2018年2月1日木曜日

極度のグローバリズムは必要ない

労働者が豊かな生活を送るためには、最大までグローバリズムを推し進める必要はありません。むしろ国内のおカネの循環を最大まで高める方がより効果的です。

長年の人生経験で理解したことは、労働者により良い生活を実現するためには、最大までグローバリズムを推進することで資源の効率的利用を極限まで高めることよりも、国内のおカネの循環を最大化することにより、国民の隅々にまでおカネを行き渡らせることが効果的であり、必ずしも最大までグローバリズムを求める必要はないということです。

しかし、「グローバリズムを最大まで推し進める必要は無い」と主張すると、なぜか「それは鎖国するということか」「孤立主義だ」とすぐに極論を言い出す連中が出てきます。特に新聞マスコミがそうです。だれもそんな極端な話をしているのではありません。

今日の世界において孤立主義など成立しません。世界の国々はそれぞれの国土で生産・産出できる資源に偏りや多寡があります。ゆえに多国間においてそうした資源の交換が必要不可欠であることは当然だからです。また文化交流、学問的な交流は、それこそ相互の文化や学問の向上に役立ちます。そのようなグローバリズムは最大化すればよいのです。

しかし、資本主義的なグローバリズムを最大化しなければ互いの社会が成り立たないわけではありません。確かに資本主義グローバリズムを最大化すれば資源の利用効率は間違いなく高まります。しかし、それが必ずしも多くの人々の生活向上に役立つとは限らないことが、この失われた20年の間に理解されたことでしょう。

日本においてこの失われた20年の間に資本主義グローバリズムは確実に拡大しました。農産物等を除いて関税はほぼ無くなりましたし、資本のグローバル化によって日本の工場の多くは中国などの途上国に移転しました。

しかしその間、労働者の賃金は減り続け、非正規雇用が増加し、ブラック企業が跋扈し、格差が拡大し、子供の6人に1人が貧困という社会になったのです。

ですからグローバリズムを最大化することが労働者の生活向上に結びつくとは限らないのです。むしろ国内のおカネの循環を向上させ、景気を良くすることがはるかに効果的です。しかも輸出の拡大による景気回復は、自由貿易による資源利用の効率化の恩恵とは限りません。むしろ輸出によって国内のおカネの循環が増加することでもたらされていると考えられます。貿易は国内のお金の循環を増やすための手段に過ぎない可能性もあるのです。

グローバリズムは確かに必要ですが、必ずしも資本主義的なグローバリズムを最大化する必要はありません。むしろ深く考えもせずに「グローバリズムを最大化することは良いことだ」とするならば、たとえグローバル資本が儲かったとしても、それが一般庶民の生活向上に結びつくとは限らないと思うのです。