や技術の側面から考える。しかしワシは通貨制度の根本的な課題、つまりこれまで実現が難しかった、あるいは禁じられてきた「私的貨幣」とりわけ裏づけの一切無い私的貨幣をどのように位置づけるかの問題だと考えておる。

みんなも仮想通貨の登場を機会に、おカネのありかたについて良く考えて欲しいと思うのじゃよ。おカネは経済にとって、またワシらの生活にとって非常に重要な意味を持つから、これを十分に理解できなければ「搾取されて人生を終わる」ことにもなりかねんのじゃよ。

(本編サイトにも同時掲載)



2018年2月8日木曜日

賃金の伸び悩みは生産性が原因ではない

新聞マスコミは、生産性の伸びが低いために賃金が伸びないのだと主張する。しかし生産性が伸びない理由はモノが売れないからです。デフレつまり「循環通貨の不足」が根本的な原因と考えられます。

一般に「生産性」とは労働生産性を指します。しかし、何度も指摘していますが、労働生産性には「物的生産性」と「付加価値生産性」の二種類があります。そして物的生産性と付加価値生産性は似ているようで、実は大きくちがう概念です。にも関わらず新聞マスコミは場面ごとに両者をきちんと使い分けするのではなく、どの場面でも単に「生産性」と書くことで、意図的に両者を混同させているのです。

それを踏まえた上で言えば、いくら企業が投資したり、労働者が効率的に仕事をして「物的生産性」を高めたとしても、モノやサービスが売れなければ「付加価値生産性」は1円も増えないのです。なぜなら付加価値とは売り上げが増えることで増加する性質だからです。

生産性(付加価値)は、モノが売れなければ伸びないし、
当然ながら賃金(名目)が増えるはずないのです。

しかし、新聞マスコミはそこには触れません。そしてマスコミは企業や労働者に努力を要求します。生産性を高めろと主張します。しかし、冷静に考えれば誰でもわかることですが、いくら企業や労働者が努力したところで、国民に十分な購買力がなければ売り上げが増えるはずがないのです。

仮に前世紀(1900年代)のような「一億総中流」の社会であったなら、企業や労働者の努力が付加価値生産性を高めるかも知れません。なぜなら国民の多くが「小金持ち」だったからです。商品があればどんどん売れたのです。しかし労働者の賃金は失われた20年で減り続け、しかも「カネのある層」と「カネのない層」が生じてきました。今や総中流はおろか、むしろ「カネのない層」が多いのです。

おカネがないから商品が売れない。そんな世の中であれば、一体、どこの企業が設備に投資するというのでしょうか。一体、どこの企業が従業員の賃金を引き上げるというのでしょうか。

商品が売れなければ賃金は増えません。
商品は国民におカネがなければ売れません。
そうであるなら、国民におカネを配れば良い。

新聞マスコミは、こうしたあたりまえの考察すら怠り、ただ既存の常識に染まりきった頭で、条件反射的に口から出てくる言葉を記事にしているだけとしか思えません。所詮、「カネのある層」であるマスコミ人には「危機感」が無いのでしょう。

生産性を高めるには、まず国民の購買力を高めるべきです。そうすれば間違いなく「付加価値生産性」は向上し、労働者の賃金も確実に伸びてきます。もちろん申し上げるまでも無く、デフレから完全に脱却できるでしょう。

2018年2月6日火曜日

景気が良くなるほど借金が増える通貨制度

普通の人はこう考えます。「景気が悪くなると世の中の借金が増え、景気が良くなると世の中の借金が減る。」しかし実際には景気が良くなるほど借金は増えるのです。

確かに、私達の身の回りでは、景気が悪くなると生活に困って借金する人が増え、景気が良くなると生活が楽になって借金する人が減りますその日常経験から、大多数の人は「景気が回復すると世の中の借金が減る」と考えているでしょう。日常体験だけで経済を考えるならそうなります。

