2018年4月8日日曜日

マクロから見た脱時間給の欠陥

労働時間ではなく成果によって賃金を決める脱時間給が推進されようとしています。マクロ的な観点から見て、これが欠陥制度(欺瞞)である点を指摘したいと思います。

成果に応じた報酬は、一見すると正しいように見えます。成果がなければ報酬は払えない。企業の立場から言えばまったくその通りです。では成果とは何かと問えば、それは企業の売り上げに貢献することだと言うでしょう。

ミクロの観点から言えば、企業は商品の販売によって売り上げ利益を出し、そこから従業員への給料を支払います。そのため、いくら従業員が優れた労働をしたとしても、売り上げ利益の範囲でしか給料を払うことはできません。つまり企業の売り上げが拡大しない限り、逆立ちしても給料は増えないことを意味します。

一方、マクロの観点から言えば、企業の売り上げが増えるということは、世の中を循環する通貨量が増加することを意味します。これは同時に名目GDPの増加(1人当たりGDPの増加)でもあります。そして世の中のおカネの量(マネーストック)が増えなければ、世の中を回るおカネが増えないのは当然ですから、企業の売り上げはマネーストックの伸び率に大きく左右されます。

以上より、労働の成果はマネーストックの伸び率に大きく左右されることが必然なのです。こうした点を何ら考慮しない「脱時間給制度」は欠陥制度であると言えます。

極端な例で言えば、どれほど天才的な頭脳を持った社員であったとしても、デフレが続けば会社の売り上げは増えないため、成果(売り上げの拡大)は望めず、給料は増えないのです。そうした社員はどうすれば給料を増やせるか?デフレを放置する日本から脱出して、インフレ傾向の国に移民すれば確実に給料が増えるでしょう

すなわち、デフレの国で長時間労働するよりも、インフレの国で短時間労働するほうが、はるかに高い成果(企業の売り上げ)に結びつくのです。これは極端な話ですが、傾向としては間違いないはずです。こんな馬鹿げたことをしていると、優秀な人材は海外にどんどん流出するでしょう。

日本は官民挙げてやっていることが支離滅裂です。各政策間の整合性がありません。「総合戦略」という視点が欠落しています。多くの新聞マスコミ、政治家が金融緩和を批判し、消費増税と緊縮財政によって世の中を循環するおカネの量を減らそうとする一方で、売り上げ依存の脱時間給を導入しようとする。

総合戦略なき烏合の衆に成り果てた日本の行く末に、
危機感を覚えるのです。