2018年3月27日火曜日

森友騒ぎと陰謀論の類似点

森友騒ぎはいわゆる「陰謀論」に近い性質を持っています。忖度した・しないには証拠が存在しないため、状況による推論だけで善悪が判断されがちだからです。もちろん陰謀論を頭から否定はしません。その意味では911陰謀論とも共通します。

ある状況に対して疑いの目を持って見れば、いくらでも疑わしい点が出てきますし、考えるほどにそれが整合的であると思えてきます。それが陰謀論です。巨大な陰謀論の代表例として911、アメリカ同時多発テロ事件に陰謀が関係していたという説があります。

当時、ニューヨークの貿易センタービルにジェット機が突入し、二つのビル、そしてジェット機が突入していない近隣する一つのビルも崩壊したわけですが、その崩壊がどれもすべて同じように、綺麗にまっすぐ崩壊しており、ビルの爆破解体に酷似していました。しかもジェット機が突入していないビルも、解体工事のごとく綺麗に崩壊しているのです。さらに映像を詳しく見ると、崩壊に先行して爆発が生じているようにも見受けられるといいます。そのほかにも、「疑わしい」と思えば、あやしい例がいくつもあるということです。

ただしそれは、状況を見る限り、いかにもあやしいのであって、証拠はありません。しかし陰謀によって意図的に破壊されたと考えると、非常にスッキリと理解できます。ああ、ありえるな、と思えるわけです。しかし、証拠はありません。

では、陰謀論をどう扱うべきか?

およそ人間社会は陰謀が渦巻いており、陰謀がない人間社会など考えることすら不可能でしょう。陰謀は何も政府や国家の話だけではなく、企業内の権力闘争、近所との関係においてすらあり得ます。もちろん程度の差があって、たんに相手を出し抜く程度の陰謀もあれば、相手の命を奪うほどの陰謀もある。

ですから、陰謀論そのものを否定することはできないでしょう。陰謀はあり得ると思います。しかし、証拠もなしに推論だけで関係者を非難したり、罰したり出来ないのは当然です。そしてまた、新聞テレビのようなメディアが確たる証拠もなしに、怪しいという状況だけをもって、いかにも疑惑が真相であるかのような印象を与える憶測報道を繰り返すことも許されないでしょう。

911陰謀論にしろ森友騒ぎにしろ、こうした推論はあくまで仮説なのですから、一方の側からだけ報道すれば、それは世論誘導以外の何ものでもありません。逆の側から違う説を説明することによって初めてバランスが取れるわけです。簡単に言えば、「安倍の陰謀だ」という説と、「安倍の陰謀はあり得ない」という説の、両方がバランスよく語られることが必要でしょう。もし911陰謀説を当時のマスコミが、あたかも陰謀が真実であるかのように大々的に煽り立てて報道していたら、どうなっていたでしょうか。

こうした点を冷静に判断し、疑惑を扇動するような行為を自粛しないのならば、マスコミによってやり放題に「犯罪者を作り出す(冤罪)」社会になってしまうと思います。

(ご参考までに:ビジネスジャーナル 2017.09.17)
9・11米同時多発テロ、真相知る民間人が次々と不審死か…米政府の自作自演説も根強く