ところが、バランスシートから経済をマクロ(全体)として考えると、人々の日常感覚とはまったく逆の現象が生じています。すなわち「景気が回復すればするほど、世の中の借金がどんどん増える」のです。

これは、ちょっと金融緩和政策について考えてみればわかることです。金融緩和は何をしているのでしょうか?世の中におカネを流していると思ったら大間違いです。銀行の貸し出し元本を増やしているだけです。そして、これは新聞テレビでも言ってますが、「企業が銀行からおカネを借りて投資すると景気が良くなる」。つまり金融緩和とは借金を増やすための政策なのです。

景気が良くなる=企業の借金が増える。

企業だけではありません。景気が良くなると耐久消費財である自動車やマンションなどの売れ行きが良くなります。とはいえ、即金でポンと買う人はまれであり、ほとんどがローンで購入します。ローンとは借金です。借金が増えることを意味しているのです。

景気が良くなる=個人の借金が増える。

というわけですから、景気が良くなるほど世の中の借金はどんどん増え続けます。その結果、もし日銀が金利を引き上げ(=出口戦略)たらどうなるか?たちどころに、借金の「金利支払い」が企業や家計に重くのしかかります。その結果、投資や消費が減って不況に突入します。景気が良いほど借金の額も大きく膨らむわけですから、好景気ほどその反動は大きく、借金の返済により多くの時間がかかり、長期不況になります。たとえば、バブル景気の後の失われた20年のように。

いい加減に、こういうバカバカしいマネーゲームは止めにしませんか?これらの原因である現代の通貨システムを改革しましょう。

2018年2月2日金曜日

国民が理解できない通貨制度は良い制度か?

おそらく90%以上の国民は通貨制度を理解していないでしょう。もしマネタリーベースとマネーストックを知らない人がいるとすれば、その人は確実に通貨の仕組みを理解していません。そんなややこしい通貨制度で良いのでしょうか?

国民にわかりやすい通貨制度とは、どんなものでしょう。おそらく「政府(日銀)がおカネを発行して、それが世の中に流通する」というものです。そして多くの国民は、今の通貨制度はそうなっていると信じているでしょう。実際にはまったく違います。

もし日本銀行の発行したおカネがそのまま世の中に流通している制度であれば、そもそもマネタリーベースとマネーストックという言葉は生じないからです。

現在の通貨制度は、およそ国民の感覚とはかけ離れた制度ですから、国民が普通に考えている通貨制度に「戻す」必要があると思います。そうすれば、誰でもおカネの仕組みを理解できます。そうすれば、マネタリーベースを増やすことが、世の中のおカネを増やすことだと誤解して大騒ぎする人は出てこないのです。その方法はすでにフィッシャーやフリードマンら著名な経済学者によって示されています(100%マネー制度)。

現在の通貨制度は複雑すぎるため、これを理解することは一般の国民にとってハードルが高すぎます。国民の理解できない難解な通貨制度を使って経済を動かすことは、ある意味で「危険だ」と言えます。知識のない大衆は、専門家の舌先三寸で、どうとでも騙されてしまうからです。逆に言えば、為政者にとって国民を煙に巻きながら自分達の都合の良い方向へ政治を動かすには、これほど良い方法はないでしょう。

民主主義が有効に機能する条件は、政治や社会のシステムを誰でも理解することができ、それらを理解したうえで、国民が政治判断できることです。国民が理解できないような難しい制度を前提として政治を行うことは、民主主義が機能しているとは言えないでしょう。

ビットコインと呼ばれる仮想通貨が登場し、「貨幣」に関する既存の概念も大きく変化する兆しが現れてきています。まさにいま、通貨制度において、古い時代から新しい時代への変化が求められていると受け止めるべきだと思うのです。

2018年2月1日木曜日

極度のグローバリズムは必要ない

労働者が豊かな生活を送るためには、最大までグローバリズムを推し進める必要はありません。むしろ国内のおカネの循環を最大まで高める方がより効果的です。

長年の人生経験で理解したことは、労働者により良い生活を実現するためには、最大までグローバリズムを推進することで資源の効率的利用を極限まで高めることよりも、国内のおカネの循環を最大化することにより、国民の隅々にまでおカネを行き渡らせることが効果的であり、必ずしも最大までグローバリズムを求める必要はないということです。

しかし、「グローバリズムを最大まで推し進める必要は無い」と主張すると、なぜか「それは鎖国するということか」「孤立主義だ」とすぐに極論を言い出す連中が出てきます。特に新聞マスコミがそうです。だれもそんな極端な話をしているのではありません。

今日の世界において孤立主義など成立しません。世界の国々はそれぞれの国土で生産・産出できる資源に偏りや多寡があります。ゆえに多国間においてそうした資源の交換が必要不可欠であることは当然だからです。また文化交流、学問的な交流は、それこそ相互の文化や学問の向上に役立ちます。そのようなグローバリズムは最大化すればよいのです。

しかし、資本主義的なグローバリズムを最大化しなければ互いの社会が成り立たないわけではありません。確かに資本主義グローバリズムを最大化すれば資源の利用効率は間違いなく高まります。しかし、それが必ずしも多くの人々の生活向上に役立つとは限らないことが、この失われた20年の間に理解されたことでしょう。

日本においてこの失われた20年の間に資本主義グローバリズムは確実に拡大しました。農産物等を除いて関税はほぼ無くなりましたし、資本のグローバル化によって日本の工場の多くは中国などの途上国に移転しました。

しかしその間、労働者の賃金は減り続け、非正規雇用が増加し、ブラック企業が跋扈し、格差が拡大し、子供の6人に1人が貧困という社会になったのです。

ですからグローバリズムを最大化することが労働者の生活向上に結びつくとは限らないのです。むしろ国内のおカネの循環を向上させ、景気を良くすることがはるかに効果的です。しかも輸出の拡大による景気回復は、自由貿易による資源利用の効率化の恩恵とは限りません。むしろ輸出によって国内のおカネの循環が増加することでもたらされていると考えられます。貿易は国内のお金の循環を増やすための手段に過ぎない可能性もあるのです。

グローバリズムは確かに必要ですが、必ずしも資本主義的なグローバリズムを最大化する必要はありません。むしろ深く考えもせずに「グローバリズムを最大化することは良いことだ」とするならば、たとえグローバル資本が儲かったとしても、それが一般庶民の生活向上に結びつくとは限らないと思うのです。


2018年1月29日月曜日

「反グローバリズム=孤立主義」はマスコミの印象操作

マスコミには「反グローバリズム=孤立主義」と主張する記事ばかり流れてますが、そもそも今日の世界において孤立主義など存在し得ない。「極論」を持ち出すマスコミによる勝手な決め付けは印象操作に過ぎないのです。

反グローバリズム運動にも様々なバリエーションがあります。もちろん、その中には非現実的で過激な鎖国政策のような主張をする人々もいるでしょうが、彼らをして、グローバリズムに反対するすべての人たちが同じである、との印象を与えるマスコミの報道には極めて憤りを覚えるのです。

多くの穏健な反グローバリストは孤立や鎖国のような「極論」など持っていないでしょう。行き過ぎたグローバリズムに警鐘を鳴らしているのです。今日におけるグローバリズムはグローバル資本に主導される「拝金主義」グローバリズムであり、それが働く人々の格差を広げ、社会を二極化=分断化している。このような社会の分断化を推し進める拝金主義グローバリズムに対する強い怒りが反グローバリズムの主流なのです。

まさに、拝金主義グローバリズムが社会を分断している。

ところが驚くべきことに、新聞マスコミの手にかかると、これがいつの間にかまるで逆の話に摩り替わり、「反グローバリストが社会を分断している」ことになっているのです。これは恐ろしいほどの印象操作です。

そもそも反グローバリストを生み出しだしたのは誰なのか?右翼でも左翼でもなく、拝金主義グローバリズムなのです。もし拝金主義グローバリズムが社会に歪みをもたらさなければ、そもそも反グローバリストなど出てこないのです。

社会に二極化と分断をもたらした張本人である「拝金主義グローバリズム」が、あたかも正義であり、それによって苦しみを与えられて立ち上がった人々を、あたかも悪であるとする新聞マスコミ。安倍を許さないのも結構ですが、自分は欺瞞と偽善にまみれた新聞マスコミを許さないのです。

2018年1月26日金曜日

左派・労働組合は長期戦略を持つべき

左派政党や労働組合は眼前の課題にばかり気を取られ、長期戦略に欠けている気がします。確かに残業上限100時間や残業代ゼロ法案への対抗は重要ですがその先はあるのでしょうか。

短期的に言えば、まさに目の前にある課題の解決は大切です。残業の上限規制を導入することは良い考えだとしても、その上限が100時間であるならあまりに不十分です。例えば中期目標を盛り込んで3年で70時間にする、平均も40時間にするなどの措置も必要でしょう。また高度プロフェッショナル制度については、仮に労働時間と無関係な成果主義賃金に移行した場合でも、あくまで労働時間の上限規制の対象とすべきだと思います。

しかし、それはあくまでも目の前の課題です。その先の日本にどんなビジョンを描くのか、その布石を今からどう打ち込んでいくのか、今の野党にはそれが見えません。仮にビジョンがあったとしても、それは今から着実にくさびを打ち込まなければ、いつになっても実現の目処など立ちません。

もり、かけ、スパなんて目の前の、しかも過去の話に、わあわあ騒ぐために貴重な国会の時間を費やすのではなく、長期的な目標の実現のために、今から着実に議論を重ねる必要があります。左派や労働組合の人たちは、もりかけスパで盛り上がっていれば満足かも知れませんが、第三者の立場から見れば「そんなことやっている場合か」と思う人が大勢いると思います。果たしてそれで無党派層の心を掴む事ができるのでしょうか、若者だって呆れるでしょう。

テクノロジーは劇的かつ加速度的に進化し続けています。こうしたテクノロジーが人間の社会に影響を与え、相互作用によって社会もまた変化せざるを得ません。人工知能やロボット、完全自動生産工場、そしてエネルギー革命。こうしたテクノロジーが組み込まれた社会システムとはいかなるものか、絵空事の話をしているのではありません。

仮にも左派が「革新政党」であるなら、まさにテクノロジーの進化を組み込んだ、これまでの価値観を大きく変えた「革新的な社会システム」のビジョンを示す義務があると思います。それをすることなく、前世紀の「いわゆる左派・労働組合的な価値観」しか打ち出せないのであれば、革新という旗はさっさと降ろしていただきたいのです。それは革新ではなく左派系保守だと思います。

自分は野党が潰れれば良いと考えているわけではありません。野党に求めたいのは、左派系保守ではなく「真の革新政党」への脱皮なのです。

2018年1月24日水曜日

そもそも管理通貨制度は財政ファイナンスですが

「財政ファイナンスは不正行為」という仰天の暴論を発見しました。そもそも管理通貨制度において、日銀は「財政ファイナンスしなければ通貨を発行できない」のです。

執筆のために、日銀が国債を買い取る行為、つまり量的緩和に対する反対意見、副作用として何が巷で騒がれているかをネットで検索していたら、少々古い記事ですが、Yahooに、ぶっ飛びの記事がありました。

これは地獄への道。日銀の追加緩和ではっきりしたアベノミクスの「金融詐欺」

この記事は「全身突っ込みどころ満載の記事」ですが、こういうウソや抽象的なイメージ言葉を羅列するマスコミの記事は例を挙げればキリがありません。ところで、その中に、極めつけの一文があるので引用しますと、

”政府が借金を中央銀行に引き受けてもらう「財政ファイナンス」と、・・・・をやるというのは、どちらも明らかな「不正行為」である。”

政府が借金を中央銀行に引き受けてもらうのが財政ファイナンスだと定義し、これを不正行為だと主張する。しかし、もしそうなら、日銀が通貨(マネタリーベース)を発行すること自体が不正行為になってしまいます。なぜなら日銀は国債を保有することで通貨を発行するからです。

国債を保有するとは「政府の借金を引き受ける」ことに他なりません。個人が国債を保有すれば、それは政府の借金をその個人が引き受けていることです。もしそれを別の誰かに転売すれば、新たに国債を保有する人が借金を引き受けていることになります。

現在の通貨制度の基本的な仕組みのひとつが「管理通貨制度」です。これは金本位制度に代わって金(きん)との兌換を約束しなくとも通貨を発行できるようにした仕組みです。この場合、日銀は金の代わりに国債を買い入れることで通貨を発行します。つまり「政府の借金を引き受ける」ことで通貨を発行しているわけです。

ゆえに、もし「日銀が政府の借金を引き受けること」が明らかな不正行為であるならば、日銀が通貨を発行することは明らかな不正行為であり、管理通貨制度そのものが明らかな不正行為であると主張することになります。バカバカしい論ですね。

もし日銀の国債買い入れに反対だとしても、「不正行為だ」と騒ぎ立てるのではなく、これこれの副作用があるから反対である、と主張するべきでしょう(例えば通貨を発行すしぎるとこうなる等)。「正・不正」という表現はレッテル貼りそのものだからです。

そもそも、この世に最初から「正・不正」などありません。「正・不正」は後から決められるものです。何が「正・不正」を決めるかと言えば、その行為が導き出す結果であり、そうした議論なしに、ただ不正だ・不正だと連呼するのは偏向誘導です。

しかもこの論者は「不正だから悪いことが起きる」という主旨の発言をしているが、そういう因果関係に必然性はありません。むしろ正しくといわれることをしても、悪いことが起きることはある。不正だから悪いことが起きる、正しいなら良いことが起きる、そんな単純な話ではありません。

そうではなく、「悪いことが起きるから不正」なのであって、悪いことが起きなければ、そもそも不正であるとの仮定に誤りがある可能性もあるのです。

この記事のように「レッテルを貼って、そのレッテルを根拠に攻撃する」手の論法はマスコミに氾濫しています(例えばポピュリズムというレッテルを貼って、そのレッテルを根拠に攻撃する等)。多くの読者がこれに騙されるため、未だに後を絶ちません。ますます私達大衆はメディアリテラシーを高める必要があると思います。



2018年1月22日月曜日

野党の反アベ経済政策はアベコベ

反アベはおおいに結構だが、なぜ経済政策において安倍と反対方向に走るのか不思議です。安倍を否定することが、即、反対方向に走ることとは限らないと思うのです。

安倍政権の主導している金融緩和政策は、欧米では安倍政権より先行してすでに実施されていた政策で半ば世界常識です。欧米は金融緩和の効果で経済が好転しておりますから、日本における経済状況の改善も金融緩和の効果であると言って間違いないでしょう。日本だけ金融緩和の効果を否定するのはおかしな話です。

にもかかわらず野党は金融緩和を批判し、「安倍が金融緩和なら、我々は金融緩和に頼らずに経済を回復してやる」なんてカッコいいことを考えているのでしょうが、これはほとんど不可能でしょう。欧米先進国で成功例もないのに、どうやって金融緩和を用いずに経済を立て直すのか?

わざわざ、欧米でも日本でも効果が認められている金融緩和を否定して反対方向に走ろうとするのは、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の例に過ぎないと思います。あるいは、安倍と同じ政策を行うのは「プライドが許さない」「沽券に関わる」と考えているのかも知れませんね。

何もわざわざ成功例を否定して反対に走らなくても、
もっと良い方法がありますよ。

現在の金融緩和をさらに進めて、次の段階へ進むことです。

現在の金融緩和は限界が見えているのも事実です。今日、世界経済の回復で輸出が伸び、オリンピックや被災地の復興による需要も大きく、景気の追い風がとても大きい状況です。にも関わらず、景気の指標でもあるインフレ率は2%に程遠い状況です。景気回復の実感に乏しく、個人消費は伸び悩んでいます。これは現行の金融緩和では効果が不十分であることを示していると考えられます。

このまま消費税が増税されてオリンピック特需が終わればどうなるか?まず間違いなく景気後退局面に入るでしょう。

そこで、金融緩和をさらに一段階進めて「ヘリコプターマネー」を実施するわけです。ヘリマネは金融緩和政策の一種であり、より強力です。現在の量的緩和はマネタリーベースを増やすことで間接的にマネーストック(世の中のおカネ)を増やすための政策ですが、ヘリマネはマネタリーベースと同時にマネーストックを直接に増やします。世の中のおカネを直接増やすほうが確実で強力なのです。

安倍政権はヘリマネを否定しています(麻生氏が発言)。ですから、これは明らかに安倍政権との差別化に使えるわけです。「安倍政権の金融緩和は弱い」として攻撃し、「我々は一段と強力なヘリマネ政策を実行する」と主張するわけです。反アベ活動になりますね。

一方、不思議なことに、金融緩和では「反アベ」をしている野党が、消費税では「親アベ」となって、安倍ともども消費税の増税にまい進しています。逆進性が高いとされる消費税の増税に野党が固執するのは理解できませんね。格差がーと言いながら、格差を広げる消費税を増税するのは疑問です。これは格差を広げる方向です。

安倍政権に不足しているのは格差是正です。
消費税の増税に対抗して、格差是正のための税制を導入する。

消費税の増税は経済に悪影響を与えてきたことは明らかな事実です。消費増税のたびに日本経済は腰折れしてきたのですから。この消費税の増税こそ「反対方向に走るべき」でしょう。そして、格差を是正するために「金融資産課税」を新たに設定するわけです。格差が拡大する原因は、資産が資産を生む仕組みにあります(ピケティ氏が指摘)。だから資産に課税するわけです。

しかも、金融資産課税で格差が是正するだけではありません。いまや金融緩和でおカネをいくら増やしても、金持ちがどんどん貯め込んでしまうため、景気が良くなりません。貯めこまれて死蔵されたままのおカネを吸い上げて再分配すれば、消費も間違いなく増加するでしょう。

この金融資産課税に安倍政権は間違いなく反対するはずです。ですから、これは「反アベ」活動に使えるはずです。

ヘリマネと消費税増税に代わる金融資産課税の創設。これをもって反アベ活動をおこなうべきだと思うのです。自分から見れば、今の野党の「反アベ」は、まるで「アベコベ」だと思うのです。


2018年1月19日金曜日

消費税はもう古い、金融資産課税が新しい

自民党もマスコミも未だに「消費税を増税しろ」と主張していますが、消費税はもう時代遅れ。新しい時代には新しい税制が必要です。貯蓄過剰の時代には金融資産課税が新しい。

昔々のインフレ当たり前の時代では消費税が適していたかも知れません。なぜなら、昔は生産力=供給力の低い時代、物不足の時代でしたから、常にインフレを抑える必要があったわけです。いまある供給力の範囲内に需要を抑えなければなりませんから、消費税で価格を強制的に上げてしまえば需要は減少し、インフレは抑制できます。

しかも昔は生産力が低かったため、そのすべてを消費財の生産に振り向けていたら生産資本がいつまで経っても充実しません。消費を抑制することで、いまある生産力を消費活動ではなく生産財の生産(資本の増強)に向けることで生産力を拡大できます。それは将来における供給力の増大に繋がり、将来におけるインフレ圧力を抑えることもできます。

ですから、昔の時代は「消費を抑制し、貯蓄を促進する」ことが物価の安定と経済成長にとって重要な役割を果たしてきたわけです。一昔前の時代、消費税は消費を抑える意味で適していたと考えられます。

ところが時代は変わりました。

今や世の中は生産資本が過剰なほど整い、供給過剰・消費不足の時代です。しかも消費不足にも関わらず貧富の格差が拡大したことで、消費が十分に出来ない貧困世帯も増加しています。供給力は十分すぎるほどあるわけですから、ここで消費を抑える意味はまったくありません。消費を抑えればデフレになることは間違いない状況です。

生産力は十分に余裕があるため、わざわざ消費を削ってまで生産資本に投資する必要もありません。投資をするために貯蓄を増やす必要はなく、貯蓄は唸るほど過剰にあります。

すなわち、経済システムにとって消費税を増税することのメリットはまったくないのです。

一方、金融資産は増加の一途を辿っています。家計の金融資産は1800兆円、企業の金融資産は1100兆円もあるわけです。ところがこれらのおカネが消費にも投資にも向かわないため、経済活動が低迷してデフレになっているわけです。これらのおカネはいわば「死蔵」されており、日本の経済にとって「何の役にも立っていないおカネ」なのです。

ですから、こうした死蔵されている金融資産に課税して回収し、それを低所得層に分配して消費を促したり、科学振興や社会資本投資に振り向けたりすることは、人々の生活を向上させる上で有効です。金融資産への課税こそ、この時代に即した、有効な税制なのです。

消費税はもう古い、時代遅れです。
これからは時代に即した税制「金融資産課税」が必要です。

2018年1月17日水曜日

ネット啓蒙活動とマーケティングの共通点

ネットを利用してある考えを広めようとする行動は、ビジネスにおけるマーケティングに近い部分があると思います。自分の商品をごり押しするだけでは売れません。

マーケティングにおいて重要な点は「顧客をいかに捕まえて育成するか」です。来店した顧客に商品を売っておしまいのタイプの商売とは違い、啓蒙活動は可能なら顧客の生涯にわたって売り続けるタイプの商売と同じです。そのためには顧客の囲い込みと育成が欠かせません。

モノを売るときに注意すべきことは、いくら自分の売り込みたい商品が優れていても、それをゴリゴリ押し付けると顧客が逃げるだけだという点です。しかし、そういうタイプの人がネットにはかなり多い気がします。オレってすげえだろ自慢になりがちです。

洋服を売りたいとしても、お客様の身に着けている洋服をいきなり「その服はクソだ」と言えば、話すら聞いてもらえなくなります。ところがネットでは「お前の思想・考えはクソだ」と簡単に言い放ち、喧嘩になっている様子が見受けられます。これでは雌雄を決することはできても、お客様を囲い込むことは不可能です。

商売には基本的な手法として「イエス・バット法」があります。相手の考えがクソだと思っても、口が裂けてもクソとは言いません。その時点で啓蒙活動は失敗です。「お客様の服は素晴らしいですが、こちらの洋服はそれに加えてさらに流行の色をあしらい・・・」なんて調子で合わせます。

もとより、志向がまったく正反対の人はお店に来ません。ネットの場合、反対の志向の人は単に「お店をぶち壊しに来る」だけの人なので、完全無視かブロックが正解です。実際のお店でも、お店をぶち壊しにくるお客をお店に入れたりしませんよねw。お客にならない人を相手にする必要はありません。格闘技の道場じゃないんですから、挑戦者を求める必要はないのです

志向の違う人を説得するより、まず、ハッキリしない人を囲い込む方が楽です。いわゆる無党派の人をいかに囲い込むか。4割近くの人が無党派ですし、彼らを動かせば政治が動くことは、最近のトランプ大統領、あるいは昔の民主党政権を見ればわかります。

無党派の人は、難しい話を理解できないでしょう。ですから、あくまでも顧客目線に立ち、顧客の理解できる話をしなければなりません。そして顧客の共感を得ることが最も重要です。顧客を論破しても無意味です。

そして、ネットの啓蒙においては「敵」の数をなるべく少なく設定し、当たり構わず噛み付くことはしない方が得策です。敵が多いほど賛同者を得にくなります。また敵が多いと「道場破り」みたいな人がたくさん押しかけてきますw。

なんて、偉そうに書くのは簡単ですが、自分もまだまだ修行中です。通貨制度改革やベーシックインカムを実現するため、支持してくれる人をいかに増やすか。常にこうした点を思い返しながら、活動にまい進したいと思っています。

2018年1月15日月曜日

人手不足が高成長の時代をもたらす

「人手不足が経済成長に悪影響を及ぼす」との考えは、古い時代の遺物です。人工知能とロボットの時代を迎えつつある今日、人手不足を乗り越えた先には高成長の時代が待っているのです。

1900年代の常識は「人が働いて財を生む」でした。その古い常識に従えば、人手不足が経済成長の足かせになると考えたとしても不思議はありません。しかし2000年代の今日、メディアに溢れる情報を理解しているなら、すでに「人が働かなくても財が生まれる」時代になりつつあることが理解できます。

そうした時代に人手不足が生じるとどうなるでしょうか?労働者の代わりに機械が導入されます。すでに技術的に機械化の可能な分野はいくつもあるでしょう。自動運転はすでに実用段階に入りつつありますし、自動レジだけでなく、完全自動コンビニまで登場しています。無人工場も増えるでしょう。野村総研のレポートにもあるように、10~20年後に日本の仕事の半分は機械に代替可能と考えられているのです。

そして、「人手不足になればこそ」そうした自動機械の需要が高まります。そして機械化分野への投資が広がり、技術開発が加速します。ニーズ、必要性がなければ投資も開発も進まないのです。ですから、人手不足はテクノロジーの進化を加速します。

さらに、人手不足の後押しによって他の先進国に先駆けて日本で自動化技術が実用化されれば、それはテクノロジーの国際競争力を高めと共に、国内の生産力を爆発的に増加させる可能性があります。

これまでは、労働者がいなければ財は生産できなかった。労働力人口の大小が国の生産力を制限していたわけです。ところが、労働力がなくても財がどんどん生産できるようになるのですから、労働力人口というレベルキャップがなくなるわけです。これが日本を飛躍的な成長段階に導くことは間違いありません。人口で勝る大国に対して、引けを取ることはありません。

労働力人口と無関係の経済成長の時代を迎えます。

もちろん、いくら生産能力が高まっても、調達可能な資源の量によって供給量は制限されますから、天井知らずの成長が可能なわけではありません。しかしリサイクル技術や代替資源技術は今も確実に進歩し続けていますので、深刻になる必要はないと思います。それにしても、重要なことはテクノロジーへの投資です。これこそ「投資という痛みを伴う改革」です。

しかし、人手不足を移民で安易に解消することは
投資から「逃げること」であり
次なるステージへ進む日本の未来は消えるでしょう。

投資から逃げて、安易な移民を推進すれば、機械を導入するより安く人手不足に対応できます。これにより人件費コストを押さえれば短期的に企業の利益は確保されますが、機械化技術への投資の必要性は低下します。ゆえに技術開発は加速せず、技術の国際競争力も高まらないでしょう。もちろん、日本が飛躍的な成長の時代を迎えることは、ずいぶん遅れると思います。その間に他国との差、とりわけ機械化に熱心な中国に差をつけられることは間違いないでしょう。

目の前の人手不足で右往左往して大騒ぎするマスコミ。
安易に移民の受け入れを容認するマスコミ。

こうした「先見性のないマスコミの騒ぎ」に惑わされず、しっかりした未来へのビジョンを多くの国民が持つなら、日本は早い段階で、人工知能とロボットによる高成長の時代を迎えることができると思うのです。